第12話 善くんの誘惑

 翌日撮影所の控え室に行くと、ドアが開きっぱなしになっていた。

 善くんが椅子に座り、漫画雑誌を読みふけっている。

 僕は正直少し驚いた。まるで自分の控え室みたいにしている様子に、らしいなと心の中で苦笑いする。


 僕が現れたのに気づくと、彼は笑顔を向けた。


「守、おはよう」

「……善くん、おはよう」

「今日のお弁当は?」


 嬉しそうに大きな手を広げて催促される。


 あ……。


「ごめん、実は、その、材料がもうなくて」

「えーー」


 善くんは少し大袈裟に仰け反る。


「うーん困ったなぁ。楽しみにしてたからお昼代もなんも持ってきてないや」


 僕のお弁当にそんなに期待してたんだとちょっと驚く。


「善くんまたお昼ないの? うん? 働いてるんじゃないの?」


 高校生の頃はお金なかっただろうけど、流石に今はそんなことないと思うんだけどな。

 

「ああっ、いやっ、ていうか、実は金が無くて。うん、今月ピンチなんだよね、困った困った」


 なんだか本当に困ってるみたいだ。

 どうしよう……。


「守っ、おはよー!」

 ドアの間から笑顔で、瑠璃さんが手を振った。

「あ、おはようございます!」

 その後で他のスタッフの人もおはようございます。と立て続けに歩いて行った。


 善くんは笑顔で頭を下げながらも、適当にやり過ごしている。

 誰もいなくなってから僕は俯きがちに呟いた。


「明日、持ってくるよ……」

 僕がぽつりと言うと、善くんは大きな目を一層大きくして、思い切り笑顔になって立ち上がった。


「ほんとか! 嬉しいなぁ~やっぱりお前は話がわかる奴だよ、守ー!」

 満足げに両手を広げると、突然僕に抱きついてきた。僕は軽くパニックになる。少し頬が赤くなってしまったかもしれない。


「あの頃と変わらないな」

 善くんは耳元で嬉しそうに笑う。

「懐かしいな、こうしてまた守と再会できて、またこんな風に過ごせるなんて、俺、凄く嬉しいよ、お前の事気になってたからさ」

「善くん……」

 

 うん、僕も懐かしいよ。


 僕は懐かしさで胸が一杯になる。あの時の事が帳消しになりそうで。

 辛かった記憶が薄らいで行くようで。


「あ……」


 善くんの肩越しに隆二さんの姿を見つけ、どきりとした。

 いつもの隆二さんの顔だけれど、瞳だけが刺すように冷たくなっている。


「ちょっと、止めて、離してっ」

 僕は慌てて善くんを突き放すと、善くんは不思議そうな顔をした。すぐに背後に気づき、振り返る。

 隆二さんの目線は僕というよりも、何故か善くんを睨んでいるような気がした。


 隆二さんに変なところ見られちゃった……。


「あ、おはようございます」


 善くんが隆二さんに挨拶したのだろう。

 僕が彼らと視線を交わしている間、僕は視線を逸らすだけで何もできなかった。


「あっ、なんにも言わずに行っちゃったよ、あの人、なんなんだかなー。なんか最近僕と口きいてくれないんだ、しかも睨んでるような気さえするよ、なんでだと思う?」

「さ、さぁ……」 


 善くんは少し面白くなさそうな顔で、部屋の外をキョロキョロと見る。そしてそっと控え室のドアを閉めた。

 大きな体を揺らし、僕に覆いかぶさるように迫ってくると耳元で囁かれた。


「なぁ、お前気をつけたほうがいいぞ。あの滝川隆二さ、噂で聞いたんだけど」


 僕は一瞬どきりとする。


「気に入った奴をホテルに引き込んで、色々悪さするみたいだぜ? 男も女も関係なく」

 僕は胸がチクンとした。胸にいきなり小さな針をさされたみたいだ。

「俺、ドラマでファンだったからさー。裏事情知った時ショックだったよー」


 僕は心の中の空模様が怪しくなってきて、唾を飲みこんだ。


「あの人さ見た目は凄いイケメンだし、繊細そうで人当たりもよさそうだろ? だからみんな騙されては捨てられるんだってよ、守、お前、今ドラマで親しくしてるからって騙されんなよ、まさかもう手出されたってことはないよな?」

「えっ……な、ないよ」


 僕の目が少し泳いでしまった。善くんにこの間の隆二さんとのことをバレやしないかと、余計な心配が過ぎる。


「もし、あいつに何かされそうになったら、俺が助けてやるからな」

「善くん……」


 僕はどう反応したらいいかわからず、小さく呟くくらいしかできなかった。

「あーそれはそうとさ、うん、話は変わるんだけど」

 少しだけ善くんは前かがみになって、言いづらそうにソワソワする。

「なに?」

「あーいや、うん、あのさ、実はそのっ、言いにくいんだけど、ちょっとお金貸してくれない?」

「えっ」

「ごめん、本当にごめんっ」

 善くんは漫画の雑誌を手に挟むと、片目をぎゅっと閉じて僕にお願いをする。


 うえええ。僕もお金ない。でも、どうしよう。


 僕が躊躇っていると、善くんが突然雑誌をテーブルの上に置いて、そっと肩に触れる。

 僕の顔を上から覗き込むように柔らかく見つめた。


「ダメかな?」


 僕はあの時の事を思い出していた。

 善くんのこの僕へのスキンシップが僕は弱かったんだ。

 だからどうしてもいつも何か頼まれると断れなかったんだ。


「い、幾らなの?」

「うーんそうだなぁ、とりあえず1万くらいあれば……」


 そ、それは僕の1ヵ月分の食費。

 僕が言い淀んでいると、善くんは突然漫画を置いて、僕の頭を自分の胸に押し付けてきた。


「お願いっ! 守、お前にしか頼めなくて、少しでいいんだ、うん、そう、1万がダメなら、5千円でもいいからさ、貸して。すぐに返すから」


 そんな風に必死にお願いされると、僕も断れない。

 それに僕は……。


「ね?」


 懐かしい顔で僕を見つめる。二人でよく遊んだ頃の思い出が蘇った。


「ご、5千円くらいなら」


 僕が言うと善くんはぱっと顔を上げて、これ以上ないくらい笑顔を見せた。

 僕がくたびれたお財布を出すと、千円が六枚、そのうちの一枚を抜こうとしたのだけれど、全部かっさらわれてしまった。


「ああーー!」

「ありがとう、必ず後で返すから!」

 そのまま漫画雑誌を残したまま、善くんは風のように去って行った。

 更に不幸な事に、加えてその日から監督から「もうお昼は自腹になっちゃったんだ、経費削減で」なんて言われて凄く凹んだ。

 僕のお金の管理の仕方が悪いのだけれど、結構ショックだ。

 

 隆二さんの噂と合わせてなんだかぐったりした花みたいに、心がしょんぼりしてしまう。廊下を歩く足取りも重くて脱力。

 ここ数日は何故だか夢心地なことが多かった分、その反動が大きい気がした。


 僕の沈んだ気持ちとは裏腹に、前の方から甲高い声で話している人の声が聞こえる。

 顔を上げるとあっ、と思った。あの人は確か隆二さんと前に付き合っていた……。

 今日はスゥエードの上下の高そうな私服で、相変わらず僕のコンプレックスを引き出す綺麗な黒髪をしている。


 僕はどうしても真実が知りたかった。彼も隆二さんに遊ばれてしまった一人なのだろうか。

 彼はきっと僕よりも隆二さんのことを知ってるはずだから。

 その彼と視線が合った。僕は話しかけたくてついその場に立ち止まってしまう。


 彼は話し込んでいたものの、僕がその場にいるのに気づいてからは何度か睨まれる。

 しかし、僕がいつまでもその場所から離れないのを気にして、話を切り上げて、こちらにきた。


「何か用?」

「あ、あのっ、あなたは、前に滝川さんと付き合ってたんですよね?」

「……だから何?」

 彼はあからさまに不機嫌そうな顔で、プライドの高そうな強い視線で僕を睨みつける。


「あの、ちょっと聞きたいことがありまして」

「なんだよ?!」

「あの、あなたは以前滝川さんとケンカしてましたよね?」


 唐突過ぎたかもしれない。でも聞かないではいられない。


「なんであんたにそんな話しなきゃならないわけ?」


 彼は増々不機嫌になる、それはそうだ。こういう話はデリケートなんだ。


 でもその時僕は、どうしても隆二さんのいい噂を拾い集めたくなったのだと思う。

 誰でもいいから、彼はそんな酷い男じゃないよと言って欲しかったのかも。


「そ、それもそうですよね、ごめんなさいっ」


 僕は彼に話しかけたことを後悔した。

 足早に去ろうとその場を走りかけた時、彼は僕の腕を掴んだ。

「なぁ、お前滝川隆二の何が知りたいわけ? あいつのお遊びの酷さなら伝えられるけど?」

 意地悪そうに笑う彼に、更にずんと体が重くなるのを感じた。


 でも僕は、彼、来風蓮くんから隆二さんがどんな人なのか聞きたくて、怖い気持よりも好奇心の方が上回ってしまった。



「滝川隆二は遊び人だよ」


 来風くんの控え室に呼ばれ、僕は部屋の隅の壁に遠慮がちによりかかっていた。

 彼はタバコに火をつけると、ふぅーと息を吐く。

 善くんと同じような話を聞いて、僕はどんどん胸が苦しくなってくる。


「外面がいいから、誰か他の人がいれば俺にも愛想よかったよ、でもさ、二人きりになると人が変わったみたいになるんだ。ホテルに連れ込まれて、事がすんだら、ポイっ」

「そう、なんですか」


 とてもそんな乱暴な人には思えない。


「彼にお持ち帰りされて、無事で帰ってきた奴はいないよ、必ずものにされちゃうんだ」


 僕はホテルに行った時は何もされなかった。


「で、ブランドとか色々な物をくれる。物と行為とが交換条件みたいな? 人を人形にくらいしか思ってないんじゃないの?」

 ふぅーと天井に向かって白い煙をふくと、はき捨てるように言った。


 おごってはくれたけど。だからって迫られたかな? あ、キスはされたかな。


「あのっ、キスだけで終わりとかそういう感じですか?」


 僕が恐る恐る聞くと、来風くんは僕を不思議な物でもみるような怪訝そうな顔をした。


「お前、馬鹿? 彼がそれだけで満足するわけないじゃん。そんなウブな話聞いたことないよ」

「あの、なにかその、恋愛ごっこみたいな、恋人になろうかみたいなこと持ちかけられたりとか?」

「はぁ? 恋愛ごっこ? 彼がそんなつつましい事するわけないじゃん。Hしたいだけなんだからさ」


 でも……。


 スタジオに行く足どりがため息に混じって重くなる。

 隆二さんの後ろ姿を見つけて、僕は増々、気持が沈んでいくのを感じた。

 彼は僕の存在を認めると、すぐに笑顔を向けてくれた。

 善くんや来風くんからあんな話を聞いてしまった後だから、どうしても顔が強張ってしまう。

 でも、その彼らの言う酷い隆二さんが、僕には想像ができない。


「守くんその、今日もよかったら」


 噂に聞いたのとは全然感じの違う隆二さんが、遠慮がちに誘ってくる。

 隆二さんは僕を誘ってどうするつもりなの?


 キスよりも先をするために? 趣向を変えたのかな? あまりにも噂が酷くなってきたから、それを取り繕うために優しくしてくれるの?


「あ、すみません、今日は……」


 どうしても疑心暗鬼という壁を作ってしまう。

 さっと顔を曇らせる隆二さん、これも演技なのかな? そうだとしたら相当に上手い。

 でもなんでそんな淋しそうな顔するんだろう。


 そうだ、善くんや来風くんの言うとおり、彼は遊び人なんだ。誰に対しても優しいし。


「僕ら恋人になったんだよね?」

 隆二さんは気持を引き寄せようとする。

「でもっ!」

「でも?」

「隆二さんのその誘いは僕が今回のドラマが上手く演じられるように海倉監督からそうしろって言われたからなんですよね?!」

 僕の責めるような口調に、隆二さんは押し黙ってしまった。

「そ……それは……」

「わかってます。わかってたんです」

「……」

「本気でそう思っているのか?」

「はい……」

「そっか……」

 隆二さんは今まで遊んできたから、どこか罪悪感でも芽生えたのかな。ホテルに連れ込まれたら、今度は無事じゃすまないかもしれない。

「だからごっこは昼間だけにしてください。お酒も無しで、夜は家に帰ります」

「……わかった」


 そのまま僕は黙って彼から離れようとした。でも隆二さんは躊躇いがちに僕を呼び止める。


「なぁ、僕は何か君の気に入らない事をしてしまったかな?」


 敏感な隆二さんは僕の彼への拒絶と、それと同時に膨らんでくる罪悪感を察知してしまったようだ。


「いいえ、そういうわけでは……」


 あいまいな返事ができない僕に、隆二さんは少し思いを巡らせたようだ。


「もしかして、あの事で怒ってる?」

「あの事?」

「僕の家で、そのっ、ブルーレイを観た時のこと」


 なんだか隆二さんが切羽詰ってるような、どこか必死な気がした。

 こんな引く手数多な人が、こんな地味な田舎者の僕に少しくらい拒絶されたからってするような顔じゃない。

 やっぱり凄く演技が上手いんだ。


「いいえ、そうではないです」

「そう。ならいいのだけれど、もしそうなら謝ろうと思って。あれは行きすぎた。うん。ごめん」

 

 どうしてそんな悲しそうな顔をするのかわからない。

 だって、僕、どうしたらいいかわからない。


「どうしてそんなにすぐ謝るんですか?」


 隆二さんの僕に向けた視線が戸惑いがちで、僕の様子を感じ取りながら距離を置いてとても気を使ってくれているような気がする。


「君に嫌われるような事は、したくないんだ」


 隆二さんの声に元気がない。これ以上僕を誘うのは迷惑がかかると思ったらしい。


「外ででも会ってくれるなら、会ってもらえるのかな? 例えば食事だけでも」

「え、ええ。それは別に……」

「よかった」


 少し距離がある僕ら、それは今の気持ちと同じくらいの距離感。

 隆二さんは少しだけ微笑むと、素直にその場から離れてくれた。


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