第5話


 

 ― 十八日目 ―

 

 

「証拠がかなり集まったな」

 

 レーニンクライク伯爵は満足そうにいくつかの書類を揃えて私に笑顔を見せた。

 その書類とは私が、サンタンジェロ公爵からすり取った、悪徳商人たちからの書簡である。無論気づかれぬように、懐には偽物の封を入れるのも忘れはしない。私はいつでも一流のスリになれるのだ。

 ここ数日、伯爵は夜遊びもせず、せっせと屋敷に帰ってきている。いよいよ捕り物も大詰めなのだろう。最初の印象は最悪だが、その気になれば、かなりの仕事をこなせる人だと私は思うようになっている。彼も最近は仕事ぶりを少しは評価したのか、私を話し相手にすることが多くなった。食事も共にしながら色んなことを訪ねてくる。私も酒の相手はできぬが、日常会話ぐらいなら嫌ではない。最悪の出会いに比べたら格段の歩み寄りだ。

 

「これなら陛下もご満足される……お前のお蔭だ」

 

「左様でございますか。ではもうお役御免でよろしいでしょうか?」

 

 私は勢い込んで尋ねた。

 まだ結婚して一月にもならないが、結婚したこと自体、貴族諸氏に何かの間違いだと思ってもらえるなら、離縁は早い方がいいと思う。もっとも、こんなに早く仕事が進んだのも、私がレーニンクライク家の妻と言う地位を得て自由に王宮に出入りできたからなので、あながちこの婚姻も無駄とは言えないだろう。いかにシノビと言ったところで、王宮の奥深くまでは流石に潜入できないのだから。

 

「いつごろ家に帰していただけますか?」

 

 私は奇妙な顔でこちらを眺めている、仮初(かりそめ)の夫に尋ねた。しかし彼はなぜか応えようとはせず、その瞳を翳(かげ)らせて私を見ている。

 そう言えば、ここ数日の彼は様子がおかしい。散々遊び歩いたツケが回ってきているのか、妙に大人しいのだ。きっと体調が悪いのだろう。しかし、憂い顔もまた美麗である。

 

「伯爵様……?」

 

「……」

 

「どうかなさいましたか?」

 

「え? いや……その、そうだな。その……まだ証拠固めが十分ではないような……」

 

「あれ? さっきは……」

 

「えっと……うんそう。もう少し決定的な何かが欲しいな。そう……このような私文書ではなく、証文か手形のような……」

 

「左様でございますか? なんでしたら屋敷に忍び込んで参りましょうか?」

 

「何!? なんと申した」

 

「サンタンジェロ公爵のお屋敷に潜入して、証拠書類を盗んできましょうかと申しました」

 

「それは……しかし、かなりの危険が伴うぞ。私は奴に疎まれているから、口実を作って夫婦で訪(おと)なう訳にもいかぬし……」

 

「無論、夜半に本来のシノビとして忍び込みます。それなら私に何かあったところで、閣下には累(るい)は及びません」

 

「……俺の事より、お前はどうなのだ? 恐ろしくはないのか?」

 

「それがシノビの仕事ゆえ。それに私がどうなろうと閣下が気に病むことはないでしょう?」

 

「……」

 

「ですが、万一の時には、家族の事をお願いしたいと思います」

 

「それは無論……だが……俺は……危険を押してまではお前に……」

 

 さっきから言っていることが矛盾だらけなのが分からないのだろうか? 大体私が殺されても、家族に累が及ばないと言ったのはこの男ではないか。

 

「ですが、決定的な証拠がなくちゃ、公爵を退けられないのでしょうに」

 

「それは……だが」

 

「別に私だって捕まったり、死んだりするのは嫌ですから、あくまで万が一の話です」

 

 できるだけ熱の入らないように伝えたつもりなのに、伯爵はなぜか酷く動揺したように腰を浮かした。別に脅かしたつもりはないのだけれど。

 

「俺は」

 

「は」

 

「それほど酷い態度をお前に取ったのか」

 

 これはいよいよ変だ。夕食に出た牡蠣にでも当たったか?

 

「はぁ。覚えておられない?」

 

「いや覚えている……覚えているが……最初はお前をよく知らなかったのだ……その……色々済まなかった。許してもらいたい」

 

 頭を下げた伯爵を見て私はひっくり返りそうになった。この男が私につむじを見せて謝っている。

 やはり牡蠣か? 牡蠣に違いない。

 

「構いませんよ。あなた様のお立場では私のようなものを、急に信用しろと言う方が無理な話です。私も急に結婚までしろと言われたので、色々失礼な態度を取ってしまいましたし」

 

「そうではなくて……いやそうなのだが、その……この仕事が終わっても、ここにいてはどうかと思って……」

 

 なんで、そんなに言いにくそうにしているんですか。あ、もしかしてタダ働きさせるつもりなのかな? 報酬後払いだとか言ってたし。

 私は急に用心深くなった。危ない危ない。うっかり親しくなって、断り難くなる罠に嵌るところだった。人の好い人にありがちですよね。でもダメです。その手には乗りませんから。

 

「お気持ちはありがたいですが、私は仕事が済んだら村に帰ります。又何か仕事があれば呼んでください。離縁状ならすぐにでも書きますよ」

 

「り……そんなに……嫌なのか?」

 

 私の断固たる態度には、流石に偉そうな閣下もドン引きしたようだ。相当肩を落としている。大金持ちなのにケチな男だ。

 

「嫌も何も、離縁した妻が一緒に住むなんておかしいでしょう? 王宮にも変に思われます」

 

「離縁しなければよいではないか」

 

「それこそもっとおかしいでしょう。形ばかりでも妻がいるのに、夫がたくさんの恋人と浮名を流していては。例のローザ様だって不愉快でしょうし。それに私だって、閣下に比べたらしょぼくても、一応結婚には夢があります。と言うか、こんな不毛な話はやめて、仕事の話をしましょうよ。いつ決行しますか?」

 

 

 レーニンクライク伯爵の指先が震えているように見えるのは、ランプの灯が揺れているせいだろう。


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