第9話 隆二さんのマンションにて

 後日、お互いの空いている日の昼、僕の手料理をごちそうすることになって、待ち合わせすることになった。

 と言っても、僕は今のドラマ撮影日以外ほとんど休日なんだけど。

 最近は前よりバイトを入れてない。ほんの少し前は休みはほとんどなかった。単発バイトの連続だ。


 家に戻り出かけようとすると、またクマのような取立て屋が待ち構えていた。この人暇なのかな?


「お前さっさと借金返さないと、そのうちどこかで強制労働だぞ、それともどこか紹介してやろうか」


 意地悪そうにクククと笑う。


「今働いていますから、必ずお返ししますからっ」

 僕はとにかく逃げたくて走り去った。


 他の日はともかく、今日はどうしても許して欲しいんだ。


 場所は駅前で、僕は材料を抱えてそわそわしていた。隆二さんは僕を車で迎えにきてくれるとのこと。なんとなく落ち着かなくてソワソワする。


 さっきから駅前の傍のコンビニのガラスに自分の姿が映っているのを、何度も見ては髪を直している。

 

 なんだか本当に冴えない、自分の格好が急に気になってきた。


 変な袋を提げていて、でもこれが一番マシな格好。ジーンズに、いつものシャンパー。

 シャツも安いけどおろしたてのものだ。


 折角だからドラマの読みもしよう、ということで、台本も持ってきていた。


 しばらくすると、隆二さんの赤い車が見えた。

 なんだか外の冷たい風も手伝って胸が緊張感で溢れてくる。僕は棒みたいにピンと立ち尽くしてしまった。

 車の中から彼が僕の姿を見つけると、目の前に滑り込んできて路肩に停まった。


 前にホテルのバーで飲んだ時の事を思い出す。胸のどこかがくすぐったく感じる。

 隆二さんが車の運転席から顔を出すと、いつものカッコいい彼の微笑みに少しだけ胸がトクンと波打った。

 彼は車から少しだけ顔を覗かせると、僕に乗れと合図してきた。

 僕は彼に磁石のように導かれ、直ぐに車の後ろから回り込んで。助手席のドアを開ける。

「すみません」

「いや、僕の方こそ今日はありがとう」

 助手席にそのまま乗ると、沢山の隆二さんのいい匂いがした。

 改めて見ると車内もすっきりしている。

 ピアノのレッスンの時、近くに寄った時にした、少し柑橘系の香りのするコロンの匂いが……。

 あの時より今の方が、何故だかドキドキしている。

 隆二さんはバックミラーを気にして、タイミングよく車を一般車道に滑り出した。前に乗せてもらった時の事を思い出した。


「何か他に必要な物とかある?」

「いえ、家から持ってきましたから、大丈夫です」


 今日の隆二さんは昼間の衣装とは違って、白地に物凄く薄く茶系の模様が入ったシャツに皮の上着を着ていた。

 胸元にはお洒落なメンズネックレス、腕にはそれとお揃いのブレスレットと見たこともないような時計をしている。


 僕が何ヶ月バイトで働いたら、そんな素敵なアクセサリーが買えるのかな?


「どうしたの? 僕の顔に何かついてる? そんなに見つめられたら顔に穴が開きそうだ」

「すみませんっ」


 慌てて前を向く僕はクスりと笑われてしまった。なんだか顔が熱くなってきた。

 しまった。そんなじっと見つめてたかな。


「君にならいくら見つめられてもいいんだけどね」


 また……。


「隆二さんはいつもそうやって、色々な人に優しい言葉をかけるんですか?」

 僕は少し口を尖らせた。

「なんで?」

「だって……」


 僕みたいなこんな貧乏くさそうな男、隆二さんが興味示すわけないんだ。たまたまドラマで一緒になったから、今は冗談で恋人の真似ごとをしているだけなんだ。


「誰にでも優しいわけじゃないさ、ねぇ、守くん、休みの日とかどうしてるの?」


 僕は気を取り直した。

「僕ですか? ええと……ドラマ撮影の前は大抵アルバイトしてましたね」

「えっ、休みの日なのにアルバイトなんてしてるの?」

「はい、一日バイトとか、工場で流れてくるショートケーキのラインに、一日中美味しそうな苺を置き続けたり、それからああ、クリスマスの時期は結構わりのいいアルバイトできるんですよ、ケーキもらえますからね! あんまりにも色々な種類があってもうウキウキしちゃいます。一人でケーキパーティー状態になります。年始年末とかはおせちのあまりもので」


 しまった……。つい調子にのって、僕、今もの凄い貧乏くさい話してるかも。

 けれど隆二さんは特に顔色を変えることなく、僕の話をうん、うん、と聞いてくれている。


「ずっと働いてるの? 遊びに行かないの? 友達とかと」

「こっちにきてから養成所で知り合った友人はいますけど、みんな卒業してから忙しそうで、なかなか時間が合わないです」

「そうなんだ」

 車が信号で止まる。


「隆二さんはどうしてるんですか?」

「そうだなぁ、家でゆっくりしてるかな。休みの日くらいは家でのんびりしていたいからね」


 そういえば彼はテレビドラマとかにも出てるって聞いたことがあるな。考えてみたら凄い事だよなぁ。

「ですよね、隆二さん忙しそうですもんね!」

「本眺めたりね、音楽聴いたり、溜め込んでたブルーレィ観たり」

「いいですねぇ~優雅な休日ですね~」

 僕がまったりした顔で返事をすると、隆二さんはクスっと笑う。


 あれ? 僕なんか変な事言ったかな?


「たまらない」

「な、何がですか?」

「なんていうか、この君といる時の時間の流れ……」

 隆二さんが少しだけ嬉しそうに笑う。


「なんかね、君といると忙しい日常の日々が、妙にゆっくり流れてくれるような気がするんだ」

「あっ、それ、また僕の事、田舎者扱いしてません? 君を見ていると小川が流れてくるようだとか、野原にいるようだとか? 君の背後に山が見えるとか~」


 僕が面白くなさそうな顔をすると、隆二さんは我慢できなくなったのか笑い出した。


「山が見えるかーそれいいね」


 よくない。ちっともよくない。


「クマが出そうとか、ウサギ狩って食べてるのとか? いのししに畑荒らされてない? とか言わないでくださいね」


 養成所にいる時に散々、東京の友達に馬鹿にされてた。

 僕は嫌な事を思い出し、目が横線みたいになっていた。

 もちろん僕と同じに田舎から出てきた人は僕側に加勢してくれたけど。


「馬鹿になんてしてないよ、なんていうか純粋っていうか真っ白っていうか」

「隆二さん、僕に変な純粋幻想抱かないでくださいよ。僕だって少しは……」

「少しは?」

「それなりに人生経験はあるってことです」

 言いつつも語尾が萎んでくる。


「それって、誰かと付き合ったことあるってこと?」


 ドキリ。


「あ、ありますよ!!」

「へーどこまで行ったの?」

「えっ、どこまでって、その人とですか? そうだなぁ。近くの川とか、ちょっと遠いけど、総合マーケットとかのフードコートでソフトクリーム食べたりですね……。そこの巨峰のソフトクリームが美味しいんですよ。お勧めですね。他には抹茶のアイスとか白玉団子とか小豆が入っててそれはそれは美味しくて」

「いや、そうじゃなくて」


 隆二さんはなぜか苦笑いをする。

 そのうち車は、お洒落なレンガ造りの洋館風のマンションに着く。そこの地下駐車場に滑るように入っていった。

 所定の場所にたどり着くと、隆二さんは車を駐車させるため、バックさせようとハンドルを握ったまま後ろを振り返った。


「どこまで行ったかってのは、キスとかをしたの? ってこと」

「あ、はぁ、まぁ……し、しましたよ」


 鳥のくちばしつついたようなキッスでしたけど、それは言わないでおこう。


「彼女? 彼氏?」

「か、彼女ですよ」

「へぇ~じゃその彼女と最後まで行ったの?」

「……」


 僕は一瞬押し黙った。

 最後ってその、やっぱりあれだよね?

 いくら世間知らずな僕だって、それくらいはわかる。


 やばい。童貞だってことがバレたらやばい。

 この年でいまだに童貞だなんて絶対笑われる。


「し、しましたよっ!」

「ほうほう」

 車を止めて隆二さんはサイドブレーキをかけた。


 辺りを確認してから僕らは車を降り、隆二さんが車に向けてカチリと何かを押すと、車の鍵がかかったようだ。

 そのまま地下駐車場からエレベーターで最上階の七階まで上がる。角の部屋が隆二さんの家のようだ。


 マンションの部屋の入り口、シンプルだけど落ち着いた色合いのドアを開けると、扉を開いて、「どうぞ」と隆二さんは招きいれてくれた。


 玄関の中は床に大理石のタイルが敷かれていた。観葉植物も置いてある。

 中はとても豪華なんだろうなと思ったのだけど、案外シンプルだった。

 もっとごてごてした家具とか、お城にあるようなアンティークなソファとかあると思ったのだけど。

 どれもすっきりしていて品があった。


 部屋全体が真っ白な壁紙で、床はブラウンライト色のフローリング。

 白い対面キッチンも綺麗だ。ほとんど使われてないような新品で上等だ。

 僕は中に通されて、キッチンに案内される。持ってきた材料を置いた。やっぱりこのお洒落なキッチンにはこの材料達は似合わない。


「ちょっとさ、君がお昼作ってくれている間、シャワー浴びてきていいかな? 昨日は深夜まで仕事で、帰ってきてすぐ寝ちゃったんだ」

「はい、構いませんよ」

「冷蔵庫にも食材色々あるから好きなの使って」

「はい」


 僕は冷蔵庫を開けてびっくりした。あるある、卵や牛乳、調味料。

 野菜室もあけてびっくりした。思ったより沢山材料がある。

 冷蔵庫の中を驚いてみている僕に、バスタオルを持ちながら隆二さんは去り際言う。

「時々姉がくるんだけど、その時に材料置いていくんだよ」


 なるほど、隆二さんはお姉さんがいるんだ。


「お姉さんと仲良しなんですねー」


 うちの馬鹿姉とは違うんだと思っていたら隆二さんはふと視線を逸らした。


「いや、そうでもないよ。彼女が気を使ってくれてるだけで、僕は別に……むしろ悪いと思ってるくらいで」

「そう……なんですか?」

「所詮義理の間柄だしね、それにちょっとうん。まぁ色々あってね」


 なんだか隆二さんはお姉さんにちょっと苦手意識があるようだ。

 それは僕とは違った形の。

 

 それにしても、色々な材料があって、久々に腕が鳴った。まず、炊飯器を覗いた。よし、ご飯は炊けてるな。


 僕は持参したエプロンをすると、早速この間の煮物の中身をイカが入っているものにした。

 野菜室にとろろ芋があったのでそれを擦り、ダイス大に切ってあるお刺身があったので、それをその上に乗せる。わさびがあったのでそれを軽く擦り、上に少しのせた。

 更に鰯があったので梅と煮て、更にレタスとかトマト、きゅうり、アスパラがあったのでそれでサラダを作った。


 お味噌汁は何にしようかな。

 なめことあぶらげがあったからそれでイリコ出汁で味噌汁を作ろう。


 これだけ材料があると作ってるだけでウキウキする。


 そういえばムーンの奴元気にしてるかな。

 なんか餌で釣られたかなんか知らないけど、あいつ、すっかりスタッフの人に懐いちゃって、その人も段々飼いたくなってるみたいだ。

 人づてによるとあいつ太ったらしい。


 くそっ、絶対僕よりいい生活してるに違いないっ。

 でも、あいつが幸せならそれでもいいのかななんて思った。


 僕は今流行のお洒落な料理はできないけど、やっぱり日本人は和食が一番体にいい。

 姉が道場で疲れると和食がいいって言ってたし、両親も和食派だった。

 僕は鼻歌交じりに色々作っていると、隆二さんがシャワーから出てきた。


「うわー凄いね、想像以上だ」

 キッチンの対面式のカウンターから顔を覗かせる。

「あ、隆二さ……」

 僕は笑顔で顔を上げたけど、慌てて鍋の蓋で顔を隠した。

「ん……? どうした?」


 ううっ、隆二さんたら、上半身裸じゃないかー。

 タオルを首に掛けて髪の毛がまだ濡れてる。


「ちゃんと服着てくださいよ!」

「ん? なんでそんな真っ赤になるんだ」

「真っ赤になんてなってませんよ!」

「そうだろうとも、彼女とも最後までしたくらいの男なのに」


 うわー何、そのなんとも棘のある言い方。

 隆二さんはくすっと笑うと、そのまま素直にシャツを着てくれた。


「コホン、地味な料理ですけど、ど、どうぞ」

 僕が一通り並べた料理を勧める。

 隆二さんは髪を乾かしちゃんと着替えてから、にっこり微笑んでテーブルの椅子に腰掛けた。


「ほら、君も食べなよ」

「あ、はい」

 なめこのお味噌汁を二つお椀に注いで、隆二さんに渡す。


「いただきます」

 二人で手を合わせた。

 何故か僕らはお味噌汁から手を付け始めた。

 ふわりと味噌のいい香りが鼻の奥まで漂ってくる。

 二人で同時にずずっと飲んだ。

「美味しい……」

 言葉が重なってちょっとくすぐったい気持になる。


 隆二さんは煮物を口にして目を閉じた。

 飲み込むとふーっとため息を漏らす。


 彼は次はどれを食べようかと、料理を見渡すように眺めた。

「君、家でご飯作ってるの?」

 僕は目の前のサラダを小皿に盛り、隆二さんに渡した。


「ええ、まぁ……。ほとんど自炊ですね」

「へぇ、凄いね、料理教室にでも通ってたの?」

「昔、おばあちゃんが元気で一緒にいた頃ですから、おばあちゃん仕込みですね。元気な頃は主に主婦やってたので、その頃色々教わりました」

「そうなんだ? ああ、そういえばご両親働いてたって言ってたね」

「はい。畑で一年中働いていました」

「それじゃ一人でご飯食べてたんだ?」


 お味噌汁をすすると、体の中がほんわかして温かくなってくる……。


「いいえ、大抵みんなで夕飯は一緒でしたよ、親が夕食はみんなで顔合わせようって」

「そうなんだ。いいね……」

 また隆二さんは顔に少しだけ淋しさの影を映す。

 たまにこんな風に切なげな表情をするんだ。


「あの、すみません、あんまりお洒落な物作れなくて、僕なんだか……お弁当も意気込んで作った割りに、急に恥ずかしくなっちゃって。今も恥ずかしいですけど……」

「そんなことないよ」

「でも隆二さんって和食というよりも、もっとイタリアンとかフランス料理とかそんなイメージがするんですけど」

「それはイメージだよ、事務所仕込のね。君にもそういう風に見られるんだな」


 隆二さんは、こういやり取りが慣れた様子だった。


「本当は和食が一番好きなんだ。こんな料理毎日食べたいよ」

「いいですよ、毎日来て作っても」

 僕はにっこりと微笑んで見せた。

 隆二さんは今回のドラマを成功させたくて僕と恋人になるだなんて言って、僕を芝居に上手く誘導させようとしているところまではわかってる。

 もし、僕が隆二さんと恋人同士だったら、この場合僕は毎日でもいいよっ、て言うんだろう。きっとそれが正解だ。


「ほんと、本当に?」

 隆二さんは大袈裟気味にちょっと信じられない、なんて顔をして僕を見る。


 ……だって、これ、ドラマを成功させるために恋人ごっこしているんですよね?


「嬉しいな、待ってるよ毎日……」


 なんでそんな嬉しそうな顔……。

 そうだ、隆二さんは僕に同性愛者の芝居を教えようとしているんだ。


「ごちそうさまでした」







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る