第2話 「葬儀」
東京から青森に、新幹線が開通した。
おかげさまで東京から新青森まで、4時間弱で行けてしまう。
朝のうちに出て昼頃に着き、夕方に青森を出れば夜には帰ってこられる。
私が母のお願いを断りきれなかった理由の一つだ。
幸い、告別式の開始は斎場の都合で午後らしい。
さらに運の良いことに、東北新幹線の座席が、当日でもとれた。
どうやらキャンセルが出たらしい。
ここまで揃うと、もう行かないわけにはいかない。
なんだか運命的なものまで感じてしまう。
「本当に間に合っちゃうとはね……」
新青森の駅で新幹線を降りて、私は一人ごちる。
東北新幹線は、埼玉、栃木、福島、宮城、岩手と、実に5つの県を経由してから青森に入る。
東京を8時40分に出て、それだけの道程を踏んでも、現在時刻は12時前だ。
日本列島をほとんど縦断して、たった3時間半。
文明というのはすごいな、と素直に感心する。
4月を目前にした青森は、まだまだ寒い。新幹線のホームにこそ雪は降っていないものの、駅から一歩出ればそこかしこに雪が積もっていた。
告別式は14時からだ。時間にはまだ余裕がある。
どこかでお昼を食べてから、斎場に向かおう。
ロータリーで待っているタクシーを捕まえて、斎場の住所を伝えてから、その近辺の美味しいお店を教えてもらう。
斎場の近くにはレストランの類はあまりないらしい。運転手さんは、少し遠いですけどねと前置きしてから、美味しい洋食屋を教えてくれた。
そこに向かってくださいと伝えて、私は外の景色に目を向ける。
街中は、雪が残っている以外は、故郷の千葉とそう変わりないように思えた。
しかし雪国らしく、家々には屋根に届く梯子が用意されている。
長い脚立を置いている家もあれば、壁に備え付けの梯子がついている家もあった。
雪かきのためだろう。千葉と東京にしか住んだ経験のない私には、とても新鮮なものだ。
「お葬式ですか?」
斎場の住所を伝えたし、喪服に身を包んでいたからだろう。運転手さんはそう尋ねて来た。
「ええ、そうなんです」
肯定すると、運転手さんは、
「どちらの方がお亡くなりで? ご家族ですか?」
踏み込んで会話を広げにかかる。
「家族のような、そうでないような」
私が少し困って笑うと、運転手さんは、はぁ、とよく分かっていない様子だ。
当然だろう。私にもよく分からない。
「……私が幼い頃に出て行った兄が、死んだんです」
少し悩んだが、ありのままを伝えることにした。
「そうなんですか。お悔やみ申し上げます」
運転手さんは、視線を前に向けたまま、少し頭を下げた。
それきり静かになってしまう。
あまりお喋りが得意な人ではないのだろう。
私も得意な方ではないから、これでいいのかもしれない。
もう一度、窓の外に目を向ける。
……顔も覚えていない兄の、ここが故郷。
貴文兄さんは、千葉の相馬の家を出てから、ずっと青森で暮らしていたようだ。
貴文兄さんの実母――父の前妻だけど、私からすれば、まったく知りもしない人。
その生家が、この青森にあるらしい。
平野貴子というのが、父の前妻の名前だったと、午前中の新幹線の中で母から教えてもらった。
私は知りもしなかったことだけれど、貴文兄さんは、相馬の家を出てから、母の実家に戻ったのだそうだ。
父が正式に相馬貴文を勘当して、平野貴子さんが兄を引き取って、兄は平野貴文と名を変えることになった。
その兄と結婚して平野と名乗ることになった、兄の奥さんの香織さん。
その香織さんが、おそらく喪主を務めているのだろう。
私からすれば、見知らぬ土地で育った、見知らぬ人。
……それはきっと、あちらも同じなのだろうな。
「着きましたよ」
と、運転手さんが告げる。
「ありがとうございました」
私は運転手さんに運賃を支払い、タクシーを降りた。
運転手さんが紹介してくれたお店は、いかにも町の洋食屋さんといった様子だった。
アットホームな雰囲気の中に、おしゃれな内装で欧風の様相を呈している。
私は窓際のテーブルを選んで席に着くと、好物のオムライスを頼んだ。
食事を済ませると、もう一度タクシーを呼んで斎場へと向かう。
新しい運転手さんに、またお葬式ですかと訊かれて、困ってしまった。
今度は、お世話になった方でと、嘘のような本当のようなことを言っておいた。
斎場は、既にすっかり葬儀の装いが整っていた。
『平野貴文』、『葬儀』の文字が目に入る。
そこに至っても、私はまだ実感が持てないでいた。
受付に行くと、女性が二人、言葉を交わしているのが見える。
私が近づいてくるのを見留めると、二人はこちらに向き直る。
向かって左の女性は、髪を短く切り、凛とした面差しの人だ。
対して右の女性は、腰まで届こうかというほど髪が長く、柔和な顔立ちの、いかにもやさしそうな人だった。
「本日はお忙しい中お越しいただいて、ありがとうございます」
左の女性が口を開き、すっと腰を折る。
きれいな所作だ。
「この度は、誠にご愁傷様です。心からお悔やみ申し上げます」
私も居住まいを正して、失礼のないように頭を下げた。
カバンを開けて、前日のうちに用意したご霊前を取り出す。
短髪の女性にそれを差し出すと、
「お預かりします」
と言って、女性は両手で恭しくご霊前を受け取る。
それをテーブルに置くと、手を返して帳簿を差し、
「恐れ入りますが、こちらにご住所とお名前をご記入ください」
粛々と口上を述べた。
なんだかとても雰囲気のある人だな。
私は用意されているペンを手に取り、君島文香、東京都と、住所氏名を書いていく。
「君島……フミカさん、ですか?」
すると、一連の事柄を黙って見ていた長髪の女性が、初めて口を開いた。
「いえ、これでアヤカと読みます。よく間違えられます」
「……アヤカ、さん?」
なんだか怪訝そうな声だ。
書き終えたのでペンを置くと、顔をあげて長髪の女性に目を向ける。
「すみません、失礼ですが、ひょっとして旧姓は相馬さんとおっしゃるのでは」
「え? はい、そうですが」
長髪の女性は、少し興奮した様子で、詰め寄るようにそう尋ねて来た。
どうして分かるのだろうと思ったが、彼女の顔を見て気づく。
よく見ると、化粧の下の瞼が、赤く腫れていた。
「ああ、やっぱり」
女性は私の手をとり、
「じゃあ、あなたがタカくんの妹さんのアヤカさんなんですね。私、香織といいます。タカくんの妻です」
そう言って、強く手を握った。
「あなたが、香織さん……」
香織さんは、泣き出しそうになりながら、じっと私の目を見つめた。
とても純粋な目だ。
「タカくんからお話はかねがね……今日は来てくれて、本当にありがとうございます。タカくんもきっと喜びます」
「あ、いえ……恐縮です。お悔やみ申し上げます」
戸惑いながら会釈をする。
「香織、奥に上げてあげなさい。積もる話もあるでしょう」
「あ、そうだね。ごめんね、サトちゃん。あとお願いね」
横合いから短髪の女性が静かに促した。
サトちゃんと呼ばれたその女性は、任せてと短く答えて、背筋を正す。
私の他には、まだ誰もいないのにな。まじめな人だ。
「それじゃあ、アヤカさん。こっちにどうぞ。お座敷で少しお話しましょう」
香織さんは、手を奥に差し伸べる。
私は促されるままに、式場へと入った。
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