第4話 再会
それから今日の滝川さんとの撮影は延期になった。
何故だろう。たがだか芝居じゃないか。それなのに……どうして?
僕は控え室に戻り、目の前の鏡に映った自分の顔が真っ青になっていて驚いた。真っ青というより真っ白に近い。
僕はこんな顔で滝川さんと向きあっていたんだ。彼に対して申し訳ない気持ちになった。
相手がこんな顔してたら、彼だって少しも演技に身が入らなかったと思う。
もう最悪な気分で私服に着替え、廊下をとぼとぼ歩いた。情けなくてたまらない。
お昼になり、僕はスタッフからお弁当をもらった。
ロケ用のお弁当があまることがあり、海倉監督が僕に気を利かせて分けてくれた。
たぶん、これはお腹がすいていて元気がなくなってるだけなんだ。
お腹も一杯になれば少しは気分も軽くなるはずだ。
犬のムーンは結局監督の計らいでスタッフの家に預けることになった。僕のご飯を分けて与えていたのだけど、痩せていた事は否めなかった。
廊下を歩いていると、建物のエントランスにさしかかったところで私服の滝川さんの姿を見つけた。
僕はどきりとする。
背中を向けていたけれど、お洒落なベージュのジャケット。それと同色のスラックスを穿いている。
僕は先ほどの事を謝ろうと身を乗り出して、そのまま動きが止まってしまった。
滝川さんは知らない人と二人で何か口論し、揉めていた。僕は近づきたくても近づけない。
相手の男の人は滝川さんより少し背の低い、端正な顔立ちで綺麗な黒髪の人だった。ラメの入った青い服を着ている。
見た事もないアクセサリーをジャラジャラと沢山身につけていた。
2人が並ぶとまるで世界は少女漫画だ。僕なんかよりずっと垢抜けてて格好いい。あの人も役者さんなのだろうか?
滝川さんはああいう人と共演するべきだったのではないか、と僕はまた胸の奥がちくりと痛くなった。
あ……!
ふいにバシッと男の人が滝川さんの頬を平手打ちする。僕はその様子が痛々しくて、思わず目を覆ってしまった。
一体どうしたのだろう。
男の人が顔を歪ませ、今にも泣きそうな顔で僕のいる方向に向かって走って来た。
あ、このままだと見つかってしまう!
僕は隠れ場所を慌てて探し、階段の方に行こうとしたが、時既に遅し。こちらに気づいた滝川さんと目が合ってしまった。
男の人はすれ違いざま僕を一瞬睨むと、そのまま廊下の奥へ行ってしまう。
今の状況に困惑したけれど、あえて何も言わずに歩き出す滝川さんの後をなんとなくついて歩き出した。
ちらりと横目で見ると、彼はいつもと変わらない表情で、寡黙だった。でも何故か僕と歩調を合わせてくれている。
僕は彼にさっきの事を訊きたくて、言葉がノド元まで出かかったけど、黙って耐えた。
ああ、なんか空気が重い。こういう時はどうしたらいいのかな。
「君ってさ……」
僕が話しかける前に彼が口を開いた。
「あまり僕の周りにいないタイプだね……」
「え、あ。そうかもしれませんね。滝川さんの周りにいる人って、滝川さんと同じような格好よくて、お金持ちそうな人ばかりなんだろうなと思います。あと、さっきみたいな綺麗な男の人」
僕はしまったと思った。折角いい感じだったのに先ほどの嫌な空気をまた引き戻してしまった。僕は心の中でたらりと汗をかいた。
でもその僕の気持ちを見透かしたのか、滝川さんは僕を軽く見ただけで微笑み、視線を前に戻す。
「あの人は僕の元彼」
「え……元彼って……」
元彼って元カレですよね? そのっ、滝川さんの恋人?
滝川さんは男性で彼も男性だから、そのっ、滝川さんはそういう人?
滝川さんの横顔が淋しそうに見えて、僕も言葉を繋げられずに黙ってしまった。
二人で歩いている途中で滝川さんは何かを思い出したようだ。
「監督から言われているんだけど、今回出演者は互いに名前で呼び合うようにだってさ」
「え、そうなんですか?」
「もっとお互いによく知った方がいいって。僕も君のこと守って呼ぶから、君も僕を隆二って呼んでいいよ」
「えっ、そ、そんな呼び捨てになんてできません!」
「ん?」
「あー、そのっ、せ、せめて隆二さんって呼ばせてください、先輩!」
「先輩?」
隆二さんは目尻を少し下げクスりと笑った。彼が笑うだけでなんだか僕も嬉しくなる。
なんでだろうな。どこか淋しそうに見えるからかな?
でも滝川さん、もといっ、隆二さんと少しだけほんの少しだけ、距離が縮まった気がして嬉しいと感じたのは本当の気持だ。
ふとジュースの自販機の前で隆二さんが立ち止まる。
「ちょっとコーヒー買って行くから、先いってて」
「はい」
僕はその後、撮影所の長い廊下を一人で歩く窓から差し込む光が眩しい。今日は特に人が多いように感じた。何かイベントでもあるのだろうか?
ふと、ある人とすれ違った時、それが日常であるけれど、非日常的なそんな変な違和感を感じた。彼も同時にそう思ったに違いない。
僕らはすれ違って、しばらくしてから徐に振り返った。
「……守?」
二年前から会っていなかった懐かしい顔がそこにあった。
故郷の高校でずっと仲良くしていた。
「ぜ、善くん、どう……して……?」
何故岡田善之助くんがここにいるのかわからず、僕はただ戸惑い、驚いてしまった。次第に動悸が激しくなる。
彼は背が高くて体育会系並みの大きな体をしている。身長は180センチ近い。顔は美形というよりごつい感じだけど、それなりに整っている。目が大きいせいか可愛い印象で、いつも色々な事に好奇心を持っていた。
あの時の想い出が一気に蘇り、嬉しかった事、そして悲しかった事、それらがない交ぜになっていく。
胸の鼓動が激しく波打ち、体中の血液が総動員して勢いを増して体温が上昇していくのがわかる。
同時に懐かしさで胸が一杯になった。
「2年ぶりくらいかな?」
「……うん」
覚えのある少しだけ低めの声が、耳先をくすぐる。
「ここで何やってるの?」
興味深そうな大きな瞳の輝きは、あの頃と変わっていない。
けれど、僕の事情なんて話せるわけがなかった。
「そ、そういう善くんこそ、ここで何を?」
彼の体の大きさは相変わらずで、昔だったらその体によりかかったり、ふざけあったりしたのだろうなと思った。
「俺? 俺は映像関係の勉強をしているんだよ。今はこのスタジオでアルバイトしてる」
「えっ、そ、そうなんだ」
それ以上何も口に出せない。僕らが立ち尽くすところを他のスタジオ関係者がすれ違って行く。
「……あの時は悪かったよ」
少し猫背気味の善之助くんがバツが悪そうに頭を掻きながら言う。
「お前が悪いわけじゃないんだ。ああするしか他に方法がなかった」
「……」
「俺たちただの友達だったのにな」
善之助くんの屈託のない笑顔は健在だった。
僕の睫が少し揺れた。あの時のもやもやした感じが蘇り、友達という言葉に胸がちくりと痛む。
廊下の向こうから隆二さんがコーヒーの缶を片手に皮靴の音を軽快にたてて、歩いてくるのが見えた。
隆二さんはこちらに気づくとふと立ち止まる。
「守くん?」
「隆二さん……」
善之助くんが隆二さんの顔を見て、好奇心旺盛な顔で目を丸くした。何故か顔を高揚させている。
「あ、あなた、僕知ってます。つい最近深夜の恋愛ドラマに出てた。滝川隆二さんですよね? 僕あのドラマのヒロイン役の沙羅京花さんが大好きで、応援してます!」
善之助くんは嬉しそうに隆二さんに握手を求めると、彼もそれに応えた。
「ありがとう」
「うわぁ、守お前、こんな凄い人と知り合いなの?」
弾むような声で目をくりっとさせ、善之助くんは白い歯を見せて嬉しそうに笑う。
「善くん、別に僕はそんな……」
「善くん?」
隆二さんが呟くと、善之助くんは彼に改めて向き直って微笑んだ。
「俺は、岡田善之助と言います、この守。もといっ、春原くんと高校時代に友達でした!」
あまりにも屈託なく、さっぱりと言い放つ、善之助君に僕はなんともいえない悲しさが押し寄せた。
あんな酷い切り方しておいて、今更友達なんてなんだよ。
「僕、も、もう行くね……」
僕は振り返らずそのまま善之助くんを避けるように足早に歩いていく、控え室に入り俯いた。
なんでこんなところで、しかも最悪のタイミングで再会しなきゃならないんだ!
ため息をついたまま控え室の椅子に座った。
ここは新人がまとまって集まる控え室なのだけれど、今はみんな出払っていて誰もいない。
テーブルの上にシャツとジーパンが置いてあり、その上に僕宛のメモがあった。衣装さんからだ。僕はさっきのことはとりあえず忘れようと、衣装に着替えて、台本を手にする。
スタジオに入って台本を復唱していると、不意に入り口付近がざわつくのを感じ顔を上げた。ふと顔をあげると視線の先に海倉監督と善之助くんの姿が見えて、僕は思わず顔面蒼白になった。
監督が僕の方を向いて善之助くんに僕を紹介するようなジェスチャーをしている。善之助くんが僕に気づいて手を振っている。
ま、まさか。嘘だ……。
僕が急転直下、最大に真っ暗な気分に陥っているのと反比例して、監督がニコニコ無精ひげを弄りながら近づいてくる。
「おおー、守、みんな、今日から臨時にスタッフに入る人を紹介する。東京映像大学の現役大学生、岡田善之助くんだ。みんなよろしく!」
善之助くんがスタッフに頭を下げると、みんなもよろしくーとそれぞれ声を掛けていた。
「おはようー春原くん」
白鳥さんに声を掛けられても、僕は善之助くんから視線を外せないでいた。体中に変な汗をかいてしまう。完全に僕は動揺していた。
「春原くんてば! おはよっ」
白鳥さんに背中を突かれて始めて気づき、体がびくりとなった。
僕より背も低くて髪も短く、細身の可愛らしい少女のような瑠璃さんは、瞳をネコのようにくりっとさせて僕の顔を覗きこむ。
「どうしたの?」
「ああ、ううん、そのっ、なんでもありません。おはようございます」
白鳥さんは白いシャツとスゥエードのベスト、スラックスという衣装を着ていた。
「そうそう、改めて、俺、春原くんのこと、守って呼んでいい? 監督から聞いた?」
「あ、はい、隆二さんから聞きました」
「隆二さんから? ふぅん。じゃよろしくね! 守」
「は、はいっ、瑠璃さんっ」
家で台本を読んできたのだけれど、僕の役『守』はこれも役名『瑠璃』と付き合っていた。
しかし、あまりに瑠璃がもてるので、なかなか思い通りに行かず、ある雨の日、僕は一度瑠璃に振られてしまう。
お屋敷で同居しているのは兄と仕えの者達だけ、親は海外で仕事の取引をするために渡航していた。
兄の隆二が心配そうに屋敷の玄関先で帰りの遅い僕を待っている。
僕は辛くてお酒を飲んでいた。
帰ってきた僕を優しく介抱する兄に、僕は畳み掛けるように酷い言葉を投げかける。
けれど昔から僕を密かに好きだった兄が「兄さんに何がわかるんだ!!」と当り散らした僕に、感情の糸が切れ、僕は無理矢理兄に奪われてしまうという展開なのだけれど、善之助くんを前にそれをしなきゃならないなんて嘘だろ……。
僕は頭を抱えた。
こんな芝居をする僕を、善くんはどんな目で見るのだろうか。
あの時みたいにまた冷たく突き放されるのだろうか。
僕があの時どれだけ苦しんだか、笑顔で僕を見る善くんはわかってないのだろうと思う。僕が悲しんでる間、彼はなんてこともなかったようにクラスの友達と遊んで、嬉しそうに卒業していった。
影であいつは同性愛者だから気をつけなきゃなんて僕の噂が広まって、僕が彼女を強引に作るまでその噂が絶えなかった。
その間の僕の淋しさは底なし沼に沈んでもがいてももがいても抜け出せずもう寸でで狂いそうな物だったんだ。
僕は唇を噛んで我慢した。
あの時の苦しみが一気に溢れ出して閉じ込めていた記憶が強引に心の扉をこじ開けようとする。
善之助くんがスタジオ入りして本番までの間に、隆二さんも僕らの様子を見にスタジオに入っていた。相変わらず彼がいると周りの空気まで変わる気した。
僕はその後の事をあまり覚えていない。
「よぉい、スタート!」
開始の合図が鳴ると撮影が始まる。
瑠璃さんとの芝居は何故か自然にできた。もちろん瑠璃さんほど僕は上手くない。僕は彼の足を引っ張らないように必死で下手ながらも、午前中の失態だけは見せないよう必死だった。
彼は彼女のようだったから。本当に色白で女の子みたいだった。
撮影後のチェックでも不自然に見えない。僕らは普通のカップルのように見えた。
スタジオのライトは僕らに集中していたから、善之助くんの姿がどこにいるのかわからなかったのは幸いした。
また午前中の僕のふがいなさに心配していたスタッフも、瑠璃さんとは特別なシーンがあるわけではないので、順調に撮影が進んでいる事に安心した様子だった。
撮影が終わっても僕はどこか上の空で、撮影に使われたマンションの一室のセットのベッドの上でぼんやりしていた。
「守ー。なかなか面白い事やってるじゃないか」
そんな僕の前に、片付けの道具を抱えた善之助くんが現れた。穏やかな声は変わらない。
僕はしばらく彼と目を合わせられなかった。
善之助くんがどんな顔をしているのかそれが怖かった。
「……僕の事、軽蔑した?」
僕は半分消え入りそうな声で呟いた。声が震えているような気がする。
「なんで? そんな事ないよ、これはお芝居なんだろ? 面白い事やってんなーって。俳優ってやっぱ大変な仕事なんだよな」
「そう……?」
善之助くんは僕が落ち込んでいるのを見て、何かを察したのか、横のベッドに腰掛けてくる。彼の体の重みでベッドが沈んだ。
片付けはだいぶ終わったのか、スタッフ達がぞろぞろと引き上げていく気配がする。
「お前、まだあの時の事気にしてるの? あの噂なんて一時的な物だったじゃないか。仲間うちで結局お前はそっちの毛ないって結論に達してたぞ? あの後彼女できてたじゃん?」
僕が黙り込んでいると、善之助くんが軽くため息をついた。
「お前が思い悩んでるのわかってなかったわけじゃないさ、でも彼女できてたし、俺もこれ以上踏み込めなかったんだよな。で、その後彼女とはどうなった?」
「とっくの昔に別れたよ……」
「えっ、別れちゃったのか! 結構可愛い子だったのに」
善之助くんは意外という顔で僕を見る。僕の表情が氷のように硬くなってそっけないのを見て、善くんは何か話しかけなきゃとでも思ったのか、必死で言葉を探しているようだった。
「ああ、まぁ、その。色々あるよな。でも、なぁ、また彼女すぐできるよ、お前女にもてそうな顔してるし」
「……もう彼女なんていらないよ」
善之助くんはしばらく黙っていた。色々な事を思い巡らせている様子だった。
「もしかして、俺の事怒ってる?」
「……」
「そんな怒る事でもないだろ? 確かに周りに言われて逃げ出した俺が悪いとは思うけどさ、でも、俺はお前に彼女ができてたから話しかけるきっかけが持てなかったんだよ。それだけは忘れないで欲しいな。だって俺達別に何も悪い事してないだろ?」
それはそうだ。僕はただ善くんと仲良くしていただけで、それ以上の事は何もない。
「例えばお前が噂どおりの同性愛者でさ、本気で『俺の事好きだった』っていうのならわからなくもないけど、でもそれは考えづらいしな」
僕はその言葉に心臓を射抜かれた気がした。
堰き止め続けていた心のほつれが緩んで、そこからポロポロとわけのわからない感情が溢れてくる。
どうにもならない、自分でもコントロールができない、悲しくて苦しくて理解できない感情。認めたくない感情が。
善くんは笑いながら僕の顔を覗きこんだ。
「……? どうした?」
「なんでもない」
「あれ、俺今何か悪い事言ったか?」
「言ってないよ」
「でも」
「わかったから、放っておいてくれ!」
スタジオ中に僕の声が響いて周りの人が一斉に僕らを見た。
僕はその場にいるのが我慢できなくなって、立ち上がる。
善くんが何か言っているような気がしたけれど、そんなのお構いなしに走り出した。
なんなんだよ、どうしてこんな時に目の前に現れるんだよ、もう最悪だ!
スタジオの隅でコーヒーを片手に休んでいた隆二さんの視線は感じていたけれど、僕は何も言わずに前をすり抜け出口から外へ出た。
途中から若干駆け足になり廊下を過ぎ階段を上階へ駆け上がり、踊り場まできてやっと僕は動きを止める。
はぁはぁと止められない息を前屈みで整えた。
こみ上げていた感情が涙の粒になって睫毛を濡らす。段にぽろぽろと雨粒みたいに落ちていく。
嗚咽が出そうで咄嗟に口を押さえた。そうしてしばらく僕は階段に座り込み俯いていた。
「守くん……?」
僕の後を追いかけてきてくれたのだろうか?
俯く僕の右下から隆二さんのためらいがちな声がした。
泣いているのを見られてしまったと思い、僕はその場で動けなくなってしまった。
「どうした?」
「……なんでもありません、なんでも、なんでも」
彼に背中を向け、慌ててシャツの裾で涙をぬぐう。
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