第12話 節分の宵
それは節分の日のことでした。大学に通ってる兄が友達を連れて来たのです。その方はわたしもよく知っている方でした。
「こいつ正月も実家に帰れなかったんだ。可哀想だから偶には家庭の味を味わさせてやろうと思ってな」
いかにも陽気な事が好きな兄らしいと思いました。困ってる人がいると見捨てておけないのです。
「おじゃまします! 香月凛太郎です。今日は家族団欒の所お邪魔して申し訳ありません」
凛太郎さんは被っていた帽子を取りながらペコリと頭を下げました。今どき学生帽と言うのも珍しいと思いましたが、以前と違って頭が丸坊主だったのが以外でした。わたしの表情が驚きだったので凛太郎さんは
「いや、これは掛けに負けましてね。それで丸坊主になったんです。そのままでは格好がつかないので、それなら返って目立つように学生帽を被っているのです」
頭を掻きながら言い訳のように説明する凛太郎さんが、わたしには好ましく感じました。
「よくお似合いです。さあ、こちらへいらして下さい」
わたしは凛太郎さんの手首を掴むとダイニングに招き入れました。ちょうどこれから夕食になろうかと言う時刻だったのです。そして、わたしの行動が積極的だと思った兄は目を丸くして驚いていました。
「香月、遠慮なく食べろよな」
両親に挨拶を済ませると凛太郎さんが加わって五人での夕食が始まりました。大学にいる時に兄が連絡をしてくれたのでちゃんと人数分用意することが出来ました。
我が家では最近流行りの恵方巻きは食べる習慣がありません。そのことを話題にすると凛太郎さんも
「僕の家は東北ですからやはり、そんな習慣はありません。本当につい最近ですよね」
ぶりの照り焼きに箸をつけながらそんな事を言って話題に花が咲きました。今夜はぶりの照焼に野菜の煮物、揚げ出し豆腐、それにじゃがいもと玉ねぎの味噌汁となっています。
その他に漬け物や佃煮が並ぶのは言うまでもありません。
「いっぱい食べて下さいね」
母が凛太郎さんにそう言ってお茶碗にお代わりのご飯をよそいます。わたしは、凛太郎さんが食べる光景に見とれてしまっていました。
「おい楓、そんなに見つめていたら香月が食べ難いだろう」
兄に言われて我に返り、恥ずかしいことをしていたと思いました。
食後にはわたしがコーヒーを入れて凛太郎さんや兄、それに両親も喜んで飲んでくれました。その後兄と凛太郎さんは、奥の兄の部屋で調べものがあると言って部屋に行ってしまいました。これから節分の豆まきをするのに変だと思ったのですが、きっとわたしには判らない難しい事を調べるのだろうと考えていました。
それから暫く経って父が
「そろそろ豆を撒くか」
そう言って神棚に上げてあった枡を持って来ました。中には溢れるほどの豆が入っています。子供の頃はこの豆が大豆と知って『これからお豆腐が出来るんだ』と思い、こっそりと幾らか隠して後で豆を砕いて豆腐を作ろうとした事がありました。そのわたしの様子を見ていた母が
「楓ちゃん。何をやってるの? 炒った大豆からお豆腐は出来ませんよ」
そう言われ、悪い事が母にバレてしまったと思い狼狽えたわたしは
「ああ、そうですか、もしかして焼き豆腐が出来るのではないかと思いました」
そんな事を口走ってしまいました。今でも笑い話になっています。
「おい、和夫と凛太郎くんはどうしたのかな?」
父の言葉に奥から二人が何と鬼の面を付けて表れたのです。しかもちゃんと虎の毛皮のパンツや赤と青の全身タイツまで履いています。そうです部屋に篭ったのは仮装する為だったのです。
「いやだお兄さま。まさか鬼になるなんて」
思わず笑い声になってしまいます。
「どうせなら、こんな事を一度やってみたかったのさ」
「でも凛太郎さんまで鬼にするなんて……」
「ああ、でもそもそもこいつが、やろうと提案したんだぜ」
そうだったのですが、驚きながら凛太郎さんを見ると穏やかな笑顔を見せてくれていました。凛太郎さんは逞しい外見とは裏腹でユーモアのある素敵な方だと思いました。
「おにわーそと!」
「ふくわーうち!」
父が声を出しながら枡に入った豆を兄と凛太郎さんが扮してる赤鬼と青鬼に投げつけます。
「いや~結構痛いなこれは!」
兄がおどけながら父から逃げまわります。すると父が
「ほら楓、お前も豆を凛太郎くんに投げつけなさい。せっかく鬼に扮してくれたんだ。その気持を大切にしなくてはならないよ」
確かにそうです。剽軽な兄の頼みとは言え、こんな役は本来ならやりたく無いですね。わたしは父の持っている枡からひとつかみ豆を握ると「鬼は~外」と言って青鬼に扮した凛太郎さんに投げつけました。
パラパラと力のない豆が青鬼の凛太郎さんに降りかかります。
「楓さん。もっと力強くても良いですよ」
お面をずらして素顔を覗かせながら凛太郎さんが笑顔を見せてくれます。その涼し気な笑顔を見てわたしは自分の心にある感情が芽生える兆しを感じたのでした。
全てが終わるとわたしと母で撒かれた豆のお掃除をします。それが終わると皆で歳の数だけ豆を食べるのです。
ダイニングのテーブルの上に置かれた入れ物に豆が入っています。各自思い思いに手を伸ばして豆を数えています。
わたしも手を伸ばすと凛太郎さんの指先に触れてしまいました。思わず顔をあげます。するとそこには、やはりわたしと同じような表情をした凛太郎さんの視線と重なりました。
「どうぞお先に」
やっとの想いでそれだけが口をついて出ます
「ありがとうございます! 僕は二十一粒ですが楓さんは十八粒ですね。僕なんか直ぐに食べてしまいます」
「口が寂しかったら、もっとお食べになっても構わないと思うのですが……」
わたしの言葉を待っていたように父が
「じゃあ、次はこれだな」
そう言ってお酒をテーブルの上に出します。兄と凛太郎さんの顔が綻ぶのが判りました。
その後宴席は遅くまで続きました。
季節を分けるこの宵にわたしと凛太郎さんの心に兆しが生まれました。
<了>
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