第14話 けじめ
「俺に幾らか貸してくれたらさ、何倍にもして返してやるから」
少しずる賢そうな顔で僕に目配せする姿はなんだか大阪商人みたいだった。
「えっ、でも、僕その元ですらない」
僕が戸惑っていると、善くんは含みをもたせたような顔をして自信たっぷりに微笑んだ。
「じゃ、今度給料が入ったら、少し貸せよ」
「あ、う、うん」
撮影ももう半分以上日程が過ぎていた。二ヶ月でなんとかなりそうだということだ。
その、僕と隆二さんのシーンを除いては、すべてが順調だった。
シーンは瑠璃さんと僕がケンカや互いにすれ違うシーンが増えてくる。
「守ー聞いたよ~隆二さんと同棲なんてやるじゃん」
茶目っ気を出しながら、瑠璃さんは好奇心でキラキラした目で僕を見つめる。
彼女もとい、彼の誘導で僕の演技はもっているようなものだ。本当に感謝している。でもそれとこれとは別。
「違いますよ、同棲じゃないです。指導でお世話になってるだけです」
僕が少し口を尖らせてなんとなく居心地悪そうに言うと、瑠璃さんはまたまたーと肘で僕のわき腹をつついてくる。
「どんな指導なのさーー」
全くー。可愛いからって何言っても許されると思ってー。でも相手が瑠璃さんだとなんだか許せてしまう。
千夏さんがくれたお茶を飲み、瑠璃さんはにっこりそれを受け取っている。
「はぁ」
僕はため息が漏れた。
「どうしたの? 守さん」
「ううん、なんでもないです」
何倍にもして返すって、善くん、そんなアテあるのかな?
でも実際僕も突然現れた取立て屋の出現に、動揺を隠せなかった。
一体どうやってこの場所を知ったのだろうか、教えた覚えはないし、僕についてきたのだろうか?
僕は隆二さんのマンションにお世話になってる。
彼がどんどん僕に新しい下着とか服を貸してくれているから、僕は家に帰る理由をなくしていた。
僕は隆二さんに指摘された通り、善くんが好きだったと思う。
隆二さんがそう思うのならそれは間違いようのない事で。僕もいい加減抗ってはいけないと思った。
明日二回目の報酬が出る日だから、彼に幾らか託してみよう。
取り立ての人からスタジオの電話に「明日報酬が入るらしいな、明日くる」って掛かってきた。
どこから僕のお金の流れを察知してるんだあの人。
善くんも報酬が出れば、後でお金返してくれるだろうし……。返してくれるのかな?
翌日僕は銀行で報酬が入っているのを確認してから、幾らかをお弁当と共に善くんに渡した。
善くんはやっぱり今日もちゃっかり僕の控え室でくつろいでいる。僕一人の控え室じゃないんだけどな。
「おお、守、サンキューって一万?! ちょっと少なくない? 守ーせめて五万くらい渡せよ」
「善くん、この間の六千円……」
僕が控えめに恐る恐る尋ねると、善くんが軽く睨みつけてきた。
「んだよ、それっぽっち。俺がこれを何倍にして返してやるって、だから後で五万貸して!」
「え、えっ、ほ、本当倍になるの?」
「当たり前だろ、ガーンと増やしてやるよ」
半ば強引に三万円取られた。善くんがいる二階の会議室から僕はいま一つ納得いかないまま出ると、誰かに声を掛けられた。
「……春原?」
振り返って僕は驚いた。一瞬で当時の記憶が蘇る。
そこには数人、僕の高校時代の友人がいた。正確に言うと元クラスメイトだ。
「……みんな。ど、どうして?」
「よぉ! 待ってたぜ」
僕の背後から善くんが笑顔を覗かせる。
っていうか僕の控え室を待ち合わせ場所にしないで欲しいんだけど。
「お前の言うとおりだな、本当だ。春原がここにいるなんてさ」
なんだかそこにいる高校時代の友人達の格好が妙に垢抜けすぎていて、僕は嫌な感じがした。
善くん、こんな連中と仲いいんだ。
高校時代からなんとなくニガテだったけど、更にそれは僕の胸に沈み込んでくる。
僕が彼らの前を軽く会釈して通り過ぎようとしたけれど、その一人が僕の肩に腕を回した。
「まぁまぁ、そっけなくしないでよ、久しぶりのクラスメイトとの再会じゃん」
「やめなって、守怯えてるじゃん」
善くんが何がおかしいのか笑っている。
なんだか高校生の時の彼らよりも色濃く態度の悪さを感じる。
「そうだなー今日はあの強気なおねえちゃんがいないもんなー」
まるで僕が一人では何も出来ないかのように、彼らはせせら笑った。
僕は彼らに再び無言で会釈するとその場を去った。
彼らまでもしかしてバイトで撮影に関わっているのでは? と一瞬不安になったが、撮影所には善くん以外は誰も来なかった。
その代わりに、帰りに控え室で取り立て屋が待っていた。
「おう、借金返しな」
「わかりましたよ」
別の封筒に入れていたなけなしの10万円を渡す。
家賃引いて電気ガスなどの光熱費を引いたら、貯金が僅かで切なくなる。
「シケた金額だな、おいっ」
仏頂面をした取り立ての男が面白くなさそうな顔をした。
「仕方ないじゃないですか、僕にも生活の為に取っておかないといけないお金があるんですっ」
僕の言葉が気に入らなかったのか取り立て屋はまた顔に縦線を入れて青筋を立てながら顔を近づけてきた。
「生意気な事を言うなよ。自分の置かれてる立場がよく理解できてないようだな。いいか、とにかくさっさと返さないとマジでお前店に突っ込むからな」
夜、僕はため息混じりにくたびれたスニーカーを引きずりながら、隆二さんにもらっていた合鍵で彼の家に戻った。
正直あの今にも崩れ落ちそうなアパートに比べると、物凄い安心感がある場所だ。取り立て屋もここまでは追ってはこないし。
僕には一生働いても叶いそうにないマンション……。
借金の事が改めて僕の気持を重くさせていた。
僕のせいじゃないのに。あのエセ社長どこに雲隠れしたんだろうか。
あーあ。本当に信じられない。
隆二さんの部屋に入り、灯りを付けると、リビングのテーブルに一台の小さなラジオと時間が書いてあった。
なんだろうとそのメモを拾い上げ読む。
達筆な字でそれは書かれてある。
_守くん、連日忙しくてなかなか撮影の時以外会えなくてごめん。お詫びにこのラジオプレゼントする。僕は毎週金曜の深夜にラジオをやっているんだ。30分番組なんだけどね、FM東都ラジオの深夜0時から30分、もしよかったら聴いてくれたら嬉しいな_
そこには周波数もちゃんと書かれていた。
僕はなんとなくソワソワしつつも、夕飯を作り、シャワーを浴びた。浴びてる間も不思議なドキドキ感、ふわふわ感が止らない。
シャワーから出ると、急いで夕食を食べた。そしてラジオの時間になるまで、ぼんやりと待っていた。
始まるまで、僕は早めにラジオをつけて待っている。
合わせようとしていた周波数は、隆二さんがちゃんと合わせておいてくれていた。こういう気配りが行き届いている人なんだよなぁ。
深夜0時丁度になると、お洒落な音楽が流れてきた。そしてラジオを通して聴き覚えのある声が響いてくる。
『こんばんは、滝川隆二です。今夜も素敵な楽曲と共にあなたに安らぎの週末をお届けします』
彼の声を聴いた途端、胸が高鳴る。穏やかでいて抑揚のある楽器を奏でるように、ラジオを通しても彼の声は僕を包み込むように心に染み込んでくる。
隆二さん、姿が見えないのに声を聴いただけで僕の目の前にいるみたいだ。
『こんばんは、お相手役の相坂南です!』
可愛らしい女性の声が聴こえた。ラジオ進行のパートナーみたいだった。
『今夜も沢山、リクエストやクエスチョン、などなど沢山きてますよ、隆二さん』
『その前に今夜の一曲目……』
僕は窓辺から遠方の街の灯りが見えるソファにもたれて、ぼんやりと曲や彼らの楽しげに笑う会話とBGMにしばらく耳を傾けていた。
『さて、隆二さん、今夜も恋の悩みメールがきています。神奈川県のM.Kさんから、「初めまして、隆二さん、南さん、私は今片想いをしています。でも彼は他の誰かを好きみたいで、私の事はただの友達としか思ってないみたい。彼に彼女の話を聞かされるんです。どうしたらいいでしょうか?」という相談』
『あるよね、うん。そういう時は自分の想いも大事だけど、相手の気持をまずよく聞いてあげて、辛いかもしれないけど今は相手の恋の応援をしてあげることが一番大事かもしれないね』
『でも彼女も彼が好きなんですよね?』
『うん。けれどね今それを伝えても効果ないと思うんだ。だって彼は別の女性が好きなわけじゃない? 恐らく告白は引かれてしまうだけでそのままフェイドアウトなんてことも』
『難しいですね』
『相手の気持を一番大事にしてあげて欲しいな。もし彼が本当にM.Kさんの運命の人なら、きっと時が熟せば縁ができると思う』
『今が耐え時ですね、頑張って!』
放送の最後に毎回隆二さんがリスナーが送ってくる両想いや片想いの恋人達の手紙を読むようだ。
『今日は千葉県のT.Lさんから東京のM.Yさんへのメール。いつもいつも僕の傍にいてくれてありがとう。当たり前だと思っていた君の僕への優しさを、今日は改めて実感しました。そしてそれを失うのが怖くなりました。もう僕は二度と君を離したくない。僕は一番伝えたい事を明日伝えようと思います』
毛布に包んだような甘く切ない声に、胸が温かくなりながらも僕は自然と眠りについていた。
朝、目覚めると、コーヒーとトーストの焦げたいい匂いが辺りを漂っている。
頬に誰かの手が触れているような気がする。温かくて大きな手が僕の頭をやさしく撫でた。
僕はなんだかくすぐったいようなここちいいような変な気分になった。
僕が目を開けると、その手はすっと引く。
隆二さんの顔がそこにあり、さっきから僕の様子を伺っていたようだ。
「……隆二さ……ん?」
僕は少しだけ眠い目を擦り、慌てて起き上がった。
「おはよう」
「おはようございます」
当たり前だけどラジオと同じ声の人が今目の前にいる。
「よかった、今朝もいてくれて」
僕がここにいることを何故か隆二さんは殊更喜んでくれている。
「僕、ここにいていいんでしょうか?」
僕が不安げに彼を見上げると、彼は何故? という顔をする。
「もちろんいて、いいに決まってる」
僕はまだ半分眠りの中にいるようで、これは夢なのか現実なのか混乱してしまっていた。
「ラジオ聴いてくれたんだ」
付けっぱなしでうっかり寝てしまったことを思い出したけれど、帰ってきた隆二さんが消してくれたようだ。
ラジオはテーブルの上で行儀よく静かにしていた。
「彼に、自分の気持を伝えた?」
隆二さんは薄く微笑んで僕を見下ろす。
「いいえ、まだ……」
「僕はその、彼はストレートだと思っていたんだけど、君に少なからずとも好意は持ってるみたいだね?」
「えっ」
あ、そうか、そういえば、隆二さん僕が善くんに抱きつかれてるところ見ちゃったんだっけ?
僕は焦ってしまった。普段から彼はああだから、忘れかけてたけど。
「あ、あれは、そのっ、彼流のスキンシップで、時々ああいうことするんです」
「善之助という奴は、ふざけて君に抱きついたりするんだ」
「ええ、まぁ、彼は昔からそうなんです。僕に抱きつく癖」
隆二さんはそれを聞いていかにも不快そうな顔をした。
「嫌な癖だな」
「悪気はないと思うんですけどね」
ああ、いつまでも僕はだらだらして良くないな。
隆二さんにまで心配かけて。
「ごめんなさい、心配かけちゃって、僕がいつまでもウジウジしてるから、僕ちゃんと自分の気持ち言わなきゃダメですよね」
「いや、強制するつもりはないんだ。君のタイミングでいいと思うんだ。それより、朝ご飯にしないか? トースト焼いたんだ、目玉焼きも、よかったら」
「本当ですか?!」
僕は隆二さんの作ってくれた朝ごはんと思うと少しときめいてしまった。
嬉しい気持ちで洗面所で顔を洗わせてもらうと、ふと洗面台の上の二つのコップを見る。
お揃いのカップにお揃いの歯ブラシ。まるで僕らは付き合ってるみたいだった。
もし善くんが隆二さんだったら……なんて気持が頭を掠めた。
なんとなく想像したら胸が熱くなった。
けれど、隆二さんみたいな人が僕を本気でなんて自分は相当に奢っていると思う。
彼とはドラマの撮影が終わったら、解散になるに決まってるじゃないか。
でもその間だけでも恋人気分でいるのも悪くない。
あれ……?
僕はいつしか気持ちが揺れているような気がした。
それはまるで自分がヒロインにでもなったような錯覚。
僕はなんだか自分が凄く変な気がして、こんな夢みたいなことも悪くないななんて思えてきた。
撮影終了まであと2週間。短い夢だけど。
テーブルについて、二人で朝の食事をする。
僕は先ほどの自分のヒロイン酔いを思い出してくすっと笑った。
「どうしたの?」
「なんだかさっき洗面台を見てたら、僕らが付き合ってるみたいって思ってしまって」
「えっ」
隆二さんは持っていたコーヒー入りのマグカップを口元まで持っていったままで固まって驚いている。
そりゃそうだよね。
「いえ、そういう錯覚というか、なんだかおかしくなってしまって、隆二さんは僕を指導してくれてるだけなのに……」
隆二さんは微笑して軽くため息をつく。そのまま目を伏せコーヒーを口にした。
僕も彼のノリに付き合おうと微笑んだ。
「恋人を演じてるならこれが当たり前の生活なんですよね」
ふふ、わかってますよ。という気持を視線で送る。
こうやって演技指導しながら僕をラストシーンまで引っ張ってくれるんだろうな、と思うとやっぱり隆二さんは頼もしい。
隆二さんからバターの入れ物を貰いパンに塗った。コーヒーをコップに注ぐと僕に渡してくれる。
僕らはコーヒーを一口飲むと、ふぅっとため息を漏らす。
前にも似たような場面があった事を思い出した。あの時はお味噌汁だったっけ。
「僕、近いうちにちゃんと彼に気持ち伝えます。たとえダメだったとしてもどこかでけじめつけなきゃ。ちゃんと向き合えば彼も僕の気持ちくらいは聞いてくれると思うので」
僕の決意を隆二さんに告げる。頑張らなければ、隆二さんの大事に思ってくれた僕の想いを。
可哀想って言ってくれた僕の想いを。
「そうか……」
隆二さんはサラダを自分のお皿に盛ると、そのまま僕に視線を合わすことなく食事を続けた。
「話がある?」
僕は撮影所の僕の控え室で、いつものように待っていた善くんにお弁当を渡すと、頷いた。
「僕ね、けじめをつけなきゃいけないって思ってる事がずっとあって。だから善くんにどうしても聞いて欲しい話があるんだ」
ちゃんと話を聞いてもらえるか不安が過ぎったけど、もう後には引かない覚悟でぶつかっていく事にした。
「そっか、俺も実はあるんだ」
善くんはにっこりと何か含みのある顔で微笑んだ。
「えっ、何?」
想像もしてなかった返事に僕は一瞬どきりとした。
「俺もさ、ずっと高校時代から引っかかってることがあったんだ」
もしかして……。いや、僕は何を期待しているんだろう。
「お前の事だよ。お前の事はっきりさせたくて、ずっと俺も考えてた」
丸い瞳を潤ませて善くんは少しだけ微笑んだ。僕の心がドキンと跳ねる。まさかこんなセリフが返ってくるなんて、心構えがなかったからあからさまに動揺する。
「そうだなぁ、じゃあさ、この撮影もあと残すところ一週間くらいだろ? あ、俺のバイトも後一週間なんだよね。だからさ、最終日の一日前に、、俺の家に来ない?!」
どきり……。善くんの家?
「わかった」
廊下に出てスタジオまで行く間にガラス張りの喫煙室の前を通る。 目つきの悪そうな痩せぎすな男が中でタバコを吸っていた。
ちらりと見ただけなのだけど、着ている物がすごく小綺麗でいかにもお金持ちそうな雰囲気だ。
しかもどこか誰かに似ている気がした。
どこかの会社の重役の人なのかな。芸能関係の偉い人とか? と思ってしまった。
撮影ではとうとう瑠璃さんと別れるシーンだった。僕は無残にも彼に捨てられてしまうのだった。
でも原因は僕にもある。僕も実は兄の事が頭を過ぎっていたのだ。
「守、段々上手くなってきたね!」
「そうでしょうか。そうだとしたら瑠璃さん、あなたのおかげです」
僕が心からの感謝の気持を伝えると、慌てて両手を振って少し顔を赤らめながら瑠璃さんは驚いていた。
「いやいや、お、俺なんてそんな、守が頑張ったからだよ! それに隆二さんの指導が上手いから」
確かにそれもあるかも。隆二さんはこの一週間、時間がある時に夜遅いのに僕のドラマの稽古に付き合ってくれた。
「隆二さん、やさしいもんね!」
にっこり微笑む瑠璃さんに、僕はずっと隆二さんに対してもやもやしていたことを思い出す。
瑠璃さんは隆二さんの噂をどう思うのだろうか。
「瑠璃さん、隆二さんはそんなに男女見境なく遊ぶ人なんでしょうか?」
そう尋ねると瑠璃さんは目を丸くして、あははと笑う。
「ああ、彼誤解されやすいからねー。相手のプッシュが凄いからさーむしろ彼がというより、相手に半ば強引にって展開が多いんじゃない? まぁ俺もあんま詳しくは知らないんだけどさ、彼が主導で男女見境なくというよりは、向こうのほうから強行突破してくる感じ?」
「そうなんですか……」
僕は瑠璃さんの言葉に初めてほっとする。
「だってさーあの人イケメンだし、すっごくいい雰囲気でしょ、人への礼儀もちゃんとしてるし、やさしいし、しかも実家がお金持ち! みんなひと目ぼれしてアタックしちゃうんだよねー」
その時僕は隆二さんの家にあった、彼のお母さんの顔を思い出した。
「でも、隆二さん、お母さん亡くされてますよね?」
その話をすると瑠璃さんの顔が一瞬曇った。
「う、うーん。こんなこと話していいのかな」
少し躊躇しつつも、撮影の間ですっかり仲良しになり、フランクに話をする間柄になった僕に、瑠璃さんはそっと耳打ちをしてくれた。
「実はね、隆二さんここのところ兄弟と上手く行ってないみたい。というか昔からかな。実家の当主が今体調が悪いからね、遺産相続で揉めてるみたいなんだ」
僕はまるでその話が、小説に出てくる華麗なるなんとやらみたいで、ぽかんとしてしまった。
やっぱり隆二さんは僕にとってはとても遠い場所にいる人なんだなぁと思った。
「隆二さんは、正妻の子じゃないからね、当主の愛人の子なんだ。お母さんが亡くなってからは当主が引き取って徹底的に教育されたみたい。苦労が多かったんじゃないかなぁ」
感慨深く遠くを見るように頷きながら話す瑠璃さんを、僕は見つめてしまった。
「あんまり詳しくないって言ってませんでしたっけ? それにしては瑠璃さん、随分隆二さんのこと詳しいですよね」
僕の言葉に瑠璃さんは少し照れくさそうに顔を赤らめた。
「いやー彼との付き合い俺も長いからさ。まぁ俺よりも海倉監督情報がほとんどなんだけどね」
なるほど、出どころが海倉監督なんだ。なんかあの人なら吹聴してまわりそうだよなぁ。
僕は撮影後にいつもいきなりビールの缶を開ける海倉監督を思い出し苦笑いした。
隆二さんの家に戻ると、電話に留守録が入っていた。
基本的に留守電にしてあるから、電話には出なくていいよと言われていたので、僕はそのままにして、今日の夕飯の準備を始める。
今日は隆二さん帰りが遅いって聞いたけど、親子丼にしよう。ほうれん草の胡麻和えに、たまご豆腐! 食費を渡されていたので、帰りの買い物もウキウキ気分ですっかり買い込んでしまった。
材料を切り、出汁や調味料でコトコト下味を整えている時に、電話が鳴った。
電話は取らなくていいってことだったからそのまま放置していたら留守電に切り替わり、電話先から男の低い声が響いてきた。
『隆二、携帯の電源を切るのを止めろ。いつまで逃げ回ってるつもりだ? 手切れ金の振込先をさっさと教えろ。それで終わりにしろ。お前が遺産相続に乗っかりたい卑しい奴だということは知っているが、いい加減往生際が悪いぞ。親父が何を言ってるか知らないが、お前は所詮よそ者だ。そのことだけは心に刻み込んでおけ!』
キツイ口調で男は早口でまくしたてると、そのまま電話はブツリと切れてしまった。
僕は一体なんのことか分からず、ただ呆然とする。
胸が痛くなるような一方的で乱暴な電話だ。
電話を見ると留守録の数が4件くらい入っていて、少し怖いなと思った。
この分だと携帯の方にもかかってきてたんだろうな。
呼び方は名前を呼び捨てだったけど、どう考えても兄弟だよなと思う。
態度がまるで赤の他人みたいな口ぶりなのがなんだか悲しかった。
こんな酷い事を言う人と僕なら住みたくないな。
そっか、隆二さんのお母さん。僕は写真の飾ってあるリビングに出た。改めて写真を見た。
隆二さんはお母さん似なんだな。とっても綺麗な人。
深夜遅くに家に戻ってきた隆二さんは、電話機の留守電の点滅を見ると眉根に皺を寄せ、不機嫌な顔になった。やっぱり兄弟なのに相当嫌な相手のようだ。
「守、この留守電聞いたのか?」
僕に視線を合わせず、電話機を睨みつけながら言う隆二さんに僕は慌てて首を横に振った。
「いいえ、僕がこちらに帰ってきたら留守電が何件か入っていました!」
「そうか、ならいいんだ」
深くため息をつき電話機から顔を逸らすと、昼間と同じに、柔和な表情を見せる。
「すまないね、遅くなってしまって。晩御飯作ってくれたの?」
「ええ、まぁ、はい。明日の朝食べてもいいようにしておきました」
隆二さんはキッチンの様子をみて、僕が夕飯を作っていたのを察したらしい。
「ありがとう」
黒いスーツ姿でラメ模様の入った紺色のネクタイを緩めながら、隆二さんはふーっと息を吐くと、上着を脱ぎながらベッドルームに向かった。
僕は隆二さんがなんだか元気が無いのが気になる。きっと落ち込んでいるのはあの留守電のせいなんだ。
隆二さんはラフな部屋着に着替えリラックスした状態で、台本を片手に戻ってくる。
こんなに夜遅くなっても隆二さんは僕のドラマの稽古に付き合ってくれる。
「すみません疲れてるのに」
「いや、明日は大事なシーンだろう?」
そうなんだ。明日は僕が瑠璃さんに酷く振られてお酒を散々煽り、屋敷に戻ってきたところ、玄関先で心配そうに待っていた兄の隆二に酷く当たってしまうシーンだった。
「守くんは酷くお酒に酔ったことある?」
「あ、この間隆二さんと飲んだのが初めてかもしれません、普段そんなにお酒飲まないので」
途端に隆二さんは申し訳なさそうに苦笑いする。
「そうだったのか、ほんとに改めてごめん」
妙に素直に謝ってくれるものだから、僕はそういう意味じゃないと誤解を解こうとする。
「いえっ、むしろお酒に酔うとあんな風になるんだって、いい経験になりました!」
「それならいいのだけれど……」
台本のセリフは頭に入ってるけど、何度読み返しても胸が痛くなるシーンだ。
やっぱり、今日の隆二さんはどこか元気がよくない。いつもならもう少しはつらつと演技指導してくれるのだけど、やっぱり先ほどの留守電が気になるようだ。
だからちょっとやりづらい。けれど、そんな僕にお構いなしに、隆二さんはセリフを言い出した。
彼は台本を持ってきてはいるけれど、もうセリフは全部頭に入っていて、ほとんど開いたところを見たことが無い。
「守、遅かったね……」
雨が降る中傘も差さずに濡れたままの守、つまり僕の役の彼は、少しの酔いも手伝って、長い時間待っていたであろう兄の隆二を無視するように家に入る。
隆二は玄関先に用意してあったタオルを守に差し出すが、守はそれにも応じないで去ろうとした。
再びタオルを差し出そうとする隆二を守は軽く睨め付けると、その手を払いのける。
「あんたはいいよな、いつもそうやって穏やかに過ごせて」
自分の方が不幸だと言わんばかりの捨てセリフで、守は隆二を罵倒するとその場を去った。
いつも落ち着いていて、ピアノの好きな医者志望の順風満帆な日々を送っているお気楽者だと、隆二の事を守は思っている。
出張している両親からも一番期待されていて、将来も有望視されている。
だからこそ守の僻みにも似たドロドロとした感情がここで噴きだしてくる。
けれど、本当は隆二は誰よりも淋しがりで、彼自身愛情に飢えていた。
両親の期待は決して自分個人ではなく、家の発展のためだったし、何より幼い頃から大事に思っていたのは弟の守だった。
その守が両親から比較される事に、誰よりも胸を痛めていたのも隆二だ。
「僕はお前が思うほど穏やかな人生を送ってるわけじゃないよ」
やさしい物言いに守は苦々しい顔を向け、あからさまにイラつく。
「今日も楽しかっただろう、俺が瑠璃に振られてるところを見れて!」
隆二は心配のあまり守の跡をつけて様子を見ていたのだが、最悪な場面を目撃してしまい狼狽する。
「そんな、あれはたまたま鉢合わせて」
「ふん、どうだか。あんたはいつもどこかに隠れて俺が失敗するのを喜んで見てるじゃないか!」
そのまま一階の自室へ入ろうとすると、後から隆二が部屋に入ってくる。
「入ってくるな、邪魔だ!」
守の態度に隆二は寂寥感溢れた苦しそうな顔をする。その顔ですら守はただの同情だと決め付けていた。
「そんな芝居がかった同情をするのはやめろ、お前に俺の苦しみの何がわかる。いいから出て行けよ!」
跳ね除けようと体を押し出そうとする守の腕を、隆二が今度は強く握った。
うっ、痛いっ。
僕は一瞬素に戻ってしまった。
隆二さんの力が強くて、僕は思わず渋い顔になる。
なんて力なんだ。
隆二さんは芝居をしていたけれど、どこか違う方に怒りの気持が向いているようで、僕の渋い顔を見ると現実に引き戻されたように直ぐに手を離してくれた。
「ご、ごめん、痛かったか?」
「い、いいえ、大丈夫ですっ」
隆二さんはため息をつくと「今日はここまでにしようと」呟いた。
僕は何か彼が元気になるような言葉を捜したけれど、見つからない。
「あの……ごめんなさい。僕、その、実は留守電を聞いちゃって」
僕がおずおずと俯き加減で目をしばたたかせながら言うと、隆二さんは背中越しに「そうか……」と小さく呟いた。
「すまないな。嫌な物を聞かせてしまって」
「いいえ、そんなっ。た、ただ、そのっ、お父さん大丈夫かなって」
僕が申し訳なさそうに、小さな声で言うと、隆二さんは振り返り力なく微笑んだ。
「そんな風に父の事を心配してくれる人は姉と君くらいなものだ。ちょっとね、今父の状態が良くなくて、色々まぁ、実家でごたごたがあるんだ」
「そうなんですか……」
「僕は兄弟達からはいつもつまはじきだったからね、それはもう慣れてるんだけど、あの兄弟達の親父に対する態度がやるせなくて」
隆二さんは俯き加減で力ない様子だったけれど、その声はどこか心の底で怒りを秘めたようだった。
「僕は本当は誰からも必要とされてない人間なんだ……」
「そんな……」
背中だけで小さく呟くと、隆二さんはそのままベッドルームへ消えてしまった。
僕の嫌な予感は翌朝僕が朝食のトーストにバターを塗っている時に訪れる。
たち登るコーヒーの湯気もそのままに、隆二さんはインターフォン越しにその人物を見て、大きくため息をつく。
「先に食べててくれ」
苦々しい顔をしながら、隆二さんが玄関に向かうと、僕は動揺したまま目の前のパンにぱくついた。
コーヒーを軽くすすり、スクランブルエッグとソーセージの乗っている皿に手を掛けようとした時に、怒鳴り声が聞こえた。
「いい加減にしろ!」
僕はどきりとして思わずお皿にホークを置くと、玄関に向かった。
そっとそこから様子を眺めると、ドアを半分開けた隆二さんが外にいる人物に怒鳴っていた。
「ここまで押しかけて話すような事じゃないだろう、姉から聞いた。遺産の事をあれこれ心配する暇があったら、少しは父の病院にでも足を運んだらどうだ。僕には会わせないように見張りを立ててる暇があったらな」
「なんだと!」
隆二さんの姿がふっと消えて、僕は慌ててドアを開いた。
僕が外を見ると、やせぎすな目つきの悪そうなスーツを着た男が隆二さんのルーム着の襟元を掴んで、今にも隆二さんを殴りつけようとしていた。
僕の存在を見止めると男は振り上げた手を止め、僕を睨みつける。
この人、どこかで見たような気がする。
どこでだったっけ?
男はちっと舌打ちをすると、隆二さんの襟首を掴んでいた手を乱暴に放り投げる。
隆二さんは背中を廊下のコンクリートの壁に軽く打ちつけた。
「今は遺産がどうとか言ってる場合じゃないだろう。父が回復する事の方が先だ」
隆二さんが男に食って掛かろうとするのを、男は鼻で笑った。
「わざとらしい、お前だってわかってるだろう? もう父がそれほど長くない事は。お前がそうやって時間を引き延ばしているのも遺産に均等にありつこうとする卑しい考えがあるからだ」
「違う、僕は遺産が目当てであの家に残っているわけじゃない!」
隆二さんの言葉に男はまるで彼を汚い者でも見るように視線だけをこちらにむけた。
「芸名も滝川なら、籍もさっさとあのいやらしい女の滝川姓に戻ったらどうだ?」
男は僕の方をちらりと見て片眉を上に上げる。
「また、男を引き込んでるのか、相変わらずそっちはさかんだな、お前みたいなのがうちの血筋だなんてぞっとする。お前は邪魔なんだよ、卑しい存在だけでなく全てにおいて汚らわしいっ」
男の言葉に僕は凄く憎らしさを感じてしまった。うちの姉も口は悪いけど、こんな風に罵られた事なんてない。
「近いうちに弁護士をそちらによこすからさっさと遺産放棄の手続きと籍を抜け、手切れ金があるだけまだ温情があると思え。いつまでも強情を張ってるとそれすらなくなるぞ」
そう捨て台詞を吐くと、男はそのまま靴音を響かせながら廊下を歩いて行く。
二人の朝食は、いつもよりもずっと静かで気まずかった。
彼が凄く心配でも、僕があれこれ聞き出すのはおかしいし。
先ほどから幾度もソーセージにかぶりつきつつ彼を盗み見していたら、あっさり見抜かれクスっと笑われてしまった。
「大丈夫。守くんが心配するようなことじゃないから」
「でも」
「口の横ケチャップついてるよ」
「あっ」
僕が慌ててティシュでぬぐうと、隆二さんはもうこれ以上その話をしたくない様子で、話を切り替えた。
隆二さんは夕べの親子丼を少し小ぶりの丼で食べてくれている。
「そういう君はあれからどうなったんだ、例の彼と」
僕は一週間後に彼に会う約束をしたことを思い出し、正直に隆二さんに事の顛末を話した。
「あいつの家に行くのか? そんなに話が進んでたのか、そうか……」
「なんだか善くんも実は僕の気持ちが知りたかったみたいで。はっきり聞かせて欲しいって。高校卒業後も気にしていてくれてたみたいで」
僕が少し照れながら話すと、食事を終えた隆二さんが、ぼんやりしてコーヒーのカップを不安定そうに持っている。
「隆二さん、コーヒー零れちゃいます!」
僕の言葉にはっとして隆二さんは慌ててマグカップを持ち替えた。
「ああ、ご、ごめん。そうか、うん。よかったじゃないか」
どこか落ち着きなさそうに隆二さんはコーヒーを飲み干すと、自分の分の丼とお箸、カップを持ってキッチンのシンクに置いた。いつもの癖なのかそのまま洗い出す。
「隆二さ……」
「もうそろそろ撮影所に行こう、だから守くんも早く支度して」
話を終わりにしたいのか僕の言葉を遮り、洗い終わったお皿を左にある水切りラックに置いた。
洗面所で顔を洗い歯を磨くと隆二さんはタオルで顔を拭き、乱暴にそれを洗い物用の籠に入れた。
言葉とはうらはらになんだかどこか苛立ってる気がする。
そのまま着替えるために寝室に入ってしまった。
隆二さんやっぱり家の事で。
僕は増々不安になる。何も力になれない自分に落胆した。
僕も顔を洗い、歯磨きをして支度を整える。
不意に寝室のドアが開いて、カジュアルな服装の隆二さんが落ち着きを戻した顔で出てきた。
「守くん、彼の家に行く前に少しだけ僕とつきあって欲しいんだ」
「えっ?」
「いや、なに、僕の買い物に付き合って欲しいだけなんだ」
隆二さんは先ほどの不機嫌さから立ち直ってほんのりと微笑んだ。
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