第2話
― 六日目 ―
「調子はどうだ?」
「ご覧のとおりです」
明るい舞踏室。私は仕込まれた通りの貴婦人の礼をして見せた。伯爵は少し驚いたようだが、それでも相変わらずの麗人ぶりだ。
それにしても、この男が明るいうちにこの屋敷にいるなど、私がこちらにきてから初めての事だ。
「中々サマになっているではないか」
私の着ているものは青い簡素なドレス。何の飾りもないが、見ごろはぴったりと、裾がたっぷり広がっていてステップの練習にはちょうどいい。華美なものが苦手な私の趣味にも会う。本当の舞踏会もこんなあっさりした服で出られたらいいのに。
「ありがとうございます」
「青がよく映えるな」
意外な褒め言葉に、私は素直に頭を下げた。確かに機嫌のいい時の伯爵はいい男である。声も深みがあって聞き惚れる。
「ダンスは踊れるようになったか?」
「最新のステップと曲は覚えましたが」
「では、試して見せよ」
「はい。では……ロブレイさん、お願いします」
私はダンス教師を振り返った。しかしその手を取ったのは伯爵だった。くるりと振り向かされると、金色の瞳とガッチリ目が合う。真昼の日差しを受けて、その目は琥珀のように美しい。
「他の男と踊ってどうする。お前が舞踏会で踊るのは夫であるこの私だ。さぁ」
伯爵は後ろに控える家令に顎をしゃくった。すぐさま蓄音機にレコードがセットされ、美しいメロディが流れる。
「舞踏服ではないが、まぁいいだろう……では奥様、お手を」
議会用のケープを外した伯爵は、私に向かって優雅に腰を折った。左手は軽く握って後ろに、そして右手は掌を晒して私に向けられた。紳士が淑女にする正式の礼である。
「……」
仕方なく差し出された手を取った。相手が礼を尽くす以上、こちらも答えるのが筋と言うものだろう。すぐさま伯爵のもう一方の手が私の腰に回され、舞踏が始まった。
シノビの身上は運動神経が良いことである。多少勝手が違うが、暗闇で暗躍する仕事に比べたら平面で行われる舞踏など、大して難儀な芸当ではない。
「ほぅ……なかなか巧いではないか」
「恐れ入ります」
「姿勢もいい。体がふにゃふにゃしていなくて、張りがある。だが、もう少し色っぽさが必要だな。もう少しこう……上目づかいに見つめるとか」
「成程……こう……ですか」
私が思い切り媚を含んでガッツリ見上げると、伯爵はなんだか嫌そうに顎を引いた。少々やりすぎたかな?
「……う、うむ、それでよい。そら!」
腰が大きな手に支えられ、くるりとターンする。普段着ではあるが、充分広がったスカートのすそが、ふわりと持ちあがる。結構楽しい。
「なかなかいいぞ。それに軽いな」
「伯爵様も流石です。慣れていらっしゃる」
「ユージーンと呼べ。今から慣れておかないとボロが出る」
「では、ユー……ジーン……様」
呼んだはいいが、些か気恥ずかしくなって私は目を逸らせた。
「様はいらない。……それに目を逸らすな」
次は前後のステップ。前に出る時は大きく、下がる時は控えめに。
「本番ではちゃんといたします。でも、今は……疲れますから」
「……ここの暮らしには慣れたか?」
前ステップ……ちょっと出過ぎではないですか?
「努力はしています。皆さん痛々しいほどやさしくしてくださるし」
実際田舎の貧乏貴族の私より、この屋敷の執事やメイド頭の方が余程堂々と貴族らしい風格を持っている。そんな彼らが突如現れて主の妻になった私に、驚きながらも色々教えてくれるので申し訳ないくらいである。
「作法の教師も、骨牌(トランプ)の教師も褒めていた。物覚えは良いようだな」
するりと腕が回され、泳いだ腰を受け止められる。
「仕事ですので」
「衣装は今夜届く。特別に誂えたものだから、夜会までによく慣れておくように」
ぐいと上体が後ろへ倒された。腰を支えられていなければひっくりかえってしまっただろう。だけど、この曲にこんな動きがあったかしら?
「承知いたしました」
私は天井を見ながら答えた。
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