第16話 雨に濡れた告白
現実に引き戻されたようなアパートに戻ると、改めてその凄まじいボロさに苦笑する。
「これが僕の現実かー」
家に戻り、荷物とテーブルにラジオをことりと置いた。なんかラジオだけが高級で浮いて見える。
「ごめんな、こんなボロ屋で、お前もあの素敵な家にいたかっただろうに。でも、大事にするからね。君は僕の憧れの人からもらった大事な物なのだから」
そう言いながらラジオの頭を指でそっと触れた。
今日の夕方善くんの家に行く。
改めて鏡で見て、この格好少しこ綺麗すぎやしないだろうかと若干ためらいもした。
ビニール傘が似合わないけど、これしかないからその傘を差して、善くんにもらったメモを見ながら、駅から少し離れた密集した住宅街に行ったものの少しだけ迷ったようだ。
地図ももらっていたから近くのコンビニを頼りに進んでいく。
「ここ……?」
想像していたのとは違うアパートで僕が住んでいるところよりは少しはいい感じだったけれど、古さは否めない。
そこの二階の一番奥の部屋が善くんの住んでいるところらしい。
二階に上がり玄関の扉の前に立つと、僕は深呼吸をした。昔ながらの古びたベルを鳴らす。
中からすぐに善くんが出てきた。
「おー、今仕事から帰ってきたところ! いいタイミングだよ」
いつもの大きな体と目のくりっとした愛嬌のある顔が飛び込んでくる。
通された部屋は隅が若干乱れている。強引に荷物をそこへ押し込んだ感じだった。
ふとテーブルの上に競馬やパチスロの雑誌が目に入る。
僕の目線に善くんは慌ててそれらの雑誌を抱えて、隣の部屋に放り込んだ。奥の部屋はきっともっと凄い事になっているのだろうと思った。
「ま、これでも食べて」
ざっくばらんにキッチンにあるポテトチップと冷蔵庫から麦茶を出してきて、少しだけ薄汚れたコーヒーカップに注いで飲めといわんばかりに差し出した。
「なんかお前、いつもと格好違わなくね? 結構ばっちり決まってるじゃん」
「え、ほんと? 似合うかな?」
「お前借金あるって言ってる割にそれいい服じゃね? 借金もたいした額じゃないんだろ?」
そういいながら頭の先からつま先までものめずらしい物でも見るように善くんは眺めていた。
「そんなことないんだけどね」
僕は苦笑した。
しばらく何気ない会話が続く。けれど生活臭漂う、お世辞にも綺麗とは言えない部屋に、今着てる服は似合わないなぁと流石に思う。
ふっと隆二さんの顔が浮かんだ。頑張らなきゃと思う。
「あのっ、善くん、僕ねあれ以来ちゃんとはっきりさせなきゃと思ってたことがあったんだ」
麦茶を飲みながら膳くんは待ってたように顔を上げる。
「うん、俺もはっきりさせたかったよ、なんか噂がさー酷かったし、俺もうっかりしてお前の本音聞く前にお前のこと突き放しちゃったからさ、おかげで損しちゃって」
「損?」
僕がなんの事だろうかと不思議に思うと、善くんは慌てて口塞いだ。
「ああ、いや、なんでもないっ。でさ、実際どうだったわけ?」
改めて聞かれるとちょっと困惑する。それになんだかあんまりムードも何もない感じだなぁ。
ああ、僕、贅沢になってる。
少し躊躇いつつも、もう覚悟を決めてきたのだからと腹に力を入れる。
「うん、改めて言おうと思うよ。僕ね、善くんのこと好きだったんだ……」
心臓が飛び出してしまうんじゃないだろうかと言う程の心臓の激しい鼓動。
高校時代からはぐくんできた想い。
僕は俯き加減になった、僕にとってはかなりの勇気なんだ。
「そうか、やっぱりな。そうじゃないかと思ってたよ」
善くんは熱い視線を僕に流す。過去の記憶の苦しみが嘘のように晴れ渡る。
「善くん」
「ありがとう、俺の事愛してくれてるんだよな?」
「うん」
もう隠す必要なんてない。僕の正直な気持ちだ。
「お前やっぱりホモだったんだな?」
善くんは殊更瞳を大きく見開き、僕にその事をはっきり言わせたいように念を押す。
「うん……」
隠していても仕方ない。僕は善くんが好きだったんだ。それは間違いない事だ。隆二さんに気持を大事にしろって言われた。だから僕は素直になるよ。隆二さん。
「わかった。世の中には色々な恋愛があるんだもんな、俺東京に出てきてつくづくそう思ったよ。田舎は小さいもんな」
数秒の沈黙なのに、僕にはそれが永遠と続くのではないかと思うほど長く感じた。
「いいよ、付き合おう!」
善くんはからりとした調子で、ポテトチップの袋を片目を閉じ開いた方の目で眺めながら言った。
今まで長かった想いを空にポーンと投げるように言う。僕も一緒に空に浮かんだくらいの高揚感に満たされた。
「ほ、本当に?」
僕は信じられない気持で改めて善くんの方を向くと、彼はやさしい眼差しをしていた。
「俺、男と付き合うの初めてだからさ、その、色々教えてくれよな」
僕もよくわからないんだけど……。
「そうだ、実はさ、お前がそう言うんじゃないかって思ってさ」
なんだかもったいぶった様子で、善くんは背後に何かを隠し持っていた。
「何?」
「ジャーーン!」
僕の鼻先に突きつけてきたのは新築の賃貸マンションのパンフレットだった。
「サプライズ! こんなぼろいアパートじゃあれだろ? その、これからの俺達の家っていうか」
「えっ……!」
彼の言葉に僕は信じられない気持で一杯になった。
善くんが、あの善くんがそんな風に僕の事思ってくれてたんだ。
「でもちょっとね、それには一つ問題があって」
少しだけ彼は口を尖らせた。
「俺、実は実家の親とちょっと今疎遠でさ、守に悪いとは思うのだけど、賃貸の連帯責任というか保証人になって欲しいんだ」
「えっ……」
ちょっと戸惑うけど、そういえば当時から善くんの家族は彼に冷たいなとは思っていた。
お昼ご飯代も三百円しか貰ってないって聞いてたし。
それをきっかけに僕はお弁当を作ろうと思ったんだっけ。
「俺もずっと守の事好きだったんだ。ほんと茶化してごめん。守には辛い思い沢山させてしまった」
まるであの時の事が嘘みたいに、善くんはその大きな腕を広げて僕を抱きしめた。
「善くん……」
君の想いが可哀想だ。その想いを大事にして欲しい……。
隆二さんの言葉が頭を掠めた。
ありがとう隆二さん、僕、やっと幸せになれそうです。
目を伏せて彼が誰もいないデパートの屋上で抱きしめてくれた時の事を思い出した。
あの時の隆二さんの目を細め、切なそうな面持ちと共にそれは少し前の事なのに、酷く僕の胸の奥に刻み込まれていた。
今僕は大好きだった善くんに体を包み込むように抱きしめられていた。
本当なら叫びだしたいくらい僕は嬉しくてたまらないはずなのに。どうしてかふいに不安が心を過ぎる。
そして何故か隆二さんの胸の中を思い出す。
言葉にならない疼きが僕の体を支配している。
今善くんに、あんなに大好きだった善くんに包まれているというのに。
「いいかなぁ? 連帯保証人」
僕の回顧は善くんののん気そうな軽い声にかき消される。
「もちろん、構わないよ、だってそのっ、一緒に住むんでしょ?」
言ってる先からなんだかこれが現実なのか夢なのかわからなくなってくる。
そして上手くいえないけれど、なにか胸のどこかになにかがつっかかってくる変な胸騒ぎがして、違和感が過ぎった。
でもそれは気のせいだ。
隆二さんが大事にしろって言ってくれた僕の想いに違和感なんてないんだ。
「ああ、新しいものとか揃えなきゃな、食器とかー家具とかっ」
そういいながら善くんはマンションのパンフレットを広げて僕に目配せする。
凄く素敵なマンションで、気を取り直した僕は先ほどの違和感を吹き飛ばして笑顔になった。
「悪いね」
善くんは書類を出してきた。不思議な書類で住所と名前を書く欄以外は白い紙で覆われている。
でもそれは書きやすいようにしてくれてるんだと思った。
僕は忘れ物をデパートかなんかでした時に、忘れ物をした人の名前を書く欄が丁度こんな感じになっているのを思い出した。
自分の名前と今の住所を記入して、言われた通り持ってきたハンコを押す。
「それじゃ、明日な」
「うん」
これからどんな日々が待ってるのかな? そう思うと少しだけ心が穏やかになる。
僕は僕を今まで応援してくれていた隆二さんにいい報告ができると思って心がウキウキしていた。
でもそれと同時に本当ならこんなに嬉しいことないのに、どこか胸を締め付けられるような淋しさも感じてる。
僕はその日は帰ることにした。善くんが夜にバイトが入ってるらしくて、細かいことはまた日を改めてということになったからだ。
「あ、しまった」
外に出てしばらく歩いていたら、またさらさらと小雨が降っている。そこで傘を忘れている事に気づいた。
僕は踵を返し、善くんのアパートに戻る。そして二階の彼の部屋に戻った。
善くんの部屋の傍までくると、何故か大勢の人数の笑い声が聞こえる。
玄関の傍のキッチンの小窓が少し空いていて、声はそこから漏れていた。
「ほらお前ら、俺が一人勝ちじゃねぇかよ。さっさと金よこせよ!」
「っくしょー仕方ねぇな、二度目の賭けだからなー。たかだか一人三千円じゃねぇかよ」
善くんの家には人が沢山いる気配がする。
「うるせぇよ、それでも賭けは俺の勝ちだ、さっさとよこせって!」
どこかで聞いたことのある声に僕は記憶の糸を辿った。
そうだ、この乱暴な話し方、この間撮影所の控え室で会った元同級生達の声だ。
「しかし、善之助、お前も春原と同じに役者の道に進んだらどうだ? かなりいい感じだったぜ?」
「そっか? でも守の奴やっぱホモだっただろ?」
「お前さーあいつの気持ち利用して小遣いいっつも俺達の賭け事に使ったり、駅前のゲーセン行って使い果たしてたよなぁ」
「ただで弁当食えるんだ。それくらいなんてことねぇよ」
みんなでお菓子を食べているのか、時折バリバリと何かをかじる音と袋ががさがさする音が聞こえる。
「で、どうすんのお前、あいつと同棲すんの?!」
「春原の奴、結構あれで可愛い顔してるんだよな」
ケラケラと笑い声が聞こえる。
「まさか。でもなぁ。料理の腕もいいし、家政婦には最高なんだよな。そうだなぁ、俺は胸がでっかいおねえちゃんが好きなんだけど、あいつ結構体も綺麗なんだぜ? なんであいつ男なんだろうなぁ。女だったらなー付き合ってやるんだけどなー。でもまぁ、あいつがどうしてもっておねだりするなら一回くらいは抱いてやってもいいかな、なんてなー!」
信じられないくらいテンションの高い善くんや他の連中のせせら笑う声が聞こえた。
一度くらいなら、抱いてやってもいい?
「よっ、このモテ男、両刀使い!」
「しゃー! この金でぱあっとお姉ちゃんと戯れに行くかー」
僕はアパートの薄いキッチンの窓から丸聞こえな賑やかな会話をしっかりと耳にして、そのまま無言で引き返した。
アパートの階段を降りる足音を極力立てないようにして、出る。
小ぶりだった雨が次第に本降りになってくる。
あーあ。隆二さんが選んでくれた服、濡れちゃってる。
でもいっか。
世界中どこを探したってこんな間抜けな奴はいないと思う。
高校生の頃からだからざっと6年くらいにはなるのかな、ひたすら彼を想い幸せに浸っていた一方的な想い。
そんな物が酷く滑稽に思えた。
なんてくだらない青春時代を過ごしてしまったのだろうか。
そしてこうも騙されるのなら最初の振られたままで終えてた方がマシだったかなとさえ考えていた。
なんだこれ? こういうのなんて言うんだっけ? 泣きっ面に蜂?
やっぱり僕はとてつもなく自分は馬鹿だと思った。
馬鹿にはこの雨水は心にうっかり再燃させちゃった火を消すのに丁度いい。
いっそのこともっと降ればいいのにな。なんて思う。
ざっぷり降って僕なんかどこかに流されちゃえばいい。
僕は黙ったまま歩いていた。どこをどう歩いたのか分からず彷徨った。
けれど、とうとう橋のところでそのままそこで動けなくなって立ち止まる。
折角の綺麗な服に雨粒が容赦なく叩きつけてくる。
僕は今例えようもなく惨めな気持ちになった。
でもそれは善くんが僕が同性愛者だということを賭けにしてたり。騙して利用していたという行為からではなかった。
この踏みにじられた耐え難い苦痛の正体がわからない。
本当ならこんな酷い失恋の仕方、叫びだしたいくらい悲しいはずなのに。
思っていた以上に善くんに裏切られていた事そのものに傷ついていない自分に驚いた。
僕は悲しみの正体すら迷子になってしまったのか。
隆二さんの家に向かおうして、ふと足を止めた。
ああ、そうだ。もう恋人ごっこも終わったんだった。
僕は今までシンデレラみたいに魔法掛けられて、それが一気に溶けるような瞬間の気分になる。
これが現実なんだ……。と。
今までの事は全て夢で、僕の城は、あの古ぼけた僕の人生を現した惨めなボロアパート。
僕の現実に帰る。
久しぶりに帰った部屋を見て、そのあまりのみすぼらしさに改めて濡れた雑巾みたいな気持になった。
体をタオルで拭いたきり、着替える気にもなれなくて、僕はふと目の前にあるラジオを見た。
そうか、今日はまた午前0時に彼が生放送のラジオをやる日だ。
僕はぼんやりしたままタオルをテーブルに置くと、僕を待っていたかのように行儀よくしてくれてたラジオのスイッチを入れた。
午前0時になったと同時に、また隆二さんの軽快でいて温かな声が響く。
いつものように相手のパーソナリティの彼女と軽快なトークに花が咲く。
隆二さんは来年に新しいドラマをやるそうだ。増々僕から遠い存在になっていくような気がした。
でも、やっぱり僕はこの声に癒されるなぁと思う。
例えどんなに遠くに行ってしまっても、このラジオは聴き続けたいなと思う。
僕は今なんだか自分が抜け殻になったみたいに呆けてる。
唯一僕を包んでくれているのはラジオから聞こえてくる永遠の憧れの存在の人。
僕はうす暗がりの中でそれを微笑みながら聴いていた。
『さて、今日も恋愛のお便り。東京都〇〇区のR.Tさんから同じく東京都〇〇区のM.Hさんへ。今日はこの手紙でお別れです』
あ、僕の住んでいる所と同じだ……。
ラジオの最後で隆二さんがその便りをここちいい波長の低音で読み始めた。
『プリンが大好きな親愛なるM.Hさん、今君は最高に幸せな時間を過ごしていると思っています』
プリンが好きなんだ。まるで僕みたいな人だ。M.Hなんて僕と同じイニシャル……。
ラジオから出ている微かな光が僕の顔を照らしている。
『この間のTデパートのレストランで真新しい服を着ながら、プリンパフェを食べている君の顔が忘れられないです。
あの時に僕は君の笑顔を心に刻み込みました。そして嬉しくもあり、淋しくもある。
でも、君の恋愛の成就に僕からお祝いのピアノでも弾いてあげたい気分です。
届くはずの無いメッセージだけど、僕の今までひたかくしにしていた言葉を君に送ります。
僕はずっと仕事を通して、君の傍であなたの恋愛を応援してきました。
初めて見たときから、君のその綺麗な顔と美しい体のライン、ひとめぼれでした。
君は自分を田舎者だと笑うけど、とんでもない。いや、見てくれじゃなだけじゃないよ。
今まで僕は投げやりな人生を送ってきたから、恋愛なんてくだらないと思っていたから、君のその素朴で一途な気持に驚きました』
僕はあまりにも身に覚えのあるシーンに耳を疑った。
思わずラジオを握り締め、ボリューム音を上げた。
『そこには相手を人形のようにはべらせて自慢したり、物をねだりたいなどという自分の欲など微塵もなく、尽くしてもらう事なども考えもしていない。相手に尽くすだけの愛がありました。
そして、こんな僕があなたを好きだというのはおこがましいとすら思い始めてしまいました。
完全に僕の一方的な片想いでした。
そして素朴なその優しさに君が思う彼への想いに、いつしか応援したいという気持が溢れてきました。
ずるいかもしれませんね。あなたに恋人ごっこなんてもちかけて、本当は自分の傍に置いて、恋愛相談する振りをして、君を傍で見守りたかっただけなんです。
あわよくば……なんてずるい下心を持ちながら。
そして、君は彼との脈がありそうだと嬉しそうな顔をするものだから、僕は何も言えなくなりました。
本当はとても淋しいけれど、今夜は君が想い人と両想いになった日だと信じています。
僕は君のその一途な想いが誰よりも好きです。
たとえ僕の恋が実らなくても、僕は君から一途な愛を教わりました。
ありがとう。あなたの幸せを誰よりも一番に考えています。
今夜はあなたの大好きな特大のプリンで一人でこっそりとお祝いしたいです』
「う、そだ……よね?」
ラジオを聴きながらこんなにわかりやすいエピソードを言われて、僕は固まったまま動けなくなった。
これは隆二さんから僕へのメッセージだという事を嫌でもわかってしまった。
手紙の送り主はR.T 隆二 滝川。
そして相手は僕、M.H 守 春原。
初めて会ったときの冷淡な表情。
僕と共演するってわかった時の少しだけ興味を示してくれた顔。
僕が好きなプリンをちゃっかり監督から聞き出してスペシャルプリンをくれたこと。
ピアノの演奏をしている時の抑揚のあるリズムとメロディ。
僕がとんでもなく早漏なのを見抜かれてしまって、うっかりキスまでしちゃった事。
善くんの話を嬉しそうにしてしまった僕へ、少し淋しそうにでも祝福するように微笑んでくれたこと。
そして、そして、屋上で二人きりで、星空の中でのどこか秘めた情熱的なキス。
僕は思わずラジオを抱きしめると体を震わせた。
ごっこじゃないと思っていた恋はごっこだったけれど、ごっこだと思い込んでいた物が本当の恋だったなんて。
その時僕は弾けるように、善くんに裏切られた悲しみの正体がわかった。
_君のその想いが可哀想だ。君のその想いを大事にして欲しいな。_
やさしい眼差しでそう言ってくれた隆二さんの、僕の想いを胸に包んでくれた思いやりの気持を、まるで土のついた靴で冷笑されながら善くんに踏みにじられた気がして。
隆二さんだけが大事にしてくれた僕の想い。
彼だけが馬鹿にせず、真っ直ぐ向き合って神聖な物みたいに大事にしてくれた僕の想い。
隆二さんの大切にしてくれた物を、まるでゲームみたいに弄遊ばれていた事が、僕を死にたいくらい切なくて苦しい気持にさせていたものの正体だった。
そのことが叫びだしたいほど辛くて悲しかったんだ。
それの正体に気づいた時、とめどなく涙が溢れて、僕はラジオを抱えたまま大声で泣いた。
僕はもう体中の水分が抜け落ちてしまうんじゃないかと思うくらいに。
あなたがあまりにも自己主張しなかったから、わからなかった。
そして鈍感すぎる僕に対しても腹が立った。情けないくらいに。
泣きはらした後から、今度は体中が今まで感じた事の無い熱さで苦しくなった。
善くんのそれとは比べようも無いほどにそれは大きくて苦しい。
温かくてほんわかした物なんかじゃない。
太陽の灼熱みたいに内側から熱があふれ出しそうで、体中がバターみたいに溶けてなくなってどうにかなってしまいそう。
隆二さん、僕はあなたに会いたくて、壊れてしまいそう。
今まで僕にしてくれていた彼の行動の一つ一つが、バラバラになっていたパズルがまるでしっかりとその一枚の姿を現すようにはまっていく。
彼は僕の嫌がることをしなかった。与え続けてくれた。僕の好きなようにさせてくれた。
それなのに、僕は……。
確信めいた気持を再確認しなくてはいけないと思った。
これが本当の愛なんだろうか。今までの愛だと思っていたものは何だったのだろうか。
はちみつみたいに蕩けて変になりそうなほど狂いそうなほど僕はあなたに会いたい。
弾かれたようにアパートの玄関から外に出て、そのまま駆け出していた。
でも、走り出して少ししてから、ためらい、足を止めた。
散々僕は善くんの事が好きだと隆二さんに相談してた。
それが、今になってあなたが好きですなんて調子がよすぎないだろうか。
尻軽な奴だと思われてしまう。
僕は自分のしてきた愚かな行いに、心の中でお姉ちゃんから教わっていた合気道の技で自分を何度も投げ飛ばしながら涙が溢れた。
コンクリートの壁に背中をもたれ、虚空を見上げる。
顔に雨粒が僕を責めるようにあたっていた。
真っ暗な道で街灯の光があたりを照らしている、そこに雨粒がさらさらと降り注いでいる様子が見えた。
どんな顔をして彼に会えばいいのだろう。
このことをなんて伝えたらいいのだろう。
苦しいよ、隆二さん、苦しい……。
それでも僕は背中で壁を蹴って、ふらついた足は何かに取り付かれたように隆二さんのマンションに向かってしまう。
あなたに会いたい……。
ただそれだけだった。
隆二さんのマンションにつくとエントランスライトは眩しいくらいに建物を浮き立たせていて、こんな濡れネズミみたいな僕にはふさわしくないと思った。誰もいないのが幸いした。
エレベーターで上階へ上がり、彼の家の玄関前までたどり着く。
吐く息が白かった。
当然、家に灯りはなく、誰もいない様子だった。
僕は玄関のドアに寄りかかり、そのままそこへへたり込んだ。
会いたい、会いたいよ……。
あなたに会えるのだったら僕はもう何時間でも待っていられる。
どれくらいの時間が過ぎっただろう。でも少しも苦痛でなかった。
「守……くん?」
トレンチコートを身に纏った隆二さんが、驚いた顔で僕を見下ろしていた。
手にはお菓子の箱を抱えていた。そのお菓子の中身は見なくてもわかる。
だって僕に最初にプリンをくれた時の箱と同じだから。
「隆二さん……」
隆二さんは僕だとわかると持っていた荷物を即座に床に置き、そのまま傍に駆け寄る。
「体が冷たい。いつからここにいたんだ」
僕は薄く笑った。それが僕の精一杯の笑顔だった。
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