殺戮言語永久機関
・近代の英雄とは絶望に向かって独り沈黙しつつも行為を果たす者たちである。理解されがたさが深まるほど表情は険しくなり酒やタバコなどが代弁をするようになる。だがこのハードボイルドが映画によって消費されるようになると沈黙は共有されたお喋りに占領される。TVが果たしている検閲の役割。
・現代の我々は何のために画面を見るのか。沈黙から逃れるためだ。光の生成をあらゆる代価を支払って敬虔に眺めるという行為はメディアの宗教であるが、もちろん我々はさらに光に向かって話しかけたり、画面から聞こえる笑い声と一緒になって笑わなければならない。電源をいれるために窓を開くこと。
・俗物の最後の楽園たるショッピングモールが郊外で繁栄していた間は、アナウンスにしたがったドライヴでも窓から空気をいれることができた。しかしいまや商店街やデパートすらパソコンの中に閉じ込められているのであり、遊園地はとっくに視界の中だけで楽しむことができるようになっている。
・バイクによる都市からの逃走はボランティアと世界の旅番組によって囲いこまれた。レーシングの世界はゲーム画面にすっかり移植された。登山者はどんなに自然が好きでもスマートフォンなどの最新機器を利用せざる得ないし利用しない理由もない。残っているのは事故とハプニングだけである。
・ポケモンはまだ別のどこかに向かうという目的から衛星監視システムの地図を前提にしているのだが、幻想郷においては固有名詞のリンクがネットワークで空を無限ループのように飛び回るようになっている。土地的な計量ではなく概念的な境界が行動範囲を区切ることをカードで可視化すること。
・ダリの釘と精子が回転してラファエロの聖母が爆発するというイメージから出発する。ここから廃棄物のキリストが生まれるし粒子的な闘牛士の幻覚が銃撃される。ダンガンロンパにおける罰ゲームの概念はキャラクターマスコットが全権を掌握しているとはいえまだ見世物裁判の形式を維持している。
・見世物裁判が監獄と売春宿の形式を両立させるためにはどうしても少女をカードで闘わせる必要がある。パチンコはあくまで貨幣への礼拝として数字が回転しなくてはならないのだが、コスプレバーの魔女集会を不断に召喚するためにはショーウィンドウに飾られたカードを購入しなければならない。
・スマートフォンはこの関係を転倒する。消費者からプレイヤーが参加するのではなく、デッキ構築によってプレイヤーが誕生するようになる。誰もが閉じ込められたカードのキャラクターであるならば、監視の主体をリンクさせることだけがカードの演出手段を決定する。スリーブは声のマスクである。
・西尾維新的な倫理からすれば少女を八つ裂きにできるように殺戮を練習することが一人前の妹になるための条件なのだから兄は低劣なお人好しの心をへし折っていくように可能な限り努力すべきだということになる。つまり奴隷を足で念入りに踏み、気まぐれに虐殺を命令できるようになること。
・東方はこの点でもっと巧妙である。人間を殺戮することを巫女が異変を解決するという形式で少女同士がカードバトルを行うわけだから。ただしここには留保が二つある。プレイヤーは実際には幻想郷の外部でこの事を経験しなければならないことと、人間と妖怪の対立関係が維持しづらくなるということ。
・少女の生産がインフレすると妹の需要が増える。しかし妹は少女とは違って兄との関係においてのみ妹であるのだから少女のように電波変換で一般的に流通することができない。ここでは姉妹という概念は存在しない。それは単に消費の属性にすぎないからだ。だから私の少女をカードゲームで妹にする。
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