バイト・DE・タイムパトロール!

田島絵里子

第1話 過去へ 自分の消滅を防げ!

バイト・DE・タイム・パトロール


序章


「空が旗のようにぱたぱた光って翻り、火花がパチパチパチッと燃えました」

 と書かれた宮沢賢治の童話を眺めながら、土屋大介はため息をついた。

たしかに読書は好きだが、宮沢賢治が何を言いたいのかサッパリわからない。

 空が旗めく?

 どーゆー意味なんだ。

 児童書を眺めながら、頭をかきむしる。

 高校の時は陸上部で鳴らした彼ではあったが、故障をきっかけにやめることになった。むりな運動をしなくて済むというのが、両親の理由だ。大学一年生、読書好きということもあって、この大学ではいずれ文学関係を専攻しようと思っている。

 この児童書は、祖父の大西じいさんに紹介された。

「この本には、わしの思い出がつまっとる。わしも、あんたの両親も、空が旗めくのをみたんじゃけーの」

 と、母方の大西じいちゃんは、大まじめに言っていたっけ……。

 大西じいちゃんは、アパートも経営している。ここに住めるようになったのも、じいちゃんのおかげだ。

「ええい、散歩にでも行くか!」

 頭をかきむしっていた大介は、部屋の外へ出ようとした。

 四月も連休まぢかだというのに、いくところも友達もない。引っ越しにカネがかかりすぎて、フトコロもかなり寂しい。こんな日は、バイト情報誌でも立ち読みして、新しいバイト先でも探した方がいいかもしれない。

 ―――リリリ。

 黒電話が鳴り、大介は引き返して受話器を取った。

「ああ、大介! よかったわ、あなたバイトしてみない? うちのタイム警備保障会社で、人員を募集してるの、時給五千円よ」

 立て板に水の説明をしているのは、彼の叔母の綾部絵里子である。四つ年下の妹、澪(みお)が彼女と仲良しで、いつもつるんでは商店街に買い物に出かける。なぜか大介も巻き添えを食って、女物のスカートだの、ブラウスだのを物色したり、下手したら水着まで「お兄ちゃん、これ似合う?」とやりだすから、そのたび胸がドッキリして、

「俺はそんな趣味はねーんだ、ねーんだ」

 と自分に言い聞かせる。

 そんなわけなので、今回はそういう用事でなかったのは、正直気落ちしたが、慌てて自分を引き立たせた。冗談じゃない、いちいち女の用事につきあってられっか。

「叔母さん、今日はどこにもいかなくていいわけかい」

 言葉にじゃっかん、とげがあるのは、いつも振り回されているうらみがあるからである。 いや、光枝の水着に興味があったわけじゃない。ほんとに。

「だから、バイトの紹介よ。あなた、引っ越しで物入りだったんでしょう? お姉ちゃんはあのとおりケチンボだから、あなたに援助するわけもないし。あなたももう十八歳なんだから、一人立ちしなきゃね」 

「自分のことぐらい、自分でできるよ。バイトぐらい、自分で探すって」

「時給五千円のバイトなんて、そうそうないわよ? 誰でもできる、軽い仕事なんだし」

 時給五千円? 八時間働いたら、四万円だ。そんなバイトがあっていいのか。大介は、驚いた。もちろん一日働くことはないのだろうけれど。

「おいしい話には、ウラがあるってね」言ってやると、

「叔母ちゃんでもできたんだから、あんただってできるわよ。まあ、話だけでも聞いてみて、それでダメならやめりゃいいんだし」

「へー」

 少し、興味をそそられた。

「それって、どういう仕事?」

「バイトの警備員。タイム警備保障会社っていうの。いまから会社説明会があるから、いらっしゃいよ」


 というわけで、大介は、指定された会社のビル近くまでやってきた。その一郭はひどいありさまで、腐った段ボール箱や、首のとれた彫刻、傾いた鉄骨などで荒れ果てている。

 ビル、というより幽霊屋敷。

 こりゃ、企業としてどうよ、と思っていると、背後からドシンとなにかがのしかかってきた。思わず大介は、前のめりになり、したたか、鼻を道路にぶつけてしまった。

 耳元で、「はっはっはっ」と、笑い声のような音が響く。

 コンクリートに鼻をぶつけた大介の首筋に、

 ぶちゅ!

 とキスをかましてきた。

「ぎゃー!!!!」

 必死でその物体をおしやると、そいつは巨大なピレネー犬で、「はっはっは」と笑いながら、べっとりした舌で、大介をなめまわす。

 その、もふもふする感触の不気味さに、大介が叫んでふりほどこうとすると、同じ方向から声が飛んできた。

「こら、ポチ! やめなさい!」

 やっとの思いでそいつを振り払った。毛がふわふわで、口元はいつも笑っているようだ。どうでもいいが、なんでこんなところにこんな犬が? 

 犬に命じた人物が、ポチの首輪をひっぱって大介からどけると、大介に向けて手を出した。

「だいじょうぶ?」

「……あなたは」

 見まごうはずはなかった。

 テレビでしか見たことのない人物、高円寺勝美だったのである。

 高円寺勝美は、芸能関係で金持ちになった人物で、ちょっとヘンなお嬢さまだという噂である。

 ドレーブのついた、ピンクのドレスを着ていた。


「いったい、どういうつもりですか」

 鼻血が出ている大介は、むすっとして訊ねた。

「俺は、ここへ面接に来たんですよ!」

「ごうかーく!」

 勝美は、脳天気な調子で叫んだ。

「なに?! テストもなしでっ」

 大介が突っ込むと、勝美はしたり顔で、

「うちのタイム警備保障会社は、ポチが面接官なの。彼が優秀だと認めれば、それでOK」「んなアホな」

「さっそく仕事をはじめてもらうわ。原付バイクの免許は、持ってるんでしょうね」

「事前講習も、説明も、ナシかよ!」

 勝美は、大介を上から下までながめた。

「この人に合う制服、あったかしら? 警棒も、警笛も必要ね。スマホ手帳も持たせなくちゃ」

 つぶやきつつ、大介を立ち上がらせる。

「おい、まだ仕事をすると決めたわけじゃ、ねーぞ!」

 文句を言う大介に、勝美はカカカと笑い飛ばし、

「ここへ来たからには、もう出られない! 恐怖のゴキブリほいほい時間警備会社とは、われらのことだぁ!」

「なんじゃそりゃ!」

ひとをゴキブリ扱いするとは。いや、そっちじゃなくて。

「もういいっ! 俺は降りる!」

 なにが時給五千円だ。目の前に一億積まれてもごめんだ。大介は、怒りのあまり理性が吹っ飛ぶのを感じた。

「あんたらのコントには、つきあってられない! 帰る!」

「ふふふ。いずれおぬしは戻ってくる。それがおぬしの運命なのだ!」

さっさと立ち去る大介の背後に、人差し指を突っ立てて、勝美は勝ち誇るように言うのであった。

 芸能関係で金持ちになった人物というだけあって、人にウケようという気概だけは一人前以上にあるようだ。スベってるけど。

 激しい疲労と頭痛を感じつつ、彼は自分のアパートに戻っていった。

 あんなところに行くより、読書の続きでもしていたほうが、どれだけマシか。

 しかし、原付バイクで戻ってみると、あるはずのアパートが消え失せていた。

「…………」

 むき出しの更地を眺めながら、大介は困惑して立ち尽くした。

 場所を、間違えたのだろうか。

 電柱に記された街の名前と番地を確認する。

 ここで、まちがいない。

「どうなってるんだ?」

 タイム警備保障会社に行っているわずかな時間で、アパートを取り壊すなんて芸当ができるわけがない。いや、それ以前に、住民の許可が必要だろう。大家のじいちゃんに訳を聞いてみるか。

 テレホンカードを持っていたので、公衆電話で祖父に電話した。

『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』

 おいおい。じいちゃんがいないって、どうなってるんだ。

途方に暮れたが、仕方なく今度は叔母のところへ電話した。

 今日は、彼女のところへ泊めてもらおうと思ったのだ。

両親は、隣町に住んでいるから、交通費の節約である。

 手持ちは二千五百円程度しかないし、帰っても母はあのとおりケチンボだから、お金を貸してくれるとは限らない。

 叔母のところへ電話すると、数回呼び出し音が鳴り、いつもの叔母の明るい声が聞こえてきた。

「はい、綾部です」

「ああ、俺。大介だ」

 沈黙。

「あのー、大介だけど」

 思わず、おずおずと言うと、

「だれですって?」

 警戒するような声の、叔母。

「えーと、綾部絵里子さんですよね? 俺、甥の土屋大介」

「―――わたしに甥なんていないわよ」

「!」

 まさかその手でくるとは思わなかった。

「叔母さん、そりゃないでしょう。いくらタイム警備保障会社が人員を必要としてるからって、俺をその気にさせるために、芝居を打つなんて」

「タイム警備保障会社……」

 叔母さんは、なにか納得したように声が少し柔らかくなった。

「へえ、あんた、あそこに行ったんだ」

「というより、叔母さんが勧めたんですよ?」

「そうだっけ? でもわたしに甥がいないのは、ほんとうよ。わたしが高校生のとき、四つ年上の姉貴が恋人や父と一緒に行方不明になって……。結婚直前だったから、みんなふしぎがっていたわ」

「…………じゃ、ここにいる俺は、いったいなんですか?」

「もう一度、タイム警備保障会社に行きなさい。あとからわたしも行く」

「ちょ、ちょっと!」

 プー、プー、プー。

 電話は切れた。

 女ってのは、強引だなと大介は思った。

大介は、今日三度目の深いため息をつくと、はっときづいた。

 妹は?

 どうなったんだろう。

 しかし電話は、祖父の家にかけたのと同じように、ちっともつながらないのである。

 帰る家がなくなった。

 その実感が、じわじわと押し寄せてきた。今すぐにでも、隣町におもむいて、実家の様子を確かめたい。でも、タイム警備保障会社へ行けと叔母も言うし、もしかしたらこうなったすべての原因を、彼らが知っているかもしれない。

 ―――へえ、あんた、あそこに行ったんだ。

 叔母が、なにか納得したような声を出したことを思い出した。

 叔母たちに説明してもらわなくては。

 このままじゃ、気味が悪くてたまらない。


 その大介の姿を、背後から見ている人物がいた。

「あいつさえいなければ……」

 そいつは、丸い茶色のサングラスに灰色のトレンチコート、つばの幅が狭くて深めの帽子をかぶった三角顔の男だった。

「なんとかして、消滅させなくては……」

 黒い声で小さくつぶやくと、首をコキコキと鳴らした。

 そして、大介の後をぴったりと追跡しはじめた。




















 




   初仕事


 タイム警備保障会社の部屋に通され、叔母を待っていると、警備員のひとりがちらっと彼を眺めている。

 高円寺勝美は、そのとなりで一人で盛り上がっていた。お嬢さまというより、テレビに出てくるバラエティの芸人である。

「未来からの観光バスツアー! 身近な自然を満喫! ねえ、ほんとの話なのよ?」

「そんなまさか……」

「あんた、時間旅行、嫌いなの?」

 勝美は、腕を組んで問いただした。

「今までだって、たびたび未来人が不祥事起こしてるんだから、少しは信じてもいいでしょうに」

「それでおじいさんや両親が消えるのは、納得できねえ」

 大介は、疑問の声を上げた。

「いきなりアパートも消えちまうし」

「未来からの観光バスツアーがきっかけよ。あれが事故を起こしたから、過去が変えられてしまって、大西泰三さんとあなたのご両親、そして妹さんが消えてしまった」

「事故が起るのがわかってるんだったら、未来人も過去に旅行しないんじゃないの?」

 と、大介は問い返した。

「時間旅行は、シュレーディンガーの猫。事故は起るかもしれないし、起らないかもしれない。その証拠に、事故の起こらない時間線上にあなたがいる。そして、アパートが消えた時間線上にも、あなたがいる。量子論的に言うなら、フタを開けてみないと猫が生きているかどうか、結果はわからない。そんな不確定な要素のために、正規のパトロール要員を派遣はできないでしょ。だから、バイトでタイム・パトロール要員、いわゆる警備員を募集してるわけ」

「ふーん……」

 勝美は、そばにあったコーヒーをぐいっとあおった。

「ぷはー。職場のコーヒーっておいしいわね、違いがわかるわ! インスタントだけど!」

「あのさ、ここのひと、洋菓子で作った猫を売ってる?」

 大介は、訊ねた。

「は? なに?」

 きょとんとする勝美。

「なんとかの猫って言ってたから。ほら、このケーキもおいしいし、シュークリームとかありそうじゃん」

「シュークリームじゃなくて、シュレーディンガーの猫」

「ああ、ダリが描いた『柔らかい時計』が有名な」

「それは、シュールレアリズム」

「世界一くさい魚の缶詰」

「シュールストレミング」

「『魔王』やピアノソナタで有名な作曲家の」

「シューベルト。だからそうじゃなくて……」

「猫だろうと犬だろうとかまわないけどさ。時間を旅行するってまじめに言うんだもん、笑っちゃうよな」

「冗談じゃなくて、ほんとの話よ」

 勝美は、腰に手をやった。

 大介は、コーヒーを飲んだ。飲める。どうして飲めるのか。彼は不思議だった。あんなことのあったあとでも、軽口もいえる。そして、腹も減る。真実は、いつも新しい。なにもかも、新しい目でみたら、違う自分が見えてくるモノだが、これは新発見そのものだ。

「冗談キツいぜ。あたま、痛くなってきた」

「この仕事を受けなかったら、おじいさんもご両親も妹さんも、消滅したままよ?」

 勝美は言った。大介は、驚愕した。

「な、なんだって?!」

「こちらの調査によると、バスツアーが事故らなければ、あなたの家族は消滅しない。だからあなたが行って、事故から観光客を守って欲しいのよ」

「どうしてだ? どうしてオレなんだ!」

「危険な仕事は、正規のパトロール要員がするから」

 とは、勝美。

「犬を使ったのは悪かったわ。ポチはあれでも一応、愛情表現をしてるのよ。有能な人材を見分ける名人なの」

 過去へ行く。そして、事故から観光客を守る。それが自分の消滅を防ぐ。

 どう関係するのか、サッパリ判らない。

「だいじょうぶよ、あなた運が強いから」

 勝美は、慰めるように言った。

ばかげたことだ、と一蹴することもできる。

バスツアーなんて、関係ないと言うこともできる。

「ちょっと、叔母と相談させてくれ」

 もうじき来るからな。大介は、出されたコーヒーをもう一度あおった。

彼は、コーヒーはブラックが好きだ。そろそろおやつの時間ということもあって、小腹も空いていた。一緒に出されたケーキを食べている間に、さりげなくあたりを観察する。

 なんということもない普通のオフィスだ。ワープロとコピー機が置かれていて、机は白い。いすは居心地は悪そうだが、清潔感はある。警備員の会社と言うより、事務所といっても通りそうだ。

 調度品は、少し高級感がある。今までみたいにカネさえあればいい時代と違って、いまは本物の時代だ。

 ちなみに彼は、いまはムリヤリここの制服を着せられている。アナログ時計の針が十二時を指した紋章を胸と腕にはりつけ、腰には警棒と警笛、手にはスマホ手帳なるものを持たされていた。スマホってなんだ?

 バタン、と扉が開くと、顔をまっかにした叔母の姿があった。黒字のブラウスに、長いGパンをはいている。

「土屋大介って、どこ?」

 開口一番、問いかけてきた。

 手を上げると、絵里子は近づいて、彼のあごに手をやり、ぐいっと上にむかせた。

「なるほど、その顔の輪郭が、お姉ちゃんにそっくりね。お姉ちゃんはどこなの? どうしてるの?」

「こっちが聞きたいよ」

人好きのする叔母の言葉が、前と全く変わってないのに安心し、軽い口調で大介は答えた。

「俺がここに面接に来て、帰ったとたん、前と状況が一変しちまったんだ。じいちゃんが運営していたアパートも消えちまった。まるで別世界に飛ばされたみたいに」

 そう言ってから、はっと顔を引きつらせた。

「ここは本当は、どこなんだ?」

 絵里子は、困ったような顔になった。

「さっきも言ったでしょ、時間旅行で起きる不測の事態を未然に防ぐのが、わたしたちの役目。わたしもパートで働いてるわ」

「怪しすぎる」

 大介は、立ち上がった。

「観光バスの事故と俺の家族の消滅が、どう関わるのか教えてくれるまでは、俺はバイトなんかしないからな」

「そんなに警戒しなくてもいいのに」

 あきれたような絵里子は、なだめるようにそう言ってから、

「今晩のアテはあるの? もし困ってるんんだったら、うちに泊まっていったらいいわ」 大介は、一歩、二歩と後ずさった。

「あんたが俺の叔母だっていう証拠はあるのか。いや、それ以前に、消え失せた家族を、なんであんたらが助けてくれないんだ!」

「だから言ったでしょ、時間旅行はシュレーディンガーの猫だって。あなたは時間の量子でクロックアップされてるし、なにより時間管理局によって保護されてる。でも、この状況が長く続くことはないわ。決断が遅れれば、あなたも消滅する」

 絵里子は、真剣な目になった。

「警備員になって、事件の真相をつきとめなさい。そうしなきゃ、わたしも消えることになるかもしれない」

 大介は、さらに一歩後ずさった。

「まともな話とは思えない」

 大介は、口ごもりながら言った。

「俺は、もう、関わりたくないんだ!」

 そして彼は、やみくもにその場を脱走した。


 気がつくと、彼は、更地になったアパート近くの橋桁にいた。

 家族もない、家もない。財産は二千五百円。バイトのあては、どこかイカレた集団だった。

 夢だ。

 悪夢に違いない。

 ほほをつねってみたが、変わりがない。

 警察に、保護を訴えてみようか。

 精神状態を疑われて、病院に送られそうな気がする。

 あれこれ考えていると、すぐまえを人が通りかかった。

「土屋大介……、だな?」

 そいつは、サングラスをかけて、目深にかぶった帽子のまま、よく響く低い声で訊ねてきた。

「はい?」

 そいつの立っているところは、そこだけ闇が深かった。空気も冷たい。まるでそこだけ、冬になったみたいだ。初夏の風が急に冷たくなり、身を切るような勢いになった。

「土屋大介は、俺だけど」

「なぜだ。なぜ、おまえなんだ」

 そいつは、怒りのこもった声で訊ねてきた。

「な、なんだよいったい」

 大介は、当惑しきってそいつを見つめた。

「いいか、警告しておく」

 そいつは、まるで時代劇の悪役みたいな声で言った。

「タイム警備保障会社には、関わるな。もしあいつらのところへもう一度いったら、おまえの身近な人間は、一人残らず消滅させてやる。おまえの祖父や両親や、妹と同じようにな!」

 そう言い捨てると、彼はくるりと背を向けて……、

 そのまま、消え失せた。

「…………」

 大介は、呆然としてそれを見つめている。

 次から次へ、いったいどうなってるんだ。

 大きな疑問がわき出てきたが、とりあえずその場に座り込み、今日の宿を確保しようとした。

「あんた、新入りかい」

 と、道ばたに転がっていた垢まみれの男が問いかけてきた。

 かすかに顔をしかめ、大介は、静かにうなずいた。「大介ってんだ、よろしく」

「ここに宿を取るつもりなら、帝王のところへ面(メン)を通しな」

その男は、助言してきた。

「この辺は、あの方が仕切ってる」

「さっき脅したあいつとは、関係ないんでしょうね」

「……帝王があんたを脅して、何の得があるんだ。こっちのほうこそ、人に脅されるようなやつが宿を取るのは、勘弁してほしいね。トラブルはごめんだ」

「帝王に会ってきます」

敵意のこもったまなざしを向けられ、思わず顔をそらした大介は、そのままその男に案内されて、とある街角に向かって歩き始めた。


「そりゃ災難だったな」

 そういうと、彼は水を差しだしてきた。帝王は、がっちりした老人だった。 顔はすすけてよくわからないが、ずいぶん長く生きてきたようで、ゆったりした動きをしている。

「一晩だけならここに泊めてやってもいい。だが、おまえさん、大事なことを忘れてるよ」

「それはなんですか?」

 大介は、興味を引かれて訊ねた。すると帝王は、落ち着いた口調で言った。

「タイム警備保障会社がどんなところかは、わたしにも判らない。ひとついえるのは、そこが徹底した秘密主義のところだってことだ。そんな企業が、おまえさんを雇うという。そして、そうしなければ、おまえさんの身にも危険が迫るという。秘密主義の企業がそこまで言うってことは、それなりの理由があるってことだ。あながち、嘘は言っていないかもしれない」

「じゃあ、俺の言うことを、信じてくれるんだ」

「あんたが脅されているのは知ってる。あんたがそれに嫌気がさして、逃げ出してることもな。だけど、逃げてる場合じゃない。タイム警備保障会社の言うことがほんとうなら、決断が遅れると、あんたはあとかたもなく……、消えっちまう」

 大介は、背筋がぞっとした。

「どうしてなんでしょう」

「すべては、タイム警備保障会社が知っておるのだろう。行って、仕事を請け負ってごらん。脅されたままほうっておくなんて、子供のやることだぞ。妹さんを、消滅したままにしておいていいのかね」

 そこまで言われて、大介も決意した。

「判りました。いろいろありがとう。明日にでも、行ってみます」


 そうしていま。

 現地に着くなり、十月の秋風が吹いてきた。

 時間渡航機タイム・スクーターにまたがって、彼はとなりのバスを見上げた。どうってことのない観光バスである。トキヤ観光なんて書いてある。

 ひとりで任務を果たしてこい、と言われて、不安に思いつつここに来た。

 観光客の人数は、四人。男二人、女二人。

 格好は、七○年代。Tシャツに紺のGパンだが、妙に着慣れていない雰囲気バリバリ。

 いつの時代から来たのかも、名前も年も教えてくれない。

 街を見渡すと、木々にはまだ木の葉が残っているし、ここの人々の服装も軽い。今の自分たちはこの時代の人にどう見えているのだろう。

 昭和四十五年十月五日。

 両親は、この町で知り合っている。東京見物にでかけた際、ビルのトイレから見下ろした東京ドームを見て、「UFOだ!」と騒いだ片田舎の人間だ。懐かしい気持ちになったが、あまり会いたいとも思わない。

 会ってどうする。未来でのあなたたちは、行方不明になってるんですよ、とでも言うのか。

「過去を変えちゃ、だめよん」

 勝美が、ノリのいい口調で警告したのを思い出した。

「結局、過去を変えたから、あんたの家族はいなくなったんだろうしね!」

 どんな過去を変えたんだ。

 だれが、過去を変えたんだ。

 何の目的で、どうやって変えたんだ。

「タンゴのリズムだ」

 大介は、街なかの音楽に耳をかたむける。

 いきなり、バイクがピコピコと音を立ててしゃべった。

「ああ、あれは『黒猫のタンゴ』じゃね。どしたん?」

「ば、バイクがしゃべった!」

「悪かったね!」

 未来には、いろんな機械があると、SF映画で見たことがあるが、実際にそれを見るのは初めてだった。大介は、どこかにスピーカーがあって、だれかがどこかでいたずらしているのではと探ってみたが、

「これ、くすぐるな! これでも繊細なんじゃけー!」

 というバイクの声に、手が凍り付いてしまった。

「あんた、本物の未来機械なんだ?」

「本物だとも、観光バスを見てみんさい」

 車窓から中をのぞくと、運転手の手が動いてなかった。

 車もバイクも自動運転なのだ。

 大介は、前にも触れたように、アナログ時計を意匠したワッペンをつけた、水色の怪我なし『万能スーツ』を着ていた。

 警備用の備品に、警笛(ホイッスル)、警棒と懐中電灯も渡されたが、使うことはないだろうとのこと。

「きみが、新しい警備員?」

 未来から来た男女二人が、問いかけてきた。

「はい、土屋大介と言います。新人ですが、よろしくお願いします」

 大介は、とりあえず挨拶してみた。

「なかなかイケメンじゃない」

 彼女は、ぽーっとした顔になった。イケメン? 大介は、小首をかしげる。

 となりの男が、その人を肘でつついた。

「おまえ、また病気が始まったな?」

「イケメンを褒めて何が悪いの。あなた、ヤキモチ焼いてるんでしょう」

「きみには婚約者がいるんだろ! 大介くんにも迷惑だよ」

「あら、そ、そんなことは……」

 聞きながら大介は、ため息が出てきた。

 もともと大介がここに来たのは、過去になにか重要なミスがあったからだと勝美から聞かされたからだ。

 そのミスを修正するデータをやるかわりに、仕事をしろという。

 ミスを放置していたら、あんたも妹も消滅するよ、と言われたら、イヤとは言えないではないか。

 タイム・スクーターは、彼を乗せてべっべっべっべ、と走りはじめた。

 乗客を乗せ、バスも一緒に走り始める。

 未来人の観光バスツアーが開始されたのだ。大介が伴走する。

 こちらを、窓からぽーっと見ているのは、さきほどの女性だ。

 そうとう、ホレっぽいとみた。

「ねえねえ、あなた、年はいくつ? 名前は?」

 その女性は、窓から質問してきた。

「やめとけよミドリ、過去の人間と関わるなって言われてるだろ」

 さっきの男が警告している。

「美しい男だわ。たくましい身体をしてる。ああ、過去の人間って、ちょーいけてる!」

ミドリと呼ばれた女性は、ますますお熱の様子。

「窓から外に手を出さないでくださいね!」

 大介は、ぴぴっと警笛を鳴らした。するとミドリは上半身を乗り出して、なまめかしく踊りながら、

「手じゃなくて身体なら、いいでしょう?」

 先が思いやられる。

 中の未来人が引っ張って戻すのを眺めながら、大介はうんざりしてきた。

「こちらは、七〇年代のおもちゃ屋になりまーす」

 バスがしゃべる。

 商店街入口にバスが止り、おもちゃ屋に未来人四人組がどやどやと入る。

 野球ゲームもあるし、人生ゲームもある。もちろんカルタやトランプも。

 手品の小道具もある。

「ビニール製の人形! ファニー!」

「ブラボー! 鉛の兵隊!」

「珍しいゼンマイ仕掛けよ! ドリーミー!」

口ぐちに言っては、カメラに激写の四人組。

「あのー、これなんかどうです?」

 店員さんが熊のぬいぐるみを差し出すと、

「おー、わんだほー!」

 買おうとはしない。店員の顔は引きつっている。

 わいわい言いながら、全員が外に出て行った。

「またどうぞー」

 店員は、仕方なさそうな声でそう送り出す。

「はっくちょっ!」

 外へ出ると無規制の排ガスのためか、四人組は盛大なくしゃみをした。

「ひとついいものをあげるよ」

 さっき話しかけてくれた男の人が、自前の水筒を取り出した。

「お役目、ごくろうさま」

 ほほえみかけるそのまなざしの暖かさに、ふと心がなごむ大介。

 水筒のお茶を飲むと、香辛料の利いた奇妙な味がして、力がわいてくる気がする。

 一行は、商店街をそぞろ歩きする。

 たこ焼き屋さんは、においをかいだだけ。

 布団屋さん。

 魚屋さんでは、マグロをさばくところを見学。

酒屋さんで、余った王冠をもらって、キャーキャーさわぐミドリ。

 しかし、ミドリは、先ほど注意された未来人から、その王冠を取り上げられ、戻されてがっくりきていた。

 どうやら、ここの未来人は、お金を現地で使うことを禁止されているようだ。

 たった四人が過去の経済にどんな影響を与えるというのか、大介には見当もつかない。

 バスは出発する。そばを市電が通っていく。

 百貨店には、まだ人形仕掛けの大きな時計は飾られていない。

 そこを曲がって、古いファッション・ブティック、宝飾店、時計店、着物店などを越えていく。

 未来人四人組が、窓に張り付いて、道から見えるその商店街を、写ルンですカメラのようなもので激写している。未来にも、あんなカメラがあるのだろうか。よくわからないが、聞いても教えてくれないだろう。

「どこに向かってるんだ?」

 とりあえず、話し相手が欲しくて、大介はスクーター(名前はたいむくん666号というらしい)に話しかけてみた。

「国道沿いの海辺。ここからあとの時代になると、埋め立てられてまうんじゃ」

「あそう」

 未来人は、海を眺めながら、ノスタルジックな気分に浸りたいのだろう。

 話している内に、街が背後に消えていった。

 海岸線に向かうバスが、砂利道を蹴立てて走っていく。

 急に、腹が痛くなってきた。

 トイレに行きたい。

 さっき飲んだお茶に、あたったのだろうか。

 がたごと、がたごと。

 バスはサスペンションが悪いのか、変な音を立てている。

 ばしっ。

 砂利のひとつが、はじけてバスの床にぶつかった。

 嫌な予感がしたが、大介はバスを止めなかった。

 さっさと仕事を終えて、トイレに行きたかったからだ。

 そのときだった。

 ぱーん!

 乾いた音がひびく。

 びしびしとなにかが炸裂して、火花が散った!

 フラフラっとバスがよろめく。

 キーっとブレーキの音。

 停止するはずが、横滑りにすべっていく。

「あっ」

 大介は、声を漏らした。

 タイヤが、パンクしたのだ!

 がたんがたん、と車は、前のめりになって、道を暴走する!

 その行く先に、いかにも七〇年代風の白いスポーツカーが!

 屋根をあけ、かっこうをつけているのは若い男女と大人の男だ。

 バスはまっしぐらに、その正面に突っ込んでくる!

 勝美が言った言葉が、脳裏をかすめる。

―――危険はないのよ。時間渡航機タイム・スクーターに乗って、バスに伴走するだけ。事故が起りそうになったら、スマホ手帳でパトロール要員を呼べばいい。

 事故を未然に防ぐ、だ?

 未来人が、死にそうになってるじゃねーか!

 さっきの男の人も、ミドリさんも、死ぬかもしれない!

 それどころか、過去の人間もあぶないのだ!

 海岸線にむけて、バスがじりじり近づいている!

「た、たいへんだ! どうすりゃいい!」

大介は、スマホ手帳の画面をデタラメに押した。

「緊急事態! 緊急事態! 至急、パトロール要員の派遣を要請します!」

 たいむくん666号が叫んでいる。

「いま手が離せない! そっちでなんとかしてくれ!」スマホから声が響き渡る。

 タイム・パトロール要員は、よほど人員が足りないと見える。

「どうしたらええんじゃ! なんとかしてくれ!」

 たいむくん666号は、叫んだ。

 海岸線に沿った車線のなか、バスは、スポーツカーに接触している。派手な音とともに側面とぶつかり、へこませ、鉄製の悲鳴を上げさせている。それでも爆走は止らない!

 その男女と中年の男を見て、大介は眉をひそめた。

 ―――どこかで、見たことがある。

 とっさにスマホを取り出す大介。

 スマホ手帳のアイコンに注目した。

 船の上に気球が載ったデザインのものだ。光っている。

「ダメ元!」

 大介は、それを押してみた。

 びーっ!

 こっちにフラフラ迫ってきた未来人のバスが、突然ふわりと持ち上がった。

 ビックリしているスポーツカーの二人を置いて、バスは空中をとんでいく。

 ウィィィン……。

 床がチカチカ、ぷすぷす、光っている。

 空に切れ目が走り、バスがそこに突っ込んでいく。

「空が旗のようにぱたぱた光って翻り、火花がパチパチパチッと燃えました!」

 大介は、宮沢賢治の童話を絶叫していた。

 空の切れ目の向こうは、宇宙を根っこにした断崖絶壁。

 しぶきをあげて打ち寄せる逆さまの波。

ざばーん。

 ざばーん。

 切れ目の向こうの、青赤フラクタルな空。

 飛び交うカモメは、翠色。

 その向こうまで続く、紫色の海。

 からん……。

 逆さまになった断崖絶壁から小石が転がり落ち(いや、転がり『上がり』)、すーっと海に吸い込まれた。

 見上げると、そのまま上部に落ちて……。音もなく波に飲み込まれて。

 たしかに、サメのような魚も見えた気がした。

 ばたん。

 大介は、慌ててスマホ手帳を閉じた。

 胸がドキドキしている。

 あれはなんだ?

 空に海がある? ありえねー!

 新しい演出なのか?

 それにしちゃ、妙にリアルだ。

「わーっ」

 過去の若者たちが、叫ぶ声がする。

 そのままスポーツカーは、ブレーキもかけず、突っ込んでくる。

「まにあってくれ!」

 大介は、ハラハラしている。

 若い男女と中年男は空をぽかんと見上げている。

 バスは切れ目の中に、静かに格納されていく。

 空は、のり付けされたみたいにぴったりと切れ目が消えた。

スポーツカーは地上をかっ飛ばしていく。

「消えた! 宇宙人だ!!」

 中年男が叫んでいる。

 その三人の姿を見て、大介はぞっとした。

彼が生まれる前の家族。

 若かりし、自分の両親と祖父の姿だったのだ!

「これ、どういうことなんだ。俺の両親は、何でここに?」

「いまから結婚式なんじゃよ」

 たいむくん666号は説明した。それによると。

 過去の重要なミス。

 それは、未来人との交通事故に、家族が巻き込まれるということだったのである。

 つまりこうだ。

 未来人と事故を起こす。

 両親と祖父が死ぬ。

 子供が生まれない。

 そして、妹と自分が消滅する。

 自分がすぐに消滅しなかったのは、この間違った過去を修正できるのが、大介だけだったからであろう。

「あれはたぶん、自衛隊よ。きっと映画の撮影に、協力してるのよ」

 急ブレーキをかけたスポーツカーの母親が、叫ぶ声がする。

 車は、海岸線ぎりぎりに止まった。砂利がざあっと音を立てる。

 大介は、止まっている車に近づいた。

「だいじょうぶですか」

「ああ、警察の方ですか。いや、警備員さんかな。いまの、見ましたか」

 父親は、真っ青になっている。

「あれは、最近打ち上げられた衛星の一つです」

 大介は、でたらめを言っている。

「スパイ衛星なんです、他言は無用にお願いします」

「空が旗めいたぞ!」祖父は、声が震えている。

「そんなことより、式に間に合わないわ! さ、出発しなきゃ!」

 母親は、意外としっかりした口調で言い、父親を促した。

 スポーツカーは、出発した。その背後を見ながら、大介は自分の足がふにゃふにゃになっていくのを感じた。

 思ったより、緊張していたらしい。

「大介くん、大丈夫かいね?」

 バイクのたいむくん666号が心配そうに見つめている。(その照明に表情が、あるのならだが)。

「大丈夫だけど、あの逆さまの海はなんだ?」

「ああ、あれは浮遊時空管理スペース。時間管理局の支部へ通じておるのじゃ」

「へー」

 再び気球のアイコンをタッチ。

 空が開いて中から出てきたバスは地上へ降りていった。

 近づいていくと、大介は、バスの側面を押してみた。

 ぎいっ。

 きしむ音とともに、ぐらぐら揺れる車体。

 これじゃもう、観光どころじゃない。

「このバスツアーは中止じゃ、って言ってきんさい」

 たいむくん666号が言うので、彼はつかつかと、未来人のバスに近づき、窓からスマホ手帳をかざそうとした。

「あああ、大介さん! わたしの命の恩人!」

 バスから転がり出てきたミドリは、彼に抱きついてきた。

「この恩は、一生忘れない!」

 ぶちゅ! 

 むっちりした唇の感触に、やや押され気味の大介は、やっとの思いで言った。

「この観光バスツアー、中止します」

「あーあ」

 中の四人が、がっかりしたように言った。

「せっかく、天然の自然を満喫できると思ったのに」

「クローンの自然なんてまっぴら」

「こら、これ以上、過去に情報をもらさんでくれ」

 たいむくん666号は、文句を言った。


四人を乗せたバスが消えていくと、たいむくん666号は気がかりそうに言った。

「あのバスを見て、あんたの両親に未来の情報が漏れたりしないじゃろうか」

「オレ、むかしから、両親に、宇宙人に襲われたって話を聞かされてたし……」

 これで、仕事がひとつ終わった、とホッとすると同時に、またやりたいかどうか自問する大介だった。

「今度は、どこの時代で事件が起こるんじゃろうの~!」

 たいむくん666号は、わくわくしている。

「もう、こりごりだよ。事件事故なんて」

 大介が答える。

 気がつくと、便意は消えていた。

 一時的なものだったようだ。

「あんた、両親が未来人と事故を起こして子どものあんたたちが消滅しかけたところを、時間管理局にたすけられたんじゃよ! すごいことじゃ! もっと役に立ちたいって、思わんのかね!」

 大介は、ガミガミ言うスクーターに乗り込んだ。

「未来に帰るよ」


アパートは元通りだ。ほっとした。

 じいちゃんも、両親も、電話に出てくれた。

 心配して、「変わったことなかった?」と聞くと、

「あんたが電話したこと」と言われてがっくりきた。

 未来人との事故は、なかったことになったのだろう。

 その後、帝王を探してみたが、見当たらなかった。

 どこか別なところに行ってしまったのかもしれない。

 もっといろいろ話したかったな、と大介は思った。

 別なところへ電話をかける。

「もしもし」

「大介! 心配したわよ。だいじょうぶだった?」

「うん」 

 と、大介は、電話に口を寄せてささやいた。

「過去に旅するって、すげーな」

絵里子は、少し間を置いて言った。

「事故のこと、聞いたわ。あんたを脅したのはゼームってやつで、バスの床に細工して、過去のデコボコ道路に対応できないようにしたみたいね。れっきとした器物破損だけど、これだけじゃ時間犯罪にはならないのよね、こまったものよ」

「なんでオレを消滅させようとしたんだ?」

「ゼームの婚約者ミドリが、あなたのことが忘れられないから別れようって言ったらしいわね。完全にゼームの、逆恨み。それより大介、すごい機転を利かせたらしいじゃないの。いままでスマホ手帳を使ったことがないのに、えらいって勝美が褒めてたわ」

「……それほどでも」

ちょっと照れたような、大介のセリフ。

絵里子は、少し年上風を吹かせることにした。

「これ以上、関わらない方がいいかもよ。警備員の仕事は、ラクじゃないんだから」

「それを言うなら、どんな仕事でも同じだよ」

 クスクス笑いながら、大介は言った。

「かーちゃんにこの話、聞かせてやったら、ネタが来たって大喜びするよ」

「あーあ、わたしの専売特許だったのに」

 がっかりしながら、絵里子は言った。

「また仕事が来たら、やる気があるの?」

「―――さあどうだろうな。今度引き受けるときは、うまい御菓子でもつけてもらうよ」

 大介はそういうと、電話を切った。

 あのとき、空を見上げて、宇宙人だと叫んだ大西じいちゃんのことを思いだし、再び笑いがこみ上げて大介は机に向かった。もう一度、宮沢賢治を読むためである。

 これでもう、二度と警備の仕事に就くことはないだろう。

 そう思いながらも、どこかさびしい思いをしている大介である。

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