我が家の暴れん坊

 暑いと項垂れながらベットにへばりついていると、もう夕方に差し掛かる時刻になっていた。

 寝っ転がっていては夕陽が見えないが、部屋にある様々な家具を包み込む様にオレンジ色に染まっていく。


 夏の夕陽は綺麗だ。

 『秋の夕陽』って歌われる、涼しさの中で見る真っ赤な夕焼けもいい。

 そんな秋の夕陽も好きだが、暑さがまとう中で見るこの季節の夕陽が一番好きだ。


 汗で湿っている前髪を左右に掻き分けると、膝を立てて窓に触れる。

 夕陽が見えないって言ったけど、こうやって窓を開けて身を乗り出せば何とか見えるんだな~。『よっ!」と掛け声を上げて、窓を全開にすると外の空気に触れた。


 思わず声が漏れるような風が微かでも良いから来ないかな。

 汗で湿った髪を外に付き出すとと、予想通りの暑さの残る嫌な生暖かさが私の横を通り過ぎていった。


 私の家は七階建てマンションの三階にある。

 三階の窓なので手の置き場に気を付けて眺めると、まだオレンジになりきれない中途半端な夕陽が瞳に映る。

 三階まで高さがあるせいか、つかの間の涼しさを感じさせる。


 おっと。これ以上乗り出すとお母さんに怒られるので調子に乗る前に止めておこう。まぁ、今は仕事から帰って来てないからまだ大丈夫だけど。


「智亜美!! あんたまたそんなことして!!」


 そうそうこんな声で……。


「……え?」


 身体を引っ込め、聞き慣れた声がしたので驚いた表情で部屋を見渡す……が誰もいなかった。

 『あれ?』と首を傾げつつ、また外の景色へと向けると―――……。


「お、お母さん!!?」


 熱くなっているアスファルトの上から日陰の役目もあるハンカチを額に当て、お母さんは仰け反って私のいる部屋を見ていた。

 そう。ここは七階ある中の三階でマンションの真ん中と言えど、真下から私を発見するには相当見上げないとならない。

 いつも私が乗り出して夕陽を見るものだから何度も注意を受ける。


「なんでそんなとこに!!?」


「なんでって、仕事の帰りよ」


 お母さんは夏の間は鉄板ともいえるアスファルトの上で私と会話をしていた。

 目の前に家があるのに微妙な距離で話している私達親子って一体……夕飯時でも近所迷惑なのか!?

 なんて、どうでもいい疑問が降って湧く。


「それに、これはお母さんの日課なの。日課!!」


 こっちの気持ちを知ってか知らずか、日差しを手で隠しながらも、何故かムキになって『日課』と強調する。日課ってそうやって暑い中でも仰け反って私の部屋を見ることが……大した日課だこと。


「何がしたいんだか……うちの親は」


 参ったなと髪を掻くと視線を外した場所、お母さんから離れた所で私達親子を見る近所の主婦達が目に付いた。口を掌で隠しながら私達にチラチラと視線が向けられる。


 主婦の手元には帰って夕飯の支度なのか、スーパーの袋からネギが顔を覗かせていた。話を続けるのに限界が来たので、私は話を不自然に放り投げた。


「まぁ、いいから早く帰ってきなよ……」


 それだけ言い残すと私は顔を引っ込めた。

 窓から手を離すと二、三回手を叩き、オバサンみたいな声を出すと痺れた首と腕を半周だけ回した。

 一周出来たらしたいけど、人間の構造上それは仕方ない。

 冗談で言ってる訳じゃなく、長時間身を乗り出し過ぎて身体が軋んでしまった。


 でも、軋んでも損しない位に今日見た夕陽は格別に綺麗だったなぁ。赤い様でオレンジの真ん丸な姿をした夕陽。ただそんな単純な事だけで、今日は良い夢を見れそうとモチベーションは上がっていく。


 首を回しながら立ち上がり、部屋を出ようとベットから降りてドアの方へと足を向ける。



「ワンッ!!」


「え――……ぎゃっ!!」


 視界に何かが覆い被さり一瞬、真っ暗になる。

 何者かが飛び付いてきた事に驚いて飛び退く……のが遅くて後ろのめりになった。


 辛い体制なのにも関わらず、聞き慣れた鳴き声の主が遠慮なく私の頬を舐め始める。


「くすぐったいってば! まったくもう、どうしていつもそうなのよ」


 誰かは分かっていた。

 ココのせいで尻もちはつかなかったものの、首の次に腰を痛めそうな反り方になっていた。

 この歳で腰痛は嫌なのでゆっくりと体勢を整え、部屋の絨毯じゅうたんに腰を下ろした。頬を舐めたお返しと、くすぐる様にココの頭を撫でる。


 いつもの事とはいえ、油断してたわ。

 するとさっきまでの威勢が嘘の様に、チョンっと絨毯にいる私の太ももの上に前足だけ揃え座った。


 綺麗な茶色ッ毛の愛犬で女の子の名前は『ココ』と言う。

 悪戯するのが大好きなのか、いつも不意打ち攻撃が多い我が家のダックスフンド。女の子顔負けのサラサラの茶色い毛色に、チマッとした足。伸びてる背中が妙に可愛い。



 一目で惚れました。



 何を言いたいのか、私の顔をビー玉よりも小さな瞳でジッと見つめていた。

 意図は分からないが軽くココの頭を叩くと立ち上がる。

 さてさて。


「ワン!」


 これから何をしよ……う。


「ワンワンワン!!」


 ……って一体何!?

 ココに目線を合わせると、ただただ何をしたいのか尻尾をメトロノームの様に振って吠えている。なるほど。時間かぁ。


「ココ!! 散歩しに出かけようか」


 勢いつけて腰を下ろし、ココの顔を両手を使って挟み込む。

 クシャクシャと撫でると元気な声が倍になって部屋に木霊した。


「あれ、智亜美。何処行くの?」


 玄関に着いたばかりのお母さんがハンカチで汗を拭きながら問いかける。

 お母さんは仕事用のローファーに似た焦げ茶色の靴を足で揃えながら一息ついた。


「散歩! ココの散歩に行ってくるからっ……あ、もう! ちょっと待ってココ」


 お母さんにお帰りの挨拶する間もないまま、ココの小さな身体との綱引きに翻弄されていた。


 『ちょっと待って』が聞こえていたのか、ココはその場でお座りをすると後ろ足で首を掻いて待っていた。切り替えが早い様で私としては助かるわ。


「じゃぁ、いってきます!!」


「あ、ねぇ。帰りにパンと牛乳を買ってきてちょうだい」


 走って出て行く私の後を追うように玄関から顔を出し、大声で私の名前を叫ぶ。

 私は返事と同時にバイバイとお母さんに大きく手を振った。


 間違いない様に言っておくと、うちはマンションは『ペット可』の家なんだ。

 管理人が動物が好きなんだと、だから内緒で飼ってるわけじゃない。


 マンション前で掃除をしている管理の方に挨拶をすると私の顔を見るのではなく、ココを見て「こんにちわ」と挨拶をする。そんな人だ。

 ココが吠えたかと思うと、この時間に良く会う柴犬を連れたお姉さんに会釈をした。


 この辺りじゃペット可のマンションが少ないのか、逆にペットを飼っていない家族なんてこのマンションじゃ珍しい位だ。

 ココはモタモタしている私を急かす様にリードを引っ張り『早く』と喉を鳴らしていた。


「わ、分かった、分かったってば!!」


 小走りで走る私はやっぱり何か釈然としない。

 だって絶対に歩幅は人間の方が大きいのに……うちのダックスフンドは何て素早い。小言を言いながらもココの後を相変わらずの小走りで歩く。


 綺麗な夕陽が見えた後は様々なグラデーションを残しつつ暗くなるだけだ。その瞬間は夜空で輝くオーロラよりもランクが上だ。

 さっきまで顔を出していた夕陽も姿を消し、徐々に夜の空気を醸し出していた。


「わっっっ!!?」


 浴びせるかのようなクラクションと砂埃に目を瞑る。

 大きな影が通り過ぎたと思うと髪が熱さと共に行く先へと舞った。大型トラックが我が物顔の猛スピードでアスファルトを通り過ぎる。


 もちろん衝突しそうになった訳じゃなく、トラックと一緒に通り過ぎる突風に目を瞑っただけだ。

 突風に転びそうになるココを抱き上げ、傍若無人なトラックが行った先を睨み付けた。


 走り抜けていった大型トラックは私のマンションの四、五軒先に急停止した。

 急停止したかと思えば二、三人降りてきてトラックの扉を開けた。

 金属同士を擦り合う音が聞こえると、大中様々な形をした段ボールが運び出されるその奥には冷蔵庫やテレビが見えた。誰が引っ越しをしてきたのかな?


 だけどあの車の運転の仕方!!

 仮にもお客様の荷物を運んでいて、あのスピードであの急ブレーキはないでしょ。


 近くに止まるんだったらスピードを出すなっつーの!!

 歳関係なく地団太踏みそうになる怒りを必死に抑える。



 バタバタバタ……!!

 怒りの真っ只中、腕の中で世話しなく動く存在を思い出す。

 頭に血がのぼり過ぎて力加減を忘れて抱きしめていた


「キューゥ!!」


 『苦しいから早く降ろして』と手足をバタバタさせる。


「あ、待って! 降ろすから」


 ココの前足を地面へと傾けると、ジャンプして私の前を走り出す。

 迷惑をこうむったトラックを尻目に見送りながらその場を後にした。

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