第7話 曾木の滝

(一)

 暑さが残る九月であるが、滔々と流れる激流の水は、素足が凍るのではないかと思えるほど冷たい。激流はごうごうと岩々にぶつかり、無数の渦を巻き、石や葉やいろんなものを巻き込みつつ流れている。男は激流を川の中ほどまで進み、目を閉じ腰を落とした。川の流れの轟音が、次第に静寂に変わっていく。

 変わったことに、男の腰には、左右に二振りの刀が差してある。刀自身も変わっている。鎧通しくらいの直刀で、銀と銅の鞘には細かい装飾が施されている。一見して我が国の刀とは違う、その名は”神威”と”古丹”、十年前、蝦夷地で人食いの妖熊「銀兜」を退治したとき、死にゆくアイヌの戦巫女チカプとサロルン姉妹から託された聖なる宝刀である。

 ひらひらと、激流に、まだ青いモミジが舞い落ちる。目を閉じたまま、両刀を抜き放って激流の中踏み出し、身を捻りながら連続して斬撃を繰り出す。流れに負けずくるくると、駒が回るように滑らかな動き、左右上下に変化しながら、目にもとまらぬ速さで止めどなく繰り出される攻撃、かってタイ捨流中興の祖、丸目長恵をして”天賦の才”と評された剣の冴え、動きが止まると微塵に粉砕されたもみじが激流に消えた。

 まだだ、まだ、この流れや渦と完全に同化する動きを身につけねば、我が奥義”渦流陣”は、完成せぬ。


 ぱちぱちと、岸から激しく手が叩かれた。男は修行を邪魔されたと感じたのか、やれやれという顔で激流から上がった。

「すごい、すごい、すごい!おらにも剣術を教えてくれよ。甚兵衛さま。」

五郎丸は、すっかり興奮している。

「教わりたくば湯之尾の道場に来い。但し最初は、掃除洗濯からじゃぞ。」


 甚兵衛は国兼から100石の扶持を受けているが、生活の足しにするためと、配下の遊撃隊の鍛錬のため、湯之尾の町で道場を開いている。

 この道場、稽古は厳しいのが有名だ。甚兵衛の武名で門下生は大勢集まるが、すぐ辞めるものが多い。結局いつも、隊の兵を含め、わずか10名余りで稽古をしている。

 丸目門下で、弟弟子の東郷重位が、島津家の剣術指南として、何百名という大勢の門弟を抱えているのとは大違いだ。

 少ない門下生を見ながら、甚兵衛は、師匠の丸目長恵がいつも、こう言っていたのを思い出す。

 「お主の剣は天分じゃ、よって人には真似できまい。

  一流一派を起こすのは無理じゃ。」


「合点承知!」

 五郎丸は興奮して、拾った棒切れを振り回している。

「危なーか。危なーか。」

 すぐそばの河原に腰かけていた猪三が、迷惑そうに言った。


(二)

「侍になりたいそうじゃ。」

 薩摩の国、大口曾木の滝の岸の岩に腰かけて、滝の方を見ながら、国兼は隣に座る新納忠元に言った。

「ほう、しかし、人払令なるものを太閤が出すそうじゃ。そうすると、百姓が侍などほかの身分になることは禁じられるぞ。叶わぬ夢じゃ。」


 翌年(1591年)に発布されることになる人払令は、戦国時代は自由だった身分の異動を禁じたもので、目的は生産人口たる百姓を縛ることにある。安定した収入は、国づくりの基本であるが、この法は、士農工商と定められた身分制度と併せて、百姓を体の言い農奴とするものだった。二番目のカーストとは言え、百姓の立場は相変わらず最下層で、商人が最下位なのは、よく言われることだが、新興勢力を抑え込もうという政治的意図に基づくものである。


「おい、左衛門。」

 四十年来の親友で、隣同士の領主である国兼に気安い感じで忠元が言う。

「何じゃ。」

「ぼっけもいい加減にせい、危ないところであったぞ。伊集院は明らかに挑発に出ておった。仮に勝っても、太閤からの咎めは免れんところ、義虎さまがいい例じゃ。八方丸く収めるのは、いくら儂でも骨が折れたぞい。」

国兼は、悪戯を見つかった子供の様に、忠元を振り返ると、歯を見せてニィと笑った。

 思わず、忠元も吹き出した。この男はいつもそうじゃ。後先考える深い思慮があるのか、ただの無鉄砲なのかわからん。影での動きを見ると、相当な智謀の主に思えるが、単純素朴の殻を被って、決して本当の姿を見せようとはしない。

「忠棟めも、何を考えておるのか。内城に病気を理由に出仕せん。最近では足繁く大阪に通い、石田三成らと懇意にしておるようじゃが。島津家から、独立しようとでも、しとるのか。」

 忠元には独自の情報源がある。京にいる従弟の新納旅庵は、島津氏の外交方を務めていた。

「さあな、わしには興味のないことじゃ。それよりもな、是非お主に、教えてほしいことがあるんじゃが。」

 相変わらず、人も無さげなことを言う。忠元は、国兼の不遜な物言いに慣れていた。

「何じゃ、儂に分かることなら何でも教えるぞ。」

「ありがたい!聞きたいのはな。………。」

そのとき、下の滝の方が騒がしくなり、二人はそちらに気を取られた。


(三)

「また、お前か。」

 流れの中の甚兵衛の前、岸からぼろぼろの小袖、袴姿の若侍が呼ばわる。

「うるさい!鶴田甚兵衛、ここで会ったが百年目!お主のタイ捨流が強いか、この薬丸伴左衛門の野太刀流が強いか、いざ勝負勝負!」

「わしは、意味のない戦いはせぬと、前も言うたではないか。」

「意味ならある!」

 若侍は、胸を張っていった。

「わしは、日本一の剣豪を目指しておる。そのために、まず生国薩摩大隅で最強でなければならん。今、最強と言われているのは誰だ。お主と東郷重位、それに押川強兵衛じゃ。わしは、この三名を倒さねばならん。よって、まずお前から倒す!」

 何とも勝手な戦う理由を、若侍は堂々と言い放った。甚兵衛は呆れたが、この元服間もない若侍を、少し痛い目に会わせて、ものを教えてやろうという気になった。重位は相手にしないだろうが、押川強兵衛は別だ。この若者など、簡単にひねりつぶすだろう。そうなるのも可哀想だ。


「わかった。来い。強さとは何か、教えてやろう。」

甚兵衛は、水の中で二刀を抜き、両手を左右に開くと、腰を落として構えた。

「そうこなくてはな。」

若侍はそう言うと、背負った長刀を抜いた、こちらも二刀。長刀二本だ。

「二刀流か。」

甚兵衛が尋ねた。

「お主を倒すためじゃ!」

そう言い乍ら、若侍は二刀を上段に振りかぶって、水の中に飛び込んできた。すんでのところで、甚兵衛が躱す。

「なかなか速いな。」

「戦いの最中に、やかましいぞ!」

 若侍は、二刀をぶんぶん交互に振りながら、甚兵衛に斬りつける。甚兵衛は見事な足捌きで、ぎりぎりで躱しながら、間合いを詰める。武器の長さが違う場合、戦いは間合いの取り合い、潰しあいになる。実力が拮抗していれば、なおのことだ。 なかなかの腕じゃ。甚兵衛は、戦いを楽しむ余裕がある。

一方の薬丸伴左衛門は、目に見えて疲れてきた。ただの切りあいならともかく、滝の激流の中である。踏み出す足は流れに取られ、疲れもあってふらふらしてきた。

「どうした、どうした。もうわしは、心の中で百回はお前を斬っとるぞ。」

「黙れー。」

そう言う声も力ない。駄目じゃこれでは、技も体力も、まだまだ、とても太刀打ちできん。薬丸伴左衛門がそう考えていたとき、思わぬ助け舟が入った。

 疾走する騎馬が、忠元と国兼の方へやってきた。

それが甚兵衛の注意をそらした。

ざんぶ

伴左衛門は深みに飛び込むと、流れに乗って下流へと泳いでいった。その泳ぎの速いこと、逃げ足だけは天下一品のものがあるようだ。

「今日のところは、引き分けということにしておいてやるー。」

遠くから聞こえる伴左衛門の声に、甚兵衛は思わず苦笑した。


「わしから説明するまでも無いようじゃ、ありゃ多分、お主の知りたい報せよ。」

騎馬を見ながら、忠元が、国兼に言った。


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