一人になる
大した重要事項もなく、時々ずれた眼鏡を戻しながらもH.Rは終わり、数人に囲まれた教壇で話をしていた先生はいつの間にか教室から姿を消していた。
辺りの空気に流される様に、一限目の準備に取り掛かる。
「チャミ!!」
後ろからいきなり机へと押し潰すかの様に抱きつかれる。見えない角度からのタックルに声じゃない声が出ると、肺が机の角に押し潰され、一気に呼吸が苦しくなる。
ガンッ!!
肺にダメージを受けた瞬間、衝撃の勢いで学び舎の愛しき机に顔面ストライク!!
鼻から直撃した私の額は潰されたまま、息もまともに出来ずもがき苦しんでいた。
く、首が痛いから離して!!
と言いたいものの顔面からめり込み、机に『こんにちわ』をしていた。
ため息を吐きたいが、口自体が開かない。
空中に円を描く様に後ろにいる人物を必死に捕まえようと努力するが、まるで阿波踊りをしている様に見えたのか、周りから笑い声が聞こえる。
「ねぇ。今、気分が落ち込んでるの」
この声は、人の迷惑そっちのけ代表の千佳だ。
声のトーンだけは下がっているが全然落ち込んでそうには聞こえない。
机と無理矢理仲良しこよしをさせられて呼吸が出来ない。
なのに、離してくれない千佳にこっちが落ち込みそうだ。
起き上がろうにも私の背中を椅子代わりにされてるからどんなに力を入れても起き上がれない。
抵抗しようと悪戦苦闘していると背中からの圧迫が突然なくなり、今度は後ろのめりになりそうな身体を背筋、腹筋を使って留まらせる。
出遅れた首の間接が異様な音を立てた。
「離れるなら離れるって言ってよ!!」
「あぁ。ごめんごめんチャミ」
さっきまで私をベンチ代わりにして座っていた千佳が勢いよく前の席に座る。
「そんな事よりさ、落ち込んでいるのよ。理由は聞いてくれないのっっ」
あと少しで地団太を踏みそうになる千佳を横目に我が身を心配する事にする。
千佳の重みから解放されても顔面の痛みが消えてくれない。
赤くなっているだろう愛くるしい額を労わるように撫でる。
ある程度傷の確認を終えると。目の前に座った憎き千佳を睨む。
再び訂正しておくけど、チャミって呼ばれてるからって親しい間柄じゃない。
名前が『神崎 智亜美』だから、短縮して『チャミ』という発想みたい。
『智亜美』なんてまるで当て字みたいになってるけど、面倒になった誰かが『チャミ』と呼び始めて、クラス全体に広がったみたい。
まだまだ高二『ちあみ』って名前が可愛く思える年代!!
歳を取って『智亜美お婆ちゃん』まぁ、可愛いく歳を取っていればそれも悪くない……。
……一体なんの心配しているんだろう。
痛みが引いた様で、無意識に額を撫でていた私の腕が下がる。
……と思ったら大間違いだ!!
加速をつけて目の前で油断しているのを狙って憎い輩の頬へ反撃!!
隙を見せたのが運の尽きと、仕返しに千佳の頬をつねる。
『千佳』あまり親しくない相手でも相手が名前で呼ぶのであれば、それに従い私も名前で呼ぶ。いつまでも名字呼びで距離が縮まらないのもナンセンスだから。
なんともバカらしい光景を美弥は一つ後ろの席で、しかも一席分机をずらしてただ笑ってみている。
なんだろか、この生贄感……。
「どう見ても落ち込んでいる顔には見えないんだけど~?」
「ぶふぃ! ふはぁ~ぃ」
まったくもって何を喋っているのか分からない。
千佳の顔が抓ってる方向に垂れ、アッカンべーの最上級と言えそうな顔になる。
「っはははははははっ!!!」
「へっ?」
美弥の普段は聞けない様な大笑いに、緩めるはずのなかった手を緩めてしまった。
「頬を掴まれてる千佳もっ、変な顔だけど……力んでるあんたの顔が、一番変な顔!!」
お腹を抱えて笑いそうになるのを必死に堪えているが、声が途切れて聞こえている分堪えられていない。
そんな美弥をもっとお笑いに墓場に招待する為、私はリクエストにお答えして、奇抜な顔をして美弥を睨む。
「な、なにその顔っっ!?」
お腹を抱えて笑い出す美弥に満足した私は、心の中でガッツポーズをした。
そして半泣きになっている千佳の頬から手を離す。
「あ、ごめん」
本当に痛くて泣きそうになっている千佳に初めて罪悪感が湧いた。
狙ったタイミングで興味津々と周りにクラスメートが集まってきた。
「ちょっとした冗談なのに……」
少し赤くなって押えている千佳の頬に、視線が集まる。
集まった中の面倒見の良さそうな女子生徒が一歩踏み出し、千佳の前に座る。
「何々!! ちょっと千佳が泣いてんじゃない!!」
今までの延長戦の冗談なのか本気なのか、周りにいる全ての女生徒が千佳を庇かばう。これじゃ仕返しじゃなくて、私が千佳を苛めてるみたいになってるじゃない!!
「罰よ罰!! 見てよこれ。おでこ赤くなってるでしょ?」
顔にファンデを塗るみたいに角度を変えながら、負けじと同情の眼差しを乞こう。
「はいはい。痛いの痛いの飛んでけぇ~」
机に付いていた、片方の肘が滑る。
「私の処置が適当すぎない!?」
言い終わらない内に皆は大笑い。
その中心で私はお腹を抱え、時には両手で手を叩き屈託なく笑う。
冗談を自分から提供する事で卒なく笑いを提供し、私の居場所をつくる。
それはいつものポジションで、ありたい場所でもあるから……。
◇ ◇ ◇
時刻は過ぎ、今日一日の授業を締め括る最後のチャイムが鳴った。
帰り支度をする生徒が暇そうにしている私の目の前を行き交う。
何人かのクラスメートを掌で見送り、宛のない私は一人で居残りしている。
別に部活に入ってる訳でもなく、これから帰宅するだけなんだけど時間を持て余している。
帰る気がしない私は、カバンを机に寝かせてその表面に顎あごを乗せる。
「あぁ、落ち着く」
美弥は先に用事があると言って帰りのH.Rの後すぐ教室を出た。
他に一緒に帰ってくれる友達がいない訳じゃない。
だけどそれは全て適当な理由をつけて断る。
単に誰もいないこの教室で、夕焼けを見るのが好きだから。
私の教室は三階の一番端にある。
構造上そびえ立つ木々に邪魔されることなく、落ち始める夕焼けがよく見える取って置きの場所だったりする。その事実に気が付いた時はテンションが上がったなぁ。
クッション代わりにカバンに顔を預け、見える真っ赤な夕陽に目を細めながら、ゆっくりと落ち始める夕陽を見ていた。ジッと眺めていると瞳に映る夕陽はオレンジなのか、赤なのか、白なのか。
最終的には視覚を奪われて、ここが何処なのか分からなくなる。
ただ落ちていく夕陽に見惚れて、頬を緩ませている。
顔を起こし椅子を引くと、決して綺麗とは言えない教室を窓際から廊下へ向かう様に一歩踏み出す。
期末テストの時に、試験監督をしながらも歩く先生のルートを辿りながら教室を見回す。
誰が何処に座っているのか
机が斜めになってたり、ふざけ合ったまま椅子が倒されたままになっていたり。
今日最後の授業。
世界史の時間のまま帰って、カバンさえも持ち帰らなかったり。
朝から席に着いて、一番に自分の顔を見たいのか二つに折り曲げる鏡が立ったまま置きっぱなし。
それぞれの個性や性格が現れてる。これだけの事なのに可笑しい話だ。
それぞれの個性が集つどう『教室』という場所で沢山の価値観と生活観。
真面目な生徒はちゃんと綺麗に教壇に向かって整頓して帰っている。
あそこは確か学級委員が座っている席だ。
私は身体を回転させ、今度は沈みゆく夕陽を眺める。
…………。
再び視界には、真っ赤には映らない赤い大好きな夕陽に目を奪われる。
こんな時間が一日の中で一番好き……。
誰にも邪魔されない一人で呆けてられるこの空間。
友達とじゃれ合って騒いでいる時間が望んでいる時間でも、フッとした拍子に不安になる時がある。
そんな時は不思議と真っ直ぐ家に帰りたくなくなるものだ。
今、この教室にいるのは正しく『それ』なのかもしれない。
漠然と得体のしれない不安を日常で打ち消し、私は皆と変わらない様に振る舞い、知らないフリをしている。あれだけ私を見て笑ってくれるクラスの友達が、全て嘘のように私を色黒く染め上げていく。
こんな気持ち、望んでいるわけじゃない。
だけど上手く切り替わらない。
いつでも何かに心は黒く染め上げられ、前も見えないこの世界に窮屈になる。
そしていつも救ってくれるのが、黒にも屈しない真っ赤な夕日だ。
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