第2話 憧れの人達

 とうとう撮影初日。


 朝、目覚めて少し寒いなと思い、玄関へ出てみると外の空気が冷たかった。寒い季節が近づいてきたんだなぁと思う。

 今日は上着が必要だな。

 支度を終えると、古着屋で購入したジャケットの前ボタンをしっかり留めて外出する。くたびれたスニーカーで歩いていると、道端の草木の葉も色づき始めている事に気づいた。

 空は白く、重たそうな雲の塊が体積を増してゆき、空が悲鳴を上げているようだ。黒々としてくると徐々に小雨がぱらつきはじめる。

 傘を持っていてよかった。


 撮影所に行くと、地図に示してあったKOビルという所はすぐに見つかった。僕はよしっ、と気合をいれた。正直少し緊張していた。

 正面口でなにやら何人かの女性や男性がたむろしていて周辺はざわめいている。何かイベントでもあるのだろうか。


 ビルは年季が入っていたけど、四階建てで思ったより大きかった。そこでは様々なドラマの撮影がされているようだ。

 広い出入り口から車で乗りつけてくる人がほとんどで、徒歩は僕だけ。


 シッポを振って一緒に歩いていたムーンは、僕の手からするりと抜け出し、首輪とリードをつけたまま撮影所の正面口から入ろうとした。

「こっ、こら、ムーン、裏口から入らなきゃダメだって言われてるの!」

 ムーンのリードを引っ張り、犬と焦った僕とで綱の引き合いをしていると、後方から赤いセダンが音もなく滑り込み、目の前で止まった。


 車の後部ドアが開くと、少し薄めのサングラスをかけた人が颯爽と降りてきた。

 菖蒲色のタイトなスーツをパシッと着込んでいる。すらりとした青年で、彼の醸しだす大人のオーラに僕は惹きこまれそうになった。


 先ほど入り口に集まっていた人たちが、彼の姿を見てきゃっと黄色い声を上げ色めき立つ。彼女達の目的がすぐにわかった。


 彼はまるで、よく美術室に飾ってある石膏像のような、印象は綺麗なのだけど冷たそうな感じだった。絵から抜け出てきたような風貌だ。


 あれ。僕、この人どこかで見たような気がする。

 

 彼はサングラス越しに僕をちらっと見ると、そのまま無言で入り口に入っていった。


 僕は指示された裏口から廊下に入ると、そこはとても殺風景で、少しひんやりしていた。所々壁にヒビも見える。


 

 指定された会議室をメモを見ながら行くと、ドアが開かれたままのさほど広くなさそうな会議室が見えた。


 入っていきなりスタッフや役者さんらしき方々がこちらを一斉に見てその空気だけで僕は焦る。


 うわぁぁ、やっぱり僕だけなんだか貧乏くさいからかな。


 簡単な長袖のシャツ五百円。ジーンズやジャケットはそれぞれ千円、三千円と古着屋のもの。


 ムーンは入るなりシッポを振りながら、スタッフのみんなに愛嬌よく体を摺り寄せ、頭を撫でられている。




 僕の姿を見て、スタッフの1人が「君が春原くん?」と聞くので僕は軽く頷いた。


 「海倉監督、よく見つけて来たね」と他の誰かが囁くのが聞こえてしまう。


 僕は自分の身なりに気恥ずかしくなって俯いたままそろりと中に入った。まだ会議は始まってないらしく、ざわざわとみな雑談をしている。

 どこに座ったらいいのか迷っていると、「こちらへどうぞ」と案内されゆっくりと腰掛ける。



 先ほどのサングラスをかけた男の人が、スタッフの「おはようございます!」という掛け声に応じながら会議室に入ってくると部屋の空気がピンと張り詰めたように変わった。


 傍にいるスタッフが椅子を引いて彼を手招きしていた。彼はするりとそこへ滑り込むように座る。


 出演者らしき人も彼に丁寧に頭を下げていたので、やはりベテランの人のようだ。

 サングラスを外した時に手元が見える。

 指がとても長くて綺麗だな。

 少しプライドが高そうで、人を寄せ付けなさそうな空気を醸し出している。

 髪の毛は少しだけくせっ毛だけれど、綺麗にセットされていた。

 漆黒の眼球が鋭く、冷淡な視線を流されただけで、ヘタレな僕はドキリとしてしまった。それでいて彼に寂寥感を感じるのは何故なのだろう。


 そのうち、海倉監督がのらりくらりと鼻歌交じりに入って来た。

「おはようございます」

 スタッフが声を掛けると、彼は真っ先に僕の存在を見止めてとにんまりした。

「おっ、春原くん、早速来てくれたね!」

 殊更嬉しそうに僕の姿を眺めた。


「ええと、今日は白鳥くんが少し遅れるそうだから、先に打ち合わせ始めとくか、じゃあ、みんな初顔合わせだから順番に、この方が滝川隆二さん、で、向かいに春原守くん、その隣が……」

 監督は次々に出演者の紹介をしてみんな一様に頭を下げる。


「そうだ、春原くん、契約書」

「あ、はい」

 僕は公園で渡されていたサイン済みの契約書を監督に渡そうとすると、彼はそれをかっさらうように手にして懐にしまい込んだ。

「じゃ、早速だけど台本読みから行こうか!」

「あの」

 僕が手元に台本を持ってないことを言うと、「あ、渡してなかったっけ?」と海倉監督が呑気に言う。


 すぐにスタッフの人が台本を渡してくれた。表紙はタイトルが入ってなく、僕は不思議に思った

「今回は面白い嗜好で役の名前のところが君らの本名になってるから、よろしく! あ、守くんは空欄のセリフのところね」

 僕が台本を開くと、空欄のところのセリフを早速チェックした、結構滝川さんとの絡みがある。僕らは兄弟役のようだった。

 彼と芝居をする……。

 そう思っただけで僕はまた体が緊張感で硬直してきた。

 彼の様子を見ながら恐る恐る話かけてみる。


「た、滝川さん、よろしくお願いします」

「よろしく」


 滝川さんは僕をちらっと見ると顔色変えずに返事をした。

 なんとなく不安になる僕。


「そうそう君らは研究員でお金持ちの設定だからね。念のため」


 無精ひげを生やした海倉監督が言う。

 金持ちの役か。自分の借金の事が頭を掠めて、少し憂鬱になった。


「でー。ベッドシーンはAスタジオだったかなぁ」と監督が言うと他のスタッフが「Bスタジオですよ」と返事。


 べ、ベッドシーン?!


 僕はその言葉に軽く衝撃を受けて、一体どこのシーンで誰がやるのだろうかと気になって初めて台本を開いた。

 パラパラと捲り、あるシーンに目が留まり、目を凝らした。しまいには印刷ミスかな? と思った。

 どうみても名前のないセリフのところが滝川さんとの絡みになっていて僕は困惑した。

 僕が焦って顔を上げると、滝川さんが僕を見ていたようなそんな気がした。

「あ、あは。これなんか誤植みたいですね」

「どこが?」

「だっ、だからこの台本のシーン」

「ああ、それ誤植じゃないよ?」

 監督が無精ひげを掻きながら平然と言う。


「まぁぶっちゃけるとだな、今回は君と隆二くんの濡れ場があるんだ。でも別に本番するわけじゃないよ、ちょこっと裸で抱き合ってチューするだけだから、同性愛のドラマだからね、わかる同性愛って? 男同士の恋愛。知ってるよね? ボーイズラブドラマ。しかも今回は凄いよー三角関係なんだからなー」

 しれっという監督に、僕はそのまま台本を床に落として、ショックのあまりしばらく声も出なくなった。

 体から血の気が引くとはこういう事を言うんだ。本当に音が聞こえてくるようだ。サーって。


 こんなことなら契約する前にちゃんとどんなドラマなのか話を聞いておけばよかった。そしたら絶対借金背負ったままでもいいから断ってた。衝撃で言葉も出ない。

 僕は酸欠状態の魚のようにくちをぱくぱくさせてしまい、トチ狂った事を言い出した。

「あの、僕が滝川さんにチューするんですか?」

「ん、いや、君は受けだからされる方かな?」

「受け?う、うわぁ、待って、待ってくだ、さいい!」

 ぼ、僕にそんなシーンがあるなんて! しかも受けってなんだ?! ううっ、監督酷いよ酷いっ!


 混乱した思考のまま両手を頭に置き、体が震えだす。

 現実と思考の合間を彷徨い、立ち上がってその場をうろうろとし頭を振る。スタッフの1人がそんな僕を怪訝そうに見上げていた。


「そっ、そんな、誰も男同士の恋愛ドラマだなんて知らない聞いてない、言われてない!」

「尋ねてもいないだろ?」

 当たり前のような顔で言い放つ監督に、僕は騙まし討ちにあった気分だ。

「ううっ」

 無言で僕を見つめる滝川さんにも何か一言いいたくなる。


「滝川さん知っていたんですか?!」

「知ってたも何も、そういうオファーだったからね」


 彼の顔が先ほどの冷たさから、少しだけ僕に興味を示すような視線に変わる。

 彼も今日僕が相手役だと知ったようだ。


 そんな、なんで監督言わないわけ?! 言うよね、普通そんな大事な事。絶対言うよね! ああ、だからか、監督だからあんな大金を!


 ううっ、酷いや! 


 大体滝川さんだって、こんな男が、そのっど、同性愛のドラマの役だなんてっ、辛くはないんだろうか。


「たっ、滝川さんも、辛いんですよねぇ?」

「は?」

「だっ、だって、男同士でっは、裸でだ、抱き合ってっ、しかも、キ、キスなんて嫌じゃないんですか? 僕みたいなのと!」

 僕は喉がカラカラになって、言葉が途切れ途切れになる。

「んー別に僕は」

 滝川さんは髪をかきあげて困ったような顔をした。

「普通断りますよね、絶対断るでしょう、そうでしょ? そうだって言ってくださいよ!」

 滝川さんの傍まで行き、テーブルに手を付きながら詰め寄る僕。


 あまりの勢いの僕に滝川さんは片手を僕の肩にぽんと置くと、低く穏やかな声でなだめた。


「まぁ、落ち着いて」

「これが落ち着いてなんていられますか、絶対僕は、嫌ですからね!」

「春原くん……?」

「嫌だ!」


 ああ、これじゃだだをこねている子供みたいだ。ううっ、なんだかみっともない。けれど僕の興奮は収まらない。

 滝川さんは少しため息をつくと、一言「がんばろうな」と困りつつも僕をなだめた。

 が、頑張ろうなって、何をがんばるんだ、じ、冗談じゃない!

「監督~!」

 僕は縋るように監督に詰め寄った。それを見透かしたように僕にふっと微笑むと監督は口元を緩める。


「守くん、実はあのギャラ4分の一の金額なんだよね」

「えっ?」

「ボーイズラブドラマは一部の女子にとても人気があるんだよー。体張ってもらうんだからそれくらい弾まないとね」


 監督はにやりと微笑むと、みんなには聞こえないくらいの小さな声で僕の耳元に吐息を吹きかけるように囁いた。


「これでだいぶ借金返せるんじゃない?」

「ううっ……」

「しゃ・っ・き・ん!」


 瞬間僕の頭の中はスパークした。なんの解決にもならないのにフル回転している。

 酷いよ監督これって詐欺じゃないか!

 でも借金の話されたら僕は二の句が告げられなくなった。


「ま、辛いのは最初だけだからさ、後は楽しいよ」

 どう楽しいって言うんだ!

「早速で悪いけど、そのシーン明日からだから」

 口から魂が抜け出たように僕はぐったりして言葉も発せられなくなった。

「君さぁ、台本ちゃんと目通した?」

「え?」

「君はこの作品を単なるありえない同性愛ドラマとか思ってない? このドラマには沢山の夢が詰まっているんだよねー」

 台本を丸めてにっこりしながら手でぽんぽんと叩く監督。

 わざとらしいっ、沢山の夢はお菓子の中にあるんだぞ!


「それとも。辞めるか?」

 辞める、という現実は僕には選択すらできなかった。というかそもそも選択権すらない。これを失ったら、僕はまた路頭に迷うんだから。


「僕はね、ただそこに君がいたからって適当に選んだわけじゃないんだよ?」

 海倉監督が妙に静かに優しい声で話し掛ける。肩に乗せてきた手が馴れ馴れしくじっとりとしている。

「公園で最終確認したけれど、君の養成所時代のしなやかな体付きや妖艶な動き、優しい声や、穏やかな顔や、人のいいところや、もうとにかくそそるところとか、誰でもできる役じゃないんだ、君だからできると思ったんだ」

「おまたせーすっかり遅れちゃったよ」

 その時ドアから慌てつつも照れ笑いを浮かべた綺麗な女の人が入ってきた。凄く色白で綺麗な人。

 あれ? この人もどこかで見たような気がする。

「おー。瑠璃やっときたか」

 海倉監督やスタッフがみんな笑顔になった。

「おお、みんな、良く知ってると思うが、彼が白鳥瑠璃さんだ」

 スタッフが全員白鳥さんに向かって挨拶をする。

 白鳥さんが滝川さんの隣に座った時、僕はあっ! と思った。

 この人達、あのポスターに写ってた人だ。

 す、凄いっ、ど、どうしよう……。

「何? この人が俺の相手役の方? へぇ、結構可愛いじゃん、よろしくね!」

 白鳥瑠璃さんにニッコリ微笑まれて僕は動揺する。監督が僕らを交互に見つめて満面の笑みを浮かべた。

「いいねぇ~この三人で三角関係かー萌えるねぇ~」

 僕は白鳥さんを見て少し安心した。

 なんだ、同性愛の話とか言って、ちゃんと女性も絡むんじゃないか。

「監督、同性愛って言っても普通に男女の恋愛もあるんですね」

 僕は瑠璃さんの笑顔を見て少しだけ余裕が出てきた。

 周囲が何故かクスクス笑っている。


「な? やっぱりお前、女に見えるんだよ」

 監督が話を白鳥さんに振ると、白鳥さんは慣れたような口調で言う。

「どうせ、俺がこの人に男に見られるか、女に見られるか、みんなでまた賭けてたんだろ? はいはい。俺は男です」

 周りがどっと笑うのと反比例して僕は真っ青になった。

 うえええええ。し、白鳥さんっ、男っ?! 嘘ぉ~。

 って事はやっぱり同性愛の三角関係っ?!


 僕はそのまま呆けて家路に着いた。家の前で見上げる夜目でもわかるくらいぼろいアパート。なんだか僕の人生をビジュアルで例えているようなそのたたずまいに涙が滲んだ。

 平凡な僕とあの滝川さんっていう凄く格好良い美麗な男の人とチューするのが、どこの誰に需要があるんだ?!

 部屋に入って、その光景を想像するだけで、いてもたってもいられない。何の解決にもならないのに、部屋の中をぐるぐる何周も歩き回りながら悶絶した。

 なんでよりによって僕なんだ? 僕なんて、僕なんて……。



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