たこ焼きください

ダイナマイト・キッド

たこ焼きください

 おれが脱サラをしてたこ焼きの屋台を始めたのは五年前だった。あの当時はまだまだ景気も上向きで、おれのように一念発起して第二の人生に挑戦しようと言う人は少なかった。みんな安定した収入があったのだ。そして、たこ焼きもひとパック五百円でそれなりに売れていたものだった。今、おれは四十五歳。不惑からの挑戦はこのところはっきりと分が悪くなってきているようだった。おれは子供の小遣いを五百円と仮定して、八個入りひとパックを三百円に設定していた。これなら、仮に五百円しか持っていなくても、余った二百円でジュースも買える、そんな思いからだった。けれど実際の所はといえば、みんなジュースぐらいなら買うが、たこ焼きはあまり買わないようだった。こう見えても味には自信があるのだが……。

 結局おれの屋台もご他聞に漏れず、売り上げはジリ貧で落ち込み続けた。さらに昨年の春、世界的な大不況の波が押し寄せてしまった。典型的な企業城下町であるこの街もその煽りをモロに喰って、いまやすっかり活気を失っている有様だ。

 晩秋。人通りも少なく、遅い朝の白い空気が薄っすらと流れる広大な緑地公園の一角。もう少し歩けば駅へと続く大通りがあって、そこには幾つかの飲食店もコンビニも商店街もある。折からの不景気も手伝って、平日の午前中にはお客なんぞ滅多に来ない。今日みたいに天気の良い小春日和でも、店開きをしているこの場所を通る人はほとんど、無い。

 

 そんな寂れた街の寂れた公園でたこ焼きの屋台を出して、数ヶ月が経とうとしていた。自分で選んだわけじゃない。売り上げが落ちてしまったので、他の屋台主にシマを譲らなくてはならなくなったのだ。不況で会社を辞めたりクビになったりでフランチャイズは増えたが、どこのどいつも売り上げは芳しくなかった。本部から課せられた毎月のノルマをこなせないと立場はどんどん弱くなる。中には親会社に借金までしてしまい、にっちもさっちもいかなくなっている者もいるとか……そうなったら余所で稼いで借金を完済するか、死ぬまでたこ焼きを焼き続けるしかなくなる。もしくは夜逃げしちまうか、だな。

 今日もきっと、からっぽの鉄板とからっぽの往来をぼんやりと眺めて終わるのだろう。いつものお先真っ暗な物思いから我に返ったところで、結局はそんな投げやりな気分だった。それでもまあ仕事だからと屋台を開き、仕込みを始めようとした時だった。

 屋台の正面には長い遊歩道がまっすぐ伸びている。逆から見ればこの遊歩道のドン突きにおれの屋台があるわけだが、そこを奇妙な物体がひょこひょこと歩いてくるのが見えた。少し窮屈そうな、薄汚れてよれよれの白いTシャツと、それに良く似た塩梅で色の薄れた青い半ズボン。段々と近づいてきたそれは、どうやら小汚いガキのようだった。すっかり葉っぱの落ちた並木道に押さえ込まれるように背中を丸めて歩いているので、なんだかそのガキが余計に小さく見えた。よく見ると、この寒いのに裸足に擦り切れたサンダルを履いている。おれの視線に気が付いたのか、ガキが不意に顔を上げた。目鼻は多少ハッキリしているが、まだ広い額が幼さを物語っている。あまり整っているとは言えない、何処にでも居る子供の顔だ。いや、一つだけ……普通の子供とは大きな違いがある。このガキの顔には所々、青黒い、消えかけの痣があった。それに唇の端が腫れてめくれあがっていて、半袖のシャツから覗く肌も随分と汚れているようだった。

 

 平日の午前中に、しかも十一月だというのに半袖半ズボンでこんな所をウロウロしているんだ、どっちみちロクなガキじゃあるまい。おれは仕込みの続きに戻って、そのガキのことなど忘れてしまおうと思った。屋台の周りを掃除して、鉄板を磨いたり具材を並べたり、生地になる粉とだし汁を水で溶いたりしていたら、あっという間に昼前になってしまった。相変わらず公園には人気が無く、たまに散歩やジョギングなどをする人が居ても、屋台の方を向く人は少なかった。すっかりやる気をなくして、両手を組んで大きな欠伸を一つした。背筋が伸びてスッキリした視界に、さっきと同じ妙な生き物が目に入った。あのガキ、まだいたのか。

 当のガキはきょろりとした目玉を二つともこちらに向けて、じっと屋台を見つめている。そのままの姿勢で長いことじっとしていた。おれは構わずに仕事に精を出していた、と言いたい所だが、まだ朝九時から十一時まででふたパックしか売れていない。作り置きのたこ焼きはすっかり冷えているので、まるでレストランのショーケースに飾った見本みたいだ。おれはずっと独身だし、子供も大して好きじゃない。それでもこの商売をするに当たって、愛想ぐらいは良くしてきたつもりだ。子供であっても、あくまでお客としてならば。

 

 しかし、いま目の前に居るガキは汚らしくて、たこ焼きを買う素振りも見せず、さっきから同じベンチの横の、昨日焦げ茶色に塗ったばかりの街灯に寄りかかるようにして立っているだけだ。身なりが汚いだけではなく、傍から見ても顔や身体に痣があることが分かる。きっと見えない部分にはもっと沢山の傷跡があるのだろう。家族か、学校か、あるいは両方か。

(あいつも、おれと同じか)

 ふと思った。

 そして、子供の頃のおれと、目の前の汚いガキが急速に重なり合っていくのを感じながら、おれは軽く首を振った。同情して何になるんだ。ろくすっぽ稼ぎもないのに人様の子に施しをするほど、お前は偉くないだろう。自分で自分を叱りながら、おれは目の前の丸い鉄穴に特製の生地を流し込み、じゅわあっ、と香ばしい音とにおいを振り撒いた。

 

 寒々しい公園にダシのきいた湯気がふわりと溶けて流れてゆく。ぶじぶじと端っこから順番に沸騰し、焼けて固くなってくる。そこに大きめに切ったタコの足をコロコロと放り込む。上から生地を流し込んで、順繰りに手際よく引っくり返してはつまみあげて、透明の四角いパックに盛り付ける。カツオブシと青ノリを振りかけたら(醤油かソースはセルフサービス。マヨネーズも)ほうら、丸くて可愛い、アツアツのたこ焼き一丁上がり、だ。何時に無く楽しげにたこ焼きを拵えたおれはすうっと軽く深呼吸して

「坊主、たこ焼き食うかあ」

 と、焼きながら一応考えたセリフを口に出してみた。すると、ピクっと跳ねるように反応した小さな生き物がスタコラとやってくる。やっぱりな。

「うまいぞぉ」

 おれが言い終わるより一瞬早く、小さいのはパックに入ったたこ焼きをおずおずと受け取るとしばしじっと見つめ、おもむろに割箸を突き刺してガツガツと食い始めた。箸もロクに使えないらしい。気の毒に。しかし美味そうに食うなあ。

 

 あっという間にペロリと平らげて、満足そうな顔をおれに向けた。が、次の瞬間、ガキの顔からさあっと血の気が引いて、真っ青で今にも泣き出しそうな顔になった。

「お金はいらねえよ。それよりなあ、美味かったか?」

 おれの言葉を聞いて、またぱあっと明るくなった顔を、懸命にぶんぶん振って頷いていたこのガキは、それから毎朝姿を見せるようになった。


 相も変わらず寒くて、心の奥までしんと冷え込むような日が続いた。季節は確実に冬を迎えつつあり、高いところで青く乾いた空の色が日に日に薄くなってゆく。そしてどんなに冬が近付いても、気温が下がっても、あのガキが半袖半ズボン以外のものを着てくることは無かった。毎朝おれが店開きをするころにはもう街灯の下に立っていて、しばらく声が掛かるのをじっと待っている。俯きがちだった顔が少しずつ上がってきて、おれが開店の準備をしたりたこ焼きを焼いたり、暇そうにしているのを飽きもせずに見ていた。


 あれから毎日ひとパック、このガキにたこ焼きを焼いてやるのが日課のようになっていた。どうせ元々儲かっちゃいないし、一人分ぐらい良いか……と思う反面、どうしてもこの薄汚れた小さな生き物から御代を取る気になれなかったのだ。子供の頃のおれも、毎日寒くて汚くて、腹ペコだった。そのうえ今と違って、気前良くたこ焼きをくれるような人も居なかったし。

 

 国道沿いの景観やテレビの中だけは豊かになったようでも、まだこんなガキが居るんだ。そう思うと、どうにもやりきれない気持ちになってしまう。

「よお、今日も来たのか。たこ焼き食うか?」

 すっかり顔なじみになったこの小さな生き物は、ほとんど喋らなかった。と言っても四六時中押し黙っているわけじゃなくて、ちゃんと笑ったり驚いたりはする。頷いたり首を振ったりして否定や肯定もする。ただ、滅多に言葉を発しないのだ。これも育ちのせいかねえ。おれは大して気にも留めず、無理に話しかけることもしなかった。ただ、何となく態度が変わってきたのがうれしかった。今ではおれの屋台を目指して一目散に走ってくるようになった。素直で、人懐っこい良い子じゃないかと思った。


 ある日。いつものように店を開けようとやってくると、坊主が居なかった。たまには真面目に学校にでも行ったのかな? と軽い気持ちで考えていて、その日が三連休の最終日であることを思い出した。珍しく忙しい一日で、いつの間にか坊主のことも頭から離れていった。そして、それから二週間ほど、坊主は顔を見せなかった。

 不思議なもので、居なきゃ居ないでなんだか寂しかった。まさか自分にこんな感傷的な部分が残っているなんて思いもしなかったと苦笑いする。また暇な毎日が続き、おれは食べる人の居ないたこ焼きをひとパックこさえては、緑色の薄い紙に包んでカウンターの隅に置いていた。


 季節はすっかり冬になり、この街にも初雪が降り積もった朝だった。おれは毎朝同じように屋台の前に来て、まず初めによっこらしょうとカバンを地面に置く。その日は雪が積もっていたので、地面ではなくシートをかぶせた屋台の出っ張りに取っ手を引っ掛けておいた。だがカバンは音も無くシートを滑って、どさりと落っこちた。

 そのとき。後ろからスタコラと小さな足音が聞こえた。坊主だ。そう思い当たって振り返ると、案の定、あの坊主が珍しく水色の子供用ダウンジャケットなどを着てモコモコしながら笑っていた。その二、三歩後ろに見慣れない老人がついてきていて、坊主の頭に皺だらけの手を乗せた。坊主は照れくさそうに老人の周りを走り回ってはしゃいでいる。老人はおれに軽く会釈をすると、

「いつも、孫がご馳走になりまして」

 と柔和な顔で言った。坊主のじいちゃんか……そいつはどうも。おれは簡単な挨拶を返しながら店開きを始めた。すると、爺さんは意外なことを話し始めた。

「実は、今日はお別れにあがりました。これの母親、私の娘なんですがね。それが蒸発しよりまして。父親も育てる気が無いというんですわ、お恥ずかしいかぎりです。そこで私が引き取って育てることにしまして。私の家はずっと南になりますので……」

 そうか。そうだったのか。おれは準備の手を休めずに、けれど無性に寂しさがこみ上げて来たのを感じていた。

「この子がね、引っ越す前にどうしても行きたい場所があると言いましてね。ほら、ちゃんとご挨拶なさい」

 爺ちゃんに促された坊主は、とてとて歩いておれの屋台のカウンターまで来て、やや緊張した、けれど満面の笑みでこう言った。

「たこやきください!」

 そうして坊主が差し出した右手には、すっかり温かくなった五百円玉が一つ握り締められていた。

「あいよ。ちょっと待ってな!」

 俺はたこ焼きをふたパック素早く詰めて、坊主に手渡した。五百円玉は受け取らず、そのまま坊主の手のひらに握らせた。やれやれ、最後の最後に大サービスしちまった。たこ焼きを受け取った坊主は飛び跳ねながら、爺ちゃんはそれを優しく見つめながら、初雪の舞う並木道の向こうに消えていった。簡単な、呆気ない別れを惜しむように何度も振り返って頭を下げる二人を、おれは姿が見えなくなるまで見送っていた。

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