出会い

 それは突然コンビニで出会う

 ココを連れて定番の場所に辿り着くと、飼い主をそっちのけでココは公園内に入ってしまった。

 この公園にはよく立ち寄る。マンションを出て引越しのトラックが向かった逆の方の道を下っていくと細道があり公園がある。

 途中コンビニもあるので、そこでお母さんは牛乳を買ってきてくれって私に頼み事をした訳だ。マンションからは十分過ぎるか過ぎないかの距離。


 なんとその距離を全速力で走らされるのが定番。

 私が必死に走ってココに追いつこうとしているのに、リードを外した途端に不届き者の愛犬だわ。

 柵を潜り抜けてさっさと行ってしまった。私の事なんかそっちのけで駆けだす位、ココにとってお気に入りの場所なんだ。


「はぁ……七時前か」


 右のポッケに入っていると思っていたスマホを左から取り出すと時間を確認する。日照り時間が多い夏でもこの時間になれば夜だなって感じる。

 陽が陰り、汗を掻いた肌をスッと抜ける様な涼しさに秋の気配を感じる。


 明るかろうが暗かろうが関係なくココは、飽きもせずあっちこっちと駈け回っている。

 暑いから早く帰りたいと思っている中で何が見えているのか、私の目では全く理解できない。


 この公園は芝生が中心で遊具がブランコと滑り台と砂場しかないけど、きっとココの屈託の無い瞳には楽しいモノが沢山見えているんだろうな。

 疲れた私は着いてから歩く速度が遅くなり、近くのベンチで頬づえを付く。


 挙動不審に右、左と何でも興味を持つココに羨ましさを感じてしまう。

 意味なく草むらに首を突っ込んだり、土を蹴ったり……気になる匂いがあるのか鼻を地面に引っ付けて短い足で歩いてる。


 在るべきものに素直で、ココはというか動物は真っ直ぐな生き物だって思う。

 私達人間の微妙な心情の変化に誰よりも敏感に反応する。

 ドラマとかドキュメンタリーで盲導犬をよく見るけど、気付いて視線を向けてくれるのは動物だ。


 家族でもなく……友達でもなく、同じ人類ではない。犬だったり猫だったり。

 私達には聞こえない声で語りかけてくれる。


 言い方は悪いけど人間っていうのは孤独を嫌い、愛情を与える対象がいないと生きていけない生き物だと思う。ペットを飼うと言うのはそれを表立って表してる証拠じゃないかって考えてしまう。


 首輪は赤と白の水玉模様で、喉の下あたりに小さい鈴が付いている。

 少しずつ暗くなってきたが、耳に微かに聞こえる鈴の音がココの存在を感じる。今はココの首にリードは付いていない。大好きな公園を今だけは縛られる事も無く自由に走って欲しい。


 なんて……弱い人間の傲慢さと自己満足の現われだ。


 いつだって私の手元にあるリードを見つめると泣きたくなる。

 動物はきっと目の前で見てるココみたいな光景が自然なんだ。

 だけど人間が動物を縛り付ける。私がココを縛り付けてる。


 ごめんね……。

 だけど私『独り』じゃいられないんだ―――。



 気付いているのだろうか。

 弱肉強食。弱い者は逆らう術もなく切り捨てられてしまう。

 どんなに貴方達が、私達を愛していたとしても。弱いゆえに強い感情も無力。


 知っているのだろうか。

 自由な様で自由じゃない自分達の事を……喜びも悲しみも、いつも誰かにコントロールされている事を。

 全て承知の上で私達人間は貴方にリードを付ける。


「ワン!!」


 気付くと土まみれのココが私の足先の前で尻尾を振りながらお座りして見上げている。

 反応がない私を不思議に思ってか前足を宙にバタつかせ、私の太ももに必死に乗ろうとする。

 キミの短い足じゃ距離が足りないのに気付いているかい? 


 可愛らしい姿に思わず、シリアスな自分が消え去り頬が自然に緩んでしまった。私の微妙な変化にまた気付いたのだろうか。


「もう遊ぶのは終わりかな。楽しかった?」


 ココの名前を呼ぶと、私の差し出した両手にバタつかせている前足を辿り着かせる。不意にビー玉みたいな黒い瞳と目が合い満足気に一声だけ吠えた。


「そっか!! じゃあ、帰ろうか!!」


 掌に置かれた前足をそっと包み、微笑みを残したまま土まみれのココを躊躇ためらう事無く腕の中へと抱き寄せた。

 置いてけぼりで公園へと出掛ける時とは速度は違い、ココを寝かしつけるかの様にゆっくりと歩く。


 ココは疲れたのか行きとは違って暴れたりしない。

 両腕の間に上手くフィットして、ココの体温が伝わる位に静かに腕の中に収まっていた。

 決して寝ている訳じゃなく、長く垂れ下がった耳はピコピコと忙しく、辺り構わず首を振り、興味を示す。


 公園を抜け、砂利交じりの歩道を歩き、細道を抜けると夜の匂いが漂っていた。

 自宅までの延長線上にある電信柱を幾つか通り過ぎ、暗くなった道にポツンと明かりが見えた。


 歩き続けていると電灯でぼんやりと見えていた足元が、靴の色が分かる位にまで明るさを取り戻した時にフッと思い出す。


「あ……そういえば」


 呟きと同時にココの視線を感じた。


 その明かりの源を何気なく目線で辿るとある事を思い出した。

 牛乳とパン買ってきてって言われたんだった。

 明かりの先は私達家族が御用達のコンビニが目に入る。


 「行くよ、ココ」


 ココに合図を送ると、小走りでコンビニへと足を速めた。





        ◇   ◇   ◇


「あっちゃ~」


 買う筈のない品物まで買ってしまった……夕食前の買い物は危険。

 忘れていた。買い物カゴを持たなければ多く買うことはないって思ったけど、当然の様に手は右と左と二つあったんだ。


 ビニール袋を片手に自動ドアが開くと、店員の挨拶と一緒にコンビニから外へと出た。うちの愛犬はお座りして大人しくしているのかと思いきや、抱っこされていた時に充分休んだ様子で、コンビニから出た途端にグイグイとリードを引っ張りながらも催促をする。


「状況分かってないでしょ……すごく重いんですけど」


 なんだかんだでその姿に微笑むと、一旦荷物を卸して腰も降ろす。


「お待たせ。ココ」


 ココにだけ聞こえる小声で座ると、コンビニに入る前に身近な柱に結び付けていたリードに手を掛ける。


「……ん?」


 あれ? 取れない。

 きつく結びつけたつもりはないのに結び目が固い。


「ごめんね。もうちょっと待ってね」


 ジッと私の顔を見つめ続けるココの頭を軽く撫でる。

 振ってきた暖かさの前でなし崩しになったココはお座りして瞳を閉じた。


「っと、あれ。なんで解けないんだろ。ぃたっ!!」


 指先に激痛が走る。異変に気付きお座りしていたココが立ち上がる。

 繋ぎ合わせている錆びれた柱の角で指を切ってしまった。

 ツーッっと指に線が入ると切れ目に沿って赤い血が浮かび上がる。

 そして、赤い小玉になって私の指から零れ落ちた。


 なかなか取れない……。


 きつく結んだつもりはないのに解けない程に固くなっている。

 再び手を加えてみるものの、断固として結び目が緩む気配がなかった。

 尖った物で切ろうにもそんな柔な紐じゃないし、まずそんな道具は手元にない。


 気が付けば十分以上も経っていた。

 どうしよ。店員さんに事情を話して役に立ちそうな道具を借りてこようか……と考えたが忙しそうに走り回る店員さんの姿がガラス越しに映る。


「大丈夫……」


 ココから視線を送られる度、笑うが時間が経てば経つ程、変な汗で手が滑る。

 再びツゥーッと流れる血を軽く舌で舐めると鉄の味がした。 

 それは柱の味なのか血の味なのか、頭が真っ白になっている私には分からない。

 止まらない血を他所に、再び座り込んでリードに手を掛けようとする。


「ほれ。ちょっと貸してみ?」


「……えっ、あ」


 不意に背後から伸びてきた腕に声も出ず、驚くと同時に電流が流れたかの様に手を退けた。

 私より一際大きな手だけが鮮明に私の瞳に写り、細い指先が硬くなっている筈の結び目を器用に解いていく。


「おっ、ほらほら出来たぞ」


 背後にいる腕と手先しか見えない誰かに紐を解いてもらっているという不思議な光景とにらめっこしている中で、マイペースにリードを私に手渡してくれる。


「すいません。あ、ありがとう……ございます」


 強張った腰を上げながら渡してくれたリードを手に取ろうと、瞳に映る腕を辿りつつ顔を見る。


 顔を見る前に、勝手な推測で失礼なんだけど。

 引き締まった筋肉から血管がはっきり見える腕に、細い割には角張った大きな手だから成人男性だとは思った。


 予想通りの頭一個分は身長の高い。私より年上に見える男性だった。

 見かけたことのない人だけどきっと近所の人だろう。


 私にリードを手渡すと、一仕事を終えたかの様に掌を二回リズム良く叩いた。

 顔の次に服装に視線を向けたけど、どう見たって遠出の服装じゃない。

 家が近くだから簡単な服でコンビニに来たって感じだ。

 ちゃんとしたら綺麗なストレートになりそうな焦げ茶は所々跳ねてるし、少し細めの瞳は欠伸をしながらも益々目を細める。



 ………そうだ!!


 無造作に私は地面に放り出したままのビニール袋へと駆け寄ると、何気なく買ったフルーツジュースを差し出す。


「あの、助かりました……えっとお礼にこれ」


「え……?」


 目の前にフルーツジュースを差し出すと男性は困惑したかの様に言葉を詰まらせた。


「あ、大丈夫です。ちゃんと冷えて……って違いますよね。お礼にしては子供過ぎ……失礼ですよね」


 新たなものを捜しにガサガサと袋の中、必死に旅に出る。


「そうじゃなくて別に平気だし。大したことないしさ」


 軽く掌で交わすと、一個分の頭を翻して私の傍から離れていく。


「あの、あのっっ!! 本当に助かりました。ありがとうございました!」


 大声を張り上げた途端、瞳からうっすらと涙が浮かんだ。

 距離が遠くなっていく男性にまた一歩、近づいて頭を下げながら深々とお礼を言う。


「いやそんな、本当に気にしないでってば」


 別にどうでもいいことなんだけど、突然差し出された大きな手が涙腺を緩くさせる。助けてくれたその気持ちが暖かくて嬉しかったから。

 私の身体を覆い隠し、玩具の様に淡々と綱を解いていく指先が瞳に焼き付いている。


 リードを持つ手が震えている。

 本当に大した事ではないんだ。自分でもよく分かっている。

 通りすがりの彼は、道端で困っていた人に助けてあげたに過ぎない……ただそれだけだってこと。


 『私は』それだけの事だけど嬉しかった、私も私でそれだけ。

 こんなちょっとした出来事が内側の自分を隠せなくなる。

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