Foul Play ー笑顔の向こう側ー

戯れ言

　今世紀最大のアッカンベーをまるで花壇に水を撒くみたいにお披露目をすると一度は笑いになったもののそれはほんの一瞬のまた一瞬だった。　

　わたくし『智亜美』という人物はどう足掻あがいても、クラス全体を笑わかせることは天下一品でも……。

「その面うっせぇーぞ!!　神崎!!」

　この場を仕切り直すには常日頃から馬鹿にされ過ぎた。

　違う箇所に力を注ぎ込み過ぎて、ふっとした場面でアラが出る。

「面がうるさいってどういう意味よ!!　散らかってるのはあんた達の方でしょ。こっちは挨拶してただけなんだからねぇ～」

　私の代わりに男子の罵声に食って掛かるのが牙を剥く私側のクラスの女子。

「黙れ!　その他大勢、お前らに言ってねぇ～よ」

　女子vs男子でゴングが鳴る。

　静寂は瞬間どころか一瞬だけで、誰も二度は静まり返ってはくれない。

　空を切るかの様に折り重なる罵声もこのクラスでは当たり前だ。

　そんな光景は中学生までならまだしも、この内容で私達は学年の真ん中、高二だけどねぇ～。なんて、いつもの癖で冷静な分析を始めてしまう。

　だって言い返すまでもなく、私の行動は自分でも可笑しかった。

　ムキになって大声を張り上げる程じゃないし、教室全体に響き渡る位に怒鳴ることも変顔をすることもなかった。

　馬鹿に見せて思われる事で上下関係である下が生まれ、親しまれやすく、一段とクラスに溶け込めるってものだ。

　そして廊下側の席の男子が再び罵声を浴びせた瞬間に、クラスに地響きを思わせる様な笑いが走った。

　そう、おままごとみたいな罵声……デスマッチまではいかずにいつも終わる。

　あ、いや。いつもではないか。

　血を見る試合も時々はあるとだけ言っておこう。

　ガラッ!

　そんな笑いの真っ只中で教室のドアは開き、軽快な音を立てながら扉は閉まる。

「こらこら!　席に着きなさい、チャイムが鳴っただろう。それなのに廊下の端まで聞こえる笑い声はなんだ?　ここは幼稚園か?」

　朝陽に映える白髪、少しずれた眼鏡と一緒にひょっこりと顔を出す担任の木村先生。

　面と向かって聞いた事はないけど風貌から推定するに、五十代半ば位の歳だろう。傾いていた眼鏡を人差し指で定位置に戻すと、教壇へと歩きながらレンズ越しに呆れ顔を見せる。

　けど、本当に怒っている訳じゃない。いつもの様にそう言いながら眼鏡の向こうの瞳は笑っていた。

　破裂しそうな位に元気で、活発なのがこのクラスの良さっていうのを認めている単なる呆れ笑いの表情に見える。

　まったく珍しい限り。年配の男性教諭だ。

　木村先生程の年配教師になると、生徒に憎まれ口を叩かれても、それを無碍むげに出来る程の威圧感、そして勉学に人一倍厳しい先生が構成される筈だ。

　実際に私の過ごした小、中の年配教諭は正（まさ）しくそうだったといえる。

　それか、まったく生徒に関心のない、教科書通り授業をして他は無関心という役に立たない教師。

　熱血ではないけど、冷徹でもない。程よいバランスで私達と同じ波に乗ってくれる様なこんな先生は見たことないし興味が湧く。

　器用で卒がない分、一気に生徒の興味の対象となる。

　なんだけど、でも……。

「ねぇねぇ……」　

　朝からお怒り絶好調だった美弥が、前に席がある私の背中を人差し指で二回突付く。窓際の後ろから二番目にいるのが私で、一番後ろが美弥って訳で、ご推察の通りクラスで一番仲良しだ。

「勿体ないよね」

　何が……って、聞き返しそうになる言葉と共に理解し心の中で頷く。

「先生、学校を辞めるんでしょ」

　鉄壁の美弥だから分かりづらいが、残念と思う気持ちが声に出て聞こえている。

　生徒に好かれる先生だったのに……そんな人こそ誰よりも先に去っていく。

「今学期で辞めちゃうなんて、本当信じられない」

　いつも通りに朝の挨拶の後に今日の連絡事項を話し始める木村先生を見つめてそう言った。

　時々、咳払いをしながら連絡ノートを捲るのが木村先生の癖でこれでもかって位に老眼鏡と思わしき眼鏡を鼻の下まで落として喋る。

　それが後もう少しで見れなくなるなんて。

　そんな貴重なＨ.Ｒを他所に、先生の話を聞かないでそれぞれの会話にヒソヒソと花を咲かせる。先生も気に留めない様子でＨ.Ｒを進める。

　無理に黒板に向かせたりしないし、意味なく注意したりしないのだ。

　先生が考慮してくれるから、私達も考える。

　先生が信頼してくれるから私達も信頼する。

　それ以外のことに無理に首を突っ込んできたりしない。

　従わせたければまずは従うべし……。

　何年もの教壇生活で得て、身に染みた教訓が先生から滲み出てる。

「……先生のお母さん」

「今は、誰か看てあげないと起きたり動いたり……食事もまともに喉に通らないみたい。寝たきりなんだって」

　噂ではなく事実なのだが、何処で詳細を聞きつけたのかと私の疑問を余所に、痛そうに注射の真似事をする。

　私にしか聞こえない声で、皺しわ一つない綺麗な顔はそのままに重い声で話しかける。

「夏休みを待って……とか関係なくすぐにでも帰りたいだろうにね」

　先生を今まで育ててくれたお母さん……か。

　どうして大切に思う人ほど早く離れて行くんだろう。

　必要な人ほど傍にいてはくれない。

　私が歩んでいく過程でそういう星の下に生まれたのか。

　神様の勝手な判断の元からなのだろうか。

　なんて……何を言ってんだろう。

　必要のない考えを打ち消そうと美弥から目を反らし、黒板へと身体を向けた。