魔法の言葉

 俺が正気を取り戻したのはしばらくたっての事だった。


 気が付けば、何処とも知れない路地はまるで俺の心境の様に、光を失いつつあった。


 ……どれだけ殴っていたかも定かではなかったけれど、土で汚れていた右拳は、皮がめくれ、血が滲んでいた。

 酷い痛みを伴うが、自分からつけたものだから何も言うことは出来ず、ただ黙って水属性の治癒魔導ヒーリングをかける。



 そんな事をしていると、俺は一体何をしているんだと、酷くむなしい気持ちになった。



 ――こんな事をしている場合ではないのにと思い、何かをしなければという強い焦燥感が湧き上がってくる。 

 

 だけど、俺は一体何をすれば良いのかは――事が事だけに簡単には思い浮かばなかった。


 大切な人いっちゃんの助けになりたいと強く想う――だけどその彼女は選定された光の勇者だ。

 魔王を討伐するという重い使命を背負わされた、特別なニンゲンだ。


 そんな彼女に、ちっぽけな俺なんかが一体どんな助けになるのか。



 ――彼女の為に、俺は一体何が出来るのだろう?



 俺はそんな事を頭の中で何度も反芻させながら、取りあえず家路につくことにした。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ――夕食を何とか済ませた。


 口に含むものを何度も吐き出しそうになったけれど、イリス母さんがいる手前そんなことは出来るはずもなし。

 俺の為に作ってくれた料理を無駄にしない為に、そして何より母さんに要らぬ心配をかけない為に、強引に咀嚼し飲み込む作業を繰り返した。



 そして夕食後――俺は何をするでもなく食卓につき、思考を巡らせていた。



 本当に色々なことを考えた――考えて、考えて、色んな展開を考えて……でも、そうして考えた事は結局一つの結論にたどり着くだけだった。


 考え付いたその案は、恐らくきっといっちゃんの為に出来る事としては最上のこと。


 だけど、それは同時に難易度もまた最上だった。



 ――勇者はを連れて、魔王討伐の旅に出る。


 

 最上の騎士アークナイトと呼ばれる勇者のお供になるという、荒唐無稽過ぎるモノだった。



 ――可能性が全くないという訳では無い、だけど、それは今のままでは可能性。


 アークナイトは近日中に行われる魔導武具大会によって選出される。

 出場資格は参加費十万カルツを払う事以外に特になし――

 地位も身分も関係なく、ただのが目的の大会だ。


 何時もなら唯の催しモノにも近いその大会は、今年に限ってはに戻った事になる。



 ――つまり、いっちゃんの為に最上の騎士アークナイトになるには、魔導武具大会で優勝しなければなら無い訳だ。



 魔導武具大会――二年前の大会でテッドが本戦に参加した事は記憶に新しい。


 当時十四歳とは言え、火の魔導に長けたテッドはかなりの戦闘能力を有していた。

 だけどそんなテッドでも二回戦に勝ち進むことは出来なかった――それほどまでに高レベルの大会なのだ。


 大陸中の猛者が集まるが故、当然と言えば当然なのだが、今年はアークナイトを選出するという本来の役割も担っているので、大会が荒れる事は容易く想像出来た。



 そんな激戦の中に身を投じるのは、考えるだけで気が重かった。


 恐らく大会に出るのならば、出し惜しみなど出来ないだろう。

 十六年――俺がこの世界に生れ落ちて、今まで過ごしてきた中で得た力の全てを振るっても、優勝は出来ないかもしれない。


 今着手している卒業試験の成果――あれを完成させたとしても、届かないかもしれない高み。

 

 その余りの高さに心が折れてしまいそうになる。



 太陽を掴もうと天に向かって一心に手を伸ばしている様な錯覚さえ覚える。



 それに、例え太陽に指が届いたとしても、結局は身を焦がすだけだ。 




「――それじゃあ私はもう寝るわ、お休みなさい、アルクス」



「……うん、お休みなさい。母さん」




 それに万が一、否、億に一の確率で最上の騎士アークナイトになれたとしても、その後はどうする。

 魔王討伐のタイムリミットは一年間だけど、当然そう簡単にそれが為せるわけは無いだろう。


 そうなれば、今俺の目の前にいる大切な人イリス母さんは一体どうなるのか。


 ここ最近ではかなり体調も安定しているし、大会で優勝できれば賞金も手に入る。

 そのお金があれば冒険に時間がかかっても、生活をすることは可能だろう。


 だけど、それは余りに安直な考え方だ。

 俺が無事にグランセルへ戻ってくれる保障など無いのだから。


 いっちゃんを守って命を落とす――そんな可能性だってある。



 ――いっちゃんは大切な人だ、だけどイリス母さんを蔑ろにして本当に良いのか?



 俺は思わず顔を伏せた――何も置かれていない食事用のテーブルに治した右手を弱く打ち付ける。



 ――俺は一体どうしたらいいのか。






「……―― 一体いつの間にこんなに大きくなっちゃったのかしらねぇ。ついこの前まで、あんなにちっちゃかったのに」






 ――不意に、暖かな何かに包まれた。


 頭を優しく撫でられている感覚、それを最後に味わったのは何時だっただろうか?


 俺は伏していた顔を動かし、暖かなそれへと目をやった。



「……早く寝ないと体に良くないよ? 母さん」


 

「何言ってるのよ、可愛い我が子を愛でるのが体に悪い訳ないでしょうっ、良いからあなたは大人しく私に愛でられていればいいのよ」



 俺としては正論を言ったつもりだったが、随分な暴論が返ってきて少しだけ呆れた。

 優しく撫でてくるその手に気恥ずかしさを覚えるも、その心地良さに俺は黙ってされるがままにすることにした。


 そうされていると、荒れていた心の波風が穏やかになっていく様な気がした。


 ――静かな時間が流れる。


 黙って俺を抱擁していた母さんは、やがて頭を撫でる手を止めた。



「――ねぇアルクス? 貴方が今何をそんなに悩んでいるかは知らないけれど、もしそれが私に関する事なのだとしたら、こう言っておくわ――私の事は気にしないで、貴方が思うがままにしなさい」


 

 聞こえてきたその言葉に驚いて顔を上げれば、優しい光を燈した銀眼が俺を見ていた。

 


「貴方には苦労を掛けてばっかりな私が言っても説得力はないかもしれないけど、私は大丈夫だから」



「――で、でも、母さんはまだ体が」



「大丈夫よ、最近ではもう薬も飲んでないしね。私は健康そのものよ? だから気にしなーい、気にしないっ」



 俺の言葉を遮って母さんは笑った。


 それが虚勢だって事は分かっていた。

 今でも母さんは稀にだが俺に隠れるようにして激しくせき込んでいることがある。

 

 だというのに大丈夫だと言い張る根拠のない自信は一体どこから来るのか。



「――情けないけど、私はこれでも貴方の母親なの、だから私は貴方の足枷にはなりたくない。ちょっぴり寂しいけど、貴方の巣立ちを阻んだりはしないわ」



 巣立ちと、母さんは確かにそう言った。

 話してもいないのに、俺の悩みも、その内容も、どうしてこの人は分かっているのだろう。



「だから、頑張りなさいアルクス。大丈夫、あなたはの選択は間違ってないわ、そう、間違ってるはずがない!」



 無条件に投げかけられた優しい激励に、思わず視界が揺れた。



「――どうしてそんな風に言い切れるのさ」



「だって、貴方は私とロニキスさんの自慢の息子だもの。それが貴方の選択が間違いじゃないって信じられる一番の理由」



 そう言って母さんは最後に優しくポンポンと、俺の頭を叩いた。

 


 ――何をしても無駄なのかもしれない。



 ――努力をしても、何をしても、何の意味のないことだってある。



 でも、それでも、俺の事を無条件で信じてくれるこの人の想いを蔑ろにして、諦めるのは、時期尚早なのかもしれないと思った。




「……――うん、ありがとう、がんばってみる」




 俺は一生懸命嗚咽を我慢しながら、唯の一言を何とか絞り出した。

 零れる涙を袖で強引に拭うも、拭った先から溢れてくるものだから、俺はそれ以降、流れるがままにしておいた。


 気恥ずかしいという気持ちも今は湧いてこなかった。


 つい先ほどまでウジウジと悩んでいた事も、今ではすっかり晴れていた。


 兎に角出来る限りの事をやってみよう、と、前向きなことを考えられるのは、優しく背中を押してもらえたからに他ならない。


 大切な人からの激励と言うのは、どうしてこんなにも力になるのか。

 魔導の溢れるこの世界でも、こんなに力のある魔法は他にないだろう。



 俺はそんな魔法の言葉に勇気づけられて、前に進む決意を固めるのだった。

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