クビキリサイクルの妹愛

・私が貨幣のインフレが起こるというとき流通上の数値や実態経済における購買力が低下するといいたいのではない。商品の質が大衆の欲望と噛み合わなくなり労働における心理的正当化が休暇での消費では満たされなくなっていくということがいいたいのだ。私有財産の安全だけではまったく十分ではないのだ。

・誰もが思考する権利を持つということは安全に不幸であることを表現することが価値を持つということである。もちろん思考しない自由があるのを知らないわけではないが、結局懐疑論の結論とは徳による幸福など認めないということでしかあり得ない。安全に幸福であることを嫉妬することが平等なのだから。

・近代的理念における自由、平等、そしてベンサムを忘れないようにしなければならない。私有財産の安全は資本の要請による財産没収の抵抗から生まれたのだがまさにそうであるからこそ財産以外何もも頼ることができないという状態を普遍化することに躍起になる。そこで人は暇潰しか享楽しか持たなくなる。

・徳による運命の受け入れという概念が評判が悪くなったのは近代国家がその種の英雄主義を濫用しすぎたからでもあるが、何よりもそういったものは金にならないからでもある。ここからあらゆる不幸を権力のせいにするという権利の申し立てが始まる。問題はこの事を再び運命のせいにはできないことにある。

・映画は悲劇を機械の再生という概念によって復活させた。古代の英雄叙事詩が画面の中に甦ったことは死すべき運命を動きだす影にすることに成功したという意味で一つの勝利であった。しかし人はやはり画面の外側にいたのであって悲劇の運命を乗り越えるにはゲーム的リアリズムが必要であった。

・自分の居場所を守るための闘いほどゲーム的リアリズムから遠いものはない。これはゲームの世界というものが異世界ファンタジーになってからのことである。ゲーム的リアリズムの本質はどこにも居場所がないにも関わらず世界のループが俯瞰できる状態にあるということにほかならない。

・異世界に召喚されることや魔法少女となって来るべき世界のためにカリカチュアの敵を殺戮していくのはループの構造を見ないようにするための努力でしかない。狂った日常を面白おかしく暮らしていくドラマは原発事故で終止符を打たれた。これはただ奴隷のように惨めな生活を何とか我慢しているだけだ。

・ループを楽しめるようになるためには想定上民族虐殺から大量破壊兵器による殺戮や人類の不滅の愚かさを人間がなしうる最高の贅沢と見なさなければならない。地球だけでなく宇宙や精神上のあらゆる葛藤が無意味になっていく様を眺めることほど神々にとって愉快なことはない。神々を笑わせること。

・事故の少女化が永遠の核実験によって妹のカードとして召喚されるようになれば人類に殺戮の恐怖を与えつつ労働の成果を特権として享受できる。ただし疑問なのは独裁者の首をリサイクルして王子にしたてあげる必要があるのかということなのだが、これは安っぽい不死を勇者に与えるということだろう。

・貨幣としての少女を萌えの属性に関係なく妹のカードの画面効果になるまで八つ裂きにすることは隣人愛の理想的な定式化そのものではないのか?というのも人間身体の皮をめくっていくと自身のそばにいる人に親密さを感じるようになるということにすぎないからだ。コスプレからの壊変は召喚でなされる。

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