第22話 ポチと僕 1

 心地良い秋の長い日差しが部屋を一杯にして差し込んでいる。隆史は窓から表を眺めながら

「そろそろ散歩に連れてってやるか?」

 そう呟いて裏口から表に出て、犬小屋で居眠りをしているポチに声を掛ける。

「ポチ、散歩に行くか?」

 そう言い終わらないうちに、ポチは立ち上がり尾を激しく振って「ワン、ワン」と二度吠えた。

「そうか、行きたいのか!」

 そう言って隆史はリードをポチの首輪に繋いで、小屋に繋いであった鎖を外す。ポチは他の犬みたいに、すぐ飼い主を引っ張って飛び出す様な事はしない。隆史の顔色を見ているのだ。どうやら行きたい場所があるらしい。

 隆史は隆史で、そんなポチの様子を見て「こいつは何処か行きたい場所があるのだ」と直感した。長い付き合いだ。お互いにそれぐらいの事は判る。


「何処に行きたいんだ?」

 隆史がそう言うとポチはそれから、リードを引っ張る様に歩き出す。何だかとても嬉しそうな歩き方だと隆史はその時思った。

 ポチが案内した場所は、裏の武井さんの家の庭先だった。そこに、金木犀が花を咲かせていた。

「そうか、さっきからいい匂いがすると思っていたら、武井さん家の金木犀だったか……」

 それをポチが聴いて「ワン」と一言吠える。

「ポチはこの匂いが好きだったか、また新しく覚えたな」

 そう言ってしゃがみ込みポチの頭をなでてやると、ポチは隆史の鼻先を舐めた。


「もういいか?」

 隆史はポチにそう訊いてから歩き出す。ポチは決して普段は飼い主より先に歩く事はしない。

同じ歩調で歩くのだ。

 教えた訳では無いが、いつの間にかそう言う歩き方になったのだ。それでいて、前方に何かあると、ポチの方から歩みを止めてリードを引く様にするのだ。

 それで、隆史は随分助かった事がある。その意味ではポチは隆史の命の恩人ならぬ恩犬だと思っている。


 やがて近くの公園に着く。ここで隆史は誰もいないのを確かめると、ポチのリードを外した。自由になったポチは公園中を走りまわる。見ていると本当に楽しそうだ。

 その時、幼い子どもを連れた子連れの親子が公園に入って来た。

 隆史は「ポチおいで」と短く言うとポチはそれに答えて隆史の元に帰って来た。

 隆史はリードを再び付けて、親子が通り過ぎるのを待とうと思っていたが、その親子が隆史とポチの方に近づいて来た。そして、その子がポチの頭を軽く触ったのだった。

「大丈夫ですよ、大人しいですから」

 そう隆史が言うと女の子は安心したような笑顔を浮かべて、今度は少しだけ力を入れてなでていた。

「おなまえなんというの?」

 そうポチに問いかけるので代わりに隆史が

「ポチって言うんですよ」そう答える。

 それを訊いてその子は「ポチちゃん、かわいいね」と言いながら今度は軽くポチを抱きしめていた。ポチは最初は驚いたがやがて嬉しそうにしていた。


 やがて親子は礼を言って別れて行った。いつまでも手を振っていたのが印象的だった。

 隆史は「さっき、あの子が名前訊いた時にお前が自分で答えたら、きっと驚いたろうな」

 そうつぶやくとポチは一言「ワン」と吠えた後で

「それは驚いたでしょうね」そう話しだしたのだ。

 だが隆史は驚くふりも見せずに

「おい、こういう公共の場所で口をきいたら、不味いだろう?」

 そう言って窘める。

「へへへ、誰もいませんから大丈夫ですよ」

 今度はそう言って嬉しそうに隆史を見る。

「実は犬の何割かは、人間の言葉を話せるんですよ。人間は知りませんけどね」

 そう言って何故か自慢げだ。

「最初にお前が口を利いた時は本当に驚いたよ。訳を訊いて納得したけどな」

 隆史は今でもその時の事を良く覚えていた。


 その日は、隆史がポチの朝の散歩をした時だった。今までは学校があったので、夕方の散歩はしていたけれど、朝はしなかったのだ。朝は父親がやっていた。

 その日は父親が出張で、朝はおらず、隆史も学校が休みだったので、散歩に連れて行く事にしたのだ。

 冬の良く晴れた日だった。霜柱を踏みしめて裏口の犬小屋に回るとポチはもう判っていたと見えて嬉しそうにしている。

 リードを付けてやり鎖を外して、外に連れだす。その時にポチが口を利いたのだ。

「今朝は隆史くんか、珍しいね。寝坊助が」

 隆史は始め誰か別の人間が話しているのかと思い、回りを確かめたが誰もいなかった。おかしいなとは思ったが、本当に誰も周りにいないので、気のせいかと思ったのだ。

「気のせいじゃ無いよ。僕だよポチだよ」

 あまりの事に隆史は驚き口も利けなかった。犬のポチが口を利いて、人間の隆史が逆に口を利けなくなるとは逆だとポチはその時思ったと言う。


「どうしたの? 驚いたの?」

 ポチは周りに誰もいないのを確認すると腰を抜かして、尻もちをついている隆史の耳元で呟いた。

「ポチ、喋れるんだ!?」

 それが隆史が初めてポチに会話として語った言葉だった。

「そうですよ。だって考えても見て下さいよ。生まれてからずっと、日本語に囲まれて生きてきたんですよ。言葉ぐらい覚えますよ。まともな犬なら」

 ポチはそう言って語っている。

「確かに、そうだよな、赤ん坊だって周りの大人の言葉を聴いて覚えるんだからな。元々人間の5~7歳ぐらいの知能があると言うから、覚えるよな」

 そう隆史が言うとポチは

「その5~7歳と言う説だって人間が勝手に思ってるだけですからね。犬だって利口な奴から馬鹿な奴まで揃っていますからね」

 言われて確か、だと隆史は思った。

「まあ、これからも宜しくお願いします。隆史さん」

 そう言ってポチは前足を出した。

「人間で言う握手ですよ」

 そう言われて隆史も右手を出して握手する。

「なんか俺、世界が変わりそうだわ」

 そう言って笑ったのだった。


 それからは、朝晩となるべく隆史が散歩をするようになった。それは、ポチと話してると面白いからだ。

 どうやら、ポチはかなりの論客家であるようで、言う事がいちいち最もな事を言う。たまに、隆史に論破されてしょげるが、隆史はそこがカワイいと思ってしまう。

 ポチも家族のランクでは隆史は最下位だが、一番好きだという。

「ランク? 聞いてはいたけど実際あるんだ!」

 初めてその事を聴いた時、ポチにそう確かめたのだ。

「うん、ウチの場合は、一番はお父さん! 二番がお母さん、三番がお姉さん、で一番下が隆史くん。そうなってるんだ。この基準は犬の本能によるランキングだから理論的じゃ無いからね」

 何とも人を喰ったポチの回答だが

「だから好きな人とランクは違うんだよ」

 そう云われて納得してしまった。


 それから、隆史とポチは親友になった。

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