壱拾壹

 手術前日、最終カンファレンスが行われた。

 病院側はソーシャルワーカーを含め、手術に関わるすべての人間。こちら側は僕と母親。なんだかご大層な感じもしたが、医療訴訟を恐れる病院側はこの手術前のカンファレンスを定着させてきた。

 矢口医師を中心にして手術方法の説明が始まる。なるべくわかりやすく説明してくれるのだけれど、それでも素人にはわからないことがたくさんあった。けれども、一々質問をして流れを止めるのも面倒なので、僕は不明点をメモに書き留めながら説明に耳を傾けていた。

「つまり、」

 と矢口医師は締めくくる。右の肺の一部を取り除くために、可能な限り肋骨にダメージを与えない位置からアプローチして、腫瘍部分とその周辺組織を取り出します。大きさとしては右肺の3分の1ほどが無くなると思ってください。けれども、プロスポーツ選手ではない限り生活に支障は出ないと考えていいでしょう。術後はしばらく観察をしながら、傷の治癒とともに化学療法で抑え付けます。退院は1ヶ月程度で、後は通院をしながら経過観察を続けます。それでよろしいでしょうか?」

 ・・・最後の説明で、もっとも簡潔にわかったので僕は書き留めたメモ帳を閉じ、

「はい、お願いします。」

 と言った。母は隣で真剣に聞いていたが、よくわかっていない様子だった。僕がお願いするのに少し遅れて、よろしくお願いします、と一礼をした。


 病室に戻り、しばらくこれと言ってやる気もなく、カンファレンスで疲れたような気がするのでぼんやりと外を見ながら過ごした。母は相変わらずコーラをお供に読書している。いい加減仕事に行ってもいいのにな、そんな風に思った。

 時間は5時過ぎ。今日の晩ご飯を食べてしまえば、すぐに消灯時間が来て睡眠導入剤をもらってすぐに眠りに落ちるだろう。そして、明日はすぐに手術となる。 

 僕はそれなりに緊張感を感じてきたが、全身麻酔なので眠りに落ちたら後は自分ではすること無いもんな、と言い聞かせるように都度その緊張感をほぐしていた。

 遠くから聞き覚えのある爆音が聞こえてくる。その爆音は段々と大きな音となり、窓から見える病院の駐車場に1台のおんぼろなジムニーが入ってきたときにピークに達した。


・・・柏木さんだ。


 彼女は船に隙間無く、且つ高速で車を詰め込む職員のように素早くバックでぴたりと1発で駐車し、降りてきた後ガタンという歪な音をあげながらドアを閉めた。・・・今日はさすがに公衆の面前だからエンジンフードは開けっ放しにしないんだな。そう彼女なりに世間に気を遣っている姿を見ると、ちょっと面白かった。

 片手には落ち着いた感じの花束。普通に考えたらお見舞いだろうな。そんなことを思って僕はそのまま病院に入ってくる彼女を見ていた。

 最初、僕に対する見舞いかな? と多少期待もしたのだけれど、全くこちらにやってくる気配もなかったので、先生との打ち合わせとか、あるいは僕のような境遇でもっと立ち入った人への面談だろうと思って、やがて彼女のことを頭の片隅から追い出し、僕は家から持ち込んだパソコンで、古い銀塩カメラで撮影していた写真を黙々とスキャナを使ってパソコンに取り込んだ。もちろん、生の現像写真より画質は落ちるのだけれど、それでもどんどんと退色していく写真を綺麗な状態の色彩で保存しておくことは重要な作業であるように思われた。そういうのは何か目的がある訳じゃない。

「いつかどこかで。」

 僕はそういう風にいつかどこかで役に立つかもしれなし、そうでないかもしれない作業と位置づけて黙々と取り込んでいった。

 時間はあれから40~50分を経過した頃だろうか、突然柏木さんは僕の病室を訪れた。

「相変わらずこの病室は静かね。」

 そういって彼女は苦笑した。・・・良く意味がわからないのだけれど。

「それと、矢口先生から聞いた。明日手術なんだって? 一応お見舞いに来てみた。あなたもわざわざリヴィング・ウィルはしないって報告してくうれたし、・・・ね。」

 そういって控えめだけれど、とてもセンスの良い花束を僕に渡してくれた。

 この会話で母は目を覚まし、一人あわてたような感じで、柏木さんに対してお見舞いのお礼を言い続けた。それと、花を受け取ったことに丁寧なお礼を言い、花瓶に活けてこないとねぇー、と一人でにこにこしながら部屋を出て行った。自己紹介位はちゃんとしようよね・・・。

「実は監視に来たんじゃないんですか?」

「・・・私が? まさか。ここまで入院してきちんと準備をしている人は大丈夫よ。・・・私の経験上は。」

 そういって、僕のベットの回りで乱雑に散らばっている電子機器やパソコンを見て、

「あなたって、そういう特技があったの?」

「パソコン関係のことですか?」

 うん、と恵さんはうなずく。

「得意ですよ。と言っても現役で仕事をしている人にはかなわないけれど・・・。それでもWEBサイト位は作れるし、たいていのパソコンの環境設定はできますよ。壊れた場合にどうしなければいけないとか、修理をするか中古で買うかどっちが得かの判断。バックアップとそれに関わる復旧の方法。・・・後はマニュアルとネットの回線があれば大抵のことは覚えることできますよ。」

 へぇ~、と言うように恵さんは感心した。

 それを聞いて、彼女は少し考えたあげく、

「手術終わって治ったらさ、仕事あるの?」

「・・・前の会社は解雇になったし、果たして勤めるところなんてあるのでしょうかねぇ?」

「あなたがもし良ければなんだけれど、私たちを手伝う気はないかしら?」

「・・・手伝うって希望の家のことですか?」

「そう。あそこ、パソコンとかそういうものを使える人がいないの。というか、正確には先月まで居たのだけれど、遠くへ旅立ってしまったから・・・」

 彼女は思い出したのか、悲しそうな顔をした。

「良い技術を持っていても、なかなか定着できる人の場所じゃないですよね・・・」

「そういう宿命のある場所かもしれない。」

 僕は少し考えたが、取り合えず前向きなニュアンスで、

「手術が終わって治ったらどんなことをやるのか、聞かせてもらえませんか? 正直、今は明日の手術にびびって何も考えられない。」

「・・・本当にびびっているの?」

「・・・うん、凄く。」

 僕はウソ偽り無く少し怖かった。そして信憑性を持たせるために彼女の目を見据えた。

「今さら神も仏もないけど・・・」

 と言いながらポケットからお守りを出して、僕に渡してくれた。

「さすがの恵さんも、神頼みですか?」

 僕はちょっと冷やかすように笑った。彼女も、そうかもね、と言う風に少し照れたような笑いを見せた。

 そんな中、バタバタと僕の母は花瓶に花を活けて戻ってきた。そして、恵さんに丁寧にお礼の挨拶をしてくれた。彼女はびっくりしたみたいで、普段僕に見せるクールな反応ではなく、本当に年下の普通の女性にしか見えなかった。そんな彼女見て、久しぶりにかわいい女性って居るもんだな、と僕は思った。

 一通り女達の意味のわからない挨拶合戦と、取るに足らない会話を適当に聞き流していたが、夕食のタイミングで彼女はおいとますると言うことで、母に丁寧に挨拶をして帰っていった。彼女は部屋を出るときに、

「・・・絶対に治すように。」

 と、真面目な顔で言い、優しい笑顔を浮かべて病室を離れていった。しばらくの間、長い階段を歩く足音が続き、その少し後に例の爆音とともに車は去っていった。手術なんて誰でも不安だと思うけれど、恵さんが見舞いに来てくれたことでかなり僕は元気づけられた。

「うまくいくと良いな。」

 そんな風にプラスに物事を考えるのも、実に久しぶりのように感じた。

 母はその後、どこのお嬢さん? とか、礼儀正しい方ねぇ、とか、綺麗な人ねぇなどと一々僕に話を振ってきた。まぁ、何を引き出したいのかは察しがついたが、彼女は道案内。迷子の僕はただそれを目印に進むだけ、と言った感じできわめてクールに母の質問攻めを受け流した。

 とりあえず、手術は明日だ。明日が終わってから考える時間はたくさんあるだろう。僕はそう思って、ゆったりとした晩の涼しい空気をありがたく感じながら、ご飯を平らげた。

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