壱拾語
前々から色々な書籍、ドラマなどで抗ガン剤の副作用は辛い、という話を聞いていたが、まさか自分がそういう立場になるとは思わないものである。
僕は、その夜何度も目を覚まし、その度にトイレに行って嘔吐を繰り返した。
元々吐くと言う行為自体は慣れている方だと思うのだけれど、これほど短期間に何度も襲ってくる嘔吐感というのは、急性アルコール中毒でゲロが止まらなくなったとき以来じゃないだろうか。僕は便器にもたれながら、反射運動で自然と流れてくる涙をトイレットペーパーで拭き、口の辺りをぬぐい、もうすっかり負けましたと白旗を上げたようにそれに耐えた。・・・体が弱いってそれだけでハンディキャップな様な気がする。あまりそういうことを考えたことはなかったのだけれど、ここまでキツイと弱音も吐きたくなるものである。
そんなことを2~3時間にわたって繰り返し、やがて本当に疲れてしまい、倒れ込むようにベットに横になりそのまま眠った。
翌朝は、起床のチャイムが鳴っても起きる気にならず、そのままぐったりとベットの上でじっとしていた。朝のバイタルチェックのため夜勤明けの看護師がやってきたが、彼女の目から見ても衰弱は明らかであり、何度も心配してくれる。けれども、これと言って体を安らげるすべは持たないのも事実だ。僕はそれでも、彼女が呼びかけるたびに、うんうんと相づちを打ち大丈夫であるということを装った。・・・巧くいったかどうかわからないけれど。
朝食。当然のことながら全く食べる気がしない。僕はせっかく看護助手が持ってきてくれた食事にも手を付けずひたすら横になり続けた。・・・これを何日繰り返すんだ?
そう考えたとき、僕はちょっとした絶望感に襲われた。後何日、と言う目標が定まっていると踏ん張りも効くものだけれど、そういう期日が無い僕は途方に暮れるしかない。・・・これが闘病と言うことなんだな。僕は初めてそれを実感した。
それから2~3日して、少し状態が軽くなった。それまでのようにずっとベットでぼんやりとしつつ、ご飯が食べられないので終日栄養点滴につながれていたのだけれど、わずかな瞬間頭脳が回転し始めた。そこで僕はパソコンに電源を入れ、この何日かのニュースをチェックする。いつものことだが、一見明るいニュースの見出しばかりが目立つのだけれど、ちょっとリンクをたどっていけば貧困者達の悲痛な叫びが聞こえてくる。もちろん、こういう声に対して一部の市民団体や人権派と呼ばれるような弁護士達が改善を求める活動をしているのだけれど、実際は皆無力感にさいなまれているようだった。やはり、街頭で署名活動や街道演説をしていると富裕層から邪魔とかうるさいなどの苦情があり、すぐに警察によって排除されるみたいだ。この辺りは、正当な選挙によって選出された政治によって正しく運営されているので、裁判に訴えようとも、地べたでハンガーストライキをしようとも改善の見られないことであるようだった。
かつて都市部と田舎での一票の格差、と言う問題があったけれど、現代においては株式総会における大株主が大きな力を持ち、少数株主の意見が反映されない、と言った構造に変ってきているようだ。金持ちは財力に応じて発言権をたくさん持ち、世の中への影響力も行使できるが、貧乏人は発言する機会すら無く、言われるがままの生活を受入れるしかない。・・・これが民主主義なのだろうか?
熱心に僕はパソコンを見つめ続けた。そこには確かに弱者のどうにもできない苦痛があり、同時にあきらめで満ちた退廃的な虚無感が大きな固まりとなって存在している。・・・それを解きほぐす方法は無いのだろうか?
ふと僕は一つの鍵を見つけたような気がした。それにはやはり勉強が必要である。僕は家に電話をする。・・・誰も出ない。
そこで、恵さんを頼ろうと思ったのだけれど、そういえば彼女の連絡先は知らなかったな。早速の手詰まり感に僕はうんざりとしたが、仕方がない、一歩一歩ゆっくりと進んでいくしかないのだ。ギャンブルの勝者を夢見て楽に状況を好転させるなど所詮は誰かに誘導された「夢物語」なのだ。そこに足を踏み入れた瞬間から、底なし沼に嵌ったように段々と抜け出すすべを失っていくのである。
とりあえず僕はベッドに戻り、夕方までの時間をネットの解説書の解読に当てることにした。
一つずつ、一つずつ・・・。
夕方、母が見舞いに来る。カレンダーにバッテンとか丸を付けている訳じゃないけれど、おそらく毎日来てくれていると思う。
「母さん、仕事忙しいんじゃないの? 俺はこのところ安定してきたから大丈夫だよ。」
本当はちょっと具合が悪いが、心配をかけて共倒れになるのもイヤなので努めて明るい表情でそう答えた。
「ま、確かに治療が始まった頃よりは顔色がよくなったね。」
そういうと、これと言って会話を弾ませるわけでもなく、いつものように缶コーラを飲みながら本を読み始める。・・・正直、糖尿病が心配だ。
やおら、母は質問をする。
「そういえば、お見舞いによく来てくれる女性の方ってどういう人?」
「別に母さんが期待するような良い関係の人ではなくて、同じ目標を持った盟友みたいなもんかしらね・・・。」
盟友。その答えに母はピンとしていないようだった。
「こんど会うことがあって、彼女が暇そうだったら直接話をしてみればよい。確かに綺麗な人だけれど、それを鼻にかけるような嫌みな人じゃないし、彼女なりにリヴィング・ウィルの制度に関して色々と尽力している。」
なるほど、と言う風に母なうなずいた。そして、社会のために何かをするというのは大事なことだけれど、志半ばで倒れるのはもったいないからあくまでもマイペースでするように、と釘を刺していった。
夕食中は、
「・・・なんだかあまり美味しそうじゃないね。」
などとつぶやいていたが、
「一人暮らしをしていたときよりは、栄養も考えられているし、とりあえず明日を戦う分の力を与えてくれる。リヴィング・ウィルを申請して、世間から離れようと思っていた俺にとっては命綱みたいなもんだよ。・・・味は期待するほどじゃないけれど。」
「そういえば、あんたご飯に関しては無頓着だったねぇ。私の料理がヘタだったせいかしら?」
「いんや、むしろ俺が偏食だったせいだと思う。それを考えながら献立を作ってくれたことは感謝しているよ。」
そういうと、色々昔の素直だった頃の僕を思い出して、且つ現状の僕と比較したのだろう。少し、悲しい表情をした。
でも、今は治せるなら治すしかない。そして、根本的に間違っているこの仕組みを内部から崩壊させるしかないのだ。
「そういえば、母さん。俺の部屋には時々行っているんでしょ? 」
「行ってるよ。人が住まないと家は古くなるって言うしね。家賃なんかもきちんと払っておいているから、そっちの方は心配しないで。」
「わかったわ・・・。それでさ、今度行ったときに持ってきて欲しいものがあるんだけれど。」
「なに?」
「受験をしていた頃から大事に使っていた、英和辞典とロングマン英英辞典という分厚い英語ばかりの辞書。」
「・・・今からどっか大学でも入るの?」
「まさか。ちょっと外国の友人と話をしたいんだけれど、しばらく英語から遠ざかっているから勉強しなおさないとね。それに、治って退院した後も、仕事を見つけるためには技術が必要なんだよ?」
母は、よくわかっていなかったようだけれど、少なくとも僕は「退院後」という前向きな話をし出したことに喜んだのか、明日持ってくる、と約束をしてくれた。
もちろん、外国の友人なんていないのだけれど、情報を集めるためには諸外国、特に人権について先進的な国の人のアドバイスが必要だ。病人ではあるけれど、あまり休んでいる暇など無いのである。
やがて、面会時間が終わり、母は看護師に促されるように家に帰っていった。・・・自分の仕事だけれも大変だろうに。重病を抱えた僕は非常に申し訳ない気持ちになった。けれども、やろうと思ったことはやり遂げようと言う強い意志もまた心の中に芽生えたのである。
矢口先生、恵さん、伊里中先生、柏木礼一さん、工藤製作所の社長・・・、そして秀さん。
秀さんは疲れだろうか、満足したのだろうか、虹の橋を渡ってこの世の向こう側に渡ってしまったけれど、短期間に出会った人との縁を僕は信じて、頼るしかないのである。・・・そう、前に進むために。
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