天狗

四季 巡

プロローグ


夕焼け色の街に今日も悲しい思いを馳せる。鉄筋をはしたなく剥き出しにした街は、飢えた者に溢れる空っぽの街だ。

平岡ひらおか 由紀治ゆきじは、椅子に腰掛けながら窓越しに空を眺めていた。何処までも工場から漏れる黒煙に汚されていて、空だけが黒と白の写真のようであったが、街行く者にとっては裕福に肥える富裕の象徴なのだろう。と平岡は考えていた。

平岡の家族は、早々に帰ってはこない。小学校最後の夏休み、街が陽炎に微睡みそうになっていても、誰もが今日よりも明日を良くしようと夢を抱き仕事に勤しんでいる。けれども、平岡から見たら欲に仕える、時代の奴隷に思えた。


平岡は立ち上がり、水着を詰め入れたリュックサックを背負う。平岡は夜の学校に忍び込み、級友と共に常闇のプールへ入ろうとしていた。勿論、教師に気付かれたのならばこっ酷く叱られる。

平岡はサンダルを履き、家を出る。ポケットから鍵を取り出し、扉を閉めた。

空を見上げると、斜陽は地平線に姿をくらませて、夕焼け色から紺碧色へと色を変え始めていた。

学校まではそう遠くなく、徒歩で十分程度だ。

この街にも、沢山の車が走っている。道路には車に埋め尽くされていて、渋滞が起きているため、エンジン音が地鳴りのように響き合う。

小学校の長く、細い校舎が暑さでぼやけて見えるが蝉の音が夏を一層、暑くさせた。

正門が見える程近づくと、両腕を上げ手を振ってくる者がいた。級友であり、親友である、谷崎たにざき 康成やすなりだ。

平岡は康成を悪友と例えるが、信用している随一の友だ。平岡も手を振り返し、康成のいる正門へ走り始めた。

暑さに飲まれそうな日ではあるが、怠さなどは感じさせなかった。それは、今から起きることが楽しみであり、平岡の胸踊らせる出来事であるからだ。

「おおい、おおい、平岡。早くこっちに来いよ」

康成は正門を抜け、こちらを背にし、手招きしながら言った。

何かを返しそうとしたが、荒れた息に言葉は掠れ、消えてしまうから、頷くだけにして康成を追いかけた。

平岡が正門を抜けると、石と砂でできた駐車場が見え、白い自動車だけが止まっていた。

歩いていた康成に平岡は追いつき、背中を押した。

「ご苦労であったぞ」

康成は呑気に言葉をかける。

平岡はその場に立ち止り、膝に手を置き、息を整えていた。

滴り落ちる汗は、顎へと線を描き垂れては、砂の地面に染みを作る。

追いついた頃には、目一杯にグランドが広がっていて、夜ということもあり、人かげなどは無かった。

障害物のない、平坦で広いグランドには蝙蝠が中空で舞うのだが、乱視の平岡には何重にも見え、不気味さを感じさせた。

一棟しかない、長細い校舎を沿って歩き、プールを目指して歩く。

康成はリュックサックを片手で支え、チャックを開き、家から盗み出した飴を二つ取り出し、平岡へ一つ投げ渡す。

飴を包む袋には、苺の可愛げある模様が描かれていて、何味だとかはすぐに理解した。

平岡は飴を取り出し、口の中に投げ入れた。案の定、苺の味がする。

「ありがとね」

平岡は飴を口の中で踊らせながら言った。

「どうってこともないさ、盗み出したことはバレなければいいのだがね」

康成は両手を広げ、演技過剰な手振りを見せるが、平岡には不安を誤魔化すための行動であることは気づかれている。

夜も深まり、月が煌めく。それでも、空はまだ明るく、夏が長く、遅く感じられた。

プールを囲むフェイスの向こう側は微弱な光が水に反射していて、涼しさを漂わせる美しさがあった。

平岡と康成は顔を見合わせて、フェイスをよじ登ろうと決意する。

フェイスの高さは平岡の身長の二倍もなく、侵入するだけには苦を強いられることはない。

平岡はフェイスの向こう側へリュックサックを投げ入れると、康成も真似る。

荷が軽くなりフェイスを登り始める。闇に包まれた静かなグランドに鉄の軋む音だけが鳴るが、人の視線は感じはしなかった。

頂上に手が届くと、平岡の華奢な体を引っ張り上げ、股がった。見えた景色は何処までも暗く、愛想のないもので、平岡は目にもくれずプールサイドへ飛び移る。

足から電気が投げれるような痛みが走るが、放電したかのように痛みは抜けていった。

平岡は水着に着替えずに、シャツを投げ捨て、プールに飛び込んだ。

康成は平岡が飛び込んだ姿を確認すると、シャツすらも脱がず飛び込んだ。

水飛沫が飛び散り、まだら模様の染みを作っては消えた。


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天狗 四季 巡 @sikimeguru

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