成長の兆し(中)
「うう……、叩くなんて酷いです」
額を盛大に赤くしながら、ウィルダさんがボソリと愚痴をこぼした。
不平不満は色々あるのだろうけれど、俺の渡した依頼品の鑑定の手を止めないのは、流石は冒険者
「つべこべ言わない、暴走したあなたが悪いんでしょ。全くちょっと目を離せばこれなんだから」
「――だって、しょうがないじゃないですか! アルト先輩はさっきのを見てないからそんなことが言えるんですよ!! あんな風に照れられたら我慢できるわけないですよ!! だいたいアルクス君だって責任の一端を担ってるんですよ!? 朱に交わっても赤くならない存在なんて希少以外の何物でもないんです。唯でさえ癒しの足りない職場なのにそんな可愛い希少生物が無防備に優しくしてきたら、情熱が抑えられなくなったって仕方がないのです!!」
「――うん? 如何やらまだ正常に戻ってなかったみたいだね、叩き足りなかったのかなっ? かなっ?」
シャドーボクシングでもするかのように、二度、三度と虚空に向かって拳を突き出して見せるアルトさん。
空を切る拳圧は相当なもののようで、ヒュンヒュンと、風切り音が俺の耳にも届いてきた。
まるで
「イエ、ナンデモアリマセン、ザレゴトヲモウシマシタ」
「分かればよろしい――ほら、それじゃ、さっさと査定済ませちゃってね」
そういって、アルトさんは受付のカウンター越しに俺の方へと顔を向けた。
直前の二人のやり取りを見ていたせいなのか、俺は無意識の内に背筋を伸ばして姿勢を正してしまった。
そんな俺の反応を見て、アルトさんは何とも言えないような苦笑を浮かべる。
「アル君ごめんね、最近どうも壊れやすくて、たまにこうして暴走しちゃうのよ」
何がとはあえて言ってはこなかった。
まあ、その言葉が何を指すのかは何となく解るので、俺も深くは追及しなかった訳なのだけども……
なんというか、上手く返す言葉が見つからないので、愛想笑いだけ返しておくことにする。
「ところでアル君、今日はなんだか目の下に大きな
そういえば、以前アルトさんはギルドの受付嬢という職業を続けていると、些細な変化が良く分かるようになると言っていたことを不意に思い出す。
それは所謂処の観察眼みたいなもので、受付嬢ならではの職業スキル。
命のやり取りが必然的に多くなる
大事な人員を減らさないために、何より、己が精神の安寧の為に、防衛的に覚えてしまう――そんなスキル。
そのスキルに、俺の不調は見事に見抜かれていた。
「えーっと、恥ずかしながらちょっと寝不足気味でして……」
「君の事だから、どうせ何かに夢中になって夜通し起きてたんでしょ。やってたのは
「……当たりです。良く分かりましたね」
伊達に何年も君の師匠はやっていないよ、なんて事を我が師匠は笑って答えてきた。
「無理は禁物だよ。君ぐらいの歳の子が睡眠時間を削ってると背が伸びないらしいからね。格好良くなりたかったら睡眠はちゃんと取ること」
「アルト先輩、寧ろアルクス君はあんまり大きくならない方が、私としては嬉しいんですけど――いや、アルクス君なら大きくなったとしてもそれはそれでアリなのかも……っあ、スミマセン、ナンデモナイデス」
ウィルダさんの発言に合わせて、アルトさんはゆっくりと振り向くようにウィルダさんへと顔を向けた。
アルトさんが振り向くと同時に再び片言になるウィルダさん――観察眼のスキルがあまり高くない俺でも、抑揚のないその声音に恐怖という名の感情が宿っていることははっきりとわかった。
こころなしアルトさんの後ろ姿から黒いオーラが立ち上っているのを幻視する。
振り向く前までは柔らかい笑顔をしていたその表情が、現在はどんな風になっているのか――
兎に角此処は触らぬ神に祟りなし――俺は深く考えることを放棄した。
「そ、そ、そんなことよりアルト先輩!! アルクス君の納品物の査定が終わりましたよ」
「――へぇ、無駄話をしていても、ちゃんと手は動いてたみたいね。其れじゃあ早速アル君に報告!」
「は、はいぃ! ――えっと、
最早若干涙目になりながら、ウィルダさんは採取依頼の報酬と、素材買取の値段を教えてくれた。
そんな彼女(ウィルダさん)の様子を無視する形になってしまって悪いとは思ったが、そのまま内に湧いた疑問を解消させてもらうことにした。
「――
あまり討伐系の依頼を受けないため、それほど詳しくないのだけれど。
二万六千カルツ――それは俺の知っている相場から見ても、結構高めの買取価格だった。
「うん、これは適正価格かな、値段の理由が詳しく知りたいなら説明するけど、聞きたい?」
そんなアルトさんの言葉に、俺は素直に「お願いします」と、言葉を返すつもりだった。
だが、その言葉は紡がれる前に、他の音に塗り替えられることになる。
「――おいおいこの支部じゃあ、そんなに高けぇ値段で
背後から、それはそれは大きな声が聞こえてきた。
我がギルドの受付嬢たちの表情を歪ませた声の主――それを確かめるために振り返れば、屈強な男たちが立っていた。
その数は六人、金属製のアーマーを身に纏った者、大きな弓を背負った者、果てはローブで身を隠したもの……
身に纏うもの、得物は見事にバラバラだけれど、皆一様に暗色の装備で身を固めた一団がそこにいた。
「今日”ウルグバーン”から移動してきた。チーム”レイヴン”だ、ギルド移籍の登録と一緒にこいつの買取も一緒に頼むぞ」
”ウルグバーン”は確か、シュプロジュール草原のずっと先にある都市の名前だった気がする。
冒険者は基本的にはいずれかの都市に存在する、冒険者ギルドに籍を置くことになっており、別の都市に長期間滞在する場合は、移動先の都市のギルドに籍を移す必要があった。
どうやら、彼らはウルグバーンからグランセルに流れてきた冒険者パーティーのようだ。
彼らにどんな経緯があって、都市を移動することになったか――そんなことは知る由もなかったが、パーティー名を聞いて、言いえて妙だと思ってしまった。
恐らく彼らが身にまとう暗色の装備はチームカラーの現れなのだろう。
都市を渡り歩く暗色の一団――その名前が
「おい小僧、何人の顔見て笑ってやがる、用が済んだんならさっさと退きやがれ」
そんな言葉を投げかけられ、知らずに内に笑みを浮かべていた事に今更ながら気が付いた。
「す、すみません。すぐ退きます」
俺は慌ててレイヴンの皆さんに誤ると、ウィルダさんから依頼報酬を受け取って、受付カウンターの前から退いた。
そんな俺の姿の何かが気に食わなかったのか、フンッと鼻を鳴らして受付の前へと並ぶレイヴンの皆さん。
彼らは代わる代わるに前へと出ると、ゴトリ、ゴトリとカウンターの上に
その数実に四頭分。
彼らが俺の素材買取を見て声を上げたのは、この為だったらしい。
――っと、これ以上ジロジロ見ていると、本当に失礼になってしまう。
俺は今度こそ
…………
「おいおい、こりゃまた随分とめんどくさそうなのが来たもんだな」
不意に声を投げかけられたのは、俺が掲示板の前で目ぼしい依頼を物色している時の事だった。
聞き馴染みのある声の方へ顔を向ければ、そこにはやはり想像した通りの人たちがいた。
「アスタルテさん、おはようございます。皆さんも、グランセルに帰ってたんですね」
「おう、少年しばらくぶりだな、元気にやってたか?」
俺の命の恩人で、冒険者の師匠ともいえる一団、
一月ほど前に何とかって商人の
「
状況を説明してくれたのは、全身と同じサイズのロングボウを背負ったルサリィさん。
そんな彼女に頭を下げながら、皆さんに労いの言葉を投げることにする。
「そうなんですか、お疲れ様です。それで皆さん勢ぞろいなんですね」
「まあな、なさけねぇことだが、こんな時でもなけりゃあ、
「私たちはみんな朝が弱いですから」
皮肉げに言うアスタルテさんと、悪びれる様子を見せないメリッサさん。
そんな仲間の様子にアスタルテさんは頭を押さえた。
「――言っておくが、俺を除いてだからな」
わざわざ訂正してくるアスタルテさんに、俺は分かっていますという意味を込めて苦笑を浮かべながら頷いて見せた。
この二年で二つのランクを上げ、名声を大いに広げた
彼女たちの持つ準三級というランクは、既に一流の冒険者の域に達していることを示しているというのに、彼女たちは態度を変えることなく、俺に接してきてくれていた。
その言動は非常にありがたかったり、厄介であったりと様々。
態度を変えないというのは嬉しいけれど、
馴染みの多い
そのくらいに彼女たちは有名な存在となってきていた。
「―――た、――へっー、――おなーーっー」
ふと、俺の耳に何やら呪詛のような呟きが届いてきた気がした。
――思わず、ギョッとしてしまった。
視線を移したその先、アスタルテさんたちの背後で、小さなお姉さんが呪いを生み出すが如く、何やらを呟いている。
「……えっと、ロロさんは一体どうしたんですか?」
「ああ、あれか? あれは気にするな、キャラバン参加とかの長期間の依頼の後は大概ああなるんだわ――うまい物食えなくて気が立ってんだ」
それは何とも分かりやすい理由だった。
だがしかし、あの小さな
それが、キャラバンに参加すれば、旨味を楽しむ機会はどうしても少なくなってしまうのだろう。
それに、キャラバンで配られる食料は、長期移動を考慮して保存の効く乾き物が中心と、どうしたって単調な味になりがちだった。
そんな食事が長期間続けば、あの魔導士様のフラストレーションが溜まるのも当然だろう。
「そろそろロロの奴の我慢も限界に近づいてる。――そこでだ少年。お前さん今度はいつあの煮込み料理をウォルファスの旦那の処に持っていくんだ? できたら早めに用意してほしいんだけど」
アスタルテさんが、俺にだけ聞こえるようにそっとそんなことを耳打ちしてきた。
実のところ二年前のあの日から、ウォルファスさんの屋台で俺の筋肉の煮つけを扱って貰っていたりする。
肉の下処理が大変だし、俺自身冒険者ギルドの一員であるため、作って持っていくのはどうしても不定期になってしまうのだが――醤油の味は偉大だったらしい。
異世界の地でも、その味は受け入れられ、今ではウォルファスさんの屋台の隠れ人気メニューとなっていた。
アスタルテさんやロロさんもそんなリピーターの一人。
それ故、こうして偶に入荷状況を聞いてくることがあるのだが、今回はタイミングが良かったらしい。
「其れでしたら丁度良かった。丁度昨日仕込みをしましたから、お昼にはウォルファスさんの処に持って行く予定だったんです」
「おっ、まじか、そりゃ良い――「……今の話、本当?」っうお、ビックリした」
それは秒を遥に下回る一瞬の出来事だった。
気が付けばパーティーの後方にいたロロさんが、俺とアスタルテさんのすぐ横へと姿を現していた。
相変わらず感情の変化に乏しい顔ではあったけれど、瞳の奥には先ほどとは違い微かな光が宿っている。
まるで、絶望の暗闇の中に一筋の希望が灯った――そんな感じだった。
「え、ええ、本当です。お昼には持っていきますから、楽しみにしていてください。今回使ったのは若い狼の肉ですので、何時もの物より柔らかくて美味しいですよ」
俺の言葉を聞いて、瘴気をまき散らさんばかりに曇っていたロロさんの表情が晴れた。
以前ソフィアちゃんの笑顔を花の咲く様だと思ったものだが、ロロさんのそれは自ら輝く星々の様だと思った。
――そんな似合わないことを考えてしまうのは、やっぱり寝不足のせいなのだろう。
だが、そんな事を考える俺に構うことなく、ロロさんは俺の両手を掴み――薄らと透明感のある笑顔を浮かべた。
「……ありがとう、……大好き」
「っはぃ、ど、どういたし、まして……」
真っ直ぐな感謝の言葉と綺麗な笑顔に、俺はドギマギを隠せない。
顔が熱くなる。まともな返事が返せない――
「……リーダー、ロロが本格的にアルクス少年の事を落としにかかってるよ」
「……ルサリィ、あれは違います。ロロは天然さんですから、そんな思惑は無いですよ」
「まぁでもあれで落ちてくれりゃあ、なし崩しにパーティーメンバー入りってこともありうるかもな、よし、ロロがんばれっ!!」
何やら密談をしているロロさん以外のヴァルキリーの皆さん。
正直そんなことをしていないで助けてほしいと思ったけれど、なんだろう、話の内容は聞こえなかったのに、助けに出てきてくれる気がしないのは気のせいなのだろうか?
――どうしよう、どうしようと、精一杯頭を回してみるも、打開策は出てこない。
兎に角、何かを言おう――そう思い、口を開きかける俺。
だが、その行動は取り越し苦労だったらしく、救いの手は思わぬところから現れる事になった。
「――おい、どういうことだ! 可笑しいじゃねぇか!!」
突然ギルド内に響く大声。
俺やロロさん、ついでにアスタルテさんたちの視線を自然と集める声の主。
目を向けた先には、受付のカウンターに詰め寄って何やらの抗議をしている
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