壱拾産

 意識が戻る。看護師の宮原が耳元で

「大村さ~ん。起きれますか? 大丈夫ですか?」

 と、僕を大きく揺する続けたからだ。僕は、半分意識のない状態ながら再び眠りにつき、大地震であわてふためいている夢を見た。


 次に目が覚めたのは病室のベッドの上だ。ぼんやりと目を開けると、いつもの病室の天井が見えた。右側の脇腹が少し痛い。

「大村さん、目が覚めましたか?」

 その声の方向を見ると、母ではなく恵さんがいた。・・・どうして恵さん?

 僕は、目が覚めた、という感じでうなずくとナースコールで連絡をしてくれた。

「あ、っと。しゃべらなくて良いからね。段々傷が痛んでくると思うし、ゆっくりしてなさいよ。」

 僕は気力が失われていたので、その言葉に導かれるように目を閉じ、ゆったりとした空気の流れに身を任せた。そういえば、あれだけしつこく付き添っていた母はどこへ行ったのだろう? 病室には恵さんがもってきてくれた花の匂いがとても柔らかに感じられた。

 それからどれ位の時間がたったのだろうか? 病室には矢口医師を始め例のインターンがやってきた。表情は少し硬く、何かを考えているような雰囲気だ。僕は比較的他人の表情を読むことが得意なので、手術に何らかの問題があったのだろう、と察した。

「大村さん、大丈夫ですか?傷は痛みますか?」

 僕は、大丈夫、と言う風にうなずいて矢口医師の次の言葉を待った。色々な覚悟の気持ちをもって。

「手術自体は完了しました。一番大きな病巣は摘出して問題はありません。」

 なるほど、がんばってくれた訳ね。そして・・・なに?

「肺ガンには非小細胞型のモノと小細胞型のモノがあります。小細胞型のモノは数も多く、転移が多く見られるため、一般的には抗ガン剤などの化学療法をします。・・・きりがないというか、化学療法が一番効果的だからです。」

 彼は少し間をおいてから、

「あなたの肺組織から小細胞型のガンが開胸手術によって発見されました。当初予想していたより病巣の進行が早く、また検査では見つけにくい部位に存在していたんです。」

 ・・・なるほど。世におわす神はとことん僕に試練を課すつもりらしい。

「そこで新たな治療方針として、しばしの安静と入院で、抗ガン剤を投与しながら経過観察をします。入院期間も延びることになると思います。」

 僕は彼の話をゆっくりとかみしめながら、自分の話だ、と我慢強く心に刷り込んでいった。

「再びよろしくお願いします。」

 僕はそう言い、わかりましたと病室を去る彼を見送った。再び病室には静けさが漂う。外は曇りだった。

 何となくうんざりするような感覚の中で、僕は恵さんに尋ねてみた。

「母さん見かけなかった? いつもコーラ飲みながら本を読んでいるんだけれどど。」

「あなたのお母さん、先生から結果を聞いてしばらく泣いていらした。ついさっき疲れたと言って、カーテンの向こうのベッドでおやすみになられてる。」

 なるほど。・・・また迷惑をかけているようだ。いつまでたっても親に迷惑ばかり・・・。僕はトコトン自分がイヤになる。

 いつもはドライにさらっと真実をズバリと突いてくる恵さんも、僕のこの病状に対してはうまい言葉が出ないようだ。しばらくの沈黙が部屋を襲う。・・・あー、イヤだイヤだ。うんざりだ。また物事が悪く悪く向かっている。僕はそう思って口を開いた。

「全く、まだ末期のガンで余命幾ばくもないと言う状態でもないのに、湿っぽい。実に湿っぽい。」

 本当は起きあがって捲し立てたい気持ちだったが、動いた瞬間に信じられない痛みが走ったので、そのまま寝た姿勢で僕はしゃべり続けた。

「だいたいリヴィング・ウィルを申請してそのまま朽ち果てるつもりだったのを、先生や母さんや、恵さんのおかげで生きようと思い直したんだ。この時点で僕は少し、あの当時より長く生きることになる。それをなんだよ、葬式みたいにさ。これからキツイのは俺だよ。どんな検査やら治療をされるのかも不安だし、どれ位の確率で治ってくれるのかもわからないし、全く気が狂いそうだよ。自分のことで手一杯なんだ。少しは笑って場を和ませる位したらどうかね?」

 僕はそれだけを言って、一人で満足して再び黙り始めた。恵さんは、そんなにしゃべりまくる僕を見てびっくりしたのだろう。じっとこちらを見て驚いているようだった。

「確かにそうね。一番辛いのはあなただもんね・・・。」

 かなりの時間がたってからようやく口を開いた恵さんはそういった。

「僕は迷子だ。」

 恵さんは、何の意味かわからない、と言う表情をした。

「そして、恵さんは道案内だ。道案内なら終点まで、きちんと行く先がわかるまで案内しろよ。」

 道案内という言葉で、恵さんは僕が言っていることを理解してくれたようだ。

「わかった。できることは手伝う。・・・何をしたらよいのかわからないのだけれど。」

 そう言った彼女に対して僕は言った。

「本が欲しい。コンピュータネットワークセキュリティに関するモノ。とりあえず適当なモノで構わない。その後、随時細かい本を指定できると思う。それと母に頼んで、僕の自宅にあるパソコンに繋がっている外付けのHDDが必要。それをつなぐためのケーブル類は机の引き出しにごそっと入っているので一緒にお願いします。まずはそこから。」

 恵さんはよくわからないけれど、と言いながらも僕の言葉を忠実にメモに取り、

「わかった。近いうちにもってくる。その他に必要なモノは?」

「そうだねぇ・・・。しばしの勉強の時間だね。」

 そういって僕は何となく大きな固まりのように、体の奥底に残っていた眠気を解決するために、

「じゃ、おやすみ。」

 と、言って眠気に任せて眠りに落ちた。


 次に目覚めたのは、夕食の時間だった。しかし、全く食欲がなかったため栄養点滴をしてもらった。

 先ほど起きてきた母さんは僕のベッドの横で、何を話したらよいのかと言う感じで終始不安な表情を浮かべ、差し障りのない言葉を投げかけてくる。・・・まぁ、そりゃ心配だろうな。恵さんは帰っていたようだった。

「かあさん。」

「ん?」

「とりあえずまだ治療方法があるみたいだし、そんなに心配する必要はないよ。」

 僕は笑った。

「治るモノは治すし、治らなかったら仕方ない。・・・ま、仕方ないじゃ済まないんだけれどさ。」

 僕は続ける。

「でも、とりあえずやるべきことはちょっとわかったわ。まぁ、こんな病気でこんな不自由な体だけれど、迷惑をかけないよう、がんばるからさ。」

 母は黙って、優しい笑顔を浮かべた。そうだな、昔一人で買い物に行ってくると初めて僕が言い出したときに見たような表情だった。

「・・・生きていれば良いことあるかねぇ。」

 そういって母は肩を自分でほぐしていた。

「あるよ。多分、見落としているだけなんだ。」

 母は特別許可をもらって、消灯時間ギリギリまで僕の側にいて、やがて看護師に時間を告げられると

「取り合えずゆっくりしなさいね、おやすみ。」

 と、言って帰っていった。廊下には母の足音がいつまでも続いていた。その歩数を数えているうちに僕は痛みを感じつつも、痛み止めの効果だろう、ゆっくりと眠りに落ちていった。

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