第20話 娘の帰省

 元旦の夕方、娘が久しぶりに帰って来た。もう家を離れてから暫く経つ。大学へ進学する時に出たから幾年経つのか……

「明けましておめでとうございます!」

「おめでとう」

 挨拶を交わすだけでも、まともになったのかも知れない。地元でも余り出来の良くない子が通う高校に通い、大学なんぞは無理だと思っていたら、AO入試とやらで面接と作文だけで三流大学に入学してしまった。俺は高卒、妻も地元の短大を出ただけなのにこれも時世だろうかと考えた。

 幼い頃は俺に懐いていたが歳を経るに従って母親と会話する事が多くなった、嫌われている訳ではないが、積極的には話したくないようだ。この日も夕食になるまで俺とは口を利かなかった。

 元日の夕食は「すき焼き」と決まっている。何故、わざわざ元日に「すき焼き」を食べるのか判らないが何時の間にか決まっていた。妻の実家から持ち込んだのかと思っていたら

「わたしの家は三ヶ日は『四ッ足』は食べないのよ。嫁に来て初めてお正月に牛肉食べたのだから」

 そう言われたのを思い出した。では何処から来たのかと考えて思い出した。確か娘が小学校の頃に当時文通していた相手が正月に遊びに来て一泊していくとなった時に、「何が好きか訊け」と言ったのだった。その答えが「すき焼き」だったのだ。

 その年は確か元旦から「すき焼き」にしたのだった。不意な事から色々な事が変わるものだと思った。今では三人揃う事など普段はありはしないので、この正月の「すき焼き」は結構重要な行事となっている。

 鍋を囲みながら妻が娘に

「ちゃんと食べているの?」

 そう訊くと娘は煮えた牛肉を溶き卵に絡めながら

「食べているよ。朝だけはちゃんと食べる」

「昼や夜は?」

 と妻

「昼は簡単に済ませる時もあるし、夕食は残業次第。遅くなると消化のいいものだけにする。翌朝残るからね。もうそんなに若くないしね」

 そう聴いて、歳を尋ねると

「嫌だ、娘の歳も忘れたの?」

「いや数えるより訊いた方が早いからさ」

「今年誕生日が来ると二十八よ。三十は目前」

「三十前に嫁に行くと言う気はあるのか?」

「まあ、一応はあるわよ。でもこれは縁だからね。一人じゃ出来ないしね」

 この会話が今年初めて我が娘と話した会話だから情けない。

「葱とか白菜も食べなくちゃ駄目よ」

 妻が娘の小鉢に強制的に、煮えて醤油の色に染まった白菜や葱を入れて行く。俺自身は徳利からぐい呑みに酒を継ぎ足すと娘が

「お酒呑むの遅くなったね。前はもっとドンドン呑んでいたよね」

 娘にも判るほど、酒に弱くなったのかと思った。

「もう、量より味だからな」

「じゃあ、いい酒呑まないと」

 知った事を言うので

「お前、酒は呑めるのか?」

 正直、娘と酒なぞ呑んだ事など一度もなかった。

「はい、課では『うわばみ』と呼ばれています。そりゃ、二人の家のおじいちゃんも酒呑みなんだから、遺伝的にアルコールを分解する酵素を沢山持っているのよ」

 そう言ってきたので、妻が二つぐい呑みを出して来た。

「お前もか?」

「はい、酒呑みの娘ですからね」

 妻がたまに呑む事は知っていたが普段は全く呑んではいないと思った。

「知らなかったのはお父さんだけだからね。お母さんとわたしは大学の頃から一緒に呑んでいたよ」

 全く知らなかった。ふたりとも困った奴だ。それならもっと早くから一緒に酒を呑めたのだ。仕方ないので、隠しておいた特別の吟醸酒を出して来た。それを見た娘が

「これ今プレミアムが付いて高いんだよ。凄く美味しくてさぁ。どうしてお父さんが持っているの?」

 驚く娘に少し得意になって

「そりゃ俺は違いの判る男だからな」

 そう言うと二人が笑い出した。それでも笑って震える手でぐい呑みを突き出すので、吟醸酒を注いでやると、口からお迎えをした。こいつ本当に呑兵衛だと思った。こんな所だけしっかりと遺伝するのだと改めて実感した。そんな俺の気持ちを測ったかのように妻が

「半分はわたしの遺伝ですからね」

 妙な自慢をした。

「ああ~美味しい! やっぱりこれ最高ね。これを呑めただけでも帰って来て良かったわ」

「何だ、帰るつもり無かったのか?」

「いや、そう言う訳では無いけどさ」

 後で判った事だが、交際していた相手からプロポーズされて悩んでいたらしい。妻によると今回の帰省で己の気持ちに決着が着いたそうだ。

「次は、紹介したい人が居るから連れてくるね」

 娘はそう言って俺の手にあった吟醸酒の瓶を奪って自分で注いで呑みだした。

「全部呑んでもいいけど、俺より呑み過ぎるなよ」

 その忠告に三人とも笑ったのだった。


                                              <了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る