第8話 ベルサイユ、邂逅

***


 ここはフランシュ王国宮廷。かの名高きベルサイユ宮殿で、国王ルイ16世との面会を終えたベンジャミン・フランクリンは、とぼとぼと広大な宮殿の庭園を歩いていた。優柔不断との噂にたがわず、フランシュ国王は終始明確な態度を示さなかった。


 そのあまりにも広大な庭園の中庭にしつらえられた池の横を歩くうち、いつしか彼は瀟洒な貴族の館のような建物の前に建っていた。


「ここがマリー・アントワネット王妃の小宮廷プチ・トリアノン……別名、『愛の園』か」


 この場所が王妃の愛人との密会の場所であることは、半ば公然の秘密であった。だが、このような場所にいることはアメリア独立政府の立場を危うくしかねない。きびすを返して立ち去ろうとすると、優雅にして剛毅な男の声がした。


「おや、貴殿はアメリア独立政府の特別大使……フランクリン公ではないか?」


 振り返ると、馬上から豊かな栗色の髪をたらした男がいた。ベンジャミンは、うやうやしく一礼する。


「これは失礼致しました……ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン卿。みごとな庭園を散策しておりましたら、ついこのような場所にまで来てしまった次第です」


 彼こそは王妃マリー・アントワネットの愛人と言われるスウェーデン貴族であった。あまり親しくするのは、フランシュ王国の支援を受けたいベンジャミンとしては得策ではなかった。


「はは……そう警戒されるな、フランクリン公。私は王妃様にお別れの挨拶に来たのですよ。これからアメリア独立戦争に参加するためにね」

「ほ、本当ですか!?」


 驚愕のあまり、ベンジャミンの声はうわずった。


「フランシュ王家の財政は思わしくない……しかし、アメリア独立の理念に賛同する貴族も多いのですよ。その先鋒たるラファイエット侯爵とともに私も参ります」


              ***


 それから数週間後。フランシュ王国のブレスト軍港に、ベンジャミンとフェルゼン伯爵の姿はあった。ラファイエット侯爵が率いるフランシュ王国義勇軍……その費用は侯爵の私費で賄われており、お世辞にも大規模な軍勢とは言えなかった。中古の蒸気精霊機関帆船に兵員数およそ二百名。


「僕たちはこの義勇軍をフランシュ王国の正式な支援として扱わせていただきます。兵の数よりも国際世論に与えるインパクトがありがたい。イスパニアのカルロス三世陛下も、ブルボン王朝の一員として無視できないでしょう」

「ふふ、世界は理解と誤解の狭間で動くもの……政治的な動きはフランクリン殿にお任せする。私はただ、この王妃様より賜った蒸気精霊騎『ファム・ファタル』とともに戦場を駈けるのみ」


 フェルゼン伯は義勇軍の軍船に積み込まれようとする、鋼鉄の巨人を眩しげに見上げた。そのフォルムは流線型の装甲板に覆われ、人体で言えば筋肉の働きをする蒸気精霊気筒の束も細く圧縮されていた。


「さすが芸術と文化の国フランシュの手にかかれば、蒸気精霊騎も優雅な美術品のようになるのですね」

「ええ。フランシュ王家の百合の花が刻まれている以上、無様な戦いはできません。……我が愛するひとのために」


 ベンジャミンは伯爵の最後の独り言を、礼儀正しく聞こえなかったふりをした。やがて義勇軍を指揮するラファイエット侯爵の号令がかかり、軍船は帆を開いて出発した。これより、大西洋を横断する14日間の旅が始まる。


 フランシュ王国で独立戦争への協力工作を行うベンジャミン・フランクリン。一方そのころ、アメリア独立軍の司令官に任命されたマーサ・ワシントンは、ブリタニア軍の本拠地ボストンを包囲していた。


<次回、「ボストン、包囲戦」。猛る蒸気が未来を拓く!>

 

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