第13話 尽くしても尽くしても
控え室でお茶を口にしながらも、僕は胸が痛むのを抑えるのが苦しかった。
何もあんな風に突き放す事もなかったかな。
あーあ。お腹すいたな。
昨日も節約して、でも今朝凄く空腹で耐え切れなくなって、少しだけでも何か食べようと、お金を持ってきてしまったのが仇となった。
でも家に帰ると僕は自分の空腹を押してでも、お弁当くらいならという気持になっていた。
どうしたんだろう、善くん、隆二さんのこと教えてくれたり、抱きついてきてくれたり、妙に優しくて……。
僕の事心配してくれたの?
昔からそうだった、善くんは僕にスキンシップを求めてくるんだ。僕はそれに弱かった。
僕は残っていたたくあんと、お湯でしのぐというまるで童話に出てくる、貧乏な老夫婦のような食事の仕方をしてた。
地蔵さまが現れてくれるといいのだけれども。
翌日善くんの姿を僕は探していた。
「おはよう、守さん」
千夏さんが僕に笑顔で挨拶をしてくれる、いつもはつらつとした笑顔で周囲を明るく盛りたててくれる。
僕は辺りをキョロキョロしていた。
「どうしたの?」
「あ、いや、そのっ、善くん、もといっ、岡田くんはいますか?」
「岡田くん? ああ、彼ならあそこでカメラの手入れしてるわよ」
もう撮影が始まって1ヵ月以上、見ると善くんも次第に手馴れてきたようで、大きなカメラの掃除中だった。
昔からカメラを弄るのが好きだった。ビデオテープなんかも親に買ってもらったとか言って家庭用ではあったけど、結構いいもの持っていたような気がする。
「守?」
「おはよう、あのっ、これ……」
僕がお弁当箱を渡すと、彼は特徴のある丸い目で一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
「うわーーーありがとうな! 守の弁当が何よりもどんな食べ物よりも嬉しいよ!」
そう言うと直ぐ手に取ってくれた。
「善くん」
善くんの満面の笑みで、僕の心はほんわりと温かくなる。
やっぱり良かったんだ、これで……。
僕は久しぶりに気持ちがあの頃に戻った気がして嬉しくて、控え室に戻ると、どこか落ち着かなくなった。
正直僕自身はお腹ぺこぺこだったけれど、心は満たされている。
お砂糖を目にして、少しならもって帰っても大丈夫かな? と思い始めていた。
お砂糖は栄養もある、次の仕送りが10日後だから、それまでもたせなくてはならない。
人は一週間何も口にしなくても水さえあれば生きていけるって聞いたし、お弁当の残りを少しだけつまみ食いしているから、大丈夫。
僕は食材が底を尽きるまで、善くんへお弁当を作り続けようと思った。
なんだか空腹よりも、懐かしさや、過去の善くんの僕への否定のトラウマが掻き消えていくみたいで嬉しい。
しばらくは次の報酬が出るまでだからと気を張っていたけれど、限界は思ったよりも早くきた。
家でのんびり寝ているのなら、10日は保ったかもしれない。けれど、毎日がドラマ撮影だとそうはいかない。
僕にとっては初めての体験なのだから、全てが夢のように過ぎ去る。
緊張感も伴って、体力はいつもの何倍も消費される。
ドラマ撮影もかなり進んできたものの、わけもわからず駆け巡ったという気分だ。
「守、ここのところどうする?」
瑠璃さんが屈託の無い笑顔で僕に気さくに相談してきてくれる。
瑠璃さんは若くても僕にとっては先輩だ。なのに少しも先輩ぶった感じがしない。
「守、大丈夫?」
顔を覗きこまれ僕は焦った。
「なんか顔白くない?」
「そうですか? もともと日焼けしても僕赤くなっちゃう方で白いのかもしれないです」
「うーん。そういうんじゃないと思うんだけどな。ま、いっか。それでね、ここなんだけど」
「はい」
僕は本当に監督や共演している瑠璃さんの言われた通りの事しかできず、芝居に関しては余裕すらなかった。
それでも芝居をしている最中は、自分のリアルを忘れられたのでよかった。
けれど瑠璃さんの心配の通り、早々に僕の気力だけの強がりは通用せず、視界は時々真っ暗になったり、真っ白になったりを繰り返し始めた。
すぐに僕とのシーンが入る隆二さんが待機していたのだけど、周りのスタッフと共に僕の異変を感じとっていたようだ。
「どうした? 守」
「え」
「顔が真っ青だ」
「大丈夫です」
隆二さんとのシーンを終えたら、今日の分は終わるんだ。
心配してくれる隆二さんを他所に、僕は少しだけふらつく体で撮影を強行した。
物語は瑠璃さんと僕の言い合いだったが、どうにも腹に力がでない。
何度もミスってしまう。
シーンは屋敷の僕の部屋。浮気をしてしまった瑠璃さんに対して、僕が激高するシーンだったのだけれども、途中で意識を失いそうになってへたりこんでしまった。
カットの合図が入る。照明さんや、音声さんが、どうしたのだろうかと構えていた機材を置いた。
「守?!」
瑠璃さんが心配してた事が的中したと感じたのか、僕の傍にすぐに駆け寄ってくる。
「すみません、ちょっと眩暈が……」
「やっぱり、体調悪いんだよ」
スタッフの男勝りな女性千夏さんも、直ぐにスポーツドリンク片手に駆けつけてきてくれた。
「守さん、大丈夫?」
僕は渡されたドリンクの美味しさに少しだけ空腹を満たす事ができた。
「……少しでいいので休憩させてください」
監督が怪訝そうな顔でこちらを見ている。千夏さんが呼ばれて何か耳打ちしていた。
控え室に戻ると、僕はスポーツドリンクだけではやっぱり足りなくて、お湯に砂糖を入れて飲んだ。
「砂糖が沢山体に入ればなんとかなる」
でも最初だけなんだよな、この騙しが効くのも。すぐにまた空腹感が意地悪く頭を出してくる。
控え室のドアをノックする音が聞こえた。僕はふらつきながらも扉を開くと、そこには心配そうな顔の隆二さんが千夏さんと共に立っている。
「すみません……」
「いいや、それよりどうしたんだ?」
「えっ? あ、そのっ」
「ちゃんと食べてるのか?」
隆二さんの問いかけに、千夏さんも心配そうに僕を見てくれていた。
僕は直ぐに顔に出てしまうんだ。本当にそういうところがダメだと思っている。
隆二さんに対してもどこかぎこちない態度だし。
「監督から、もう今日は帰れって、送っていくよ」
「えっ、いいですよ、僕は」
「いや、もう海倉の奴缶ビール開け始めたから今日は終わりだろ。そんな状態で、一人で歩いて帰れるのか?」
それは自信がないかも……。
僕は情けない事に隆二さんに肩を借りて、駐車場まで降りていく。
傍には少し不安げな隆二さんのマネージャーの潮野さんがいた。
僕を少し心配はしてくれていたようだけど、状況のいま一つわからない潮野さんは、何故隆二さんが送らなきゃいけないのだろうかというそぶりを見せる。スケジュール表を片手に時折時計をちらちら眺め少し落ち着きがないのがその証拠だ。
結局家の前まで送ってもらい、車のドアから出ようとしたら、僕はまた眩暈がした。
「守くん、大丈夫か?!」
隆二さんに支えられて、僕はふらふらだった。
「大丈夫なんですか?」
潮野さんも状況を察してくれたらしく、手を貸してくれる。
「守くん、君ちゃんと食事しているのか?」
黙ったままの僕を隆二さんは再び助手席に乗せて、車を走らせた。
「隆二さん、これから打ち合わせ」
潮野さんが時計を見て渋る。
「わかってる、少しだけ時間をくれ」
「隆二さん、僕は、大丈夫ですから」
「少しも大丈夫そうな顔をしてない」
彼のマンションの前に車を止め、再び僕は隆二さんに担がれてそのまま彼の家に運び込まれる。玄関で靴を脱がされた。そのままリビングへ連れ込まれ、僕はソファに寝かされる。
「冷蔵庫になんでもあるから、とにかく何か食え、僕が帰ってくるまでここにいろ、いいな」
それだけ言い残すと、時間を気にしてついてきている潮野さんに続いて、足早に出て行ってしまった。静まり返る部屋。
なんだか悪い事してしまった。
まだ少しふらふらしてなかなか起き上がれない。僕は少しだけうとうとしてしまった。
目が覚めるととても喉が渇いていた。お水をもらおうとキッチンまでふらつく足どりで向かうと、籠の中に色々な果実がおいてあるのを見つけた。
りんごやみかん、梨などが艶々していて見事なほど大きく、新鮮で甘い香りが漂っている。
僕はごくりと喉がなって、りんごに思わず手が伸びる。赤く熟れた実を頬に寄せると甘酸っぱい匂いがここちよかった。
かじった時のしゃくりとする新鮮な甘い感触がたまらない。
僕はもう情けないという気持はどこかへ飛んで、夢中になって食べた。
籠の中の果実はどれも甘くて、りんご、梨、みかんと3個食べつくしたら少し元気になってきた。
ソファでうとうとして僕は重いまぶたに目をこすり、次第に眠りに落ちて行った。
「……もる、くん、守くん!」
誰かが僕の肩を揺らしてはっと目が覚めた。外はもう既に真っ暗になっている。
「やっぱりちゃんと飯食ってなかったんだな」
僕の果実の食べた跡を見て、隆二さんは苦笑いをした。
「また同じことを繰り返す気なのか?」
ふと、隆二さんが突き刺すように僕を見る。
その眼差しや声は穏やかだけれど、どこか戒めるような視線だった。
「どういう経緯でそうなったのかは知らないが、またあいつに尽くし始めてるのか? 千夏さんから聞いたよ、あいつに弁当作ってて自分は何も食べてないんじゃないだろうかって。お前、何やってんだ? それでみんなに迷惑掛けてる事がわからないのか?」
「えっ」
そうか、みんなに迷惑かけちゃったんだ。
僕は萎れた花みたいに、隆二さんに謝ろうと頭を下げかけた。
「なんでお前は昔捨てられた男に、またそんな風に尽くすんだ!」
彼の突き刺すような言葉に、僕は直ぐに反論したくなった。
「そんな、尽くしてなんてない!」
「お前は本当はあいつが今でも好きなんだろう?」
隆二さんの言葉がダイレクトに僕の胸に突き刺さって、僕は体の芯からカッと熱い物がこみ上げてきた。
それが情けないのか、悲しいのか、切ないのかわけのわからない感情で、あふれ出した。
「そんなことないっ!」
「相手に一度拒絶されたから、それを再び埋めて、その時の否定された自分をなかったことにしようとしている。違うか?」
図星なのかもしれない。僕には隆二さんに言われるまで、そんな自覚もなく、無意識にしていたつもりだった。でも明らかに動揺したと思う。
「そして、お前は凝りもせず、再会した奴にまだどこか期待を持っている」
「……!」
「諦めろ、奴からお前が期待しているような答えなんて返ってこない。お前に何かを期待させて、お前を好きなように操って自分の都合のいいように動かしてるだけじゃないか!」
はっきり言葉にされるとなんだか悔しくて、反抗的になってしまう。
「隆二さんに何がわかるっていうんですか? ま、まだ、僕らに会ってそんなに経ってないくせに」
「僕はストレートの奴は空気でわかる。お前はあいつにいいように利用されてるだけな……!」
バシッ……。
僕は気づくと、隆二さんの頬を叩いていた。
「あ、あなたに何がわかるんだ! 僕たちの事、放っておいてくれよ! そ、それにあなたの方が色々な人を弄んでるって、僕聞きました!」
「聞いたって、誰からだ?」
隆二さんの顔が強張り、雲行きが怪しくなった空のように陰る。
「あなたの元彼さんとか、別の人から……」
言ってる事が何故だか悲しくなってきて、勢いが失速してしまう。
「守くん、それは違う。僕は誰かを弄ぶなんてことしない」
隆二さんはやけに真正面から真っ直ぐ僕の目を見つめている。嘘をついていたら視線なんて泳ぐし、そわそわしてしまうはずなのに彼は冷静だった。
「嘘だ、次々とターゲット決めて、男も女も関係なく、ホテルに呼び込んで、遊んでるって聞いた。そんな人に僕らの純粋な気持をあれこれ言われたくないっ!」
僕は言い放ってからもずきんと胸が痛むのが抑えられない。
自分で言っていてもそれがどこか胡乱(うろん)な気がして、それでもその落ち着きなさを跳ね除けようと起き上がると、玄関へ向かった。
「守くんっ、どこに行く気だ」
「帰るんですっ」
隆二さんは僕が彼の前を通り過ぎようとすると、僕の歩調に合わせてついてくる。
「帰るな、監督に言われたんだ、撮影の間だけでも何か食わせてやれって」
「僕と彼の事、理解してくれない人に厄介になんてなりたくないです!」
「馬鹿っ」
隆二さんは僕の肩を掴んで引き寄せた。その手の圧力が思ったより強くて、僕は一瞬躊躇する。
「痛っ、離してくださいっ」
「ダメだ」
「なんでですか? 僕なんてただ単にお芝居で一緒に共演するだけの、あなたにとっては一期一会みたいなものでしょ?! ごっこだったらもう今日はやめにしてください。ご飯だったら家で食べますよ、だから離して」
明らかに疑いの目で見る隆二さんを、僕は語気を強めて弾き返そうとする。しかし返ってきた彼の言葉は意外だった。
「嫌だ」
「嫌って……どうして?!」
「心配なんだ、お前がっ」
今までにないくらい強い力で今度は両手で肩を掴まれ、抱き寄せられた。
強引な腕と声がどこか震えている事に僕は動揺し、動けなくなった。視線を彼のほうへ向けると、その力強い抱擁とは裏腹に不安そうな顔をしている。
初めて見る彼の顔に、僕の心臓は破れそうなほど激しく動悸がして、隆二さんに包み込まれるように抱き寄せられた体が熱くなる。
隆二さんの声は自信が全く無いという感じで、彼の体からもどこか緊張感を感じた。
どうして?
まるで僕に拒絶されることに恐れを抱いているようだ。
「さっきは、乱暴な言いかたをして、すまなかった」
隆二さんは少しだけ気まずそうにしている。
「でも、心配なんだ。お前はあいつが好きなのに、自分の意思を誤魔化しながら進んで、また同じように傷つくんじゃないかって思って。頼むからせめてお前自身はお前があいつを好きなんだってことを自覚してくれ。僕はお前を茶化したりしない、馬鹿にして笑ったりもしない」
懇願するように低く吐息が混ざった隆二さんの声が、僕の耳元に諭すように響く。
「隆二さ……」
「弁当が作りたかったらうちで作っていけ、今度こそ想いを伝えたかったらちゃんと伝えればいい。僕はお前が自分の気持ちを理解した上で行動して欲しいんだ。だから、お前自身が自分の心を彷徨わせてしまってる事に気づいて欲しい。そうじゃないとお前の『想い』が可哀想だ」
「想いが、可哀想……?」
初めて人からそんな風に言われた。
「そうだ、お前はあいつへの気持に素直になればいいだけだ。悩みだったらいつでも相談にのるから」
抱き寄せていた僕の体をゆっくりと離して、両手を肩に置いたまま隆二さんは僕の目を覗き込むように見た。
僕は迷いながらも今まで目を逸らしていた自分の感情の蓋をやっと開く気持になった。
「僕は、やっぱり善くんがそういう意味で好きだったのでしょうか……」
不安の過ぎる心に隆二さんは少し微笑む。
「怖いのか? それを認めるのが」
僕はどう応えたらいいのかわからないまま、少しだけ頷いた。
今はただ、動揺だけを抱えていた。
「あいつを見るお前の目を見ればわかるよ、これはそういう意味で好きだということだ」
僕は言葉が上手く出なかった。自分がそうだと自覚するのが怖くもあった。
でも今まで否定的だったそのことへの気持ちが、隆二さんの前では当たり前に映っているのかと思うと、不思議で仕方ない。
「守くん、君のその気持大事にして欲しい。応援もする。だから体だけは大事にしてくれ、せめて撮影の間だけでいいからここにいてくれ」
僕はどうしてこんなに隆二さんは親身になってくれるのか、混乱していた。
隆二さんにも過去で僕と似たような体験があって、苦しかった事があったのだろうか。
僕をからかってる演技にしては熱が入りすぎてる。本気で心配してくれているようにしか思えない。
僕はその日の夜ソファで寝かせてもらうことにした。
隆二さんから布団を借りて包まる。彼は自分の部屋で寝ると言いベッドルームに消えた。
隆二さんがとても悪い人には思えない。そんな遊ぶような人ならとっくに……。
もしかして僕はあまり魅力が無いのかもしれない。隆二さんにだって選ぶ権利がある。僕が彼の好みじゃないだけなのかな。
翌朝も起きてから色々考えてしまったけれど、それでも最大の謎は、僕が結局隆二さんの家にちゃっかりお世話になって、朝になって善くんのお弁当を作ってるって事。
隆二さんは僕にちゃんと三食食べて欲しいって言う。監督に頼まれたからって、普通そこまでするかな。
僕は卵焼きを作りながらぼんやりしていた。
「あっ、しまった!」
少し焦がしてしまった。
お弁当箱にお肉のアスパラ巻き、卵焼き、煮豆などを詰めて、仕上げにご飯の上に梅干しを置いた。
お肉のアスパラ巻きなんて、美味しそうで、巻いてる最中から涎がおさまらなくて、たまらなくて焼きあがったのを少しだけ食べてしまった。
ああ、幸せ。
隆二さんにはとりあえず感謝だ。
「よしっと」
ちゃんと自分の分のお弁当も用意する。
その時奥のベッドルームから隆二さんが少し眠そうに、くせっ毛を乱したまま起きてきた。
「おはようございます」
朝ご飯の準備はできていた。
スクランブルエッグにベーコン、レタスと(赤いピーマン)トマト、にクルトンをかけたシーザサラダ。
「あの、朝食作らせていただきました。夕べお世話になったので」
僕が緊張しながら言うと隆二さんは安心したように、微笑んだ。
「良かった」
「えっ」
「君がまだいてくれて」
僕は隆二さんが蕩けそうな顔で言うものだから、なんだかくすぐったいような気持ちになって躊躇った。
そ、そうだ。
「あのっ、これ」
隆二さんにもハンカチで包んだお弁当を渡す。
「えっ、僕にも作ってくれたの?」
「御迷惑でしたでしょうか?」
僕が少し行き過ぎたかもしれないとお弁当をひっこめようとすると、隆二さんは咄嗟にそれを掴んだ。
「ううん、とんでもない……ありがとう」
隆二さんは戸惑いながらも、少しだけ瞳を潤ませて受け取ってくれた。
「守くん、これ……」
今日は隆二さんは午後から撮影に参加する。その前に彼は色々他に仕事を抱えていて、出かけ際僕に鍵を差し出した。
「え……」
「ここの家の鍵。すれ違う事が多いと思うんだ。ごめん、でも好きに使っていいから」
「でも……」
「いいから」
こんなに甘えてしまっていいのかな、僕はなんだか隆二さんに申し訳なく思った。
「それじゃ、僕夕飯作らせてください! そ、それだけじゃなくて、家の事できるだけやらせてください!」
「悪いよ」
僕は大きく何度も首を振った。
「お世話になるのだからそれくらいはさせてください!」
僕の提案に少し戸惑いながらも、隆二さんは頷いてくれた。
僕も撮影所に出かける。相変わらず冴えない外観だけれど、入り口から建物を見上げてみて僕は段々ここが好きになっていた。
いつものように僕の控え室で漫画を読みながら待っていた善くんに、早速お弁当を渡した。
「善くん、おはよう、はい、これ」
「おー! サンキュー! なんか弁当箱大きくなってね?」
「うん」
守くん、君のその気持、大事にして欲しい。
僕は隆二さんの言葉を反芻していた。
なんで僕をあんなに応援してくれるんだろう。
隆二さん、僕、お芝居もこっちも頑張りますね。
あいつはストレートだ。
ストレートか……。
結局ドラマは前倒しで、僕らのキスシーンはラスト近いので最後の収録の時に撮る事になった。
お昼休みが過ぎた後、廊下を善くんが慌てて走って部屋に入ってくる。
「善くん? どうしたの?」
善くんは大きな体をしゅっと僕の背後に隠し、辺りをキョロキョロ見ている。
「ちょっと、守、こっちにきて!」
大きな手がフリフリと僕を手招きする。
「……。どうしたの?」
「あのさ、ちょっとまた都合つかないかな?」
「何?」
僕が不思議そうな顔をしていると、善くんは少しイライラした様子で親指と人差し指を丸い形にした。
「都合つったらあれだろ、金に決まってるじゃん」
結構切羽詰った顔をしている。
「そんなの、この間貸したじゃないか。あ、そうだ、あのお金返して」
「今度給料出たら返すよ、あっ、やばっ」
善くんはとっさに大口ロッカーを開けると、その大きな体を滑り込ませた。
ドアのガラスの部分に大きな体が映る。ドアがいきなり開いた。
「てめぇ、このヤロウ、あっ!」
「あっ!」
僕は忘れかけていたその人物の突然の登場にびっくりした。
僕のところによく来る取立て屋が、大きな体をどっかりと相撲取りみたいに太い二本の足で支えている。
何か怒ってるようで、こめかみ辺りに青筋を立てていた。
「てめぇ、最近姿が見えねぇからどこにトンズラしたかと思ったら、こんなところにいやがった!」
僕はいきなり襟首を掴まれた。
「このヤロウさっさと金返せ!」
「だから今度返しますよ、給料出ますから!」
僕は今にも浮かびあがりそうになる体を、必死で着地させようと足をバタバタさせた。
「ほんとだな、いい加減な事抜かすと、いかがわしい店に突っ込むぞ」
なんとか横暴な手から逃れると、顔がズンズン迫ってきて僕を部屋の隅に追い込む。
「そんなっ」
僕はちょっとそれは勘弁して欲しいと思った。
お芝居でボーイズラブをするのはいいけれど、リアルは許してください。
「てめぇ、なんで家にいないんだ!」
この大きな人はただでさえ恐ろしいのに、更に顔に縦線を一杯落とされて、増々金剛力士像みたいになられていて僕は怯えてしまう。
「あ、それは、今お世話になっているおうちがありまして」
「逃げたんじゃねぇだろうな?!」
「逃げてません。こうやってスタジオにもきますし」
その人は僕の控え室。(僕だけの控え室ではないのだけど、何故か他の人と時間が重ならない)をぐるりと見回すと、僕をにらみつけたままドアから出て行ってしまった。
しばらくして「ふー」とため息をつきながら善くんがロッカーから出てきた。
「善くん、どうしたの?」
「いや、別に、気にすんな、てかお前金借りてるの?」
ああ、しまった。今の全部聞かれてた。
「そっかーふぅん」
少しだけ顎に手を当てて、興味深そうに聞きながらも、善くんは辺りをまたキョロキョロ見てから僕に耳打ちする。
「大丈夫だよ、俺がなんとかしてやる」
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