翌朝、オバードーズの影響と思われる頭痛を抱えて目を覚ました。近くに放り出されていた携帯電話をひっつかみ、時間を見ると午前5時半。外はまだ薄暗かったが、夜中にルールを守らず出されたゴミを漁るにぎやかなカラスの声がコンクリートの建物に響いていた。

 僕は、ゆっくりと時間をかけながら布団を抜け出し、水を一杯飲む。頭はキリリと痛んだが、この水が体に吸収され始めれば和らぐだろう。すでに頭痛薬の在庫は切れていたので我慢するしかない。灰皿のシケモクをあさり、贅沢に火を消した長いものを引っ張り出し、100円ライターで火をつけてゆっくりを煙を吸い込む。その間、いろんなものがぐるぐる回るような錯覚を覚えた。タバコに慣れていない人ならそのようなことがあるかもしれないけれど、長年のヘビースモーカーの僕にそんなことが起きるはずなんて無いのにね。

 普段であればちょっと時間が早いが職場へ向かう準備でもしようか、と思うところなのだが、そんなことはどうでも良かった。退職届だって必要ないと思ったし、元々退職金にも期待などしていなかった。

 もしかしたら社長か同僚から電話がかかってくるかもしれないと思ったので、それが嫌でネット用の配線を残し、固定電話のモジュラージャックをハサミで思い切りよく切った。

 漫然とした疲れは残っていて、冷たい雨のようにまとわりつき、いつまでも不快な感情を僕に与え続けたが、風呂に入って気分転換をする気にもならないし、眠気も遠くに離れていって再び布団に入ることも考えられなかった。僕は、黙って部屋の床に座り、ぼんやりと飛び交う鳥の影だけを追い続けた。限りなく非生産的な行為だったが、今の僕にはお似合いの作業だった。


 それに飽きたのは午前7時の時報だった。我が家には久しくテレビを置いていないのだけれど、開けていた窓から隣のテレビの音が漏れ聞こえていたのだ。僕は日課のようにパソコンを立ち上げ、しばらくちっとも頭に入ってこない文字列を眺めてから、ふと肺ガンについて調べ始めた。


病態生理:

肺内の気道粘膜の上皮は、たばこの成分などの、発癌性物質に曝露されると速やかに、小さいながらも変異を生じる。このような曝露が長期間繰り返し起こると、小さな変異が積み重なって大きな傷害となり、遂には組織ががん化するに至る。腫瘍が気管支腔内へ向かって成長すれば気道は閉塞・狭窄(きょうさく)し、場所と程度によってはそれだけで呼吸困難を起こす。気道が完全に閉塞すれば、そこより末梢が無気肺となり、細菌の排出が阻害されることにより肺炎を生じやすくなる(閉塞性肺炎)。また、腫瘍の血管はもろく出血しやすいため、血痰を喀出するようになる。一方、気管支の外側への腫瘍の成長は、他の臓器に転移するまでは、それ自体による身体的症状を起こしにくい。


症状:

一般的な症状は、血痰、慢性的な激しい咳、喘鳴(ぜんめい)、胸痛、体重減少、食欲不振、息切れなどであるが、進行するまでは無症状であることが多い。

(Wikipedia 日本版参照)


 僕はそのまま続けて、末期の肺ガンの患者や家族がつづったブログなどを拝見する。それは想像を絶する闘いだった。あらゆる治療をしてもその悪性新生物の進行を止めることはできず、やがて衰弱し、家族や知人に少しずつの悲しみを共有してもらいながら、やがて呼吸困難や苦痛を伴いながら絶命していく・・・。

・ ・・リビングウィル法を受けいれた時、僕はそれに立ち向かうことができるのだろうか?

 少なくとも、障害年金、やがて生活保護などの公的扶助を受けながら治療を受け、ギリギリまで命の灯を絶やさないことはできるだろう。それがどんな苦痛だとしても。

 

 あえて僕はそれを捨て去って良いのだろうか?


 次第に僕の頭は激痛にみまわれてくる。仕方が無く、10時の開店を待って薬局に行き一番安い頭痛薬を購入し、一緒に買った缶コーヒーで胃袋に流し込んだ。30分後には効果が出て、とりあえず3時間ほどは頭痛に苦しむことはないだろう。僕は、そのまま病院へ行った。


「大村さん、どうですか。調子の方は。」

「・・・いや、これと言って自覚症状はないんですけど。」

矢口医師はカルテとレントゲンを凝視しながら、そうかもしれませんね、と言った。

「あなたの肺ガンは現状では初期に属するものです。治療方法はたくさんありますが、大村さんの場合、患部を外科手術にて摘出して、その後抗ガン剤を使いながら徹底的に周辺部の再発を抑えるとともに、転移を防止するのが最善だと思われますが・・・。」

 僕は、後ろから蛍光灯でてらされたレントゲン写真をぼんやりと眺めていた。彼の言う「影」が一体どこにあるのか必死で探してみたのだ。しかし、結局は全くわからず医師に尋ねて該当の場所を教えてもらった。そうすると「少し曇っているかしら」と感じる程度の部位が確かに存在した。

「・・・先生。」

「何ですか?」

「これって、このまま放置した場合、何年で死に至るのですか?」

 矢口は、この言葉にかなり驚いた様子を見せた。

「一体何を言っているんですか? きちんと治療をすれば治る段階なんですよ。」

「きちんと治ると言っても、5年後生存率95%とかそういう数字ですよね。」

「健康な人間だって、事故に巻き込まれたり、急な疾患を発症したりすればそれくらいの数字ですよ。」

 彼はしばらく、カルテを見て、ふと僕を見据えてこう言った。

「・・・大村さん。あなたまさかリヴィング・ウィルの申請をしようなんて思ってませんよね? 駄目ですよ、あの制度は。アレは末期の症状で治る見込みが全くなくなった方が、意識のはっきりあった時の医師を元に、家族とあるいは本人が意識をなくした場合、悩んだ末に申請する類のものです。もちろん、そんな初期の概念は近年の適用範囲の拡大によって、鬱病を持つような中高年層や希望を失った若年層、あるいは身寄りのないホームレスのような人たちが申請する場合も確かに少なくありません。けれども、病院経営者や政府がどういう意図で無理に成立させたのかは想像もしたくありませんが、現場の医師を始め、看護師達、あるいは多数の病院関係者はほぼ、この制度の廃止を望んで日々努力しています。延命治療の中から、苦痛を伴わない新しい医療技術が生まれることもたくさんあるんです。この制度は、我々医療に従事するものの努力をすべて水泡に帰す悪法です。私は認めることはできません。大村さん、もう一度言います。あなたは幸い公的な支援を十分に受けることができて死亡率が高いといえども、きわめて初期の段階の肺ガンなんです。どうか、生まれ変わる気持ちで我々とがんばりましょうよ。」

 そこには、自ら関わりながら救うことのできなかった数多くの苦悩が凝縮されたような圧倒的な迫力が潜んでいた。たしかに、僕は僕自身のことしか頭になく、こうした医療の前線で努力している人たちのことなど考えたこともなかった。

「それに、」 彼は続けて言う。

「この法律の適用を受けた人たちが、どのような末路をたどっていったかご存じですか?」

 そんなことは全く知らない。

「大村さん。あなたはこの病院の入り口にはいるまでに、たくさんのホームレスのような人たちが病院を囲むようにたむろ、・・・というと失礼なのですが、そういう多くの人を目にしませんでしたか。」

 言われてみれば、たくさんいた。僕は格差社会だから定住することもできない人が増加したのだろうと思っていた。

「あの人達は、いずれも病気の末期の方で、すべてのリヴィング・ウィルの先生をして、延命治療や公的扶助を受けられなくなった人たちです。そして、痛みを緩和する治療だけは無償で受けることができるので、いつでも痛み止めを注射してもらったりするためにこの場所を離れることができなくなった人たちなんです。」

 少なからず、僕はショックを受けた。昨日区役所で受け取った資料とは全く違う現実が実際に存在するのだ。

「彼らは、痛みを緩和してもらいながらもやがてそれも効かなくなり、ほとんど麻薬に近いような薬を投与されているのです。そうなると依存的になり、昔希望に満ちた人ではなくなってしまいます。そして、」

 と、彼は続けた。

「やがて力尽きて亡くなっていきます。ほぼ身寄りのない方が多数を占めるので、役所が遺体を回収しに来ます。そして、合同で火葬され、無縁仏として供養されたり、あるいは残った家族のため臓器を提供してわずかながらの協力金を残したりします。生前の意思で献体として遺体を提供する方もいらっしゃいます。でも、」

 力強く彼は続ける。

「それが、社会的に文化を創り上げてきた人間の末路として正しい姿とは思えません。」

 それは、矢口医師の目も潤むほどの必死の説得だった。言葉には実体験が有り、説得力があった。そして、強い意志があった。

「でも、」

 僕は言った。

「仕事を失い、社会に貢献することもできず、不満たらたらに金持ちが払っている税金や公的保険の加護を受けながら僕が生き続ける意味って、いったい何なのでしょうか?」

 その問いに、彼は簡単に返事をすることはなかった。しばらく、僕のレントゲンの影の部分を眺めていた。

 何もかもが凍り付くような、ピンと張りつめた空気が診察室を覆い尽くした。どれ位の時間が過ぎただろう。彼はゆっくりと口を開いた。

「それは私にもはっきりと断言できることではないのですが、生きるということで、時間をかけると言うことで、あなたはいずれたくさんの人と出会い、経験をし、何かを見つけるかもしれません。それはもしかしたら次の世代への軌跡となるかもしれません。」

 もちろん、必ずしもそうとは限らないのですが、と補足をつけた。

「けれでも、その可能性を信じて私たち医師は、目の前で放置すると消えゆく命をそのままにすることはできないのです。大蔵さん!」

「・・・大村です。」

「あ、スイマセン。つい熱が入ってしまって・・・」

 彼は激情型の人なのかもしれない。けれども、他人のために熱くなれる人を僕は嘲笑したりすることはない。

「入院同意書をお渡しします。一刻も早く、これを記載して提出してください。万全の体制で我々も努力します。大村さんも、どうか努力してください。」

 そんなやりとりをして、僕は病院を後にした。矢口医師の激しい説得はいつまでも耳に残り、少し頭痛を刺激した。病院の門を一歩出ると、確かにホームレス然とした人々がたくさんうなだれながら、塀にもたれかかって座っている。近所の住民だろうか、若い主婦達や綺麗なスーツを着たサラリーマン達は、彼らを見て不快な表情を浮かべながら通り過ぎていく。彼らはお互い同士、病気自慢をするわけでもなく、ただ押し黙って自分の苦痛に耐えている様子だった。

 病院を挟んで向かいには商店街や住宅街。真ん中を走る生活道路はまるで、社会主義の貧困国と資本主義で豊かな国を隔てる国境線のようにも見えた。渡れるようで、渡る事はできない。逃げ出せるようで、逃げ出す事ができない。

 僕はかつてのベルリンの壁を思い出しながら、ゆっくりと歩きながら自分の家へを向かっていった。

 今日は、矢口医者の演説でスッカリ疲れてしまった。世の中の人には申し訳ないが、眠らせてもらうことにしよう。


 家に帰ると、時間は午後の1時を回った頃だった。固定電話はすでに死んでいたが、携帯電話にはものすごい数の着信履歴があった。番号を確認すると、すべて「以前の会社」からだった。留守番メッセージをセットしていなかったので用件はわからないのだけれど、だいたい想像が付く。僕は

「・・・少し、静かにさせてくれよ。」

 と思い、携帯電話を洗い物が水で浸かっているシンクに投げ入れた。これで、世間と僕をつなぐラインは、ほんのわずかな親しい人たちとの電子メールだけになった。それでも構わないと思い、何となく冷えたように感じる体を布団に放り込み、やがて頭の中でイメージの輪郭が次第にぼやけるような感じになり、そして真っ暗になった。


 目が覚めたのは夜の7時。

 僕は車に乗って、母の家へ行った。当然、自宅の電話も携帯電話も使えない状態なので急な訪問だったのだけれど、母は快く僕を迎え入れてくれた。

「何か食べる?」

「あぁ、いやお腹空いてないからいいわ・・・」

「あんた、最近少し痩せたんじゃない? ちゃんと食べてる?」

「まぁ、死なない程度には食べているよ。でも、どうせ下痢になって流れちゃうし、胸焼けも酷いから少し食べる用が減ったかもしれないね。」

「あんた、大丈夫? 病院に行った方がいいんじゃない?」

「ま、お金がタンマリある訳じゃないしね。」

「お金の心配ならしなくていいよ。それくらいなら面倒見ることできるから。」

 そんな会話をしながら、僕は昨日から起きた色々な出来事をゆっくり整理しながら、それはまるで絡まった糸を解きほぐすような感じで頭脳をフリーに、くつろがせた。

 母は一人暮らしである。父は別居して僕の妹と一緒に暮している。しかし、別居といえども父が脳梗塞による半身麻痺で介護が必要なため「妹を手助けする」という名目で週に1回、父親の家へ行っているとのことだ。きっと大人の世界にも、子供が簡単に理解できない事情や感情というものがあるのだろう。そういう風に僕は長年思っていたので余計な口を出すことは無かった。あるいは面倒くさかったのかもしれない。今となっては、どうでも良いことのように感じられた。それで色々なことがうまく機能するのであれば、それでいい。

 しばらく、母は母で家事をこなして、僕はぼんやりと流れているテレビを眺めていた。テレビを見るなんて実に久しぶりのような気がした。たまにテレビを見るのは新鮮かもしれないな。そう感じた。

 ひとしきり母も家事が終わったようで、いつものようにコーラを飲みながら、それとなくテレビを見て好きな本を読んで寝るというのが習慣らしかった。僕は、そののんびりとした空気に落ちつかなさを感じたものの、仕事で疲れてなお家事をする母の姿を見ると、簡単に言葉を出すことがためらわれた。気が付くと時間が9時になっていたので、そろそろ僕は本題を切り出す。

「俺さ・・・、」

「・・・ん?」

「肺ガンだって。」

 言葉と意味をくみ取るまでに少し時間がかかったようだが、やがて母は深刻な表情になった。

「病院に行ったの!? 治療は!? 入院費なら心配しなくてもいいよ、あんた向けにガン保険がかかっているし、入院保障だって大丈夫から。それで、いつ入院して治療するの?」

 僕は苦笑しながら言った。

「そんなにあわてないでよ。肺ガンと言っても医者によると初期のもので、外科手術と化学療法でほぼ治るんだってさ。」

「・・・あぁ、そう。・・・それなら良かったわぁ。でも大事を取って安静にしないと駄目だよ? 仕事も事情を言って休ませてもらうことができるんでしょ?」

「・・・仕事は解雇されたよ。」

 母は黙り込んで僕を見た。

「障碍者向け補助制度で雇ってもらっていたんだけれど、前の国会でこれは廃止になったでしょ? 会社としては助成金無しで俺をいつまでも雇用するわけにはいかないんだって。それは昨日社長が親切に説明してくれて、俺も納得したよ。」

「そう・・・。せっかく楽しいようなこと言っていたのに残念だったね・・・」

「そうだねぇ・・・。でも、こういう時代だから仕方ないかもね。」

「・・・嫌な世の中になったもんねぇ。」

 そして、再び思い沈黙が部屋を覆った。

「もしもさ、」

「うん。」

「俺がリヴィング・ウィルに申請すると言ったら、黙って見送ってくれる?」

 その答えを僕は結局聞くことができなかった。母はその言葉を聞いてから、ポロポロと母らしく無くいつまでも黙って泣くだけで、僕も何も言うこともなくなった。

 しばらくして僕はその場を取りなすように、

「別に、決めたというわけじゃないからさぁ・・・。もしもという話でね・・・。ちょっと鬱が悪化してろくなことが浮かばなくなっているせいかもしれない。」

 僕は、ありがとお菓子。またくるよ、と言い残して母の家を離れた。

 僕は毎日、周囲の人に不幸の種を振りまいているのかもしれない。そんな自己嫌悪に襲われながら帰宅し、やはり昨日と同じようにギラついて冴えている脳みそを強制終了するために、1錠ずつでなければならないはずの睡眠導入剤と、精神安定剤を4錠ずつ服用し、ラジオをつけっぱしにして布団に潜り込んだ。どこかのお笑い芸人が騒がしく深夜放送をやっていた。僕は、

(あぁ、高校生の時、徹夜をしてよく聞いたよなぁ・・・)

というノスタルチックな気持ちになりながら、やがてがくんと崖から落ちるような睡眠が僕をノンレム睡眠へと突き落とした。

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