第3話

 休日の電車はガラガラというほどではなかった。座るスペースもあったが、立ったまま話を続けた。

「今日のあんた少しおかしかったもんね。それはきっと罪の意識に苛まれてたからだ。

 何度言ったにも関わらず、先輩が煙草を止めないことに腹を立てたあんたは、先輩の煙草を盗もうとしたんだ。そう、狙いはポーチじゃなくて、その中の煙草だけ。

 電気が消えた一瞬の闇に紛れて、ポーチを盗み出すことに成功したあんたは、煙草を取り出してポーチは返したんだ。

 もくろみ通り先輩は煙草を吸うことができなくなってしまった。思い返してみれば、今日は昭彦さんの家に入ってから一度も先輩が煙草を吸うところを見てないし。今だって先輩は煙草を昭彦さんの家に取りに戻ったけど、煙草はここにあるんだ。そうだよね、耕太。

 残念だけど、先輩に教えてあげないと」

 先輩に連絡を取ろうと携帯を取り出し、メールを打とうとした瞬間、耕太の怒声が降ってきた。

「どうすればそんなあり得ない結論になるんだよ!」

 あっけにとられ、私は何も言い返せなかった。目が点になっている私をよそに、耕太は周囲の人に「すいません」と頭を下げている。


「そもそも誰かがポーチを隠したと仮定した場合、出てきた場所を考えると、隠したのも昭彦さんか皐月って考えたほうが妥当。俺たちのどちらかが隠したとしたら、見つけた2人が不思議に思わないはずがないのにそんなそぶりはなかっただろ」

 電車の揺れがひどくなっているような気がする。耕太に一喝されたせいで、私の思考がふらふらと定まらないせいだろうか。

 耕太が犯人だと思いついたときはビビっときてそのまま口にしたが、考えてみれば穴だらけかも……。耕太が思わせぶりな態度をとっていたのがいけないんだ。

「皐月が自作自演で隠した可能性もあるけど……その場合はどうして自分から部屋を出ていこうとしたか考えなきゃいけない。そう考えると、俺たちに部屋を出て行くように言った昭彦さんがじゃないかな」

「でも、どうして。実は自宅で煙草吸われるの嫌だったとか?」

「煙草から離れろよ。ちなみにライターも関係ないから」

 考えがうまくまとまらない。昭彦さんがポーチを盗まなきゃいけない理由もさっぱり思いつかない。弱みでも握られていて、それがポーチの中にしまいこまれていたとか……そんなわけないか。

「誕生日会を盛り上げるためのサプライズを仕込んでたとか」

「驚かせる相手が目の前にいるのに?! いや結果的には驚かせることになったのか」

 わけがわからないというのが表情に出ていたのだろう。仕方ないといった表情で耕太が言った。

「ポーチがなくなった結果、昭彦さんの指示で俺たちはポーチを探しに部屋を出ただろ。それが狙いだったんだよ。つまり、2人っきりになりたかったんだ」

 いやいやいやいや、意味がわからない。

「どうしてそんなまどろっこしいことしなきゃいけないのよ。彼氏なんだからいつでもそんな機会あったじゃない。現にいまだって、2人っきりになっているはずだ、し……」

 私の反論は尻切れトンボになってしまった。耕太がうんざりするような目で見ていたからだ。なんか変なこと言ったか。

「そこから勘違いしてたか。あのさ、皐月から昭彦さんのこと、彼氏だって紹介されたか?」

 その言葉の意味を理解するまでしばらくかかり、その後は驚きの声をあげてしまった。今度は私が周りに頭を下げることになったのは言うまでもない。


 二度の大声で車内での居心地は最悪なものになっていたが、それほど時間を待たずに家の最寄駅に到着したのは幸いだった。

 改札を出て自宅までの道を歩きながら、耕太は説明を再開した。

「皐月からはっきり聞いたわけじゃないけど、この勉強会だって昭彦さんからアプローチかけられて、やんわり断ってるうちに逃げ切れなくなって困った末の提案って感じだろうし。本人は否定するだろうけど。皐月のやつ、奥手だからな」

「皐月先輩が?!」

「そうだよ。他人のことになるとそれこそあけすけに話すのに、自分のことになると急に口が固くなるから。あほらしいけど、煙草吸うのも昭彦さんの前で緊張するせいだろうな。皐月は家で煙草なんか吸ってないのに。心を落ち着けるためなのかなんなのか知らないけど」

 まじか。普段から吸ってるもんだと思ってたのに勘違いだったのか。

「昭彦さんもじれったかったんだと思うよ。俺たち2人のこぶつきとはいえ会えることは会えるんだから、皐月の提案をばっさり断るわけにもいかないし。できれば直接思いを伝えたいと思っていた中で、ふと思いついたを起こしてみたら、予想外にうまくいってしまったってとこじゃないかな。失敗しても、それこそ誕生日会のおふざけで済む話だし」

「ちょっと待って、そう言えばポーチはどこに隠してあったの? ぱっと回りを見たけど落ちてなかったし、隠すようなところもなかったじゃない」

「隠すもの、机の上に置いてあっただろ」

「机の上……って、えっ、ケーキ? ケーキの中にポーチが埋め込んであったの!?」

「埋め込まれてたとしたら、食べたお前の腹の中にポーチが収まってるのかよ。ケーキそのものじゃなくて、ケーキの箱だよ」

 確かにあった。あの時はまさか隠されたとは思ってなかったから、箱の中まで確認なんてしていない。大きなケーキを入れてあった箱だから、ポーチを入れても問題ないサイズだ。

「たぶん電気を消した直後に、マッチを探すふりしてポーチを箱の中にしまったんじゃないかな」

 

 先輩がポーチの消失以来煙草を吸わなかったのは、道具がなくて吸えなかったんじゃないんだ。

 いま、家にたどり着いていれば先輩は昭彦さんと2人きり。

 ポーチを探しに邪魔者2人が消えている最中、昭彦さんからどんなことを言われたかは想像しかできないけど、そこから先輩は煙草を吸うのを恐れてしまったんだ。

 煙草の臭いがついてしまうのを、避けたくなったんだろうか。


 なんだかこの数十分間で周りの人のイメージが色々と壊れてしまった感じだ。勉強をしていたお昼よりも頭の疲労具合はひどい気がする。

「おいおい、大丈夫か。なんだか今にもフリーズしそうな顔になってるぞ」

「なんだか頭の中の処理が追いつかなくて・・・・・・。ああ、今日の耕太が心ここにあらずだったのは、先輩と昭彦さんの関係がうまくいくのか心配だったの?」

「そんなシスコンみたいなこと考えるかよ。むしろ早くくっつけと思ってたからせいせいするさ」

 頭が沸騰してしまいそうで苦し紛れに放った一言だったけど、どうやら耕太のウィークポイントをついたようだ。口では悪態をついているのが、逆に先輩たちのことを考えていた証左にも思えてくる。家族思いな耕太に免じて、これ以上からかうのは止めてあげよう。

 何より、今日は結果的に見ればいいことばかりだったんだから。

「いやーでも、まさか先輩たちまだ付き合ってなかったとは思わなかった」

「小中学生でもないんだし、一緒にいるからすぐカップルってもんでもないだろ。今ごろどうしてるかは知らないけどな」

「はいはい、私の勘違いでした。確かにそんなこと言ってたら、今の私たちも恋人だと思われちゃうもんね。じゃ、改めて先輩によろしく言っといてね。いつ帰ってくるかわかんないけど」

 分かれ道までやってきたので、下世話な軽口を混ぜて耕太に別れを告げた。

 が、耕太から返事が来ないので振り返ると、その顔が・・・・・・夕陽のせいにするにしては少し赤すぎる気がする。

 不自然な間の後、耕太は何のフォローもなく「じゃ」と短くつぶやくと背を向けて去ってしまった。

 歩き出し損ねた私は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

 遠くでカラスがカーカー鳴いているのが聞こえた。

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煙か恋か食い物(ケーキ) 斉藤海 @umikawauso

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