第3話



― 十日目 ―

  

 

 王宮での舞踏会は確かに豪勢で、絢爛で、そしてはなはだ無駄なものだった。


 私は何とかお披露目の苦行を終えていた。王宮の大広間に到着するや否や、夫となったレーニンクライク伯爵に引っ張りまわされ、大勢の貴族たちの祝辞を受けた。男性はともかく、女性たちのほとんどが好奇と羨望と嫉妬の目で見つめてくるのにはさすがの私も辟易した。

 しきたりで伯爵と最初の舞踏曲を踊った後は、休憩と称してレーニンクライク家に与えられている控室に引き下がる。体が弱いと言う事になっていて幸いだ。

 だが、私の仕事はこれからが本番なのだ。


 控室に鍵をかけ、私は特殊な縫製になっている大げさなドレスをするりと脱いだ。これはごてごてした下履きも、隠しボタンをはずせば一度で脱げると言う優れものである。その下にはあらかじめ、体にぴったりした黒いシノビ服を着ていた。その上に王宮で使用されている召使いの衣服をさっと纏う(これも着脱が容易になっている)。

 高いヒールを脱いで衝撃を吸収し、音のしない靴に履き替えるとさっそく諜報活動開始だ。

 

 何食わぬ顔で廊下に出た。どこから見ても私は召使いである。

 レーニンクライク伯爵が地味なと称した通り、私の顔立ちはこれといった特徴がない。特に妙な顔はしていないつもりだが、いたって目立たぬ顔立ちである。

 そして、特徴がないと言う事は、シノビの世界ではとても重要な事なのだ。誰の印象にも残らないからである。

 その上に紺色の召使いのお仕着せを着ていては、貴族たちには壁にかかった肖像画よりも背景に溶けこんでしまえる存在になる。

 おまけに私の一番の得意技は「気配の消去」だ。

 私が本気で気配を消してしまえば、他人は私を完全に意識できなくなる。網膜や神経は私を認識していても、それが脳には伝わらないのだ。

 その意味では私は優秀なシノビであった。

 

「さて」

 

 何食わぬ顔で私は広間へ戻る。広間を自由に行き交う召使いとして。目指す相手はすぐに見つかった。杯や皿を取り換える振りで、私は壁際でこそこそと密談するサンタンジェロ公爵の言動を、つぶさに観察できたのである。


 

「……首尾はどうだった?」


 帰りの馬車の中で伯爵はさっそく尋ねてきた。私も再び豪華なドレスに着替えている。


「まずまずですね。サンタンジェロ公爵は、確かに利権に群がる商人の上前を刎ねているようです。最後に話していた男は、おそらく織物ギルドの副議長ですね。王宮の冬用の布類を一手に引き受けさせる代わりに、百万ルイを要求しておられました」


「百万ルイ……なかなかのものだな。しかしよくバレなかったな。どうやった?」


 ほらね? (仮初の)夫である伯爵ですら、ホールに私がいることに気が付かなかったのだ。何度も近くを行き来していたのに。


「それは企業秘密と言う事で……しかし、口約束だけでは証拠になりません」


「まぁ、それは気長にやるさ。たった一度の探りでここまで分かっただけでも上々だ。お前に頼んで正解だったな。ご苦労だった」


「ありがとうございます。閣下」


「閣下は止せ」


 礼儀正しく答えたつもりなのに伯爵は渋い顔だ。


「では伯爵様。ここは公式の場ではありませんので」


「……難しい女だ……」


「え? なんですか?」


「いや別に。その衣装……なかなか似合っているではないか。こんなに化けるとはな」


 伯爵は私を見て言った。

 実は私も自分の見栄えに驚いていた。ドレスの着付けは(特殊仕様の為)楽だったが、髪結い、化粧だけで一時間はかかった。しかし、さすがに伯爵家に仕える召使たちの一流の仕事である。鏡を見た時は正直、コレハダレ? と思ったものだ。

 でも考えてみれば、私の顔は元々どこにも特徴はないが、逆に言えば、少しいじるだけでどんなふうにも化けられる顔なのである。今まで機会がなかっただけで。

 大きくも小さくもない目は平凡な色で、髪もしかり。鼻も高すぎず低すぎず。卵型の顔の、当たり前の場所にくっついている唇。全てが平均値と言ってもいいだろう。


「はい。私も変装術は色々試しましたが、貴婦人は初めてです。衣装がなかったものですから」


「ほぅ。今までどんなものに変装したのだ?」


「修道女、農婦、踊り子、変わったところではお小姓などに。すべて鍛練としてですが、実際にその場所へ入り込んで生活しました」


「見破られなかったか? 小姓は男だろう?」


「胸にはさらしを巻きましたが、大丈夫でしたよ。結構ワクワクしました。ある地方貴族の臨時雇いと言う形でしたが、主人に気に入られて、ここで働かないかと推挙されたほどで」


「成程……面白いな。こんな珍しい話は初めて聞く」

 

 伯爵はそう言って琥珀の目で私を見つめた。初めて見る真面目な顔だった。いつも自信たっぷりに皮肉な眼差しか、上から目線の蔑みの目で見られるばかりだったので、こんな顔もできるのかと少し驚いたが、この話題はもう止めた方がよさそうだ。シノビの仕事は表に晒すものではない。

 そうしている内に屋敷についた。

 真夜中を回っていたが、たくさんの召使たちが当然のように出迎えてくれる。


「ご苦労だった」


「恐れ入ります。では私はこれで」


「待て。……その……私の部屋で一杯くらい付き合わんか?」


 階段を上りかけた私を伯爵は躊躇いがちに引きとめる。


「今日はもう寝るだけだろう?」


「……魅力的なお申し出ですが、シノビは酒類は飲みません。でもお誘いありがとうございます。おやすみなさいませ、伯爵閣下」


 私はそう言ってホールに佇む伯爵を残し、休むために部屋へ急いだ。

 

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