新学期
あっという間に夏休みは終わり、ありふれた学校生活へと戻っていく。
暑い暑いと悶えている間に夏休みは終わってしまった。今思えば私は一体何をして過ごしていたんだろうか……思い出せないな。
よく遊びに出かけていたような気はするけど……目を擦りながらそんな事を思いながら欠伸をする。
いつも通りの時間に起きて顔を洗い歯磨きをして、ココに餌をあげた後に時計を確認しながら御飯へと箸を向ける。
いつも今の時間帯にお母さんはいない。
毎朝私が起きる頃にはもう仕事へと出掛けている。夏休みだった昨日までもお母さんの生活のリズムは変わらない。
休みで居たとしても熟睡していて今の時間にお母さんはキッチンに顔を出さない。
決して今は仲が悪くはないんだけど、休日はいつも疲れていて部屋からは出てこない。しかも寝起きが悪いので私も出掛ける前に嫌な思いはしたくないし、お母さんも折角の休みに起こされたくないだろう。
ここから数分歩いた先のスーパーのフルタイムパートとして勤務している。
詳しくは聞いてないけど仕入れからの勤務だから、だいたい七時にはお母さんは部屋にはいない。
お母さんが何故そんなに働くのかは簡単に言うとお父さんがいないからだ。
他界などではなく、いわゆる離婚ってやつ。
だから気付いた頃には、朝キッチンには私一人しかいない。
お母さんが働き始めてからは、朝に焼く目玉焼きも用意するウインナーの本数もトーストも、フォークもスプーンも一人分しか用意した事がない。
見晴らしの良いテーブルに空しくお皿とフォークが重なる音が鳴り響く。
でも寂しくなんかない……私にはココがいるし。
一メートルも満たない場所にいるココに視線を向けると、がむしゃらに餌に喰らい付いていた。
遅れて気付いたココは、顔全体に御飯が付いた状態で不思議そうに瞳を丸くした。途端、付いた餌を首を振って綺麗にすると愛らしい姿を見せた。
「ワンッ」
ご馳走様かな。
微笑ましい光景を見つめてる場合じゃないと、私も椅子から立ち上がった。
食器を洗い、戸棚にお行儀よく整列させると、登校時間に差し迫っている事に気が付き、ココも私の後を追う様に部屋について来た。
「お、ココも来る?」
私の部屋にココを迎え入れ、扉を閉める。
慣れた身支度だからここまでを五分足らずでやってのける。
『あ、そうだ』思い出し、コルクボードに貼った写真を傷つけない様に丁寧にピンを抜く。
今まで夏休みだったから生徒手帳から取り出してたんだ。
いつも仕舞う内ポケットがウエルカムと大きな口を開けて歓迎していた。
写真にはいつまでも色褪せない綺麗なロンドンの写真が映し出されている。
私が小学校高学年の頃から大事にしている写真で、唯一の宝物なんだ。
「元気かな? ……ユキ君」
なんて、朝日に向かって想いに耽ふけっている私に業を煮やしてか、吠えながら尻尾を元気よく振りまわす。時計の秒針も私を急かしているかの様に見えた。
「ワンワン!! ワンワン!!」
まるで、何処かで火事でも起きているかの様な装いで、目の前を行ったり来たり私の周りで円を描いたりと部屋を駆け回る。
「分かった。分かったって!! もう時間なんでしょ」
「ワン!!」
立ち止まり『偉いでしょ』と吠える。
折れ目がつかない様に生徒手帳に写真をしまうと、部屋を後にして玄関まで小走りした。私はしゃがみこんでココの頭を時間を教えてくれたお礼と、今日一日分と言わんばかりに優しく撫でる。
だって学校に行ってる時は会えないから……ね。
「じゃぁ、行ってくるね!!」
「ココ、良い子にしてるんだぞぉ~」
今度は乱暴にココの頭を撫で回すと、気持ち良さそうにつぶらな瞳が閉じた。
戸締り、ガスの元栓、そして玄関から見える多めに作った餌を指差し確認する。
「じゃぁ、行ってきます!!」
蒸し暑さの残ったアスファルトに向け、私は一ヵ月半ぶりに学校へと足を向けた。
そうそう。まだまだ暑さの残る九月上旬の朝な訳で。
九月だけど夏真っ只中の様な照りつける太陽に掌を翳す。
朝なのに熱帯夜だった昨日の暑さが残っているのか、アスファルトの熱さは嫌味な程に変わりはない。
この前は夜、涼しかったのにな……と溜息交じりに空を見上げると目を細め手を翳す。
頭上には誇らしい位の熱を放つ遠慮のない太陽が昇り始め、足元には鉄板の様に熱いアスファルトが私を苛める。
気分は冗談抜きでフライパンの上に乗った目玉焼き。
卵の殻から出てきた透明な白身、私が焼かれ、真っ白になるのか時間の問題だ。
煮るなり焼くなりご自由にって一種の諦めに似た気分になる。
出来ればミルクティー位の焼け方で丁度良いんだけどな。
今日一日の暑さを予感させる一日の始まり。
外に出て間もないのに滲み出てくる汗と、やる気の無さは夏休み入る前と変わらない。吹く風もないし、吹いたところで暖房器具と変わらない。
意味ない暑さに新学期早々、登校する生徒も何処かだらけ気味だわ。
覚悟していたとはいえ、この暑さには正直に参るぞ。
「……八時十分」
学校までもう少しと思っていた途中の横断歩道に運悪く阻まれ、スマホに向けて独り言を漏らす。
急いでって吠えるほど時間はヤバくなかった。
うちの愛犬は利口なのか。
しっかりと余裕のある時間で送り出してくれる。
きっと、人間だったらココの血液型はA型だな……とスマホをしまいながら青信号を渡り始める。
「おはよ。智亜美」
横断歩道を渡ると後は学校まで直線と思った時、聞き慣れた通った低い声が私の背中に向かって挨拶をする。気が付けば周りには同じ制服を着た生徒が、様々な色に焼けて挨拶を交わしていた。
振り返ると美弥が、眩しさに目を細めながら手を振っていた。
時々『チャミ』っていうけど基本的に美弥は『智亜美』て本名で呼ぶ。
「おはよ美弥。余裕そうだね……」
美弥と私は自然と横に並び、手で微かな風を額に送りながら美弥に問いかけた。
「まぁ……時間には気をつけてるから。この暑さの中で走る馬鹿者にはなりたくないし」
気温さえ変わらないが、冷ややかにとんでもない毒舌。
「あぁー……違う違う。時間もそうだけど暑くないの?」
少しでも意味が伝わるようにと、今度は空を見て大袈裟に掌で頬の辺りを仰ぐ仕草をする。だって振り向いた先の美弥の顔は余裕そのもので『涼しそう』だった。
「あぁ……」と声を漏らし理解すると変わらぬ涼しげな顔をみせる。
「もう義務教育は終わったけど、学校に行き始めて何年経ってると思うの?」
「え……?」
何を言っているのかと暑さを忘れそうになる程のハテナマークが浮かぶ。
「十年位経ってて夏も十回。家にエアコンがあるとはいえ、そろそろ慣れてもいい頃じゃない? 学校に冷完備がないこと」
その発言は『余裕』ってことね。理解しました。
まったく。この綺麗な長い黒髪に無駄に肉がない。
すらりとモデル並に伸びた身長と冷静沈着な所が美弥の特徴だけどさ。
その綺麗な横顔に苛立つどころか、ここまでくると威厳が出てくるな。
私はその余裕さに尊敬以上に感服し、思わず笑ってしまった。
◇ ◇ ◇
話している間に教室に辿り着き、一ヶ月半ぶりのドアを乱暴に開ける。
「皆おはよ~っ!! おはよ! はよ」
教室に入った途端、狂ったかの様に同じトーンを保ち、挨拶を繰り返す。
それはもうありともう、あらゆる人に下手すれば立て掛けている箒にも挨拶しそうな『無差別挨拶』とでも言いましょうか。
「チャミ! おっはよぉ~」
この無駄に高くて必要以上に語尾が伸びている声は千佳だ……。
声が聞こえた方向に振り向くと準備万端の笑顔を浮かべる。
「おはよ。千佳、プール以来だ……ぶぎゃっ!?」
口元から出た私の奇妙な叫びにさすがの後ろで席に着こうとしていた美弥も整った顔が驚き顔になっていた。
だって……。
「ひっかかったぁ!!」
――ってそういう問題じゃないと思う。
ここぞとばかりに、千佳が私の事を指差して笑う。
「あのねぇっ!!!」
ひっかかったも何も……。
「避けきれるかっ!? なんだってこんな古典的な遊びをっ!!」
千佳に寄り掛かる様に体制を崩し、嫌な音を立てた腰を抑える。
「ひざかっくんは伝統行事だよ!!」
「ただの悪戯を勝手に由々しき文化の一部にしない!!」
まるでカメラ目線で余裕顎下ピースをしている千佳に対し、腰を抑えながらも大声を出していると負け犬の遠吠えにした見えない。
落ちてしまったカバンを拾い上げ荒々しく置く私の横で、千佳が何食わぬ顔で新しい話を持ちかける。
「そういえば聞いた? 前の担任の代わりが今日から来るらしいよ!!」
そう……木村先生はもうクラスどころか、学校にいない。
すごく良い先生だったのに……。
もう『木村先生』じゃなくて『前の担任』って言葉で扱われているのがなんか癪に障る。
『だったのに』と言えてしまう自分にも苛立ちを覚える……一体自分は何をしたいのか、モヤモヤと晴れない何かが渦巻いている。
些細な事でも気にする私も、自分のことながら何とかしたいものだ。
そして二学期からは違う先生が来る――……。
Foul Play ー笑顔の向こう側ー 恵深 @ganpride
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