成長の兆し(前)

 乱れる呼吸を気にしながらも、俺は決して歩みを止めなかった。

 大切な依頼品の入った愛用の鞄を両手で大事に抱えながら、木々の隙間をすり抜けて行く。


 まだ暫くの間走ることは出来そうだった。動きの補助の為に体に纏った魔力の方は、残りの体力以上に余力がある。

 走るのは決して苦手ではない。むしろ前世も含め持久走にはそれなりの自信があった。


 ……だけど、このまま背後の気配が諦めるまで走り続けられるかと問われると、正直言って自信無し。


 追ってくるあいつ等にとって、この大森林アルケケルンは庭みたいなモノだろう。

 だが、俺には違う――現状だって出来るだけ来た道を引き返しているつもりで走ってはいるが、それさえも正直曖昧だった。


 このまま目標が定まっていない状態で走り続けるのは、かなり厳しい。


 先ほど持久走には自信があると申し上げたが、それは”走る距離が予め定まっている”持久走に関してだ。


 走る前から十キロ走ることが決まっていて、正しく十キロ走った場合の持久走と、走る距離は分からないが、兎に角走り始めて最終的に走った距離が十キロになった持久走では、実際に走った距離は同じでも、中身は全く違うものだ。

 というか、後者は既に持久走とは呼べないのかもしれない。 


 目的を定めずに曖昧な何かを続けるなんてことは、よっぽど辛抱強い者でなければ出来るわけがないのだから。


 ……――とはいえ、どうしたものか。


 俺の記憶が正しければ、確かもう少しで開けた場所に出たと思う。

 そこまで走って現状の問題を打破するために動くべきなのかもしれない。


 そんなことを考えながら、俺は変わらず足を動かした。


 眼前に広がる樹木の隙間から見える光は、徐々に明るさを強くしている。

 勢いよく駆け抜けてみれば、パッと目の前が開けた。


 小さなさわが流れていた――幅は一メルトルを超えるか超えないかという程度しかない。

 

 俺は駆ける勢いを利用して跳躍――沢を飛び越えた処で、走るのをやめて振り返る。

 ガササッ、と、葉が擦れる音が乱暴に響いたかと思うと、今の今まで俺の事を付かず離れず追い回してくれた張本人たちが姿を現した。


 俺が歩みを止めていることを確認して、同じく歩みを止めたのは、二匹の灰色狼グレイウルフだった。


 その様子を見て、俺はおや? と思う――それは数が明らかに少なくなっていることに今更気が付いたからだ。

 さっき依頼品の採取をしているときに遭遇したのは、少なくとも十匹前後の灰色狼グレイウルフの群れだった。

 多勢に無勢の状態であったので、採取中だった”グローマッシュルーム”を大急ぎで鞄の中に詰め込んで逃げてきた。


 てっきりすべての灰色狼グレイウルフが、そのまま俺を追いかけてきているものだと思ったが、如何やらそうではなかったようだ。

 見れば、二匹の灰色狼グレイウルフの体格は割と小さい体をしていた――まだ年若い灰色狼グレイウルフであるらしい。


 後続が追い付いて来ないところを見ると、他の灰色狼グレイウルフたちは俺を狩るのを諦めたのだろう。


 願わくば他の灰色狼グレイウルフと一緒に、諦めて欲しかったのだが――


 

 ――グルルルッ!



 そんな二匹の灰色狼グレイウルフたちは、そろって俺を威嚇してきていた。


 俺はそんな灰色狼グレイウルフたちの姿に、思わず溜息を零してしまう。

 出来る事ならば無用な殺生などはしたくない、というのが俺の本心だった。

 前の世界より命の価値が圧倒的に低いこの世界イリオスに生れ落ちて、今日までそれなりの数の生殺与奪を行ってきたが、それでも未だに嫌悪感を拭いきれないのは、倫理観が高い日本人の精神故なのか。

 

 否、これはただ単に命のやり取りを行うのに慣れていないからなのだろうか。


 まぁ、もっとも命のやり取りそんなことに慣れたくなどないのだが……


 とは言え、現状そんな悠長なことを言っていられる状態でもないので、目の前の脅威グレイウルフ達を迎え撃つ準備をすることにした。


 とりあえず、先ほどまで走るのに使用していた魔導――移動補助用風魔導『追風おいかぜ』を解除する。

 この魔導は、初任務で遭遇した”隻眼の灰色狼グレイウルフ”が使っていた高速移動クイックムーブを参考にした魔導で、風の流れを意図的に作り出し、文字通り移動の補助に使用する魔導だった。

 移動には大変有用な魔導だが、精密動作を行うには適さないので、今回は解除する。


 腰につけたハンティングナイフを右手で引き抜き、前に突き出しながら逆手で構える。

 更に半身の姿勢で後ろに引いた左の掌には、魔導という名の刃を忍ばせる。


 殺気をまき散らす眼前の二匹は、俺を噛み殺さんとして睨み付けてくる。

 だが、その眼力は明らかに弱かった――俺を瀕死の重症に追い込んだ、あの”隻眼の灰色狼”と比べる明らかに弱かった。


 故に慌てる必要など全くなく、事実俺は冷静に眼前の二匹を捉えていた。

 俺は深呼吸をするように、大きく息を吸い込んで止める。



 二匹はというと、呼吸を合わせるようにして、一斉に飛びかかってきた。


 口を大きく開いて、俺へと牙を突き立てようと、食らい付こうと飛びかかってきた。


 ――だが、その行動は予想通り。


 眼前にさわを挟んで対峙していたあの状態では、そうする飛びかかってくるほかないと思っていた。

 予想が出来れば、対処方法を想定シミュレートすることは容易い。

 

 俺は飛びかかってくる一匹目を、ギリギリのタイミングで体の位置を半分だけずらす――少しだけタイミングが送れたせいで前足が右の頬を掠めたが、俺は気にせず行動を続ける。

 タイミングを合わせて半身だった体を回転させ、裏拳バックブローを行うように、ハンティングナイフを首筋へと叩き込んで撃ち落とした。

 続く二匹目、こちらに対しては左に忍ばせた魔力を開放する。


 二匹目を追撃するために用意したのは青色の魔導。

 俺は、左手を突き出し、二匹目に目がけて魔導名を宣言した。



『貫け”水錐みずきり”っ!!』



 放つのは攻撃用の作った水魔導、細く尖った水のきり

 長く、細く、勢いよく伸ばしたその水の切っ先は、迫る二匹目の眉間を穿った。


 首からハンティングナイフを生やす一匹目はさわに落ちて、水を真っ赤に染め上げる。

 二匹目は、後頭部から盛大に脳髄をまき散らし、地面に体を打ち付けた。


 その二匹に、それ以上の動きは見られない。


 動かないのを確認して、俺は止めていた呼吸を再開するため、大きく息を吐き出した。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 俺が冒険者組合ギルドに加入して、初任務で死にかけたあの日から、更に二年という月日が経過した。

 魔導の練習をして、ついでに戦闘訓練をして、無理のない範囲で組合ギルドの依頼を受けるという日々。


 初回の依頼を教訓にして、初めのころはグランセル内で受けられるモノを中心に依頼を受けていたが、流石にそれを二年も続けていればギルドのランクも上がってくる。

 現在は三つランクが上がり、七等級となっていた。

 まだまだ一人前とは言えないけれど、俺の年齢としを鑑みれば二年間で三つのランクアップはそれなりに早いペースなのだとか。


 まあ早いランクアップの背景には、どういうわけか俺の事を気にかけてくれているヴァルキリーの皆さんが、結構頻繁に俺の事を臨時のメンバーに誘ってくれたりなんてこともあったりする。

 おかげで冒険者のノウハウを教えてもらえたり、通常では俺の受けられない高ランクの依頼に参加させて貰えたりと、俺にとってはプラスに働く事ばかり。

 最早彼女たちには足を向けて寝られないと思ってしまう、今日この頃だった。

 

 それに最近では、これまで続けてきた魔導練習や、戦闘訓練の成果が出てきてくれたのだろう。

 師匠アルトさんやイリス母さんにも、ようやく採取系や討伐系の依頼を受けることを――渋々ではあるが――許可してもらえるようになった。

 

 依頼が受けられれば、お金も入ってくる。

 父さんが死んで四年、本当に苦しい四年間だったけれど、如何にか軌道に乗ってきたと言えるのかもしれない。


 人は常に前へだけは進めない。


 引き潮あり、差し潮がある――それでも如何にか差し潮の上に上手く乗れているのかもしれない。



『……なんてな』



 ――頭を振って、雑念を散らすことにした。

 刃物を扱っている最中に考え事などするものではないだろう。 

 俺は気を取り直して作業を再開する。 


 つんと、血潮の香りが鼻につく――それは俺がある作業をやっているが故の事だった。

 思えば、この作業も随分と手慣れたものだと思う。

 昼間に倒した灰色狼グレイウルフの解体作業――俺が今やっているのは其れだった。


 二匹の灰色狼グレイウルフを返り討ちにしたその後、俺は血抜きだけをさわで済ませて、依頼品と一緒に灰色狼グレイウルフの亡骸を家まで持ち帰ってきたのだ。

 年若いとはいえ、二匹の獣を持って帰るのは流石に骨が折れたが、アスタルテさんから肉体強化の魔導を教えてもらったお蔭で何とかなった。


 その場に供養していくことも考えたのだが、そのまま土に反してしまえば、防衛のためだけに二匹の獣を狩っただけということになってしまう。

 それならば、武具の素材や料理の素材となって活かされた方が、まだこの二匹も浮かばれるというものだろう。


 ……まぁ、俺の勝手な想像でしかないのだが。



『さて、気合入れてやるか』



 俺は魔力を練って『蝋燭』の魔導をかけなおすことにした。

 この世界にはまだまだ一般家庭に時計が普及していない。

 それ故に時間の判断には、太陽の上り下りくらいしか、現状時間を測る術がない。

 だが、日も暮れて既に深夜と呼べる今の時間帯では、その時間把握の方法は全く意味をなしていなかった。


 灰色狼グレイウルフと遭遇したせいで、予想以上の時間を浪費し、今日はギルドに依頼品を届けることが出来なかった。


 故に明日、ギルドには行くのだけれど、それならばついでにこの灰色狼グレイウルフの素材も納品してしまいたいと思っている。


 その為にも、この解体作業も出来るだけ早めに終わりにしたかった。



『明日は確か武器屋の手伝いをお願いされてたっけ――早く終わらせて少し寝ておこう』



 俺は睡眠時間を確保するために、黙って手を動かすことにした。




 






 …………



「あら? アルクス、今日は早いのね?」



 作業を続けていたら、不意に後ろから声を掛けられた。

 その声に反応して振り返ってみれば、そこには寝間着を身にまとい、ストールを肩に引っ掛けるという出で立ちのイリス母さんの姿があった。


 その姿はまるで、寝起きの姿のようで――



「って、寝起き!? ちょ、ま、まさか!」



 俺は慌てて木でできた我が家の窓を開いてみた。

 そうして広がるのは、清々しいまでの朝焼け――目を覚ましかけているグランセルの姿がそこにはあった。


 やってしまった……。



「はぁ……、おはよう母さん」



「おはよう、その様子じゃ夜通し起きてたみたいね」



「……うん、そのまさか。起きてる気はなかったんだけど、集中しちゃってたみたい」



 俺は仕込みが終わった鍋を見つめて、力なく返事を返す。


 灰色狼グレイウルフの解体作業を終えた後、これも序だからと『すじ肉の煮つけ』を作る準備を始めてしまったのが不味かった。

 もうちょっと、もうちょっとだけ、と、作業を進めた結果の為体ていたらく


 どうやら今日は、寝不足の状態で予定をこなさなければいけないらしい。



「……アルクス、頑張ってくれるのは嬉しいけど、頑張りすぎるのはダメよ?」



「うん、分かってる……っていってもこの状態じゃ説得力ないか、まぁ、そこは母さんの子供ってことで、一つ勘弁してよ」



 頑張りすぎる嫌いのある母さんは、俺の言葉を聞いて少しだけ困った顔をする。



「そんな処は見習わなくてよろしい。――体を壊したら大変でしょう?」



「そこはほら、僕は父さんの子供でもあるからね。多少は無理しても大丈夫さ。――とは言え流石に眠いからね。今日は早めに帰ってきて、体を休めることにするよ」



「是非そうして頂戴、それと今日の朝食は私が用意するわ」



 母さんはそういって炊事場へと向かった。

 この二年で母さんの体調はだいぶ快方へと向かっていた。

 まだまだ油断は出来ないけれど、それでも朝餉の準備位は問題ない。


 俺はイリス母さんのお言葉に甘える事にして、朝の一時、暫し体を休めることにした。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「おはようございます。ようこそヴァンクールへ。――あら? アルクス君、貴方はいつも早いですね」



「ウィルダさん、おはようございます。昨日此処に来れませんでしたから、成るべく早くこちらに顔を出したいと思いまして――早速で悪いんですけど、依頼品の確認をお願いしても良いですか?」



 早朝、冒険者組合ギルドを訪れると、受付嬢のウィルダさんが出迎えてくれた。

 そんな彼女に挨拶を返しながら、依頼品の”グローマッシュルーム”と、俺のギルドカードを差し出した。


 特殊な鉱石で作られたギルドカードには、特殊に加工した魔力で情報が書き込まれている。

 そこには俺の個人情報パーソナルデータや、所属ギルド名、今まで達成してきた依頼内容など、様々な情報が書き込まれているらしい。

 勿論身分証にも使えるし、色々と便利なカードである。



「あ、それとこれも一緒にお願いします」



 俺は、”グロー・マッシュルーム”とは別に、大小二つの包みも合わせて差し出した。

 その包みに首を傾げるウィルダさん。 



「アルクス君が現在受けているのは、光茸グロー・マッシュルームの採取だけのはずですよね? この包みは何ですか?」



「大きい方は灰色狼グレイウルフの素材です。依頼中に襲われたので討伐しました。素材の買取をお願いします」



「そうですか、分かりました。――それでこっちの小さい方は?」



「あ、そっちはアルケケルンの中で見つけたフラーグムの実です」



 フラーグムとは、前の世界で言うところの”苺”と似通った木の実だ。

 甘酸っぱくて美味しい為、女性を中心に人気が非常に高い果物だった。



「へぇ、運がいいんですね。アルケケルンでフラーグムを見つけるなんて、これは結構珍しい木の実ですよ?」



「ええ、分かってます。ただ、そっちは纏まった量が取れなかったんですよ」



「では、こちらは何故ここに?」



 ますます不思議そうな視線を向けてくるウィルダさん。

 人気が高く珍しいということもあって、フラーグムの実は結構言い値で取引されているモノだったからだ。


 そんなウィルダさんの視線に耐えかねて、照れるのを隠すように、俺は頬をかく。



「えっと、それは差し入れです。いつもウィルダさんたちにはお世話になっていますから、仕事の合間の息抜きに召し上がってください」



「っ!!」



 一瞬驚いたような表情を見せるウィルダさん。心なしか彼女の頬がほんのり赤く染まっているように見えた。

 だが、それもつかの間、瞬く間にウィルダさんは表情を変えて行く。


 俺と同じく純粋な人族で、茶色のふわふわしたボブカットのお姉さん。

 その髪の毛のせいか、ふわふわとした雰囲気を持っている可愛い人という印象があるウィルダさん。


 だけど、何故だろう。


 ――上気した笑顔を俺へと向けてくる彼女は、獲物を狙う獣人種、龍人種と同じような雰囲気を持っていた。



「もう辛抱たまらんっ!!」



 ――お姉さんウィルダさんが、吠えた。



「どうして君はそうやって私の好みのど真ん中を貫いて来るんですか? それは狙ってやってるんですか? そうでしょう!! いえ、寧ろそれはどんと来いです!!」



「あの、えと……ど、どうしたんですか? ウィルダさん」



「どうしたもこうしたもねーのですよ。よしっ!! こうなったら善は急げです。今日はお姉さんとお出かけしましょう。大丈夫です。何も怖い事はありません!! はじめは戸惑うかもしれませんが、慣れてしまえば君もきっと――っ!!」



 それはもうカウンターを乗り越えんばかりの勢いで、俺の方に被り寄ってくるウィルダさん。

 そんな彼女の豹変ぶりに俺は思わず後ずさる。


 だが、その行動はどうやら無意味だったらしい。



「なに馬鹿なこと言ってるの、少し落ち着きな――さいっ!!」



「――へブッ!!」



 暴走したウィルダさんは、背後から近付いてきたアルトさんの拳骨によって、勢いよくカウンターに顔を打ち付けた。


 何とも言えない微妙な空気が、冒険者組合ギルドを支配するのだった。

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