秘めたる力を自覚した日のこと
結論から言うと、色々とダメダメだった。
結局俺は羊を1万とんで84匹までカウントし、窓から朝日が差し込むのを確認するまで寝付けなかった。
やっといてなんだが、羊を数えるという行為は本当に睡眠導入のために有効な手段なんだろうか?
確かに単調な作業を繰り返すことは、眠気を誘う行為であると思うのだけど、興奮した脳みそで羊の数を数えた結果、逆に目が冴えてしまった……
そんなわけで、俺は現在進行形でうつらうつらしながらイリス母さんに手を引かれて進行中――
道行く人はそんな俺の姿をクスクス笑いながら、或いはすごく微笑ましいものを見るように生暖かい視線を送ってくる。
普段の俺でも気に留めることのないその視線は、三大欲求の一つの対処に追われる今の俺には蚊ほども気にならなかった。
そんなこんなでテクテク歩く俺とイリス母さん……っと、そんな俺たちに向かって声をかけてくる一組の親子がいた。
「おはよう、イリスさん」
その声に辛うじて反応、伏せがちだった顔を上げる俺。
この世界に生れ落ちて早三年、親しくなった人は両親を除けば僅か数人しかいないけれど、その少数に分類される人物たちが眠気でぼやける視界の先にいた。
「――あらあら、おはようございますナチェットさん、晴れてよかったですね」
「ああ、全くだね、この天気のせいもあるのかソフィは朝からはしゃいじゃってはしゃいじゃって――大変たらありゃしないよ全く。少しはイリスの倅を見習わせたいもんさ」
「ふふ、子供が元気なのはいいことじゃないですか、それにそれくらいのほうが張り合いがあっていいですよ」
「う~ん、そんなもんかねぇ?」
日に焼けたようにも見える黒い肌に、ロニキス父さんのそれよりさらに濃い赤色の髪の毛。
おおよそ前の世界では、特に日本という島国ではお目にかかることのなかった髪の毛を持つ、お隣の親子。
ナチェット・グレイフィールドさんと、その娘のソフィアちゃんだ。
家がお隣同士ということ、更にナチェットさんのお仕事の内容も相まって、家とはかなり親しい間柄といっても過言ではない。
気安く朝の挨拶を交わしあう両母親の姿を見れば、それは想像するに難しくないことかもしれないが……
「えへへ、おはよー、アルくん!!」
「ん、おはよ」
いつも以上に元気な声で挨拶をしてくるソフィアちゃん。その様子は確かにナチェットさんの仰る通り、はしゃいでいらっしゃるようだ。
昨夜の寝付く前のテンションの俺だったら、もしかしたら彼女と同じくらいのテンションで挨拶を返していたかもしれないなぁなんてことを頭の片隅で考えながら、簡潔な挨拶を返しておくことにする。
そんなどこかぞんざいとも取れる俺の挨拶を受けながらも、彼女は母親譲りの褐色の肌を緩ませ、にぱっという擬音さえ聞こえてきそうな笑顔を俺へと向けてくれる。
俺はそれを見て、ふと、花の咲くような笑顔とはまさにこの様な感じかもしれない、などと似合わないことを考えてしまった。
……きっとこれも眠気のせいだろう。
「さってさて、我が子にはどんな才能が秘められているのかねぇ! 楽しみだねぇ、さぁ早く行こうじゃないか!!」
「わぁっ、おかーさんあるくのはやいよぅっ」
「ふふふ、はしゃいでいるのはソフィーちゃんだけじゃないみたいですね? さ、私たちもナチェットさんたちに遅れないようにいきましょうか」
足早に娘の腕を引っ張ってゆくナチェットさんの姿に笑みを浮かべながら、俺の腕を引くイリス母さん。
俺は小さく頷き返し、母さんとともに歩みを進める。
騒がしい隣人と言葉を交わしたことで、ようやく眠気も覚めてきたようだ。
幸い夢見心地の歩みは結構な距離を踏破していたらしい。
顔を上げれば、目的地である壮健な建物はかなり大きく見えていた。
それは、我が国が誇る魔導学校、『グレーヴァ・マルクス魔導学士園』――通称マルクス学園
そここそが、今日行われる魔導属性の測定場所だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――す、すごい!!」
それは、マルクス学園で魔導を生徒たちに教えている教師であり、同時に今このとき、魔導属性の測定官を務めている人物から発せられた言葉だった。
かなり大きく発せられた言葉に、大衆の視線が集中する。
――当たり前といえば当たり前、今日は年に三回しかない魔導属性の測定日なのだ。
そのために、測定場所とされているマルクス学園には三ケタを超える親子が集まっている。
そんな場所で、魔導属性の測定官を務めている人物からそのような言葉が飛び出せば、自ずと皆の視線を集めてしまうだろう。
勿論、彼とてそのことは心得ているのだろうが、それを推してなお声を上げてしまうほどの衝撃があったのだ。
「魔力総量は平均の十倍以上っ!? しかも魔導属性は七属性持ちのうえに、内四つが上位属性っ!? うわっしかも二つは変異種じゃないか!! これは凄い、誰か、誰か来てくれ!!」
その言葉に周囲からは歓声が上がる。
――確か俺の記憶が正しければ、魔導属性の数の平均は三属性で、その数が多ければ多いほど優秀であったはずだ。しかも魔力総量も多いとなれば騒がれるのは当然なのかもしれない。
俺はそんなことを内心で他人事のように考えた。
「あらあら、凄いわねぇ!!」
俺の隣ではイリス母さんも歓声にならって声を上げている。
うん、確かに俺も凄いと思う。それだけのポテンシャルを秘めていたならば、きっとその人物の未来は有望だろう。
――だがまあ、ぶっちゃけそんなことはどうでも良い。
「えーっと、次は……アルクス君、アルクス・ウェッジウッド君、前にお進み下さい」
「あ、呼ばれたわね。それじゃ行きましょうか」
「うんっ」
――だって、所詮は他人事だしね。
見知らぬ誰かよおめでとう、だけどごめんなさい、俺にとっては自身の魔導属性の方が重要なのだ。
俺は自分に宛がわれた測定場所に、母さんに手を引かれながら歩を進めた。
進んだ先には木製の長机と人の頭ほどもある大きな水晶のような球。
そしてその机を挟んで、俺たちと対面するように年若い女性が椅子に腰かけていた。
この人が俺の魔導属性の測定官なのだろう。
「それではこちらの椅子に腰かけて――って、やっぱりイリス先輩じゃないですか! ウェッジウッドって名前を聞いてもしかしたらって思ったけど、やっぱり関係あったんですね」
「あらあら、アルトちゃんじゃない、久しぶりねぇ。今日はギルドからの応援か何かなの?」
「それが聞いてくださよぅ、ギルドマスターったら今朝になっていきなりこの仕事を押し付けてきたんですよ!? 今日は非番の予定だったのに酷くないですか!?」
「ふふ、それだけアルトちゃんがギルドマスターに信頼されてるってことよ」
……いきなり世間話という名の話の花が咲いた。
話の流れから察するに、どうやら測定官のお姉さんはギルドと呼ばれる組合に属する人間であり、尚且つイリス母さんの知り合いであるらしい。
……母さんの友好関係がいまいちよくわからん。
「それよりアルトちゃん、後も閊えてるみたいだから早速だけど見てもらっていいかしら?」
「あ、はいそうですよね、すいません愚痴こぼしちゃって――と、そういえばなんだかんだ言って、先輩のお子さん見るの初めてです。黒髪黒目なんて珍しいですねぇ――それにとっても可愛い! 将来が楽しみですね!!」
アルトさんは俺を見るなり、俺の身体的特徴を褒めてきた。
……可愛いというのは正直あまり嬉しくない表現だが、それは未だ三歳児の体。
その表現を適用するには十分な要素であるため、ここでは深く言及することはよしておこう。
だが、この体になって些か気に入っている要素を褒めてもらえてことは正直嬉しいかもしれない。
黒髪黒目――前世ではさして珍しくもないそれは、この世界では実はそうでもないのだ。
父の黒目と母の黒髪を受け継いだこの見てくれは、以前の自分と同じということも相まって、前世との繋がりが残っているような、そんな気がしてそれなりに満足している要素の一つだった。
「ふふ、ありがとう――さあアルクス、このお姉さんのいう通りにしてね、大丈夫! すぐ済むわ」
母さんの声に反応し返すように小さく頷くと、俺は目の前の椅子へ目をやった。
少し高めの椅子であったため、案の定よじ登る形で何とか椅子に腰を落とす俺。
魔導属性の測定者は子供が多い、それが解っているのだから、あらかじめもう少し低めの椅子を用意しておいて欲しいものだ――なんてことを椅子によじ登りながら思ったのだが、いざ座ってみればちょうど目の前に件の水晶玉が飛び込んでくる配置となっていた。
……なるほど、これはこれで色々考慮されたものらしい。
「……あの、それでどうすればいいんでしょうか?」
「あはは、別にそんなに心配しなくてもいいのよ? 測定自体はとっても簡単だからね。君はこの球に触ってくれるだけ。少しだけ君の体から魔素を抜き取る――ていっても分かんないか……んとね、ほんのちょっとだけ君の体の中にあるものを貰うことになるけど、特に痛みとかはないから安心してね」
感情が少しだけ声に現れてしまったのだろう。俺の言葉を耳にして気遣うように俺に言葉を掛けてくれるアルトさん。
ギルドマスターとやらが信頼するのが、なんとなくだが分かったような気がした。
「それじゃあやるわよー」
アルトさんから声がかけられた直後、彼女に言われた通り何かが抜け出る感覚がした。力が抜けるというのが最も近しい表現かもしれない。
いきなりこんな感覚に見舞われたら流石に戸惑ってしまうかもしれないが、それは前情報がない場合の話。
これが魔力が体から抜かれる感覚か……と、そんなことを漠然と考える。
少しだけぼやけた思考をそのままにして待つこと数秒。
不意に、眼前に置かれた魔導属性判別のための水晶玉から複数の光が漏れ出してきた。
「はーい、測定が終わりました。えーと、どれどれ――アルクス君の魔導属性は火と風と水の三種類ですね。上位属性はないですけど、わっ! 凄い、平均の三倍くらいの魔力総量ですね。あとは――っ!!?」
「アルトちゃん? 何かあったの?」
「っ!? い、いえ! 何でもないです! と、とにかく問題はありませんのでこれで測定は終了になります。お疲れ様でした――って、アルクス君? どうかしました?」
何やら頭上から声が聞こえるが、それが俺を呼ぶ声だということを、俺は認識できなかった。
別に意図して無視したわけでは決してないし、そんなことをするつもりも毛頭ありはしなかったが、結果的にそうなってしまったのだからそれは俺の落ち度で、もしそれを責められたなら、謝るという選択肢しか選ぶことができないだろう。
だが、それでもなお、俺は目の前の光景から目を離せないでいた。
それは前の世界に存在していた光源では決して表せないであろう光。
魔導属性を測定する水晶玉の中には、揺らめきながら煌めく赤と緑と青の光が、舞い遊ぶようにゆらゆらと揺れているのだ。
――綺麗な光だと思った。
そして同時に、この光が俺の体の中にあるということを想像すると、なぜかそれだけで心が踊る気がした。
純粋にはしゃぎ回りたいという気持ちが心の中で芽生えるが、それ以上にもっとその光を見ていたいという衝動にも駆られる。
否、眺めていたいという衝動のほうが強かったのだろう。
だからこそ、俺はイリス母さんに体を揺さぶられるその瞬間まで、水晶玉の中の光達を眺め続けるのだった。
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