壱拾志知

 この入院生活で、外の景色は紅葉へと変った。やがて、落ち葉が北風に吹かれて舞うのだろう。

 僕はいつものように退屈な日中、パソコンをにらめっこしながら色々な方法を試しつつ国外のネットワークへ接続する方法を探っていた。その中で僕はいくつかの技術を身につけた。一般的な個人利用のパソコンネットワークへの割り込みは安易にできるようになった。このことによって、僕は自分の素性を晒すことなくネットにアクセスができる。もちろん、そういう迂回する経路は「超」が付くほど有名な企業のサーバーだけで、爪に火をともすように静かにくらしている人々には迷惑をかけないようにした。まぁ、企業ネットワークの管理者には直接的な被害を与えるのだけれど、高い報酬をもらって管理しているのだから僕に簡単に不正アクセするような穴だらけの仕事はするべきじゃないな、と自分に言い聞かせた。

 現在はその企業ネットワークは何故かすべて国家の管理するサーバーを通して海外と通信をしていることまでは把握した。しかし、その国家管理のサーバーは全くのブラックボックスで、今の僕の技量ではどのようにアクセスして良いのか皆目見当が付かない。

 インターネットが爆発的に普及したときは、文字通り規制など全くなく、多数のアングラサイトがあったし、国内で違法とされる情報も海外のサーバーを経由することで、半ば公認されていたようなものだったのに。時代というのは悪い方にばかり変っていくのかしら。そんな風に思いながら僕は真っ黒いパソコンのコマンドプロンプト画面を見つめていた。

 昼食が終わった頃、矢口医師がやってきた。いつもの気さくな感じとは違って、何かよそよそしい雰囲気を漂わせていた。入院生活で外界と遮断されていた僕は人の思考の変化に敏感になったかもしれない。

「こんにちわ。今日は体調、いかがですか?」

「えぇ、これと言って今までと変わりありませんよ。もともと自覚症状もなかったし。」

「・・・そうでしたねぇ。」

 彼はしばらく黙っていた。それは言いたいことがあるのに心の中で葛藤していて、素直に切り出せない状況を明確に示していた。そこで僕は深呼吸を一つ付いて、あらゆる状況の悪化に対する身構えをして切り出した。

「先生。僕にとって良くないことを告げなければいけないのでしょ? 迷ってないで事実として言ってくださいよ。先生も暇じゃないんだから。」

 最後にちょっとした皮肉を付けて、僕は笑顔で彼に用件を促した。

「・・・そうですね。確かに暇じゃぁ無いですね。」

 彼は、そういって少し寂しそうな表情で僕に続いて笑った。おそらく、医師が通り抜けてくる多くの悲しさが思い出されたのだろう。

「大村さん。率直に申し上げます。あなたは今月いっぱい、すなわち後1週間で退院になります。」

 その時僕は、おいおいこんな状況で退院させて大丈夫なのかよ、と思ったが次の瞬間思い出した。

 入院2ヶ月に関する法案。

 かなり前から入院に関する医療保険の適用が財政を圧迫していると騒がれていたが、とうとう国家財政も破綻状況となり、一定の所得税納付基準を満たしていない「一般の」国民は、病状の軽さ重さを問わず2ヶ月以上入院できないのだ。退院させられた後は自宅療養と通院に切り替わる。あるいは、治療に関する部分が保険適用で、入院費用に関しては保険適用外の混合医療を選択するしかない。当然、保険適用外の入院費用というのは非常に高額になるため、この選択肢を選ぶ人はきわめて少ない。

 要するに金持ちと、医療費を支えるために不眠不休で働いて入院費を払う人以外は自宅に帰るしかないのである。

「そうですか。退院ですか。」

 僕は彼の顔をあまり見ないようにしながら、ちゃんと聞き入れましたよ、という医師を示しながら返答した。

「家から通うの面倒くさいですね。」

 僕は冗談めかして笑わせてみようと試みたが、上手くいかないようだった。医療制度を維持するためには必要な制度なのかもしれないけれど、これはむしろきちんと治さなければいけないという使命感を持った医師の良心に暗い影を落とす仕組みだと悟った。

「もしも、通院が大変でしたら自宅から近い場所にある医師を紹介しますけれど・・・。」

「いや、いいですよ。散歩がてら、僕はここに通院してきます。今さら他の医者に頼るつもりはないですよ。」

 そう答えると、彼は何とも言えない表情を浮かべて退室していった。心に思うものがあったのだろう・・・。

 僕以外に、どれほどたくさんの人たちに彼はその辛い宣告をしてきたのだろう・・・。彼ならば多くの患者の信頼を得て、患者達が不満を言うことも少なかっただろう。けれども、逆にその事が彼を追いつめるのかもしれない。むしろ、怒りをあらわにして刃向かってくれる方が救われることもある。

 善人は長生きできないと言うことわざを僕は心の中で繰り返してみた。


 それから、1週間後僕は退院した。

 一応退院に向けて入念なカンファレンスの機会を矢口医師は設けてくれた。日常生活を送る上で注意すべき点、あるいは現時点での病状の説明、それを踏まえて推奨される生活形態について事細かく説明を受けた。

 退院直前の僕の病状は、「ほぼ完治」状態であった。ガン細胞に関する数値は注意しなければならない数値を下回っていたし、一般的なガン切除手術をした患者とそれほど変わりはない。一つ問題があるのは、転移に関する十分な病理検査ができなかったことである。しかし、それも通院しながらでまかなえる形かもしれなかった。そういう事実を聞いた後では、いかに無理をして彼は僕を病院にとどめていたのかがよくわかる。もしかしたら、金儲け主義の病院であれば病床を確保するために僕などもっと早々に放り出されていたのかもしれない。

 僕は退院の精算をし、荷物を片づけ、お世話になった看護師や職員達に挨拶して回った。それと入院中仲良くなった患者達にも・・・。みんな一様に心配してくれ、通院したときには会いに来てね、と言ってくれる。何というか、この病院は忙しいはずなのに凄くゆとりを持って会話をしてれる。おそらく職員全体のスキルというかレベルが高いのだろう。

 そして、母とともに病院を出た。外はいよいよ冬に向かって寒くなってきており、退院するのはちょっとキツイかもなと感じた。

 そう思っていると、例の爆音ジムニーの音が近づいてきた。

「・・・あ、来たわ。」

 僕も母もその音を聞くとおかしくて仕方なかった。まるで、鈴を付けられた猫が辺りをうろうろしているように確実にやってくるのがわかるのだ。ちょっとして彼女は現れた。

「退院おめでとう。あなたなんてどうでもいいけど、あなたのお母さんが荷物をたくさん持たされていると思うと心配で心配で。」

「あら、ありがとう。」

 母は笑顔で親切に感謝を述べる。

「ホント、愛想悪い癖にこう言うところだけは気が利くよね。」

「うるさいわね、あなたにそんな風に言われたくないわよ。」

「まぁまぁ、せっかく送迎にくてくれたんだから。」

 どこか温度のずれた母の言葉に僕らはちょっとおかしくて笑った。こういうのどかな日々がずっと続けば希望の光というのはすぐそこにあるのにな、そんな風に思った。僕は、彼女たちに少し待ってもらって秀さんの壁の方へ行った。


「秀さん・・・、今はどうですか? スッカリ荷が下りて楽になりましたか?」

 僕は懐から、タバコを取り出した。きちんと身分証明を出して高い税率の正規品だ。価格は高いが、嗜好品としての品質は折り紙つきである。

 僕はもうタバコは吸えないが、秀さんのためにタバコに火をつけて口の中で吹かし、火がついたところで花と一緒にタバコを添えた。まるで線香だな。

 しばらく僕はブツブツと語っている姿を見たのか、秀さんを慕うリヴィング・ウィルの人々が集まってきた。彼らもまた、秀さんに何かしらの無形の贈り物をもらったのかもしれない。僕は、みんなに残ったタバコを配り、しばし夏の終わりのキャンプファイヤーの如く、通り過ぎていく季節を惜しむように、秀さんという人を惜しんだ。

 ゆっくりと登っていく煙は、天に登り、そしてやがて四散して見えなくなる。

僕らの秀さんの葬式が終わると、みんなそれぞれの重荷を背負って去っていった。

 僕も母と恵さんを待たせていくので、この場所を離れる。

離れ際、ふと振り返ると毎日花を手向けていた場所には、何の種類かわからないが雑草の葉が出ていた。

 雨か夜露か、葉の上にあった水がこぼれて、それに答えるように葉が跳ねた。

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