夢で視た虫の知らせ
――その日、俺は夢を見た。
ただ、なんというか確かに寝てみる”夢”ではあったのだけれども、普通の夢とは少しだけ趣の違う夢だった。
もしかしたら、
というのも、その夢は前世で――前の世界で、前の世界の”俺”が実際に体験した事が――死ぬ前の俺の記憶が映画でも見る様に流れているだけだったのだから。
大学生で、一人暮らしをしていて、長期休暇で実家に帰ってきていて――前世の両親がいて、兄妹がいて、友人たちがいて、そして……あの人がいて。
いつもと変わらず変わりながら青春を謳歌していた自分の姿がそこにはあった。
――だから、たぶん……そんな姿を視たのが原因だったのだろう。
その日俺は朝早く、
目覚めは正直かなり悪かった。だから、あれはやっぱり悪夢だったのだ。
前世が嫌いだったのかと問われれば、俺はそうではないと力を込めて否定しよう。
むしろ目覚めが悪かったのは、そうではないと言い切れてしまうからなのだ。
今の世界が悪いというわけではない、今の世界は俺にとって特別な場所だ。
だが同時に前の世界も同じく特別だというだけの話なのだ。
特別だからこそ、大切な人たちと別れることになってしまったことが、本当に悲しいのだ。
前世の自分の――青春を謳歌していた自分の姿を見るというのは、それを否応なく思わせるから、だからこそ言いようのない気持ちが湧き上がってくる。
前世の夢とは、否応なしにそういう気持ちを抱かせる。だからこそ悪夢以外の何物でもない。
『――やっぱり俺は後悔してるのかな?』
なるべく前世のことは深く考えないようにしていた。人間関係については特にだ。
でも、睡眠時に視る夢ってやつは深層心理の現れだって話だし、やっぱり俺は心のどこかでそれを気にしていたのだろう。
否――きっとこれはそんなにきっぱりと割り切れるような話じゃない。
幸運にも俺は今ここでこうして第二の生を受けているが、俺は確かに雨の降るあの日に一度死んだのだ。
自分の死に後悔するなんて、何ともおかしな話だ。
おかしな話なんだけど、否が応にも考えてしまう。
今頃前世の両親は――兄妹は――友人は――そしてあの人は……いったいどうしているだろうか?
俺が死んだことで、恐らく悲しんでくれるであろうその人たち。
そんな人たちのことを思うと――なんだか無性に会いたいという気持ちが胸の奥から噴出してきた。
「……はぁ」
窓から差し込んでくる黎明の光をぼんやり眺めながら、あふれ出ようとする心のもやもやを我慢することなく口から吐き出した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「それじゃあアル君、今日も助かったよ。少ないけどこれは今日の駄賃だ、取っておいてくれ」
「いつもありがとうございます。エアトスさん」
何時ものように入口から見送ってくれるその人は、やっぱり今日も俺に銅貨を手渡してきた。
礼を言って両手で受け取る。チャリッという金属音が掌の中で鳴った。
それは所謂バイト代みたいなものだった。
俺がこの世界に生を受けて早八年――前の世界で八歳といえば、小学校の低学年くらい。
まだまだ遊びたい年頃なのだろうけど、今の世界ではそうも言ってはいられない。
ちなみに手の中にある銅貨の枚数は十枚――だいたい朝から3時間くらい手伝いをしたから、時給にしたら銅貨三枚程度。
貨幣は小銅貨から存在し、小銅貨は十枚で銅貨一枚になり、銅貨は百枚で銀貨一枚になり、銀貨はさらに百枚で金貨と同価値となる。
そんでもって感覚的に銅貨一枚は百円くらいの価値があるから――俺の時給は約三百円というわけだ。
――まぁこの世界でも、八歳児の手伝い程度で貰える金額ならこれでも結構多いくらいだろう。
「いやいや、アル君は物覚えもいいし凄く丁寧にやってくれるから助かるよ。実際君になめしてもらった革素材の装飾品も評判いいしね。君さえよければそろそろ金属系の加工も覚えてみないかい?」
「――いいんですか? それなら機会があれば是非!」
「うんうん、そうかい! そういって貰えると嬉しいねぇ。僕としても教えがいがあって楽しいし、跡取りの心配をせずに済む。我がグレイフィールド家はこれで安泰だな」
満足そうに腕を組んで嬉しそうに語るのは、我が幼馴染の父親、エアトスさん――
そんな彼の言動を三回ほど頭の中で復唱し、吟味してようやく彼の言わんとしていることの察しがついた。
「……はぁ、そんな勝手なこと言っているとまたソフィアちゃんに怒られますよ? 第一その場合一番重要なのはソフィアちゃんの気持ちでしょうに」
「それなら問題ないな! それについてはこの前――」
嬉々として話を続けようとするエアトスさん。
だが、そんな彼の声音は、突然背後から投げかけられた声によって阻まれる。
「――ちょ、ちょっとお父さん!! そんなところで大きな声でそんなはなししないでよぅ――あ、アル君も聞いちゃダメー!!」
っと、話の途中で今の今まで話題に上がっていた当の本人――ソフィアちゃんが家の中から現れた。
凄く慌てた様子のソフィアちゃんは、そのままの勢いで俺の両耳を塞いでくる。
なんというか、他人に自分の耳を塞がれるというのはかなり妙な感覚だった――というか俺の耳を塞ぐのか……
けどまぁこの場合、俺やソフィアちゃんの身長では
だからこそ、エアトスさんの口を物理的に塞ぐことが出来ない以上、確かに有効な手段なのだろう。
「ペラ――話しちゃだめ――お父さ――恥ずかし――もぉ!!」
「なんだ? ――しちゃだめ――のか? ――こうい――は、早めに――方がいいぞ?」
「―――っ!!――――――!!!――――!?」
「――――? ――――――――……!!」
……………………
………………
…………
……
……結構大きな声で話しを続けるグレイフィールド親子。
だが、塞がれた手によって話声のその全てを捉えることは出来なかった。
でもまぁ、なんだ……とりあえず俺には聞き取れないけれど、入口を開け放ってするような話ではないんじゃないだろうか?
「えっと、僕には何話してるかわかんないけど――あんまり大きな声で話さない方がいいんじゃないかなぁ、ほら道行く人たちが見てるよ?」
俺がそんな風に声を掛けると、言い争っていた二人は状況に気が付いた。
愕然とした様子で俺の両耳から手を放すソフィアちゃん。
だが、時すでに遅し――周りに目を向けてみれば道行く人たちの視線が、俺たちに向いていることは直ぐに分かった。
付け加えて言うとその人たちは、みんなして”微笑ましいものを見た”みたいな表情をしていたりする。
そんな状況に気が付いたソフィアちゃんはというと――顔を真っ赤にしてプルプルと震え出した。
……あ、やばい、これ爆発しちゃう――
「――ぅわあああんっ!! お父さんのばかぁ!!!! 大っ嫌いだよぉぉ――!!」
「ちょ、そ、ソフィア!? 大っ嫌いは流石にないんじゃないのか!? おーいっ!!」
バタバタと家の中に駆け込んでゆくソフィアちゃんと、慌ててそんな彼女を追いかけて行くエアトスさん。
そんな親子の様子に俺はというと苦笑いを一つ、――続いて小さい溜息も一つ零してしまう。
――何時もの俺だったら、ここで溜息を零すことはなかっただろう。
目の前で今しがたまで行われていた楽しいやり取りは、しかし――俺の気落ちした気分を払拭するには至ってくれなかった。
――それもこれも、原因は間違いなく今朝の夢のせいだと言えるだろう。
ネガティブな思考を割と長いこと引きずってしまうのは、俺の数ある悪い癖の一つ。
こうなってしまったら、何か気分をリフレッシュ出来る何かをする必要があった。
とはいえこれは不幸中の幸いか――今日という日はこの後、特にこれといって予定は入っていなかった。
しかもささやかながら、掌の上には軍資金が遊んでいる。
俺は十枚の銅貨の内の半分をズボンのポケットへ突っ込んだ――いつも給金の半分は家に修める様にしているので、俺が今日自由に出来るのは儲けの半分だけだった。
――だけど、これだけあればとりあえずは十分。
残りの半分の銅貨を握りしめ、思い浮かべた目的地へと歩みを進めることにした――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――上質紙は一枚百カルツにゃんだけど、アル坊にゃら三枚で二百で良いにゃ」
「いいんですか? なら上質紙三枚と
ふさふさの白い毛皮の猫さんに、頼んだものの代金を渡す。
代金は合わせて四百五十カルツ――銅貨四枚と小銅貨五枚分のお金が必要となる。
俺はさっきまで掌の中に握りこんでいた五枚の銅貨をそっくりカウンターへ重ねて置いた。
肉球を有する彼女の手――前足?――は、硬貨の取り扱いに向いていなさそうに見えるけれど、彼女は実に器用に硬貨の枚数を数えて見せてくれた。
そうして銅貨の代わりに小銅貨を五枚俺の前へと押し出してくる。
「――うにゃ、毎度ありにゃ!! 良いお客さんには良い接客をにゃ、また手が空いてるときは店の手伝いにきてほしいにゃん」
「沢山買っている訳じゃないから良いお客さんかは怪しいけど――とりあえず後半に関しては了解です。手が足りない時は声を掛けてくださいね、ゲレーテさん」
雑貨店”
見た目は完全に猫なのだけれども――今の俺とほぼ同じ身長を持ち――だいたい一メートルと二十センチ程度――二足歩行で移動する彼女は、俺の知っている前の世界の猫とはやっぱり別物なのだった。
妖精種の
エルフには及ばないが、魔導にも精通している種族であるため
見た目は凄く愛らしいが、かといって前世の猫と同じく愛玩動物の様に扱おうものならば、手痛い反撃を食らうことになるだろう。
――前世から結構な猫好き俺としては、少しだけ残念なのは此処だけの話だった。
――閑話休題。
買い込んだ部材を両手で抱え、俺は王都グランセルの東、商業区域に位置する場所から大通りを通って南へと移動をする。
移動時間は約二十分といったところだろうか――慣れ親しんだ都市の移動であるため迷うことは勿論ない。
――というか、最も馴染みの深い場所で迷うというのも、それはそれで問題だろう。
というのも、グランセルの南は居住区域になっているからで、俺の家もその例に洩れずこの区域にあるからだ。
だが、居住区域に向かうからと言って、自分の家に帰るというわけではない。
俺がこれから向かおうとしている場所は我が家を通り越したさらに先――その名は、街と外を隔てる南の大門”メリーディエース門”。
常時兵士に守られているその場所が今の俺の目的地だった。
そこに行く目的は先ほど
まぁ、単刀直入に言ってしまえば、絵を描きに行くというのが目的だ。
これは俺が前世から引き継いでいる趣味の一つ。
芸術を志していた訳では全然なくて、本当にただ絵を描くことが好きだったんだ。
否、この表現は少しだけ違うかな? 正確に言えば好きなことの延長線上に”絵を描く”という行動があったから好きになったっていうのが正しいのだろう。
最小公倍数的で実に単純な理由――俺は色を塗るのが好きだったんだ。
とりあえず、なんでそんな抽象的作業を好きになったかってことを簡単に説明すると、俺の数少ない特技が大いに影響しているからというのが一番の理由だったりする。
その特技というのが、”色を見分ける”というモノ。
昔美術の先生に言われたことがあるのだが、どうも俺は色を識別するという行為が人より鋭敏なのだとか。
まぁこんな言葉が前世にあったかは知らないけれど、言い表すならば絶対音感ならぬ絶対”色感”ってところなのかな?
一度見た色は絵の具で結構簡単に再現できるくらいの能力があった。
だから、絵を描くことが好きだった。
でも、俺には色を作る才能はあっても、絵を描く才能ってやつはあんまりなかったらしい。
しいて言えば写生は得意だったけど、いくら頑張って書いたところで出来上がるのは写真の劣化品。
そんなものしか描き出せない俺は、だからこそ芸術という道に進む事をしなかったわけだ。
でも、そんな特技しっかり俺の進路に影響を与えたようで、工業大学に入学し、画像処理技術の専門知識を身に着けようとしていたのは、完璧に蛇足で――本当にどうでも良い話だった。
……――――っと、そんなことを考えている間に、俺は目的の場所に着々と近づいていたらしい。
ふと見上げれば、摩天楼のような大門が眼前にそびえ立っていた――
「――ん? 誰かと思えばロニキスさんの倅じゃねぇか。どうしてこんなところに――ってその荷物を見ればわかっか」
「こんにちは、ボックルさん」
気さくに喋りかけてきてくれたのは、ここメリーディエース門を守護している兵士のボックルさんだった。
ボックルさんは俺の顔なじみの兵士の一人。
父さんの仕事仲間であることと同時に、俺の趣味を知っている数少ない一人だった。
「お前さんも物好きな奴だなぁ、絵を描く奴自体、この街じゃあそんなに多くねぇっつうのに、毎回同じもんを描くんだから俺には理解できねぇぜ」
「別にいいじゃないですが、好きなんですよ、絵を描くのもあの”木”もね」
「いやぁ、別にわりぃとは言やしねぇさ――確かにあの木は一アンヌに一度、すげぇきれえに花を咲かせっから、好きだっていう奴はオイラも結構しってさ――でもなぁ、”花が咲いてねぇ時”のあの木を好きだっていう奴はお前さん以外に知らねぇよ」
独特な訛りの入った口調でボックルさんは言う。
王都グランセルの南門――メリーディエース門
確かに彼の言うと通りあの”木”は一年――因みにこの世界では”年”をアンヌという――に一回、ごく短い期間だけ鮮やかに、賑やかに咲き誇る。
それは、”前の世界”と同じだった。
ケラススと呼ばれているその木――前の世界では”桜”と呼ばれていた木。
まさか前とは違うこの世界で、前の世界と同じ物を目にすることが出来るとは思っていなくて、初めてそれをこっちの世界で見た時は凄く驚いたものだ。
単純に嬉しかった――前の世界でもとても大好きな木だったから、その想いは尚更だった。
「――確かにあの木は花を咲かせた時が一番綺麗ですけどね、花が散って葉が生い茂ったところも好きなんですよ、なんかこう凄く力強い感じがして」
「そんなもんかぁ、ま、そこまで言うならとめやしねぇさ――ただ、描くなら何時もと同じで頼むぞ? おめぇにもしものことがあったら、ロニキスさんに殺されちまう」
「解ってますって、絵を描くならボックルさんの目の届く範囲で、尚且つ危なくなったらすぐ街の中逃げ込む様に――でしょ?」
ボックルさんは無精ひげの生えた口元を撫でながら、満足そうに頷いた。
本来ならば、王都グランセルに籍を置くものは、街の外に出る際身分を証明する物を門番である兵士に見せることが義務になっている。
俺も
というわけで門から遠く離れるわけでもないし、しかも面識のある知り合いの息子という要素も相まり、条件付きで証書を見せるという行動を免除してもらっているのだった。
「そんじゃまぁ終わったら何時もみたいにオイラに声を掛けてくれよ」
俺は分かったという意思表示の為にボックルさんに頷いて見せ、城壁に背を預ける様に座り込んだ。
目前にはグランセルの南門から伸びた道を飲み込むように、アルケケルンという名前の付いた大森林が広がっている。
母さんに聞いた話によると、森を抜けた先には何とかって名前の農村があると聞いたが――生憎と詳しい話は知らない。
なので、早々に思考を本来の目的の方に切り替えることにした。
さっき、
紙の方は何時も使っている木の板――何時も南門の城壁に立てかけて置いてある、因みに俺が見つけてきて置いたもの――の上に置き、体育座りの俺の膝の上に置く。
黒鉱石は鍛冶屋なんかでよく使われる
因みに紙の方は上質紙って名目ではあるのだが、この世界の製紙技術はそれほど進歩して無いらしく、結構ざらざらした紙だった。
これもデッサン紙替わりに使用するには丁度いい。
贅沢を言えば着色も行いたいところなのだけれど、黒鉱石の様に絵を描くのに適した部材を目にした事がなかった。
誠に残念ではあるのだが、今回もいつもと同じく
俺は適当な木々を被写体にして、軽く握った黒鉱石を滑らせ、何時もと同じく写生を開始しようとした。
憂鬱な気分を払拭するために――今朝の夢を一時でも忘れるために――
――だけど、俺は思い知ることになる。
――――朝の
その変化を捉えたのは、俺の五感の一つ――聴力だった。
ズゥンと小さく聞こえた重々しい音――まるで超重量の物質が何かにぶつかったような、そんな音。
大凡日常生活を送る上では聞く機会のない音だった。
南門に背をつけた今の状態で左の後の方から聞こえてきたような気がするから、都市の東の方から聞こえてきたということになる。
その音が何となく気になった俺は、いったん膝の上に置いた簡易キャンバスを右わきの地面へと置いて立ち上がる。
「ボックルさん、今なんか変な音しませんでしたか?」
「ああ、なんか聞こえたよな? 今のはどっからだ?」
「ええっと、なんか街の東側から聞こえてきたみたいですけど――!?」
ボックルさんと会話をしている最中にも同様の音が、今度は立て続きに二つ鳴った。
それはなんというか――凄く不安を掻き立てるような音だった。
「おいおい、なんだこれ? ちょっくら上行ってみてみるか」
ボックルさんは南門の横に両横についている扉を開いて中へと入ってゆく。
この扉は門の上についている見張り台へと続く扉だった。
本当ならばここは兵士以外の人が立ち入ってはいけない扉なんだけど――どうにも嫌な胸騒ぎを覚えた俺は、ボックルさんの後に続いて中に入った。
中には上へと続く梯子がかけられていて、天窓のような出入口があった。
――俺も、急いで梯子を上った。
「――おいおい、何が起こってやがる。遠くて良く分かんねが、煙が上がってんぞ、っておいアル坊、おめぇさんは此処に来ちゃいけねぇだろう――」
「――あれってオリエンス門の方ですよね」
ボックルさんが非難の言葉を掛けてくるが、その言葉が発し終わる前に俺が次の言葉を被せて止めた。
”オリエンス門”――それは都市の東に位置する門で、此処”メリーディエース門”と同じくらい、俺にとっては馴染みのある場所。
俺は少しでも詳細を知るために、俺の作った魔導を一つ組み立てた。
両方の手の人差指と親指で同時に輪を作り、その輪の中を青の魔力で覆い、水を生み出す。
輪の中でイメージするのは凸レンズ。
指の間で作った二つの水製凸レンズ、左手レンズは大きく前に突き出し、右手のレンズは右目の手前へ――
望遠鏡を覗くようにして、俺は水のレンズを覗きこむ。
そして手の間隔を上下にずらして微調整、指の輪っかで作ったレンズの屈折率も同時に微調整。
文字通りの遠視の魔導、『
その水魔導の遠眼鏡で除いた先に見えるのは――昼間だというのに閉じられた東(オリエンス)門と、門の向こうで瞬く紫電の輝きだった。
――嫌な予感というのはこれだったんだ。
あの場所、オリエンス門は他でもない、ロニキス父さんが警備している場所だ。
そんな場所から響いてくる破壊音、そしてそれと同時に飛び交う雷の魔導――あの場所を警備している兵士の中で、雷の属性をその身に宿すものは、父さんを合わせて僅かに二人だけ。
あれだけドンパチやっているということは、何らかの脅威があの場所に訪れていて、誰かがあの場所で戦っているということなのだろう。
そこまで考えてしまうと、その先を妄想することは容易かった。
――父さんの性格を考えれば、真っ先に後方に下がるなどまずありえない。
あの人は口数も少なくて、不愛想だけど、ほかの誰かが傷つくきそうなことがあれば、黙ってその痛みを代わりに甘んじる――そんな人なのだ。
それが親しい人たちならば尚の事――
――あの場所で父さんが戦っている?
「――父さんっ!!」
俺はいつの間にか弾けるような勢いで、その場を動き出していた。
俺に対して声を掛けてくるボックルさんを置き去りにして、滑り降りる様に見張り台の梯子を下る。
前のめりに倒れそうなくらい、体を倒して大通りを駆け抜ける。
行く手を塞ぐ人ごみを転がるように避けて行く。
「――おい、――エンス―んの話きい―か!?」
「なんで―、魔獣の大群が――寄せてるだってよ」
人ごみを通り抜けるたびに、断片的な会話が聞こえてくる。
――それが俺の不安に拍車をかける。
かかった拍車は、俺の走る足にも影響を及ぼしているのか、俺はがむしゃらに足を動かした。
息が切れる――酸欠で目の前がチカチカしている。
激しい呼吸をしすぎて――呼吸をし忘れているような錯覚も覚えた。
――それでもなお走る。
だというのに、その半分程度の時間で目的地に着けたのは、実はかなり凄いことだったのかもしれないが、そんなことは路肩に放り投げることにした。
激しく肩で息をしながら、整えることも忘れて頭を上げた。
やっとの思いでたどり着いた
閉じられた大門は大きな閂がかけられ、その上、バリケードを築く様に、様々な物品が積み上げられていた。
兵士たちは激しく行き交い、今なおバリケードを強固なものにしようと奔走している。
そんな兵士たちの姿の中に、何時もだったら容易く見つけられるはずの父の姿は見られない。
……そんな、それじゃあ外で魔導を使っているのはやっぱり――
最悪の事態を想定しようとしていた俺の目の前に――
「――父さんっ!!」
兵士たちの積み上げてているバリケードを押しのけて、どうにかして俺も外へ――!!
だけの、俺のそんな思惑は一人の兵士によって止められてしまった。
「お、おいアルクス!! ダメだそっちに行くな、今その門の向こうは魔物で溢れているんだ。言ったら殺されるぞ」
「でも、でも! この向こうには父さんがいるんでしょ!? だったら放してください!!」
「大丈夫だ! ロニキスさんの強さはお前も良く知っているだろ? あの人はこのくらいでくたばったりなんかしない!!」
「でも! それでも嫌な予感がするんです。朝から、嫌な予感がしていたんです!! 放してください――放して、――放せっ!!」
兵士の腕から逃れようと暴れる俺をしり目に、再び雷鳴が戦慄いた。
刹那――大門が揺れるほどの衝撃が走る。
その音に、静まり帰る
「父さん! 父さんっ!!」
そして静寂に包まれた
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それは今代の戦の合図だった。
過去のそれと比べれば、遥に規模の小さいそれだったとしても、それは確かに始りの合図だった。
王都グランセルに突如押し寄せた魔物の群れ。
グランセルは数十人の兵士を犠牲に、これを返り討つ。
戦とも呼べぬほどの小さき争い――だからこそ、これが始りであった事に人々は気が付かなかった。
だが、少年の生活はこれを機に大きく変わり始める。
父である、ロニキス・ウェッジウッドを亡くしたこの争いによって――
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