魔導の師匠ができました
右手を裂傷まみれにするという大失態を起こして、早くも二日が経った。
というか気が付けば二日が過ぎていたといった方が正しいのか……
あの後、情けなくも大声を挙げて血塗れの右手を抱えながらのたうち回っていると、やはりというかなんというか大勢の人たちが集まってきて――その人波と一緒に『かくれんぼ』で遊んでいたメンバーも遊びを中断して戻ってきてさあ大変。
皆して慌てふためきながらも、意外なことにリーズちゃんとソフィアちゃんが、それぞれイリス母さんとナチェットさんを連れてきてくれた。
母さんたちはというと、俺の様子にやっぱり驚いてはいたみたいだけど、その行動は驚くほどに早かった。
まずはイリス母さんが傷ついた俺の右腕を綺麗な布で強めに縛り上げると、そのまま俺の体を抱き上げて走り出すナチェットさん。
されるがままに抱かれていると、何やら医療機関のような場所に運び込まれた。
後から知ったことだが、運び込まれたその場所は冒険者ギルドの医療施設だったらしい。
二人が迷いなくそこを目指したのは、昔取った杵柄のせい。
イリス母さんは元ギルド職員であったため言わずもがなだが(腕の応急処置ができたのもそのせいらしい)、ナチェットさんは実は昔は冒険者だったらしく、自然と足がそこに向かったんだとか。
あとはそこに待機していた医療術式を使える
――事なきを得たのだが、そのあと待っていたのは、まずはなぜこんな事になったのかをこと細かく聞かれ、不用意に魔導に手を出したことに怒られ、傷ついたことに泣かれと怒涛のような感情のラッシュ。
更には絶対安生を言いつけられているにもかかわらず、俺を運んでくれたナチェットさんと、仕事の途中だというのに駆けつけてきてくれたロニキス父さんに、それぞれ一発づつげんこつを貰って気絶するように意識を失ったのが一日目のこと。
残る二日目に関しては、カムテッド君、フォルーク君、ファーベル君、リーズちゃんがそれぞれお見舞いに来てくれたことと、傷の治療のために再びギルドの魔導士に怪我の様子を見てもらったりといったことをして過ごした。
――そうして今日は、俺が右腕に怪我を負ってから三日目の朝。
俺はどういうわけか、朝もは早よからイリス母さんに手を引かれて、一軒の住居を訪問していた。
その家はグランセルの中でも住居の多い西区の大通りから、少しだけ外れるように別れた区画の初めのところにこじんまりと居を構えていた。
イリス母さんはその家のドアの前に立ち、おもむろにドアノッカーを打ち鳴らした。
――カツンッ、カツン、と乾いた独特の音が鳴る。
その音が鳴り響いて数秒――ドアを隔てた向こう側から物音が聞こえてきたかと思えば、慌てたような勢いで目の前の扉が開かれた。
「――はい! お待ちしていましたよイリス先輩」
俺とイリス母さんを出迎えてくれたのは、俺も知っている人だった。
この人と再び顔を合わせるのは魔導属性を測定したとき以来だ。
「急にこんなこと頼んで御免なさいね、アルトちゃん、でも他に誰を頼っていいのかわからなくって……」
「いえいえ大丈夫です。他ならぬイリス先輩の頼みでしたら喜んで、ですよ? ささ、こんなところで話をするのは何ですから中に入ってください」
「ふふ、ありがとうアルトちゃん」
「えっと、お邪魔します――」
何度も言うが、この家を訪れた理由を俺は知らない。
知りはしないが……それでも何となく想像することはできた。
――ほかに誰を頼っていいのかわからない。イリス母さんが零した言の葉はまず間違いなく、先日の俺の失敗が原因となっているのだろう。
問題はなぜ魔法の失敗で冒険者ギルドの受付嬢をしているアルトさんのもとを訪ねたのか、ということだ。
先日運び込まれた冒険者御用達の医療施設を使用したことが問題だったのだろうか?
いや、運び込まれてすぐはわからなかったけれども、昨日までその場所にお世話になっていたのだからわかる。
あそこは確かにギルド御用達の場所かもしれないが、それでも一般人の利用者もちらほら見受けられたところを見れば、俺たちが使用してはいけない場所というわけではないと思う。
あと考えられることと言えば……うん、だめだ、ちょっと見当がつかない。
というわけで、俺はとりあえず状況に流されていることにした。
イリスさんの家に踏み入れて、イリスさんに案内されてたどり着いたのはとある一室。
その中に入ってみて、印象的なものを見つけた。
前の世界ではそれなりにありふれたものだったのだけれど、そういえばこの世界に生れ落ちて今までお目にかかったことがなかった。
まあ、それは”それ”に収められる物自体が高価なものであるが故、必然的に絶対数が少なくなってしまっているのだろう。
「まあまあ、ここにお邪魔するのも久しぶりだけれども、随分本が増えたんじゃない?」
「ええ、あれからちょくちょくと購入してましたからね、おかげで私の懐具合も全然豊かにならないんですけど……」
本棚があった――縦幅と横幅がアルトさんの背丈以上に大きな本棚が、それも二つも並んでいて、しかもそこには隙間なく本が並んでいた。
この世界”イリオス”では貴重とされている本が、こんなにもたくさん――!!
「ほらアルクス、本が気になるのはわかるけれど、今はアルトちゃんと話をするのが先。わざわざ休日だっていうのにこうして私たちのために時間を作ってくれたのだから、それを無にするなんでしてはダメ」
俺に対して諭すような口調で語りかけてくるイリス母さん。
……そんな風に言われたら従わない訳にはいかなかった。
後ろ髪を引かれるとはまさにこんな状況のことを言うのだろうか、俺はアルトさんに勧められるがまま、その部屋に用意されていた三脚の椅子の内の一つに腰かけた。
だが、それでも俺の視線はどうしても本のほうに向いてしまう。
……ああ、だめだ。目が逸らせない。
これではまるで、自分気になることにしか興味を示さない幼子の言動だ。
年相応といえば聞こえはいいが、未だ小さなこの体に二十歳を超えた精神が引っ張られているというか――どうにも転生してから自制心というもが弱くなってしまったように思う。
というか、これでは幼子の言動というより、お預けを食らった犬のそれに近いような気さえする。
……そんな自分の心情に内心、溜息の一つも付きたい気分になった。
「――というか、アルクス君って確か四、五歳位でしたよね? その歳で本に興味があるっていうのも珍しいと思うんですけど……、まあ、本は後で見てもいいですから、取り合えず本題に入る事にしましょうか」
俺たち親子に声を掛けながら、俺たちの腰かける椅子の前に部屋の端っこに押しやられていた小さな机を移動させるアルトさん。
そうしてアルトさんは部屋に備えてあったポットと、人数分のカップを持ってきて琥珀色の液体をそれに注ぎ込んで、俺たちの目の前へと押し出してくる。
さらに自分の分の飲物を用意して、彼女は机を挟んで俺たちと対面するようにして椅子に腰かけた。
「っと、本題に入ると言っては見ましたが……一体何から話たものですかねぇ――とりあえずは君が右手を怪我したことについて詳しく聞いておきますか」
カップを手に取って一口――アルトさんは慎重に言葉を選ぶような様子を見せながら、そんな切り出しで俺へと言葉を投げかけてきた。
「アルクス君、君はその怪我をしたときに一体何をしようとしていたんですか?」
丁寧な口調ではあったけれども、言葉を選んでいたにしてはやけに直球な質問だった。
俺のようなガキに対してそんなに丁寧な口調など必要ないのではないかなんてことを思いながら、だが、まぁ――質問自体は直球であるが故に、答えやすかった。
俺はただ単純にあの時分に何をしようとしていたのか、それをそのまま答えればいいのだ。
「何って聞かれても……ただ単純に魔力で出した水を風の力でかき混ぜようと思っただけですよ?」
「――うん? 水を風の力でかき混ぜる?」
「はい、えっとですね――あの時は朝にやった洗濯の事を考えてたんです。洗濯ってもっと魔導を使って簡単にならないかなーって。ほら洗濯って水につけて、洗濯用の板でゴシゴシこすってって結構大変じゃないですか? だから、風の力で水をかき混ぜることができれば洗濯板を使わなくても洗濯ができるんじゃないかって、そんな風に思ったんです」
「…………」
「まぁ、水の流れを操ることができれば良いとも思ったんですけど、やり方はわからなかった。でも渦巻く風というのは出せたので、二つの力を一緒に使えば出来るかなって、そんなことを考えながら魔導を使いました。まぁ失敗してこんなことになっちゃったんですけどね……」
言葉にしてみたら何故か恥ずかしさが込み上げてきたので、誤魔化すようにして未だ包帯の巻かれた右腕へと視線を落としてみた。
自分の失敗談というのはそれがどんな内容の話であったとしても、一様に恥ずかしいものだと思う。
更に言えばどんなにささやかであったとしても”実験”の失敗であったなら尚更だ。
実験というものは行う前にその結果を考察して、自分の立てた仮定が正しいことを証明するために行うものだ。
だからこそ、実験した結果想定外のことが起こるというのは、つまりは仮定が間違っていたということに他ならない。
自分の間違いを突きつけられるのだから、恥ずかしい。
更に今回でいえば被害(右腕負傷)まであって、人さまに迷惑までかけてしまっているという事実が、その感情に拍車をかけているのだろう。
「
「――はい? 何ですか?」
「
「
「ええ、この現象は二種類以上の魔導を同時に使用したときに起こるものです。魔力というものは本来無色ですが、人が魔導を使用する際にはこの無色の魔力に属性に応じた色が付きます。そして、この属性が付いた魔力というのは別の属性の魔力と接触すると暴走が起こし、その結果起こるのが――」
「――身の破滅というわけですが」
「ええ、アルクス君の右手が傷だらけになったのも、水の魔力と風の魔力とを一緒に使おうとしたために、魔力同士が反発してしまったからなのでしょう」
アルトさんが一息つくようにお茶を口に含んだ。
だが、一息ついた割には随分と険しい表情を浮かべていた。
如何やら何かしらの懸念があるようだ。
「ってことは、二種類以上の魔導を使わなければこの前みたいなことは起こらないってことね?」
「――ええ、確かにイリス先輩の言う通り、
「? 何かまずいことでもあるのかしら」
「まずいと言いますか。なんといいますか――イリス先輩は
「えっと――そういえばないわねぇ、そもそも二つの魔導を一度に使うっていうこと自体したことないもの」
「――ええ、そうですよね? 普通はそうですし私もそうです」
その返答に首をかしげるイリス母さん。
だけど俺は、アルトさんが言わんとしていることが何となくだけどわかった気がした。
アルトさんの問題視していること、それは恐らく――発想。
「そもそも二種類以上の魔導を一度に使うということをしない――正確には使うと危険だということを私たちは無意識に理解しているんです。だからこそ
――ですが、とアルトさんは言葉を続けた。
「アルクス君にはどういうわけか、魔導に対する危険回避の本能がない、だからこそ通常では起こさないはずの事を起こしてしまうんです。ということは
「――そんな、それじゃあ一体どうすればいいの?」
イリス母さんが不安そうな声を上げた。各いう俺も不安に駆られていた。
俺は何気なく魔導を組み合わせたけれど、実はその行為自体がこの世界では異常だったのだ。
そしてそれが巻き起こした結果が右腕の裂傷。
つまりこれから俺は、前の世界――前世の記憶から引きずられて行う何気ない行動が、俺を、俺の身の回りの人たちを危険にさらしてしまうかもしれないということだ。
不安にならない訳がない。
「不安なのは分かります。ですが、これは考えようによっては長所でもあるのかもしれません。要は魔導についての常識を覆せる素養をアルクス君は持ちえているということですからね。とはいえ、やはり危険を避けるために魔導について必要最低限の
だが、俺たちの不安を払拭するように、彼女は俺に、俺たちに言ってきた。
「私がアルクス君に魔導を、そして常識を手取り足取り教えて差し上げます!!」
――拝啓”前世の両親アンド兄妹
なし崩し的ではありますが、如何やら俺に魔導の師ができたようです。
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