第2話 未来へ 誘拐事件を防げ!
バイト・DE・タイムパトロール! 第二話
バシッ!
いきなり、左ほほを殴られた。
「お兄ちゃんの、馬鹿っっ!」
妹の澪(みお)が、目に涙をいっぱいためて叫んだ。
「おい、ちょっと待て」
土屋大介は、ほほをおさえながらうめくように言った。
「俺は無実だ。何も知らないんだ」
「嘘つき。スケベ。不潔よ!」
澪は、興奮しきっている。
「講義のための勉強もしないで、こんなところにこんな本を置くなんて」
アパートの部屋にあった一冊のエロ本(しかも大介の母校鷲尾高校の制服を着た黒毛の外国風の女の子が、なまめかしくほほえんでいる)を、震える指でしめす。
「おかーさんに言いつけてやるんだから!」
「だから無実だっつーの!」
大介は、左ほほを押さえながら、悲痛な声で叫んだ。
「ふん、だ! 往生際がわるい!」
そう言い捨て、澪はくるりと背を向けた。
「もう、知らない!」
ばたーん!
扉が目の前で閉まった。
大介は、ぼんやりと立ち尽くした。
土屋大介、十八歳。鷲尾大学一年生。十五歳の妹、澪の突然の訪問と、わけのわからない濡れ衣に、どうしていいかわからなかった。
そもそも澪が大介のアパートに来たのは、
「お兄ちゃんが、ちゃんと昼食を食べてるか見張るため」
だと妹は言っていた。
土曜日のひるどきである。いつもなら、叔母の綾部 絵里子といっしょに商店街で買い物に行っているはずだったし、大介がそれに付き合わされるのは毎回のことだったので慣れていた。だから、買い物に付き合う代わりに、食事を作ってくれるというその気持ちがうれしくて、つい、浮かれてしまったのが敗因なのである。
妹が、そのエロ本に気づいたのは、勝手に彼女が掃除をはじめたからであった。本棚に載った雑誌の束から、ばらばらっと落ちて来た。
参った。
本気でわからない。
こんなものが、なんでここにあるのか。
たしかに整理はしていない。ここ数ヶ月、本棚を触りもしなかった。ポテトチップスの袋や、菓子パンの袋、黒ずんだ皿などが転がっていたのも事実だ。カーテンを洗うなんて、思いつきもしなかった。部屋に妙なにおいが漂っていて、妹が世話してくれるという事実に、つい、甘えたくなってしまったのである。だから、エロ本が付け加えられたとしても、気づかなかったかもしれない。
―――じいちゃんが、犯人だな?
合い鍵を持っている祖父が犯人だとしか、思えなかった。
みょうなところで子供っぽいところのある大西じいちゃんだから、いたずらを仕掛けられたのかもしれない。
大介は、薄いエロ本を手にすると、二つに折ってGパンのポケットに突っ込み、外に飛び出した。
アパートの駐輪場に出ると、どういうわけかスクーターが置かれていた。
「あれ? たいむくん六六六号?」
大介は、そのスクーターに呼びかけた。
これは以前、一度だけつとめたことのある警備会社、タイム警備保障の人工知能型スクーターで、未来の技術がぎっしり詰まっている。会社を辞めるとハッキリ言ってあるのに、なぜここにたいむくんがいるのか。
「おお、大介くん。大変じゃ、真菜(まな)が誘拐された」
いきなり、スクーターは口走った。大介は、当惑して目をしばたかせた。
「真菜? 菜っ葉の名前?」
「じゃなくて、人の名前じゃ」
「その人と、俺と、どう関係があるの」
「わからんかの。間違った現在が発生したんじゃ。未然に防ぐべき時間線が、確定されそうになっておるのじゃ」
大介は、たっぷり一分間、その情報を吟味した。
「へー」
スクーターは、いらいらしたように叫んだ。
「へーじゃない! いますぐタイム警備保障会社に行くのじゃ!」
「やだよ。またヘンなおじょーさまの相手をしなきゃ、ならないんだろ」
「仕事に文句を付けるでない!」
スクーターに言われたって、心は動かなかった。
「だから、もう仕事はやらないって言ったじゃん」
そういうと、チャリに近づいていく。
その尻にあるものをみて、たいむくんはヘンな声をあげた。
「なんだそれは!」
「ひゃっ! 見るなっ!」
大介が尻に手をやるより先に、スクーターから伸びたマジックハンドがそのエロ本を奪取した。
「こ、この表紙は、真菜!」
スクーターは、愕然としたような声だった。心なしか、ヘッドライトが大きくなったような気がする。
「この間違った現在では、彼女はエロ本アイドルになっておるのか!」
大介は、少々興味がわいてきた。
「あのさ、さっきから聞きたかったんだけど、正しい過去を俺が知らないのはどういうわけなの? 前はちゃんと判ってたじゃん」
「知らん」
ひとことで、スクーター。
「情報は、タイム警備保障会社が握っておる。知りたいことがあるなら、そこで聞くがよい」
間違った現在をただせば、妹の誤解もとけるだろうか。
このままエロい兄だと思われては、立つ瀬がない。
「この本が、俺の部屋にあった謎もとけるかな」
大介は、少し考えた。
「よし、じゃあ、もう一度だけ、仕事をしてみるよ。その間違った過去とやらの、修正をしようじゃないのさ」
大介が、タイム警備保障会社の前に来ると、ちょうど高円寺勝美がガラクタの間で掃除をしているところであった。
ドレーブを着たお嬢さまが、掃除。
使用人や、付き人などはいないのか。
いささかげっそりして、大介は近づいていく。
「水まくわよ!」
勝美が、バケツを持って、威丈高に言った。
「あ、はい」
思わず返答すると、がばっ! とバケツを振り回したので、大介は上から下までびしょ濡れになってしまった。
「トロいわね!」
勝美は毒づいた。
「もう、帰る」
大介は、退散したくなってきた。
「ケーキも食べずに帰るの?」
勝美は言った。
大介は、ため息をついてスクーターから降りた。
この会社は、ほんとうに「一度入ったら出られない、きょーふのゴキブリほいほい会社」なのだなと心底感心してしまった(皮肉ではない)。
まあ、いい。
汚名返上だ。
勝美の証言があれば、妹も誤解をといてくれるだろう。
それに、ここのケーキはうまいんだよな。
というわけで、中に入った。
シャワーを浴びて、制服に着替える。
この事務所に風呂があるというのは、不思議な気がしたが、警備員用に常備されていると勝美に説明された。
いちおう、待遇に気を遣ってはいるようだ。
外の荒涼とした風景とは一変して、あいかわらず「本物」志向の強い調度品が並んでいる。
警備員の淹れたコーヒーもうまかったが、ケーキは格段であった。
めちゃ美味なケーキを食べた大介は、勝美が腕を組むのを見計らい、たいむくんから取り戻したエロ本を差し出した。
「―――これなんだけど」
「あら、真菜じゃないの」
勝美は、その高校生を一目見るなり眉を寄せた。さぐるような視線だ。
「あんたまさか、これをコンビニで買ってきたの?」
「冗談言うなよ。いつのまにか、家の本棚の上に載ってたんだ」
「なるほど」
なにが「なるほど」なのか。少々じれてくる大介。
「身に覚えがないんだ。たいむくんは、この現在は間違った現在って言ってる。どういうことなんだ」
勝美は、ちらりと警備員の方を見やった。かすかに警備員がうなずく。
勝美は、ためらいがちに質問し始める。
「するとあなたは、カオス理論の向こうから来た訳ね」
「カオス? チョコレートの原料?」
「それはカカオ」
「ケンタッキーのおじさん?」
「カーネル・サンダース」
「車といえば」
「カー……って、カしか合ってないじゃん!」
「いや、かーらーす、なぜなくのーっていうオチも考えたんだけど」
「『七つの子』かいっ。童謡じゃなくて、カオス理論のバタフライ効果っ!」
勝美は、きつい目になった。
「バタフライだからって、水泳種目じゃないからね」
「判ってるって、名古屋名物だろ」
「エビフライじゃない!」
「えびふりゃー、だよな!」
「なーごやだがね。って、もーっ!」
勝美は、地団駄をふんだ。
「もっとまじめに聞いてよ! 蝶の小さな羽ばたきが、大きな変化になるように、小さな変化が、大きな変化につながるという話なのよ。過去を変えたことにより、現在が揺らぎ始めているの」
軽口をたたいている場合じゃなかった。大介は、真剣な顔になった。
「…………それ、どういう意味?」
真顔になる大介を見て、勝美は、満足そうにほほえんだ。
「以前、あなたは自分の消滅を防いだ。そのことにより未来と過去が少し変わり、現在が波及効果を受けて変わってしまった。このアイテムが現れたのは、過去をただせという時間管理局主任からのメッセージなのかもしれない」
勝美は、考え込みはじめた。
「真菜の誘拐は、確定された過去ではなかった、ということなのね……」
「真菜てだれなんだ。そいつを誘拐して、何が得なんだ。だれが誘拐したんだ」
「犯人はゼームだという線が有力だけど、確定じゃないわ。だって、あの交通事故事件以来、彼には監視がつけられているから、時間犯罪が起これば即逮捕されるはずなのよ」
「話を聞けよ」
大介は、自分の質問がはぐらかされたと感じて、いらいらしている。
「そもそも、誘拐なんて重大な事件を、警備員ごときが防げるはずがないだろ。少なくとも俺には無理だ」
「言っとくけど、ボディガードって警備員がやる場合もあるのよね。金持ちなんかがよく利用してるわよ。真菜は、二○三五年頃の実業家の娘なの」
「二○三五年? 四十年も未来の人間じゃねーか。現在では、存在しない人間の写真が、ここにあるのか?」
「だから間違った現在なのよ。量子論では、未来もまた過去に影響を与えることが出来るから」
だんだんわけがわからなくなってきた。
「未来へ行きなさい」
勝美は、にやっと笑った。
「四十年後に行って、真菜の誘拐を阻止して来て欲しいの」
誘拐の阻止か!
エロ兄ちゃんと呼ばれるより、頼りがいのある兄ちゃんと呼ばれる方がずっといい。
真菜か。
どんな子なんだろう。
なんとなく、いやな予感がする。
今朝、神社でおみくじを引いたのを思い出した。
―――女難の相だった。
二○三五年六月一〇日のZ市。
大介の故郷。商店街はシャッター街になっていた。
妹たちと一緒に行った店がつぶれているのを見るのは、あまり気持ちのいいものではない。少し寂しくもあるし、腹も立つ。
タイム・スクーターのたいむくん六六六号が、ピコピコと音を立てて喋り始めた。
「これから真菜の屋敷に行くんじゃが、過去から来たことは言わない方がよいじゃろうのー。ただのボディガードということにしたほうが、都合がよいのじゃ」
「なにか言われたらどうするんだよ? 四十年も未来のことなんて知らねーぜ?」
「なーに、わからんことがあったら、スマホ手帳に聞けば良いのじゃ。大概のことは教えてくれるけーの」
大介は、制服の胸ポケットに手をやった。
「なにか危険に遭遇したら、スマホ手帳をとりだしてアイコンをタッチしんさい。わしがかけつけたる」
「頼れるのかねえ」
「未来の高性能人工知能をあなどるでないぞ」
大介を乗せたスクーターは、べっべっべと走り始める。
シャッター街を通り抜け、城のあるほうへ。
城の周辺、あるいは下町付近は、大介の時代でもけっこうな繁華街で、映画館、本屋、ゲームセンター、コンビニ、ブティック、宝石店、ファストフード店など、いろいろなものが立ち並んでいた。
いまでは、大きなビルが一つ建ち、大きなテレビ画面にうつる赤いユニフォームを着た野球選手が、疲れた顔でなにか喋っているのであった。
六月といえば梅雨の頃であるから、レインコートのひとつでも配給されるのかと思っていたが、
「この制服を着ておったら、雨の心配などせんでええ」
とたいむくんに言われてしまった。
このスクーター、心が読めるのであろうか。
「ここを左に曲がって」
指示されたとおりに曲がると、彼の時代には薬局のあった場所が、古式ゆかしい日本風の屋敷になっていた。
「ここがそうなのか?」
大介は、困惑して言った。これはどう見ても、古くからあった屋敷を移転したもののように見える。
薬局が日本家屋になったということに、カルチャーショックを受けている大介をよそに、
「たのもう~!」
スクーターが、呼ばわった。
「た、たのもう?」
道場に殴り込みかいっ、と突っ込もうとしたとき、ばらばらっと屋敷からスーツ姿の、屈強な男たちが飛び出してきた。
「おい、そこのおまえ!」
そのなかの、明らかにリーダー格の四十代ぐらいの男が、太い眉毛を吊り上げ、剣呑な口調で腕をまくりあげた。硬い髪の毛、太い眉、スーツの下から、ミスターユニバースもまっさおの筋肉がムキムキ。
「いま、なんと言った?」
「えーと、た、たのもうって」
その剣幕に、へどもどする大介。
「それがどういう意味か、わかって言うておるのか!」
ムキムキ男は、意味もなくげんこつを振り回している。
「そんなにムキムキにならなくてもいいでしょ? 家を間違えただけですから!」
大介は、両手をあげて、なだめるように言った。この場から逃げたくなったが、誘拐の阻止という言葉が脳裏をよぎっている。
「真菜さまに、用があるのか!」
リーダー格が、怒鳴り散らす。
「たかが平民風情のくせに、われらの合い言葉を知っているとは!」
大介は、おだやかに言い返した。
「そんなにキリキリしないでください。もしかして、あなた、カルシウム不足ですか?」
「馬鹿にするな!」
リーダー格は、辺り一帯ががらんがらんと響き渡るような声で叫んだ。
「おれはちゃんと、毎食前にサプリメントを飲んでおるわ!」
「へー。肉体派みたいなのに、意外だね。じゃあ、更年期……?」
案外、落ち着いて話せるよな、と大介は思った。自分でも意外である。
リーダー格は、いきなり、がははは、と笑い、ツカツカ近づくなり、大介の肩をたたいて言ったのである。
「更年期か! 面白いやつ! 待っていたぞ、土屋大介! 早くこっちへ来い!」
ずるずる引きずられ、大介は屋敷の中に連れて行かれてしまった。
入ってみると、予想に反して、キラキラと内部が輝いていた。
日本家屋というものは、薄暗いモノと思っていた大介は、目を細めた。
琴のナマ演奏が聞こえてくる!
華やかだなぁ、と大介は思った。
天井は、和紙でできた照明。
壁にずらりと並ぶ、燭台型のあかり。
かすかに、高級感の漂うアロマの香り。
「お嬢さまに申し上げます。われらの待ち人がおいでになりました」
リーダー格の男は、土間に平伏してそう言った。
なんだかなー。
げんなりしていると、ふすまが自動的に開き、その向こうに天女が現れた。
大げさな表現ではなく。
地上からふんわりと数十センチ浮き上がった少女が、羽衣をつけてにっこりとほほえんでいるのである。少し茶色がかった髪の毛だ。黒毛だったエロ本とはイメージが全然違うが、真菜に間違いない。
「ようこそ。あなたがわたくしどもの問題を、解決して下さると、タイム警備保障会社が申しておりました。期待しておりますよ」
なんのこっちゃ。
大介は、途方に暮れて佇立した。
誘拐されるはずの人間がここにいて。
知らないうちに『待ち人』と呼ばれ。
問題を解決するという。
……俺は、未来の人間に、なにをしたんだ?
わけがわからない。たしかに、時給五千円というだけはある。大介は長いため息をついた。
真菜の問題
「ささ、ずずいと入って下さい」
招かれるままに畳の部屋へ入っていくと、天女の格好をした真菜は、大介を上から下までじっくりと見つめた。
「あなたのお噂は、タイム警備保障会社から、かねがね聞いております」
「どんな噂でしょう」
警戒気味に大介が聞くと、真菜は白魚のような指を合掌させ、
「危機にあっては大胆不敵、弱きを助け強きをくじく……」
「それ、別人ですから」
素早くさえぎったが、真菜はわかってますと言わんばかりに頷いている。
「謙虚でもあるのですね」
思い込みは、簡単には直りそうになかった。勝美が、おーほほほほほほと笑う声が聞こえてきそうだ。
「タイム警備保障会社のほうから、説明は受けているでしょうね」
当たり前ですけど、と真菜が少し赤くなった。大介は、胸がどきりとした。その赤らんだ顔が、年下の妹を連想させたからである。
いや、シスコンじゃないっての。
自分にツッコミを入れた大介は、気を取り直して口を開いた。
「うちの会社は、説明不足なんですよ。現場で経験を積めという方針なんでしょうね、きっと」
下手に悪口は言えない。あれでもいちおう、時間を管理しているのだ。逆鱗に触れたら、どうなることやら。
「そうなんですか。でも、あれだけ会社での評価が高いんですから、有能なんでしょうね」
大介は、悪い気はしなかった。
「評価、高いですか」
「機転が利くそうですし、なにより脳内イメージ力が違うらしいじゃないですか。あなたのような方が、もっといれば、うちももっと楽なのにって高円寺さんは言っておりましたわ」
あまり褒められても気色が悪いものである。
「あのー、で、俺はなにをすれば……」
さっさと仕事を済ませて、帰ろう。
ひそかに決意する大介。
「いえいえ、あなたは別になにもする必要は、ありません」
真菜は、なにやら陰謀めいた笑みを浮かべている。
そして、手のひらサイズの小さな白い箱を取り出した。
「ただ、このコンタクトレンズを身につけて、人を探して欲しいんです―――クラブにいると思うんですけど」
大介は、眉を寄せた。
「鷲尾大学の朗読部へレンズを持って行くのか?」
「……?」
きょとんとする真菜。
「ああ、俺、鷲尾大学でクラブ―――というか、サークルの、朗読部『彩り』に入ったんだ。宮沢賢治とか、樋口一葉とかの名作を読んでる」
説明する大介に、真菜はクスッと笑って言った。
「クラブというのは、サークル活動のことではありません。その場所には女の子が大勢いて……、あなたならモテモテでしょうね!」
一瞬、大介は恥ずかしさのあまり、穴をさがしそうになった。
口ごもりながら、
「そういう仕事なら、別に俺がしなくてもいいんじゃない? あんたほどの金持ちなら、芸能人とか呼んで、その手の仕事をさせれば……」
「あなたでなければダメなの。つーか、タイム警備保障会社の人じゃないと……。今までいろんな人を招いて試してみたけどダメだった。あなたが最後の望みなんです。まじヤバイんです、助けて」
美女に助けてと言われて、拒否するなんて男がすたる、と大介は思った。レンズを身につけて女の子の群れに行くだけなら、安いものだ。それで時給五千円! 誰でも出来る軽い仕事だ。
頭の中に、神社のおみくじがよぎっていく。
―――女難の相あり。
いやいや、これは人助けだ。がんばらねば!
「そのレンズを身につけると、なにが起きるんですか?」
空を切り裂いたスマホ手帳のこともあるので、念のために聞いてみる。まさか、目からビームが出るとか。ありえそうだからこわい。
「そのコンタクトレンズは特別製で、動画はもちろん、アドレナリンとドーパミンの量を測ります。女の子のヒアルロン酸量も」
「ひあるろん?」
大介は、考えた。
「外国のヒアルって人が発見したのか? ヒアル・ロンさーん、とか」
「はあ?」
真菜は、ぽかんとしている。ノリが悪いやつ。
「ともかく、レンズの名称を教えて下さい」
大介は、言った。あとでスマホ手帳に質問してみようと思ったのである。
「動画コンタクト。ご存知ですわよね、それぐらい」
当たり前なことをいうな、という顔の真菜。
大介は、これ以上質問するのはまずいと判断した。
「まあいいです。その仕事、引き受けます。その代わり、一緒にクラブへ行って下さい」
「あらなぜ?」
真菜は、黒い瞳を大きく見開いた。
真菜は、近いうちに誘拐される。
その運命を変えられるのが自分だけなら、できるだけ一緒にいた方がいい。
しかしまさか、時間管理局Z市A班班長、高円寺勝美から命令されたとは言えないので、、
「あなたは大切な人です。だから俺が守らなきゃいけないんです」
と言っておいた。
真菜は、みるみるほほを赤らめた。
「パパ以外で『大切な人』なんて言ってくれた人、いなかったわ……」
彼女は、小さくつぶやいた。
大介は、さっぱり気づいていなかった。
雨の降るその夜、六時半時頃になると、大介はクラブなるものに出発することになった。
動画コンタクトについてスマホ手帳に訊ねると、
『人間の感情を読み取る、動画カメラ機能つきのレンズ。クラウドに映像をためて、そこから画像をダウンロードする』
という、ほとんどSFスパイ映画のような説明が返ってきた。といっても、言っている意味のほとんどが理解不能だったのだが。
「テレビをつけて、この時代の情報を手に入れよう」
大介が、通された部屋のテレビを点けようとすると、ノックの音と同時に例のリーダー格の男が現れた。相変わらず暑苦しい口調で、なれなれしくこう言うのである。
「おい、土屋大介。その格好でクラブへ行くのか。お嬢さまが、服をおかしになるとおっしゃっておられるが、どうする」
大介は、自分を見下ろした。
たしかに、タイム警備保障会社の制服で行動したら、目立ってしょうがない。人を探すにも、この格好では警戒されるだろう。しかし、かといって、ここの家の服を借りていいのだろうか。
「借りていいのかな」
大介は、ためらいがちに言った。
「どうせ画像だ、遠慮はいらない。仕事をきちんと済ませてくれるのなら」
と、男。
「申し遅れたが、おれは鬼塚という。おまえが期待通りの働きをしてくれることを、楽しみにしてるぞ」
だんだん、プレッシャーになってきたので、大介は肩がこってくるのを感じつつ、
「鬼塚さんですね。よろしくお願いします」
なにはともあれ、お茶を濁しておく大介。
コンタクトレンズを目の中に入れる。かすかな異物感がしたが、あっという間に慣れてしまった。このレンズを通して見てみると、鬼塚の顔は、思ったより若々しく、また、純真そうに見えている。どこかヤクザっぽい雰囲気があったのが、嘘みたいである。
「で、どなたを探せばいいんですか」
写真のようなモノがあるのだろう。手を差し出すと、鬼塚は、奇妙な目でそれを眺めた。
「レンズに映ればわかるってことぐらい、知ってるだろう」
「あ、そうなんですか?」
薄氷をふむような思いだった。過去から来たとバレたら、タイム警備保障会社をクビになるかもしれない。いや、たいむくんを取り上げられて、未来に置き去りってこともありうる。非常識が服着て歩いてるあの勝美のことだ、それくらいはやりかねない。
「しっかりしてくれよな。タイム警備保障会社の期待の星がおまえさんだとは、あの会社も人材不足なのかねえ」
鬼塚も、結構口が悪い。大介はため息を再びついた。
「服を着替えさせて下さい。それから、準備が出来たら、真菜さんも呼んでいただけたら」
「服はこいつでなんとかしろ」
鬼塚は、ぽーんと腕時計を放り投げてきた。
「それと、お嬢さまは自分で呼べ。おれが呼ぶなんて不敬なまねが、出来るわけがない」
鬼塚は、言うだけ言ってさっさと扉を閉めてしまった。
スマホ手帳を取り出し、腕時計の写真を撮ってみる。
「これ、なに?」
聞いてみると、手帳は機械的な女の声で答えた。
「AR発生装置です。つまり、ホログラム発生装置です」
いろいろ聞きたいことはあれけど、とりあえずスマホ手帳の指示通りに腕時計を身につけ、スイッチを入れる。
うぃぃぃ。
軽いバイブレーションがリストを走り抜け、制服の袖が見たこともない異様なものに変化していった。鏡を見つけて写してみる。
ラメと刺繍の入った、王子さまふうの衣装なのだ。
制服を引っ張ってみると、服も一緒に引っ張られる。
しかし、画像処理されているらしく、少し不自然な印象も受ける。
不安が胸に忍び寄る。
―――だいじょうぶなのか、この服で。
おそらく、クラブというのは、演劇でもするところなのだろう。舞台衣装というわけだ。演出に関しては、まったく知識はない。が、この服で演劇をしろというのなら、やってやろうじゃねーの。
真菜がやってきた。
「準備できました?」
「ばっちり」
「では、わたくしの車で参りましょう」
「俺のスクーターは?」
「駐車場に入れてあります」
不安がますます濃くなったが、無理やりそれを押しとどめ、大介は鬼塚、真菜とともに、車でクラブに向けて走り始めた。
驚いた。
運転手がいない。
車は自動運転なのだ。
SF映画で見たのが現実になってる。
それも驚いたが、現場に着いたら、もっと驚いた。
クラブ内には、見たこともない人間や、画像が入り乱れているのである。
人間のように見えるけれど、三次元映像だったり、空中を入り乱れる虹色のサーチライト、そして薄暗い店内。
クラブに来ているひとりひとりの表情は、お祭りに来た五歳の子供のように浮かれた顔になっている。
「これに『いいね』をつけて拡散しちゃお」
という言葉や、
「やだ、ちょーキモい」
といった言葉が交差し、いちいち日本語を修正したくなる大介は、自分が急に年寄りになったような気分だった。
よく見ると、客の大半は外国人である。
ケープをまとった褐色の肌の女性や黒人、すらりと背の高い西洋人などが多いようだ。
「うちのグループでは一番の売り上げを誇る、ARクラブ『眠りの帝国』。バブル時代末期の疑似経験ができるクラブよ。アナクロだけど、人気あるんです」
真菜は、ちょっと誇らしげである。
「誰を探せばいいんですか」
人混みをぼーっと眺めながら、大介はつぶやいた。
「わたしの双子の妹、真耶(まや)を探して欲しいの。ちょっとした行き違いで家を飛び出しちゃって……、ここにいるって情報は手に入れたんだけど、ホログラムで変装してるから、写真が当てにならないのよ」
真菜は、優雅に言った。
「コンタクトレンズをつけてれば、正体を看破できるの」
「自分でレンズをつければよかったのに」
思わず指摘する大介に、真菜は嫌悪の表情を浮かべた。
「冗談言わないで! 体に機械を入れるなんて、上流階級のすることではございません」
「はいはい」
どうせ俺は下流だよと思いつつ、彼は人混みの中を歩き始めた。
八十年代の音楽が流れている。洋楽、邦楽、テクノポップ。
髪型も衣装もバッグも靴も、さまざま。
黒人のR&B風。
ロックンロールな衣装に、パンクないでたち。
ブルガリ、シャネル、ルイ・ヴィトン。
バブリーな上流階級が出入りするのが、すぐわかる。
しかし、いくら探しても、真耶は見つからないのである。
その部屋の隅から隅まで、廊下も端から端まで、トイレの入口近くまで行ったが、ダメだった。
双子と言うからには、真菜に特徴が似ているはずなのだが。
ホログラムでごまかしているのだろうか。
あちこち周りすぎたのか、だんだん腹が減ってきたので、大介はバイキング皿の並んでいる部屋の隅へと移動した。
その近くの女性に、話しかける。
「この近くに住んでるんだよね?」
ショールを着込んだ褐色の肌の女性は、うなずいた。
「真耶さんって、知らない?」
単刀直入に聞いてみると、女性は警戒したような顔になった。
「それを聞いてどうするつもり?」
大介は、肩をすくめた。
「真菜の家に帰ってこいって言うつもり。家の事情は知らないけど、逃げてもしょうがないでしょ」
女性は、少し微笑んだ。
「あなた、面白い人ね」
「よく言われます」
「アイシン教に帰依する気はない? 女の子も男の子も、日頃のストレスを発散して、むふふやあははんをやりたい放題……」
「なんですって!」
入口近くで大介を待っていた真菜が、その声を聞きつけてやってきた。鬼塚が人混みを押しのけている。
「聞き捨てならないわ。土屋大介を、誘惑しようっての?」
「あーら、真菜じゃないの。相変わらず変な格好ね」
たしかに、八十年代をテーマにしたクラブで天女というのは、少々浮いてると大介は思った。
「あなたは誰ですの? ことと次第によっては、訴えてやるわ」
おとなしそうな顔をしているのに、わりと過激な真菜。
「まあ、そんなに怒らないでくださいよ。俺が悪いんだから」
と、女性をかばうと、真菜は大介にキッと目をむいた。
「土屋さん。あなたはこのひとに、たぶらかされてるのですね!」
「いや、会ったばかりだし」
大介は、一瞬ひるむ。
「土屋さんっていうのですね。いい名前」
女性は、うっとりとこちらを眺めている。
潤む瞳が、妙にエロティックだ。
「あなたも、アイシン教徒になればいいんですわ。エロティクスって体操もあって、食事も質素。健康にも環境にもいいんですわよ」
「いや、興味ないっす」
むずむずする背筋をおさえ、大介は真菜の腕を取った。
「お嬢さま、ここには、真耶はいないようです。別なところへ行きましょう」
「逃げるの?」
女性は、不思議な笑みを浮かべた。
「わたしが、その真耶さんの居所を知ってるって言ったら、どうします?」
「あなたが妹の居場所を知ってる?」
むしろふてくされたように、真菜は繰り返した。
「そんなこと、ありえないわ。だってそれがほんとうなら、大介の動画コンタクトが反応するはずだもの」
「妹さんのスマホが壊れているのかも」
その女性は、するりと大介の左腕にからみついた。
甘いシャンプー剤のにおいがする。
「わたしはみらい。真耶の友人よ。真耶はいま、尊師のもとで修行中なの」
真菜は、少し首をかしげた。
「真耶は、いかなる宗教にも関心を持ちません」
「例外はあるわよね、なんにでも」
みらいは、クスクス笑っている。
「統計学的に見ても、一〇〇%の確率なのは死ぬことだけで、しかもそれも医療の発達でぐっと減ってる」
真菜は、殺しそうな目でこちらを見ている。
―――女難の相あり。
はからずも、神社の予言通りになってしまった。
困ったモノである。
みらいと真菜の話を総合すると、こうなる。
真菜は、真耶が最近、勉強をしなくなったので、注意をした。
すると、真耶は怒り狂い、屋敷を飛び出してしまった。
その後、真耶は、行き倒れになりかけたところを、みらいと出会い、意気投合。
みらいに、古代インド式健康志向の宗教である、アイシン教を勧められる。
真耶は、ARクラブ『眠りの国』でメイドをしているうちに行方不明に。誘拐されたと思われていたが、いまのみらいの証言により、尊師のもとで修行を開始しているのが判明した。
尊師は真耶を、虎の子のように大切にしているという。周りの人から見ても、それは異様なほどだった。
「つまりこういうことか。誘拐されたのは真菜じゃなくて、双子の妹の真耶だった……?」
大介は、スマホ手帳に写されたエロ本を眺めつつ、考え込んでいる。
結局、誘拐を阻止できなかった。誘拐の日時を間違えたのはタイム警備保障会社なので、自分に責任はないはずだが、なんとなく後味は悪い。
こうなったら、真耶を脱出させ、姉妹を仲直りさせてあげるのが俺の役割だと考えたのだが、どうすればいいのだろう。
「あなたは、わたくしたちには出来ないことが出来るんです」
真菜は、大介の耳元でささやいた。
「自信を持ってくださいませ」
ぞくっ!
体中を駆け抜けた快感に、思わず理性が吹っ飛びそうになるが、必死で我慢する大介。 慌ててスマホ手帳を胸ポケットにしまい、彼はあちこち辺りを見回した。
「手がかりを知っていそうな人が、この中にいるかもしれない」
つぶやく大介に、
「危険だけど、道場の前にまでなら、案内するわ」
みらいは言って、唇をかみしめた。
「危険?」
大介は、ぴくりと身を震わせた。
「自分の信じている宗教が危険って、どうよ」
「どんな宗教でも、危険な面はあるものよ。穏やかといわれる神道だって、古代には仏教と対立して血を流したこともある」
真菜が、まじめくさって言った。
「そうなの、そうなのよ」
自分がそれを言いたかった、と言わんばかりのみらい。
二人して、自分を取り合ってる。
迷惑というか、うれしいというか……。
いや、うれしいなんて、ごほん。
「もう少し、会場にいたかったよな。腹がまだ減ってるんだ」
大介は、照れ隠しに言った。
「もうっ。食いしん坊」
真菜は、いとおしげに言う。みらいは、強い瞳でにらみつける。
大介は、ほとほと弱っている。
車に乗り込む際にも、一波乱あった。
大介の隣に、真耶が来たがったのである。
結局、道案内できるのが彼女だけなので、助手席にということになった。
運転席には、誰も乗っていない。
ディスプレイが前の方に置かれている。
後部座席には大介、真菜、鬼塚を乗せて、車は山のほうへ向かっている。トンネルを抜け、美術館へ。車を降りる。現代美術を並べた美術館近くの広場でテントを張っている一団を発見。
すでに夜八時半になっている。暗い闇の中を、そこだけぽっと灯りがともっている。
「あれが、アイシン教の支部よ。わたしたちは、遠い昔に恐ろしい巨大爆弾が落ちて、壊滅的な被害が出たとき、ここのあたりだけは助かった故事に由来して、『奇跡の聖地』と呼び、この地下を修行の場にしているの」
過去の歴史に触れるときには、いつも厳粛になる大介は、真耶の説明に身を引き締めていた。
「ここに支部を設営するため、尊師が美術館を買い取ったって噂もあるわ」
みらいは、言った。
「現代美術館って、市立じゃないのか」
軽い衝撃に、大介が訊ね返す。
「市も財政難だもの。詳しい事情は知らないけどね」
大介の興味を引いたのがうれしかったらしく、みらいは少し興奮したように目を輝かせている。真菜は、冷たい口調で割り込んだ。
「話を戻しましょう。あの支部へ入り込みたいのなら、ARで変装した方がいいでしょうね。尊師のもとで修行している真耶に、あやしまれるから
きびきび指示する真菜が指導権をにぎっているのが面白くないのか、みらいはつんと鼻を空にあげた。めそめそと泣くように、雨が滴り落ちる。
「誰かが囮になって、見張りを引きつけている間に、内部に侵入して真耶を奪還しよう」
大介は、作戦を開示した。
「わたくしが、囮になりますわ」
真菜は、腕時計をまさぐった。
と、同時に茶髪が黒毛になり、着ている服も体に密着した赤いチャイナ服になっている。
「尊師というのが誰かは知りませんが、これを見ればみなさん頭に血が昇って、追いかけてくるでしょうね」
「そんな危険なまねをさせられないよ」
大介が言うのだが、
「わたくしが、キツくものを言い過ぎたのが原因なのです。責任をとるのは当たり前です」 真菜の言い方には、隙がないのである。
「では、お嬢さま、おれがあなたをとらえたことにしましょう」
鬼塚は、にやっと笑った。
「注意がこっちに向いている間に、土屋くんたちが侵入すればいい」
大介は、必死で反対したのだが、頼みの綱のみらいまでがその意見に賛同したため、多数決で決まってしまった。
真耶奪還作戦が、始まったのだ。
エロ本タイム・パラドックス
真菜を引っ立てて、『奇跡の聖地』へ連れていく鬼塚を眺めたあと、大介はスマホ手帳のスクーター・アイコンをタッチしていた。真耶を奪還した後、自分はスクーターに乗り込み、真耶を車に保護するつもりだったからだ。車には、じゅうぶん一人分は乗れるのだが、自分一人で任務を果たすには、正直荷が重すぎるとも思ったのもある。
鬼塚は、聖地の入口に近づいている。番人がひとり、警棒を片手に剣呑な顔で鬼塚をにらみつけている。番人は口を開いた。
「なにものだ」
「真耶が脱走した。おれがそれをとらえた」
鬼塚の、良く響く声が、誰何の声に覆いかぶさる。
「なぁ、ARで透明になることはできるのか」
広場に通じる入口の壁に隠れた大介は、みらいに訊ねる。
「もちろん。もっとも、『奇跡の聖地』の入口は赤外線センサーが張り巡らされてるから、侵入するにも体温でバレてしまいでしょうね」
みらいは、首を伸ばして様子をうかがっている。
「体温で……か」
大介は、スマホ手帳を取り出した。
そこになにか、ヒントになるアイコンがないかと探してみる。
人間の脳からなにか、波動のようなものが出ているアイコンがあった。
「なにその手帳? スマホじゃないわよね?」
みらいは、好奇心そのもののまなざしで、手帳を見やる。
大介は、ちらとみらいを見やったが、なにもいわずにその脳のアイコンをタッチしてみた。
うぃぃぃん。
スマホ手帳が光り出す。
ちゅう。
ちゅう。
ちゅう。
あたりから、無数の鳴き声が聞こえてきた。
ネズミだ。
それも、ただのネズミじゃない。
体長三十センチはあろうかという野ネズミだ。
みらいは、ひっと息をのんでいる。
野ネズミは、ギラギラ目を光らせていた。
ま、不味ぃ。
どうやら、周辺の動物を、呼び寄せてしまったらしい。
大介は、ごくりとつばをのみこんだ。
しかしネズミたちは、なにか命令を待つように、おとなしく待機している。
「襲ってこない……? もしかして、その機械のせい?」
みらいは、少し落ち着いたようすになった。
「動物と意思を通じ合える機械なんて、まだ理論段階のはずなんだけど」
「まあいいじゃん、できるんだから」
突っ込まれては困るのである。だいたい、スマホ手帳の理屈すらわかっていないのだから。大介は、ネズミたちの前に立った。
「行け。ピカ○ュウ、ひゃくまんボルトだ!」
大介は、スマホ手帳を右手で差し出し、ネズミたちに命令した。
ネズミたちは、ちゅうちゅう鳴きながら、『奇跡の聖地』めがけて走って行く。
ネズミで出来た川のようだった。泡立ち、波打ち、怒濤のごとく駆け抜ける。
ちょうど、真菜の検分が終わった頃の聖地では、ネズミの大群が襲ってくるのを見た番人が、悲鳴を上げているところだった。
「いまだ、やっつけろ!!」
大介は、あとを追いかけながら叫んだ。
ちゅうちゅう。
ドタバタ。
がたんがたん。
ドアは開けっ放しになり、番人は聖地の中に飛び込んでいく。
ぎゃーっ。悲鳴が上がる。
なんとかしてーっ。ネズミよ~~~!!
声も上がる。
テントの中は、すぐ階段だった。
階下へ駆け下りる大介たち。
一緒に、ネズミも駆け下りる。
その周囲で、すさまじい音の饗宴。
皿の割れる音。
ガラスの砕ける音。
物が落ちる音。
引き裂かれるカーテン。
その向こうでネズミたちは、地下の大広間の中で大暴れしていた。
白い服を着た信者たちが、噛みついてくるネズミに衣服を引き裂かれたり、足や手をひっかかれたりしている。信者たちの手に持ったガラスのコップが、ひどいことになっている。
大広間は、扉ではなく、白地の厚いカーテンで仕切られている。
信者たちは、ネズミに追われて逃げ惑っている。
奥の方にも厚地のカーテンがある。コンタクトレンズから見える景色が、微妙に赤く変化した。
きっと、向こうに真耶がいるのだ。
「この隙に真耶を助けだそう」
大介は、茫然としている真菜と鬼塚、そしてみらいを引き連れて、奥へと向かった。
カーテンを開けると、大介の母校鷲尾高校の制服を着た真耶が、見るもあられな格好で横たわっていた。照明が彼女を照らしている。
「いいねえ、いいねえ。尊師はたいそうお喜びですよぉ」
そのカメラマンには見覚えがあった。
ゼームだ。
「監視がついてるんじゃねーのかよ」
思わずつぶやく大介だったが、真耶は目を潤ませ、胸に手を置き、制服をはだけて胸のところをぎりぎり魅せる。
うへー。これでも高校生か。
大介は、どうしていいかわからなかった。
だてにドーテーではないのである(自慢ではない)。
脳の真髄がじーんとなって、ノックアウトされている大介を放りだし、真菜がその場に乗り込んでいった。
「なにやってるの、馬鹿!」
バシっ!
妹のほほを殴りつけてしまった。
お嬢さまというのは、気性が荒いのだろーか、と大介はぼんやり考えている。
真耶は、打たれた左ほほをおさえて、涙を浮かべていた。
「お姉ちゃんが悪いのよ!」
真耶は、叫んだ。
「同じ顔をしているのに、モテるのはいつもお姉ちゃん。わたしとどこが違うの? わたしのどこが悪いの? わたしだって、いい思いをしたいわ! 人気者になりたいの!」
「人気者ですって! このどこが! そんないかがわしいことをしたって、一部の人にだけウケるだけよ!」
「あーははははは!」
真菜の言葉を聞いて、ゼームは、笑い転げている。
「そうそう。おまえは人気者だよ。男の子の性的アイドル。マスターベーションの女神だね」
真耶と真菜は、さっと顔色を変えた。
「尊師さま、それはどういうことですか?」
「いまの写真は、エロ本に印刷されて、闇ルートで流れるってことさ。印刷はすぐ始まってる。男の子は、あんたの顔を見ると、ムラムラっとくるって寸法。いやー、信じるってことは儲かるね」
「……、エロ本、ですって!」
真耶は、血相を変えて詰め寄った。
「約束が、違うわ! 熱心に尊師を信じれば、それなりの対価があるって言ったじゃないの! うそだったの?」
ゼームは、にやにや笑っている。
「それも、面白いだろ。もう何人も女の子を落とそうとして無駄だったんだ。あんただけさ、こんなに簡単に落ちたのは。少なくとも、オレには対価があったね。これから何百万も儲かるんだ、あんたの信仰のおかげだな」
「こ、殺してやる!」
真耶が、爪を立ててゼームに襲いかかった。
しかし、その姿はすっとかき消えた。ARだったらしい。
「あの本が出回ったら、わたし、表を歩けなくなるわ」
真耶は、力なく膝をついた。
「どうしよう。お姉ちゃんを見返してやるつもりだったのに、とんでもないことに」
大介は、立ち尽くした。
ゼームが、ただの悪人ではないとは思っていたが、こんなにひどいことをするとは……。
いったいタイム警備保障会社は、なにをやっているのか。
「大丈夫よ、真耶。昔と違って本は今は高価なものなの。数冊売れればいい方じゃないかしら。これで闇ルートをあぶり出せそうだし」
真菜は、真耶の肩を抱いて慰める。
「じゃあ、闇ルートをあぶり出すために、わざと誘拐させたのか?」
大介が真菜を責めると、彼女はそっぽを向いている。
「変な団体に入れ込むから、こうなるのよ」
「お姉ちゃん、ひどい!」
「思い知ったでしょ。自分の考えなしのところを。これに懲りて、もう好き勝手はしないことね」
そっぽを向いたままの真菜である。
しかし、大介は、その瞳に涙が浮かんでいるのを見ていた。
心配していたのだ。
だから、馬鹿といって、殴りつけたのだ。
上流階級の愛情表現って、ひねくれてるな、と大介はこっそり思った。
『奇跡の聖地』は、ネズミたちによって壊滅的な被害を被った。
そこを脱出した一行は、外に駐めた車とスクーターに乗り込んでいた。
「エロ本の回収は、俺たちがやるよ」
大介は、スマホ手帳を叩いた。
「数冊しか出回らないんだったら、追跡もしやすいし、こうなった責任の一端はタイム警備保障会社にもあるんだし」
「でもそれって警察のする仕事でしょ」
真耶が疑問を口にする。
「そうなんだけどさ」
タイム警備保障会社が、時間管理局やその時代の警察と関係があるという話はしたくないのである。正気を疑われる。なので大介は、こう言うにとどめた。
「あんたたちも、証人として呼ばれるかもしれないけど、人質は奪還できたし、もうこれ以上、この件には関わらない方がいいと思う」
「……そうかもしれないわね」
みらいは、頷いた。
「あの本がなくなったらそれでいいんだろ。任せとけよ」
大介は、胸を叩いた。
というわけで、未来人と大介・たいむくんのコンビは別れた。
「あーあ。そんな安請け合いしちゃって」
たいむくんは、責めるような声だ。
「なんでだ? ちょっと時間をさかのぼって、エロ本が印刷される瞬間に行って、印刷機をぶっ壊してくりゃいいじゃん」
大介は、気軽な口調だ。
「そう簡単にはいかん」
たいむくんは、重い口調で言った。
「一度決定した現在を変えるには、複雑な手続きが必要で―――」
「カオス理論とかいろいろ言って煙に巻こうって思っても無駄だからね」
大介は、うんざりして言った。
「現に困ってる人がいるんだ。助けるのが俺たちの仕事だろう」
「じゃあ聞くがの、そのためにおぬしがひどい目に遭っても構わんのかの」
大介は、たじろぎもしなかった。
「おう、ぜんぜんOK」
「では、そういうことにしようかの」
スクーターに乗り込んだ大介は、疑わしい目つきになった。
「闇ルート、どうなるの」
「こっちの警察と連携して、パトロール要員がことに当たる。大学生に危険なまねは、させられんからの」
「誘拐の件は?」
「本来の未来では、真耶は、太田川で惨死体で発見される。あんたはそれを防いだんじゃ。誘拐は起こったが、無残な未来は決定されなかった」
「よかった」
「こちらで調査し、発見したエロ本の一冊を、見本としてそっちに送るけーの。それで万事解決じゃ。コンタクトレンズを外したら、過去へ戻るけーの」
「結局、このレンズ、役に立たなかったね」
「何を言う。これがあるから、ゼームがエロ本作りをしている現場動画を撮れたのじゃ。大事な証拠をつかんだのじゃぞ」
「あ、そ」
レンズで動画を撮るというのが、どうにも納得できないが、大介はコンタクトレンズを外して、小さな箱にしまった。
「勝美さんに、届けてくれないかな」
「あいよ」
というわけで、すべての事件は解決した。
仕事を終えてアパートに戻ると、妹の澪が、泣きながら立っていた。
「どうしたんだ」
「ごめんなさいお兄ちゃん。叔母さんから、あの本は仕事場から預かったんだって聞かされたの。誤解だったのね」
「あの本……?」
「え、え、えーと……えっちな…………本」
顔を真っ赤にして、小さく口走る。
「叔母さん、お兄ちゃんが大学へ行ってる間におじーちゃんに頼んで、あなたの家に上がり込んで、勝手に置いてっちゃったんだって。知らなかったわ」
またタイム・パラドックスか。
あの本が原因で、仕事をするハメになった。
真耶は、エロ本の表紙を飾るエロアイドルになったが、闇ルートをあぶり出すためにわざとえさにさせられていた(ひどい話である)。
あの本があったと言うことは、つまり闇ルートは解明し、犯罪者は逮捕されたのだ。
大介が知らないうちに本を置いていったのは、日時を間違えた可能性がある。
タイム警備保障会社って、わりとルーズなのかもしれない。
「叔母さんから伝言があるわ。あなたのおかげで、ひとりの人間が助かったの、ありがとうって。すごいねお兄ちゃん、見直したわ。不潔なんて言ってごめん」
「あはは、なーんだ、気にしてないから」
大介は、澪に笑いかける。
「このお金、バイトで稼いだんだ。学資にしてくれ」
そっと差し出すと、澪はまた、みるみる涙をためてしまう。
かわいすぎる。
そのときだった。
「大介~~~!! 一緒に暮らそう~~~!!」
道の向こうから、駆けてくるのは……。
「真耶!」
その高級そうな服装(ヴィトンかグッチか?)はともかく、そそられるエロい雰囲気に黒目黒毛は、モロに真耶なのである。
相手は、がはははと豪快に笑った。
「いやだぁ、蟇口(がまぐち) 奈美恵(なみえ)よ。朗読部で隣にいたでしょ」
「そう……、だっけ?」
「あんた、独り暮らしなんだってね。わたしがあんたの世話をしてあげる」
一方的に喋り散らすのである。そして、彼女はさりげなく、彼の手を取って胸に当てる。
むにゅー。
柔らかい、肉の感触。
「最近はやってるスキンシップ。どお? 感じる?」
肉質の唇が、迫ってくる。
妹の顔が、引きつっていた。
「お兄ちゃんの、えっち!」
びたん!
またほほを殴られてしまった。
土屋大介の受難は、まだ当分続きそうだ。
バイト・DE・タイムパトロール! 田島絵里子 @hatoule
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