少年の慟哭

 お世辞にも快適とは言えない――されど俺の体に良く馴染んだベッドの上で、俺は今一度、右から左へと寝返りを打ってみた。


 つい先ほどまではあんなにも強烈な眠気に襲われていたというのに――

 気を抜けば意識を手放してしまいそうだったと言うのに――それはきれいさっぱり体の中に引っこんでしまったらしい。


 俺は自分の部屋の中でベッドの上に寝転びながら――明るい光が差し込んでくる窓から、外の光景を眺めていた。


 そんな俺の頭に残っているのは、つい先ほどの光景。

 あの鮮烈すぎる再開の場景だった。



『……いっちゃん』



 呟いたその名前は、静かな部屋の中で木霊することなく消えて行く。

 だけど、脳内に残る彼女の残滓が消える気配は、全くなかった。




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 ……――ワンワンと声を上げて泣いていた彼女は、やがてそのまま俺の腕の中で静かになった。

 いっちゃんはぐっすりと眠っていた。


 再会した彼女は酷くやつれていて、目元に酷いクマを作っていた。

 恐らく相当眠れていなかったんだろう。


 ――俺の姿を確認して――安心して――今まで張りつめていた緊張の糸が切れてしまったのだろう。


 そんな彼女に対して俺はしばらくの間、何もすることが出来なかった。

 

 ――勿論、色んなことが頭の中に浮かんでは消えた。

 なんで君が此処にいるのかって事かで始まって、どうやってこの世界に来たのか? とか、前の世界ではどうなっているのか? とか、それはもう出るは出るは――


 今までは浮かばなかった疑問が――否、今までが、後から後から湧き出してきてた。


 だけど、そんな俺の疑問に答えてくれる人はいなくて、俺はいっちゃんを抱きかかえていることしか出来なかった。


 ――そうやって一体どれだけの時間を無為に過ごしていたか、正直なところ分からない。


 しかしながら、俺には為す術がなかったその状況は、しばらくたって現れた集団によって強制的に終了させられることになった。

 

 ――見るからに豪奢な馬車と、馬車を取り巻く大勢の騎士。

 

 馬車と騎士が纏う鎧には羽を広げる大鷲のエンブレムが付いていて、その一団が王国縁の人達なんだという事だけは直ぐに分かった。

 何やら慌てたように門番ボックルさんへと話をしていたその人たちはやがて、門番ボックルさんが俺たちの方を指さしたのを皮切りに、俺の方へと――正確には俺に抱き着いているいっちゃんの方へと揃って視線を向けてきた。


 一斉に向けられたその視線に思わずたじろいでしまった俺だが――次の瞬間現れた人物によって見事に硬直した。



 豪奢な馬車の扉が勢いよく開き、飛び出してきたのは黄色の少女。



 彼女の存在は俺でも知っている――何せその少女は紛うことなくこの国のお姫様だったのだから。



「――イツキ様!! 見つけられて本当に良かったっ」



 ――そのお姫様がいっちゃんの名前を呼んだ。

 

 何となくは理解していたが――やっぱりこの人たちはいっちゃんの事を探していたらしい。


 プリムラ姫は俺に抱き着くいっちゃんの様子を伺い、だた寝ているだけなのをみて、大きく安堵の溜息を吐き出した。


 続いてプリムラ姫は俺の方へと視線を移す――



「このお方は我々の大切な御客人なのです。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。――衛兵っ!」



 プリムラ姫の声に反応して、数人の騎士たちが彼女の元へと駆け寄ってきた。



「このお方は丁重にお連れして差し上げて」



 彼女の一声で騎士たちは俺の元へと歩みより、いっちゃんを俺から引き離した。

 俺にはどうしようもなかった彼女の拘束を、いとも簡単に彼らは解いてしまった。


 そうしていっちゃんは、騎士たちの手によって丁寧に運ばれ――プリムラ姫が乗っていた馬車の中へと消えて行く。



「――それでは私たちはこれで」



 最後に姫様はそんな言葉だけを残して、俺の前から立ち去ろうとした。

 

 状況にすっかり流されていた俺だけれど、流石にこのまま流され続ける訳にはいかないと思った。

 プリムラ姫の行動を止める事は出来ないのだろうけれど、せめて一言―― 一つだけは確認しておかなければ成らなかった。



「待ってくださいっ!! 彼女はいったい――その人は、何なんですか!?」 



 思っていた以上に大きな声が出た。

 当然姫様にも俺の声が届き――彼女の歩みが一旦止まる。


 そうして振り返ったプリムラ姫は――少しだけ困ったような笑みを浮かべていた。



「貴方にはご迷惑をおかけしましたから特別にお教えしましょう――ですが、近日中に城から伝令があると思いますので、それまではご内密にお願い致します」



 プリムラ姫の念押しに俺は戸惑いながらも頷いた。

 否――頷かなければきっと彼女は教えてもくれ無い様な気がして、俺は頷く事しか出来なかった。


 そんな俺の様子に満足したのか、プリムラ姫も小さく頷いて見せる。



「――彼女は、最も新しい勇者様です」



 そしてお姫様は、実にな言葉を俺へと言ったのだった。 




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『……いっちゃんが、勇者』



 言葉に出して事実を確認してみる。

 

 ――いったい何の因果なのかと、思わず思ってしまった。

 

 勇者というニンゲンがいる事は知っていたし、過去の勇者が日本人だったかもしれないという事も知っていた。

 

 そう考えれば、いっちゃんが勇者となる可能性だって決してゼロではないのかもしれないけれど――それは限りなくゼロに近い可能性だ。


 いっちゃんに会いたくなかったかと問われればそれは否だ――もう二度と会えないと思っていた大切な人に会えたのはとても嬉しい。


 だけどだ、彼女は勇者になってしまった。

 という事は、彼女にはとても大きな、大きすぎる使命が課せられてしまっている。



 ――魔王を討伐するという、その使命が。



「――~~っっ!!」



 俺は不意に叫び声を上げたい衝動に駆られ――それを何とか押し留めた。

 髪の毛を両手でワシワシとかき混ぜながら必死にその衝動に耐えた。


 俺の知る幼馴染の女の子は、ちょっとだけ気が強いだけの普通の女の子だ。


 なのになんでいっちゃんが、そんな事を巻き込まれなければいけないのかっ


 なんでいっちゃんが、命の危険が身近にあるこの世界イリオスで、文字通り命懸けの所業に赴かなければならないのかっ


 

 ――なんでっ、――なんでっ、――なんでっ!!!!



 俺はいてもたっても居られなくなって、ベッドから跳ね起きた。


 何かをしたかった。気がまぎれる何かをしたかった。

 一番はいっちゃんに会いに行きたかったけれど――彼女は勇者様だ。

 

 いきなり城に赴いて、彼女に会わせてくれなんてのたまったところで、門前払いが関の山だろう。


 いっちゃんに会うことは出来ない。


 それならせめてと、俺は鞄を引っ掴んで部屋を飛び出した。



 俺は勇者というニンゲンが何をしなければいけないのか、全く理解していない。

 魔王を倒すという以外は全然わからない。


 だからせめて、彼女がこれから為さねばならないことを知っておこうと、そんな風に思った。



 ――目指すは学園の図書館。



 そこには随分前に手に取った【歴代勇者録】と言う蔵書があったと記憶している。

 過去の勇者がどんな事をしていたか、それが分かれば彼女がこれからしなければいけない事も少しは分かるだろう、と、安直な事を考えながら、俺は家を飛び出した――




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ――この場所に訪れるのは実に四年ぶりの事だった。



 当時の俺は酷くビクつきながら、それでも部屋の主の雰囲気にのまれない様にと必死に虚勢を張っていた事だけは今も鮮明に覚えている。


 正直あまり良い思い入れが無いこの場所には、もう二度と来ることは無いだろうと思っていたものだけれど、俺の良く外れる勘は如何やら今回も仕事をしなかったらしい。


 まぁ、軽々しくきていい場所でもないので、そう思っても仕方のない事だっただろう。

 だけど、今俺の抱えた疑問の解を得られそうな場所は、正直この場所にいる人しか思い浮かばなかった。


 ――俺は今一度大きく深呼吸を行って、跳ねる心臓の鼓動を少しでも鎮めようとする。


 早く部屋の中に踏み込みたいという気持ちと、恐れ多いという気持ちが今更ながらに拮抗していて、目的の部屋の目前で情けなくも尻込みしてしまったのだ。


 だけど、流石に此処まで来て引き下がれないという思いもある、と言うかその気持ちの方が強く在る。


 だからこそ俺は意を決して、部屋のドアを叩いた――



「――入ると良い」 



 一拍おいて部屋の中から聞こえてくる声。

 依然と変わらぬ重厚感のあるその声に少しだけビクつきながら、俺は意を決してその部屋の中に踏みこんだ。



「――失礼します。突然訪問してしまって申し訳ありません、



「なに、いきなりロムスから、お前が俺に会いに来ていると聞いたときは少しだけ驚いたが、今は特に急ぎの用事もなかったからな、別に構わんさ――久しいなアルクス」



「ええ、お久しぶりです。あの決闘以来ですね」



「――違いない、とは言えお前の事は馬鹿息子からよく聞いているからな、正直あまり久しいと言う気持ちも沸いて来ない、何時もうちのが迷惑をかけて悪いな」



「いえ、そんなことは…………」   


 

 カロルさんの言葉に俺は曖昧に言葉を濁した。

 本当ならば無いと言いたいところだったけれど、お世辞にもそう言い切ることが出来ないのがテッドクオリティと言ったところか。


 言いよどんだ俺の様子から察したのか、カロルさんはクツクツを愉快そうに喉を鳴らす。


 そんなカロルさんに俺はいたたまれなくなって俺はわざとらしく咳ばらいをした。



「うんっ……、えっと、申し訳ないのですけど、今日来たのはカロルさんに訊ねたいことがあったからなんです」



「ああ、そうらしいな――どれ、ロムスにお茶でも入れさせよう。お前もそこのソファーに座ると良い」



「あっ、いえ――直ぐにすみますからこのままで結構です」



「そうか? 少しばかり世間話も交えようと思っていたのだが、どうも急ぎの用らしいな」



「……すみません」



「いや、いい――それで俺に聞きたいことと言うのは一体なんだ?」



 そういって深く執務机の椅子に腰かけるカロルさん。

 そんなカロルさんに俺は軽く頭を下げながら、カバンの中に突っ込んだ分厚い蔵書を引っ張り出した。


 その本は本来ならば学園の図書室からは持ち出しの出来ない本なのだけれど、司書のカーニャさんに今日だけと言う条件で無理を言って借りてきたものだった。


 本のタイトルには仰々しい文字で【歴代勇者録】というタイトルが刻まれていた。



「――お聞きしたいのは勇者様の事についてです」



「ああ、そう言えば新たな勇者が現れたらしいな」



「はい、だからこそこの本で勇者様の事を調べてみようと思いました――光という属性の魔導を操る伝説の勇者、彼らはみんな妖精王の加護を貰い、魔王へと挑んでいます。勇者の中には魔王の元までたどり着けなかったり、若しくは魔王に直接破れてしまった人もいるようです」



「――らしいな、俺もそれは聞いたことがある。まあ、過酷な旅だという話だから、そうなってしまう勇者がいても仕方のない事だろうな」



「ええ、そうなんでしょう、これを読んでつくづくそう思いました。本当に勇者に課せられた旅と言うものは過酷だ――でも、それを読んだ中で疑問に思うことがあったんです」



「と言うと?」



「魔王の討伐に失敗した勇者、成功した勇者――彼らの冒険譚には共通点があります。、何れの場合も一アンヌもしないうちに事がすんでしまっているんです」



 その事実に気が付いたのは、【歴代勇者録】を全て読み終わった後、最後に乗っていた年表をボーっと眺めていた時だった。

 仮に歴代の勇者たちが皆例外なく優秀だったとしても、そんなことがあるのだろうか?


 俺は平和ボケした日本人にそんな事が出来たとは、とてもではないが思えなかった。


 という訳で、逆に考えてみた――



「もしかして勇者様には、? 過去勇者の付き人をしていたというカルブンクルス家の人ならその理由が分かるんじゃないかと思いまして、こうして訊ねさせて頂きました」



 ……正直考え過ぎかもとも思っていた。勘ぐり過ぎだと思った。

 だけど、一度そんな疑問を抱いてしまうと、嫌なことばかりを考えてしまう。


 その考えてしまった嫌なことが、これからいっちゃんに降りかかるかもしれないと思うと、どうにもやり切れない想いだった。


 それを確認したところで、俺に出来る事など何もないのかもしれないけれど、それでも確かめずにはいられず――だからこそ俺は無理を言ってカロルさんに会いに来たのだ。


 俺の憶測を聞いて、カロルさんは少しだけ驚いた様な顔をしていた。



 ……――やめてくれと、心から思った。



 だけどなんて無常――どうでも良い勘は良く外れるくせに、こんな嫌な勘だけはどういう訳か当たるのが世の常と言うものらしい。



「ふむ、凄い洞察力だな、何故お前がそんな事を気にしているのかは知らないが、それは、勇者は魔王を倒すために妖精王の加護を貰うが、それはいくら選ばれた勇者と言えどニンゲンには途轍もない負荷となるらしい。一つだけならばまだしも、四つ全てとなるとその負荷は命の危機さえ招くという、故にこそ、勇者は必然的に冒険を急ぐことになるらしい」



 だが、と、カロルさんは言葉を続ける。



「聞いた話では勇者はらしい、改めて考えると本当に勇者という役割は過酷だな。彼らが生き残るには一アンヌという短期間に魔王を討伐するほかないのだから」 




 カロルさんから語られたのは俺が想定していた中でも、最悪に近いモノだった。

 

 血の気が急激に引いたような気がして、思わず崩れ落ちそうになる。

 だが、寸でのところで何とか踏みとどまった。


 無様をさらしたくないというちっぽけな意地――それが崩れ落ちる事を許さなかった。



「――どうしたアルクス。顔が真っ青だぞ?」



 カロルさんから投げかけられた言葉で、俺の飛びかけた意識が戻ってきた。

 そういえば、未だにカロルさんの執務室に押し掛けたままだったことを、改めて自覚する。



「すみません、大丈夫です。聞きたいことはそれだけですので、これで失礼します。――本当にありがとうございました」



「そうか? 大丈夫ならばいいのだが――あまり無理はするなよ?」



 優しい言葉を掛けてくれるカロルさんに一礼して、俺は彼の執務室を後にした。






 ――その後の事は正直あまり覚えていない。


 どこをどう通ったかも分からないまま、俺は気が付けば日の暮れかかった都市グランセルを歩いていた。


 何処かの小道であるらしい――それ以上の事は分からなかった。


 頭が働かなかった――ただ、カロルさんから聞いた言葉だけが、頭の中を幾度も幾度も回っていた。


 

 いっちゃんが無事に元の世界に帰るには、魔王を討伐するほかないらしい――それも一年以内に。



 妖精王の加護を一つも貰わない状態ならば、この世界に居続ける事だけは出来るのかもしれないけれど――魔王の脅威がこれから確実に酷くなっていくこの世界で、そうあることは難しい。

 直接的に魔王に襲われるかもしれないし、それ以上にがそれを許さない。


 きっと彼らがいっちゃんを冒険へと駆り立てるだろう。



 強い衝動に駆られて――俺は思わずその場に蹲った。



 このままだといっちゃんは、過酷な冒険に出なければいけない。



 何故彼女がそんな運命を背負わなければいけないのか――理不尽にも程がある!!



 衝動が抑えきれず、俺は右こぶしを強く握って――容赦なく地面を殴った。



「――ふざけんなよっ!! ホントに、ふざけんなっ!!!!」



 激しい痛みが走ったけれど、俺は二度、三度続けて大地を殴る。

 

 びくともしない大地に腹立たしさを感じて、殴る――




 ――このままだと、いっちゃんは死ぬかもしれない。




 そんな事実を認めたくなかった。







「――――があああああぁああああああああっ!!!!」








 堪えきれない衝動を吐き出すように、俺は空に向けて叫び声を放っていた。



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