黒い流動体

編現病来

第1話 依頼

カーテンの隙間を縫って零れる光は、瞼の間をすり抜ける。

それによって男は外が朝であるという事を上体を起こす前に知ることが出来た。

一室、寝台が一つという殺風景な光景からここが簡易のホテルである事は言うまでも無い。

男の荷物は盗難対策としてベッドの下に潜り込ませてある。


 気怠さを感じたが、しかし男は理性的に行動し、上体を起こす。

目を手で擦り、それから背筋を伸ばすと寝台から降りた。カーテンを開けると、光は一層強くなり、目覚めて間も無い男の目にとっては毒とも言える刺激、だが自身の瞼を強引に開き、外の様子を認識する。

赤褐色の石畳は、古風な雰囲気を町にもたらしており、観光都市として名を馳せている事も理解し難い事ではなかった。


 けれども、男は観光や風景の様な芸術、情緒に訴えかけるような事物を好む事が無い。

感性が乏しいともいえるが、欠陥と言えるような明確な物ではないので男はそれに悩んだ事は無い。

それ以上に味覚の欠如は深刻であった。五感の一つであるそれは確かに他の感覚と比べれば見劣りする物ではあるが、人間として欠如してはいけない物の一つであることは間違いない。


 男も幼少の頃は味を、刺激としてではなく味という特定の認識をしていた記憶はある。味覚の欠如は男が自ら望んだ事の代償に選んだが、その違和感は高が四年では拭えるものではないと実感した。

今日の朝食は何にしようか、味で決める必要がないので出費が少なく済むのは代償の明確な利点でもあるが。男は上にコートを羽織り、町の外へと出かけた。


 「流石に寒いか」


 季節は秋、夏が終わると突然気温が下がった御陰で最近では風も流行していると聞く。男は医者に掛かった事は無いので良く分からないが、相当儲かるのだろうなと軽く考えた。コートの下はシャツ一枚で防寒対策をしているとはお世辞にも言える格好ではない。それもその筈、この辺り――――セルラウイ領は大陸南部に位置し、秋から冬にかけての日照時間は極めて少なく早朝から12時まで。町の人々は服の上からでも分かる厚着で身を守っている。


 雪が降るのはいつだろう、そんな声が男の耳に届く。

町、人、空あらゆる物を白く染める雪、好ましい物ではないと男―――アインは思った。寒さに慣れているこの町では冬だろうと活気は衰えない、喫茶店等は既に暖房を用意して部屋に熱を溜めている。暑いのも、寒いのもアインは好まない。ただ、何も感じないよりは良い、他のどの感覚でもだ。

失った味覚を少しだけ、懐かしんだ。


 石畳に木を打ち付けたような小気味良い音を鳴らしながら、道を闊歩する。

黒いコートを靡かせ、目的の場所に一歩、二歩と近付く。人は多い、アインの横を通る自転車、又車道を走る車。冬の乾いた空気にはそれらの音が交じり、混濁し、一周してそれが背景音楽のように元から存在していた様な感覚に陥る。

ある意味ではそれが静寂とでも言い換えられるだろう。


 そして音が消える、アインの眼前に有るのは課役協会べラルドア支部。課役協会とは読んで字の如く、役を課す協会、言い換えるならば傭兵業斡旋業者だ。

傭兵は大きく分類する場合個人と協会派に分かれる。協会に仲介料が持っていかれるが、極めてクリーンな、法に則った仕事が紹介される。

個人は言うまでも無く、グレーから黒まで。個人の傭兵が集まった集団も存在しているが数は多くない。


 扉を開け、建物内に入る。床は大理石で作られ、柱は鉄骨で強度を十分に高めている。耐久性に優れた素材を使用する理由は直ぐに分かった。

アインが入ってから少しして、協会の中に掠れたようなそれでいて威嚇するような蛮声が響く。


 「脳天ぶち抜かれて、死にてえなら先に言えよォ!」


 蛮声の主の巨躯を誇る男は対象が腰かけていた椅子を蹴り飛ばし、怒気を放ち睨む。睨まれたのは四白眼のローブを被った男だった。

アインは身形からして、魔術師だと察する。強靭な肉体を持たず、傭兵業を営む者は魔術で何らかの細工をしているか、強力な魔術を放つ事が出来る者だ。四白眼の男はおそらく後者とみえる、右手には金属製の、恐らくは銀で作られた錫杖が握られその先に着いた大玉の緋色の魔石が怪しく光っていた。


 野蛮だな、とアインはそこから離れようとする。しかし今日の予定をど忘れし、何だったかと立ち止まる。

頭を掻きながら度忘れした何かを思い出そうとする。

協会は何のために来るか――――依頼―――誰からの―――秘密だった、そう支部長からの呼び出し、それが課役協会に来た理由。


思い出し歩き出す。一瞬だった、後方から火球が迫る。アインは熱を認識し、瞬間振り向くと50センチ代のそれを掌で受け止めた。


 火球は10秒以上手の平で残存していたがそれから離散する。周囲の視線はアインの方に向いていた、いや正確にはアインでは無くその手、受け止めた右腕は黒い、焼け焦げたのではない。

アインの手を黒い何かが覆っていたのだ。黒い何かは、まるで意志でもあるようにしてコートの袖口から潜り込んでいった。

不快だと、アインはそのまま向き直り、支部長の呼び出しに受けるためカウンター越しの受付の女性に声を掛ける。黒いスーツを身に纏った女性で髪をポニーテールで結っていた。


 「ゼンドラル支部長はいらっしゃいますか。私アインと申しますが」

 「アインさんですね、お待ちしておりました。先程支部長は私室に居ましたので先に応接室へご案内させていただきます」


 女性はカウンター右後方に有るドアまで進みアインを誘導する。

ドアの先は一本の通路とその脇にある空き部屋やら史料編纂室、給湯室などを通り過ぎていくとちょうど奥には二つ程部屋が並んでいた。


 部屋の上部には支部長室と書かれた部屋と応接間と書かれた部屋、受付の女性はこちらですと応接室を示し、ドアを開けると手前のソファーに座るように指示を出した。


 「では直ぐ呼んできますね」

 「ええ、分かりました」


 それから30秒ほどして、ソファーに座ったアインの後方でドアを開ける音がした。足音が響く、そして横を過ぎ、アインの眼前にある対となるソファーに支部長は腰掛けると、咳ばらいをして挨拶を始める。


 「久しいな、アイン」

 「そうだな、ゼンドラル支部長」


 アインにとっての旧友、ゼンドラルは今年で齢29、近年は年功序列の考え方も少数派になったことも相まっての昇進だったが、それにしても異例であった。ある事件以来は、酒を飲むことなどもめっきり減ったが友人であることに変わりはない。


 髭を蓄えているのは部下らに高をくくられるのを避けるためとアインは聞いていた。


「依頼を受けてくれるとは、ありがたい」

「借りがあるからな」

「ああ」


 「で、今回の話なんだが」

 ゼンドラルは重要な、何か問題の有る事を話すときは自身の眉間を人差し指で触れる。


 「きな臭い話か」

 「悪いがな」

 「詫びる事は無い、仕事上当然だ」


 そうしてゼンドラルは顔色を変え、依頼内容を話した。依頼の内容はありきたりで、誘拐と殺害。エンヴィ家と呼ばれる貴族の当主、婦人を殺害し、その娘サテラを誘拐する事。ただ依頼主が絶妙に怪しかった。

 

「王国宰相だと」

 「私兵5万、そして緊急時には騎士十万以上を統率できる権限を有す、事実上の王が卑しい課役協会に依頼など笑い話で済まないだろう?」

 「笑った方がいいのか、馬鹿話を」 

 「話で済むならいいのだがな」


 有り得ない、何かがおかしい。いや決定的に有り得ない事だとアインはそう言い放ちたかった。

しかし部屋に漂う威圧感、そしてゼンドラルの真剣な眼差し。

どれを取って嘘と言えるだろうか、異常を信じるしかない状況こそが異質だった。


 「分かった、信じよう。事の始まりは何だ? 賄賂か、王国は課役協会に面子を売らねばらならない程なのか?」

 「知っている事は無い、王国の使者に手紙を一枚もらっただけ。宰相の印もある。だからこそ恐ろしく、狂気的だ」


 本来課役協会と、王国の常備軍たる並王騎士団は互いに相容れない。騎士というのは家系、年功序列を重視し、それに沿うようにして、実質的に権力を持つかは別だが階級は設定されている。それに対し課役協会は実力至上主義、出生、事情を一切問わない寄せ集めの集団。対局であるのだから、王国の重鎮にとって課役協会への依頼は以ての外。


 にも拘わらず、ゼンドラルはスーツの内ポケットから紙を取り出す。紙の良し悪しなど一片も気にした事の無かったアインも白紙の裏面からそれが高級品だと察する。そしてそれをアインの方に向け反対にする。

 紙面に掛かれている事は簡潔で、コルフェス家の当主、婦人の殺害、サテラ・コルフェスの誘拐。最後に名前とサインがあるだけ。


 「ゼンドラル、受けさせてもらう。この依頼」

 「そうか、有難い。だが罠の可能性も有る、傭兵の常だ」

 「分かってなくてやると思うか?」

 「そうだな.お前の家に使者が来るだろう、詳細はそこで聞いてくれ」


 アインは書類を掴み、くしゃくしゃに丸めてポケットに突っ込む。その様子を見て笑ってから、ゼンドラルはこれからどうするんだ、と聞く。アインは向き直って、言った。


 「飯さ」














 

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