第6話



- 二十日目 -

  

 

「準備が整いました」

 

 私はシノビ装束を整えて伯爵の私室を訪ねた。時刻は真夜中近く。

 今夜がサンタンジェロ公爵の屋敷に侵入決行の日であった。月のない曇った夜である。隠密行動にはおあつらえ向きだ。

 

「……ぐぅ」

 

 私が入っていくと、伯爵は喉の奥で妙な音を出して私を見た。

 

「お前……その姿は……?」

 

 ああ……そうか。

 彼は私のシノビ装束を初めて見るのだ。

 いつもの社交の場では上に豪華な衣装を着込んでいるし、王宮の夜会でも、病弱と言う事になっている私は、控室にこもる振りで一人で暗躍しているから、彼に仕事をしている姿を見せたことはない。

 確かに彼からしてみれば、見苦しいだろう。

 貴婦人だったら考えられないぴったりした黒一色の装束に加え、頭巾や口布をしているから、露出している部分は、ほぼ眼だけなのである。

 

「申し訳ありません、お目汚しで。しかし、さすがにドレスで塀を越えるわけにも参りませぬし」

 

「……細いな」

 

 レーニンクライク伯爵は無遠慮に私の体を見つめながら言った。

 

「だが、曲線はきれいだ」

 

「はぁ」

 

 この局面で何を言っているのか理解しかねるが、曲線と言うのは背に斜めに背負っているシノビ刀の事だろう。

 確かにこの国の一般的な武器とは違って、それは弓なりに反っている。

 しかし、実をいうと私の剣の腕は大したものではない。一通りの訓練は受けたが、私の得意とするところはやはり隠密活動なのである。この剣に期待されても困る。

 

「……こんなだとは思わなかった。思った以上だ。踊った時の感触から想像だけはしていたが……」

 

 何やらぶつぶつ言っている。彼も今夜は黒い衣服に身を包み、私のものとは違う、重そうな長剣を腰に佩いていた。黙っていさえすれば、なかなかの武人に見える。

 そういえば最近、あまり華美な衣服を身に着けなくなったようだ。いいことだと思う。元来美麗な顔立ちなのだから、簡素な服装の方が均整の取れた長身が映えるのだ。

 

「……やはり今夜は止めた方が……」

 

「はぁ? 今更なに言ってんですか!?」

 

 私はついとのばされた指先を躱(かわ)して言い返した。

 冗談じゃない、せっかく色々と準備を整えたものをこの土壇場で覆されては身が持たない。大体止(や)める根拠がない。雨でも降ったというのならいざ知らず。

 

「馬車を待たしてあるのでしょう? さっさと行きますよ!」

 

「お……おい!」

 

 最早耳を貸さずに私は裏口から馬車に飛び乗った。どこにでもある紋章のない黒い辻馬車である。伯爵も慌てて乗り込んできた。示し合わせたように御者が馬に鞭をくれる。

 ガラガラと馬車はゆく。暗い裏道を抜けてサンタンジェロ公爵の屋敷へと。

 

「いいな。絶対に無理をするな。危険を感じたら、すぐに退避するように」

 

「……ですが」

 

「何も今夜でなくてはならない訳ではないのだ」

 

「今夜ではいけない理由もないですね」

 

 訳がわからない。なにを急に怖気づいたのだろうか? 以前は千人隊長まで務めた男が。

 

「……難しい女だ」

 

「済みませんね」

 

「……約束しろ……いや、してくれ。私のところへ無事に戻れ。サンタンジェロ等、もうどうでも構わない。なぜもっと早く決断できなかったのか……」

 

「いや、結構いい決断力だと思いますよ。私を雇ったことといい、(無理やり)妻にしたことといい、思い切った手段なくしては、権勢を嵩にきた私利私欲の輩を追い詰められないじゃないですか」

 

「……くそ! なぜこうも伝わらない? ……悪いのは俺だがな!」

 

「ちょっと閣下! 今更ひよらないでくださいよ? わかりました、無理はしませんから。状況が悪ければ引き返します」

 

「必ずだぞ……」

 

 そうこうしている内に馬車はサンタンジェロ公爵の屋敷の裏通りに出た。ここからは私一人で行く。辻馬車がいつまでも停まっていては変だから、馬車も返すことになっている。

 入念に下調べもしてあるから道は分かるし、万一追われた時のために、奪った書簡はある通りの街路樹の目立たない洞(うろ)に隠すことも打ち合わせてある。

 

「では、お屋敷でお待ちください」

 

「いや、俺も……」

 

「足手まといですからお屋敷でお待ちくださいね! では参ります」

 

 私はするりと馬車の窓から屋根によじ登ると、それを足掛かりに一気に跳んだ。

 

「リスル!」

 

 押し殺した叫び声が耳朶を打つ。過ぎ行く馬車の窓から身を乗り出した伯爵が見えた。そう言えば初めて名前で呼ばれたかもしれないと、頭の隅で思う。

 だが、すぐに私は仕事用の頭脳に切り替えた。塀の上を走る。張りだした樹木から三階に取り付ける場所があるのだ。身の軽さは自慢である。

 月はないが、ちょうど真夜中だと言う事が感覚で分かった。

 

 

 

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