第6話 独立戦争、開幕

「まったく……これだから『蒸気精霊機関スチーム・エンジン』などという怪しげな代物は信用ならない。修理に6時間もかかるなど、とても実用とは思えんね。戦場で修理している間、敵が待っていてくれると思うか? やはり軍事技術として数千年の歴史を持つ歩兵と騎兵に勝るものはない」


 ブリタニア帝国陸軍少将、サー・トーマス・ゲイジは副官に対して苦々しい表情を隠そうともせずコンコード駅に降り立った。戦列歩兵二百名は「捧げ銃」で彼を出迎え、騎兵三十名も同じく抜剣して敬礼する。彼はその芸術的な動きに表情を緩めた。


「ふ……やはり軍隊とは、こうでなくてはな。この優雅な動き、あの無様なデク人形に真似ができようか?」


 彼は数年前のパリ軍事博覧会を思い出していた。ジェームズ・ワット博士が出品した次世代戦車のプロトタイプ……そう、『蒸気精霊騎スチーム・パンツァー』とか言う大仰な名をつけられたあの鉄クズは、最後に蒸気を吹き出して動かなくなり会場中の失笑を買ったのだ……まったくあれは傑作だった。海軍の連中はあんなオモチャに肩入れし、莫大な投資をしていたらしい。そしてようやく実戦に投入したとたん、アメリアの連中に奪われる始末。戦艦が三隻沈められたという話だが、実際には指揮官が自らの艦隊に突っ込んだ自爆だったというもっぱらの噂だ。


 最初から最後までシェイクスピアの喜劇のようではないか……思い出し笑いをかみ殺し、ゲイジ将軍はゆっくりと指揮杖を腰の剣帯から引き抜く。そして、まっすぐに背後にそそり立つメリマク峡谷を指した。


「いくぞ、勇敢にして高潔なブリタニアの紳士諸君! 我々の目的は帝国に反逆を企むアメリア人達の武器集積庫を焼き払うことだ。愚かな子供のに、厳しい躾けと教訓を与えてやろう。出発!」


 ブリタニア帝国陸軍の歩兵と騎兵が、副官の号令により一斉に回頭する。そして粛々と街道に向かって行進を開始した。


         ***


 ブリタニア陸軍がコンコード駅を立ち去ってから二時間後。アメリア義勇兵達の乗った鉄道が、熱烈に帽子を振り回す総出の駅員達に出迎えられた。客車から降りたマーサは、駅員達の代表らしき男と固い握手を交わす。


「お待ちしておりました! 連中は予定通り遅延しています」

「ご協力感謝します! あとは我々にお任せください。……あぁ、帰りもよろしく。できればシャンパン付きで」

「ははは! 承知しました……な、なんですかあれは!」


 マーサの冗談に破顔した駅長の顔が驚愕にゆがんだ。客車から続々と降りて来た義勇兵達も、彼らの乗って来た鉄道の貨車からゆっくりと立ち上がる鋼鉄の巨人に目が釘付けとなっていた。


「アークエンジェルのハンドアンカーを改造しといたよ。戦闘用のマニュピレーターのかわりに、今日は両手に三つ又のフックをつけてる。操作系は蒸気機関砲と同じだから」

「了解。マーサ、準備はいいか?」

「はーい、いま行きまーす!」


 ふたたび駅長は震える声で問いかけた。


「こ、この鋼鉄の人形は……?」

「ああ、蒸気精霊騎アークエンジェル……私たちの秘密兵器ですよ。いわばアメリア独立の守護神です!」


 マーサは駅長にウィンクをして、鋼鉄の巨人に向かって走り去った。


         ***


「照準よーし。発射!」


 武器管制席に座ったマーサがハンドアンカーを断崖に向かって射出する。アークエンジェルの機体を傾かせて、突き立てられたアンカーがしっかりと機体を支えることを確認し、パウルはウィンチを操作した。するすると巨体は崖上へと引き上げられ、目的の位置まで機体が運び上げられる。


 アンカー内のフックを折りたたんで引き抜くと、今度は崖下に向かってアンカーを打下ろす。もう一つのアンカーは機体を確保するため、そのままである。打下ろされたアンカーの先端を崖下の義勇兵達は十数名がかりで兵員輸送箱に取り付けた。それは大まかに言えば、たんに鉄道の貨車の窓を鉄板で塞いだ代物だった。作業を終えた義勇兵達が続々と乗り込んでいく。


「みんな、しっかりどこかに掴まって! パウル、引き上げ宜しく!」

「了解」


 引き上げが始まると、輸送箱を引き上げるワイヤーはよじれ、ガツンガツンと岩にぶつかり始める。当然、内部の義勇兵達は振り回され、中には舌を噛んで悶絶するもの、手足を骨折するものも出た。のちにこの経験を、最古参の義勇兵はこう語った。


「俺達はカクテルを作るシェイカーに入れられた氷みたいなもんだった。もう何回も壁だの床だのに叩きつけられて、グシャグシャよ。まったく、あのマーサとベンジャミン、パウルって連中はムチャクチャな奴らだった。だが、あの戦争はムチャクチャな連中じゃなきゃ、やってられなかった。だってまともな軍隊もないのに、『日の沈まぬ国』『世界帝国』って言われたブリタニアにケンカを吹っかけたんだからな……」


 ウィンチによるピストン輸送を3回ずつ繰り返し、アメリア義勇兵は最短距離でメリマク峡谷の最深部へと到達した。到着後、しばらくは誰もまともに動くこともできなかった。だが、やがて峡谷にブリタニア帝国の行進する音が響き始めた。


「さあ、皆さん立って! 銃を取って、峡谷の両翼に展開! 崖下のブリタニア兵を待ち伏せますよ!」


 アークエンジェルのコクピットから飛び出したマーサの叱咤に義勇兵達はよろよろと立ち上がり、街道を見下ろすエリアにバラバラと散らばった。


「ライフル銃なら狙撃が可能だよ! 戦列歩兵の射程は百メートル。こっちは二百メートルはある。合図と同時に撃ちまくれ!」


 ベンジャミンがアークエンジェルを見上げる。パウルは武器管制席に移り、蒸気精霊スクリーンの距離計算表示を見つめていた。雷霆精霊式通信機を通じて、その数値をベンジャミンに伝える。


「距離五百……四百……三百……二百に入った」

「マーサ、いいよ!」


 その声を聞きマーサは一瞬、目を閉じた。この銃声が響き渡った瞬間、もう引き返すことはできなくなる。これから何千、何万人もの血が流れるだろう。だが、それでもなお。彼女とアメリアは自由を求めていた。


「撃て!」


 彼女もまた自ら持った銃の引き金を弾いた。整列行進するブリタニア帝国戦列歩兵の先頭、十名が血しぶきを上げて弾けるように崩れ落ちる。


「うろたえるな! 密集し、そのまま前進!」


 副官が怒号し、ゲイジ将軍は眉一つ動かすことはない。そう、これこそが鉄の規律を持つ戦列歩兵の戦術。飛び交う銃弾の中をひたすら隊列を乱すことなく、射程距離に入るまで前進する。倒れる戦友を気づかうことは許されない。倒れ伏す自軍の兵士を踏み越え、まっすぐにただ進む。


 アメリア義勇兵はその不気味さに戦慄しつつ、さらに射撃する。恐怖に銃を取り落とす者もいた。それでもライフル銃という驚異的な射撃精度を持つ武器の性能差は圧倒的だった。二百名の戦列歩兵のほぼ三割が脱落する。そしてついに滑腔銃の射程距離百メートルに義勇兵は入った。


「停止!」


 銃弾が飛び交うなか、戦列歩兵は立ち止まる。


「装填!」


 銃弾が飛び交うなか、戦列歩兵は弾を込め、火薬を装填する。


「構え!」


 銃弾が飛び交うなか、戦列歩兵は指揮官の命令する方向に銃を向ける。


「撃て!」


 その瞬間、猛烈な発射音とともに外れようのない射撃密度の銃弾がアメリア義勇兵に襲いかかった。血しぶきを上げて何人もの義勇兵が倒れる。


「マーサ、アークエンジェルを使え! これなら連中を踏みつぶせる!」

「駄目です! この戦いは、この最初の戦いだけは……義勇兵の力で戦わなくてはなりません。与えられた自由ではなく、自ら勝ち取った自由と言うためにも!」


            ***


「ふん……やはりあのデク人形は実戦には使えないようだ。先ほどから突っ立っているだけではないか」

「は。しかし予想よりも敵の射撃精度が高く、戦列歩兵の損耗が」

「わかっている。そろそろ騎兵による蹂躙突撃が行われるだろう。その瞬間が奴らの最後だ」


            ***


 突然、コクピット内のスクリーンに警告音が鳴り響いた。


「マーサ、騎兵三十が崖上に迂回しているぞ!」

「そこなら義勇兵からは見えませんね? 気付かれないように排除してください」

「了解! ベンジャミン、乗ってくれ!」

「やった! 一度、動かしてみたかったんだ!」


 パウルが操縦席に乗り移って空いた武器管制席に、ベンジャミンが滑り込む。


「ハンドアンカーに換装してるから機関砲も大剣も使えないな。他に武装は?」

「大丈夫、ハンドアンカーのワイヤの長さを調整すればフレイルになるよ。想像するだけでもイヤな武器だけどね」


 パウルは蒸気精霊機関を戦闘圧力にまで一気に引き上げる。アークエンジェルの全身に蒸気精霊が高速で循環し、余剰蒸気が各関節部から吹き上げた。


「なっ、なんだアレは!?」


 ブリタニア騎兵は凄まじい地響きとともに、突然あらわれた鋼鉄の巨人の前に立ち尽くした。そして次の瞬間、振り回された鉄塊に人馬もろとも粉砕された。


             ***


「騎兵が到着しない……敵も伏兵を用意していたか。撤退するぞ」

「はっ。全軍、打ち方やめ! 撤退!」


 戦列歩兵は射撃をやめ、整然と後退を開始した。そしてゲイジ将軍は伝令兵を呼び寄せた。


「アーガイル総統に伝えよ。アメリア大陸会議はブリタニア帝国に対して集団的な戦闘行為を行った、とな」

「承知しました!」


 最後にゲイジ将軍は崖上を見上げた。先ほどまで立っていた鋼鉄の人形の姿が見えない。


「まさか、な……」


 軍事博覧会で見たあのデク人形……よろよろとおぼつかない足取りで会場を行進し、最後はバランスを崩して動かなくなった鉄クズが、騎兵に速度で対抗できるとは思えない。彼は乗騎に拍車を当て、コンコードへと転進した。


         ***


 大陸会議の武器集積庫の前で、義勇兵達は歓呼の声を上げていた。彼らは世界最強と言われたブリタニア帝国軍を追い払ったのである。だがマーサ、ベンジャミン、パウルは浮かない表情をしていた。


「パウルさん、ベンジー、お疲れ様でした。いやな仕事をさせて……すみませんでしたね」


 マーサは乾いた鮮血のこびりついたアークエンジェルのアンカーを見上げて言った。


「俺はヨーロッパで歩兵を戦車で蹂躙したことがあるからな……。だが、ベンジャミンにはショックだろう」

「…………」


 コクピットから降りたベンジャミンは、草むらで嘔吐していた。その背中をそっとマーサがさする。


「今まで僕は……自分の使った兵器がどんなに残酷なものか……わかってなかった……」

「…………」

「君たちにばかり戦わせていた僕は…………」

「……それでも、なお、ですよ。ベンジー」


 涙を流すベンジャミンをマーサは抱きしめた。


「それでも、私たちは戦わなきゃならない。そうしなければ、私たちはいつまで立っても自由のない、植民地の奴隷のままなんです。だから私も義勇兵のみんなも、あなたの作り出した兵器を振るうことを躊躇いません。大切なものを守るために……」


 マーサはパウルを振り返った。


「武器庫の武器を兵員輸送箱につめて、運びましょう。これから長い長い戦いが始まります……」


             ***


 ブリタニア帝国軍を敗走させたマーサ達を待っていたのは、ブリタニア帝国による宣戦布告だった。第二回大陸会議はマーサをアメリア軍総司令官に任命。さらに『アメリア独立宣言』を全会一致で採択する。さらにレキシントンの勝利を聞いたアメリア市民が殺到し、大陸会議軍は二万名に膨れ上がった。だが、そのときブリタニア帝国が雇った軍事大国プロイセナ王国の傭兵団が到着する。


<次回、「プロイセナ傭兵騎、襲来」。猛る蒸気が未来を拓く!>


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