第8話 憧れの人

「おっ、こんなところにいた」


 僕らが話をしているところに、善くんが現れた。

 相変わらず大きな手にビデオカメラとか脚立を手にしている。


「何、何? 守、なんか作ってくれるの?」


 さっきまでリラックス状態だった隆二さんの顔が少し曇りがちになり、今までぽかぽか陽気だった部屋の空気まで変わった気がした。

 隆二さんは能面のような顔で、今まで向けていた体を向こうに向ける。


「えっ、いやっ、そのっ……」


 善くんは身を乗り出して、にこにこしている。

 僕は彼の空いている方の大きな手を肩に乗せられて、少し動揺した。


「滝川さん、こいつ結構料理上手いっすよ」

「……」

「昔ずっと毎日弁当作ってきてくれてたから、俺よっく知ってるんすよ」

「……毎日?」


「今度また作ってくれるって約束したもんな!」

 善くんの言葉に、隆二さんが増々冬の風が吹き込んだ感じに強張ってきているように見え、僕は焦った。


「……そうか、それはよかったな」

 ぽつりと言うと隆二さんはあからさまに面白くなさそうな顔で、立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。


「あれ? どうしたんだろ、滝川さん」

「善くん、ちょっとごめんっ」


 僕は隆二さんを追いかけた。

「隆二さん、待って、待ってください」

 僕の呼び止めに隆二さんが振り返る。

「あの、今度、お礼させてくれませんか?」

「いや、でも、君はあいつと」


 僕は首を振った。

「隆二さんには本当にお礼がしたいんです。その恋人の振りとかは別にして……だから明日お昼何も持ってこなくていいですよ!」

「僕は振りのつもりじゃないんだけどな」

 そう言いつつも隆二さんはためらいがちに、それでも少しだけ微笑んで頷いてくれた。


 翌日、僕は田舎から送られてきた野菜とかの材料を箱から冷蔵庫からそれぞれ取り出す。


「里芋、にんじん、しいたけ、ごぼう、レンコン」

 鼻歌交じりに材料を取り出した。昨日奮発して買ってきた鶏肉も用意してある。

 それらをキッチンというには恥ずかしいくらい古めかしい台所において、僕はとりあえず包丁でにんじんから皮をむき始めた。


 自炊するのはいつものことなのだけど、貧乏ご飯ばっかりでほとんど田舎から送られたお米や野菜でしのいでいた。


 実家にいる頃は家族のために僕が炊事担当だったからその癖が抜けなくて、自分のためだけに作るご飯の味気なさにむなしさも感じた。

 だから久々に腕が鳴る。嬉しくてたまらない。どれくらいぶりだろう誰かのために何かを作るのは。全ての下準備を終えた。


「じゃーん! 主役登場!」

 鶏肉を取り出して小さく一口大に切る。思わず僕は唇を舌でぺろっと舐めた。醤油やみりんなどで味付けをし、煮込む。

 その間に卵焼きをつくり、おにぎりを作った。


「こんな感じで大丈夫かなぁ」

 お礼したいなんて言ってはりきって作ってたけど、実際お弁当を作りながら僕は不安になってきた。

 お弁当の中身は色が地味だ。隆二さんのような華やかな世界にいる人が、こんな田舎料理みたいなお弁当喜んで食べてくれるだろうか。


 僕はとってもドキドキしていた。

 大丈夫かな。ちゃんと食べてもらえるかな。


 撮影所の入り口に着くと、今日もまた女の子が大勢来ていた。

 いや、よく見ると女の子だけじゃない。男の子もいる。

 凄い歓喜に溢れた声が入り口を占拠してこだましている。

 その取り巻きの中心に隆二さんがいて、みんなに挨拶をしていた。

 マネージャーの潮野さんと守衛さんが一緒に彼を護るように立ちふさがっている。


「ちょっと、どいて!」

 僕は後ろから走ってきた女の子や男の子達に突き飛ばされる。

「うわっ……」

 思わず持っていた包みを落しそうになって慌てた。


「す、すごっ……」

 物凄い騒ぎに僕は思わず萎縮してしまった。

 隆二さんはファンから色々な物を受け取ったり、愛想笑いをしたり、握手をしたりしている。

 貰ってるものがどれもこれも高級そうなものばかりだ。

 前に僕がもらった豪華なプリンみたいな感じの包みやら、花束やら、色々な包みが飛び交っている。


 僕は手に持っていたお弁当を、ぎゅっと握り締めた。


 そうか、隆二さん有名な人なんだ……。


 あの人達全員彼の熱烈なファンなんだ。

 そうだよなぁ、あんな素敵な人だったらみんなに好かれるよな。

 憧れられるよな……。

 なんだか、僕とは別の世界にいるみたいだ。


「よー、守くん、おはよう! 今日も元気かぃ」

「はぁ、まぁ。元気です……」

 僕の背後から笑顔の海倉監督が現れた。


「うおーおー。今日はいつにも増して凄いなー」

 まるで景色を眺めるように手を頭にかざして、眩しそうに隆二さんとファンとの光景を眺めている。


 海倉監督と一緒にいたスタッフの山野千夏さんという人も同じようにその様子を見ていた。

 彼女は動きやすいようにいつも長い髪を後ろで束ねていて、格好もジーンズやラフなスタイルのシャツ、上着を着ていることがほとんどだ。男勝りで活発。いつも僕らの身の回りの世話や雑用に追われてる。


「今日はどこから情報が漏れちゃったのかしらね?」

「さぁな……」

「隆二さんも久々とはいえ、最後のBLドラマだから、ファンに惜しまれちゃいますよね」

「ああ、でももういいんだ。あいつはこの枠で納まる器じゃねぇよ。この後にもう民放のドラマ決まってるしな」

「三作目ですよね」

「ああ、今度は準主役だ。たいしたもんだよ」


「女性だけかと思ったら、男性のファンの人も多いんですね?」

 僕は包みを抱えたままぽつりと言う。


「ああ、あいつはバイってことで通ってるからな。男女ともに期待させちゃうんだよ」

「付き合ってた女性も男性もいましたからね」


 そうなんだ……。

 なんだ。隆二さんも人が悪いな。ちゃんと女性の人とのお付き合いもあるんじゃないか。

 僕の事言えないよ、それじゃ……。

 僕はなんだかそれ以上そこにいるのが辛くて、そのまま裏口から入った。

 控え室でお世辞にも綺麗とは言えない紙袋を見て、ため息が出る。


 僕、何やってるんだろ……。


 裏口からの廊下をとぼとぼと歩く。通路の先はまだ人の声でざわめいていて、僕はすっかり凹んだまま、控え室に入ろうとした。


「守!」


 ふいに背中を大きな手が触れた。

 振り返ると善くんが笑顔で立っていた。


「おはよう! 守」

「……善くん」

「どうした? なんか元気ないぜ?」

「なんでもない……」

 善くんは僕が抱えている紙袋を見た。


「おっ、それもしかして、お弁当じゃね? 懐かしいーまたあの上手い煮物とか入ってるの? いいなー」

 まるで好奇心一杯の顔で僕のお弁当を涎を垂らしそうに眺める。


「善くんはいいの?」

「何が?」

「こんな貧乏くさいお弁当で」

「いいも何も、昔散々ごちそうになってたじゃんかよ」


 ニッコリと笑顔で善くんは微笑む。

 僕の気持ちが揺れた。


 そうだよね、善くんは、善くんならこのお弁当喜んで食べてくれるかもしれない。


「あの……もしよかったら」

 僕の一言に善くんの顔がぱぁと明るくなる。


「マジ、本当にいいの? 本当? 守ー! ありがとうなー今月金欠だから助かったぁ!」

 善くんに突然抱きつかれて僕は心臓が跳ね上がった。


 ……でも。久しぶりだったから、ちょっぴり嬉しい……。


 隆二さんもきっと忘れてるに違いない。


 あんなに沢山の人に囲まれて毎日忙しいスケジュールをこなしているんだから、僕の事なんて忘れてるだろう。


 僕がスタジオ入りすると、隆二さんが僕の姿を見つけて、笑顔で近づいてくる。

「おはよう」

「おはようございます……」


 僕は先ほどの光景を思い出してまた凹む。


 隆二さんはにっこり微笑むと手を差し出してくる。

「お弁当。くれるって言ったよね?」


 えっ、えっ……。


「あ、あのっ、で、でも、ファンの人から沢山食べ物もらってたんじゃ?」

「いや、基本的に食べ物はもらっちゃいけない決まりになってるんだよ。手作りのものは特に。だからほとんど香水とかネクタイとか物が多いかな」

「そうなんですか」

「で? お弁当は?」


 うわっ、どうしよう。

 僕うっかり善くんにあげちゃった。

 まさかそんな事も言えずに。


「ご、ごめんなさいっ、そのっ」

「ええーないの?」

「作ったには作ったんですが、どうにも見た目がその、地味で、隆二さんのお口に合わないなぁと思って、ごめんなさい」

「そんな、楽しみにしてたのにな」


 あからさまにがっかりしたような顔をする隆二さんに僕の方が戸惑う。


「よー守、弁当ありがとなっ! 昼楽しみにしてるよー」

 背中に大きな手がポーンと僕に当たって、善くんが笑顔で他のスタッフと歩いて行った。


 うわーなんて間の悪いっ。


「酷いな、守くん」

 隆二さんは観音様のような笑顔から、段々とジト目視線に変化してきて怖い。

「僕には作れないけど、元彼には作れるんだ」

 少し拗ねてるような気もする。


「元彼じゃありませんっ! 大体隆二さんだってファンの人から沢山プレゼントもらってたじゃないですか。あんな素敵な高級菓子とかっ」

「だから食べ物はもらってないって。さぁて、どうしてくれようか。僕ら付き合ってるんだよねぇ? こんな時に元彼にお弁当渡す筋書きはどうなんだろうな?」

 そんな威圧するように言わなくても。


「うう、ごめんなさい。あんまり隆二さんが人気者だから、高級お菓子があるから、僕なんかのお弁当いらないかと思って。善くんなら別に食べなれてるからいいかって思っちゃって」


 僕はなんだか小さくなってしまった。でも元彼じゃないし。


「そんなにあれを高級菓子にしたいのか?」

 隆二さんは腕を組んで呆れた顔をした。まだ睨んでる。

 

 あうう。


 隆二さんは何か閃いたのか気を取り直したようだ。

「そうだ。それじゃ、うちに作りにこい。空いてる日でいいから」

「え……」

「一度食べてみたいんだ、君の美味しい料理とやらを、彼ばっかり知ってるのはちょっと癪だからさ」

「癪?」

「えっ、あっ、なんでもないっ」

 隆二さんは急に何故か顔を赤くした。




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