デンデン太鼓のブレイクカード

・現代の問題。生産力は過剰であるにも関わらず誰もが産業労働者として働くことを強制される。労働者のネットワークは非労働者を監視して世論で罰し娯楽産業で絶えず祝祭を行うことで沈黙させる。それにも関わらず万人が個性を持って創造力を発揮するように期待される。

・しかもメディアや宣伝で自分の欲望もその帰結も何一つ理解できない。個性は大衆に消費活動を要求し大衆は人気の可視化でそれに追従する。大衆はこれで絶対的に低劣になる。だが売上の観点から大衆の気まぐれな残酷さは正当化される。これは政権の腐敗を民主主義的に告発する享楽になる。

・労働者の尊厳は娯楽で排除されるか外国人や非正規労働者の敵意になり、彼らはまたネット上で非労働者や子供を侮辱し、それがまた現実の無視と無気力になる。しかし結局のところ知識や技術への期待がバブルのように弾け飛べば暴動が起こるのは分かっているから自衛隊の緊急事項だけが追加される。

・国債が暴落し貯蓄や消費を控える人が増えると政府は貨幣増刷をして貯蓄を奪う。税金はほぼ傭兵にすぎない軍隊に支払われる。もはや労働をするのは生産と消費を反復して全体としての経済を維持するためでしかなくなる。監視体制と牢獄だけは整備されているのだから後はネットでいかに略奪するかである。

・略奪の形式として外敵の恐怖を煽ることで安全を守る思いやりを与えることはゲームで死を楽しませることや愛を与えて惜しみなく奪うことに比べればまだ効率的だといえる。しかし出発点は言論の自由であることを忘れてはならない。つまり真理の誕生だけは禁じられているということだ。

・真理の不在からある無の空間を仮定し、そこから外部に対応する形式の構造を理解することで模倣することは自意識の多様性をもたらす。しかしこの統一を維持するためには個性の表現が貨幣かメディアによって商品として露出していなければならない。つまり真理の自由は批判と懐疑によって思考される。

・したがって真理の誕生を無の創造によって表現するのではなく、ある特定の真理の引き受けが声の形式を決定するのでなければならない。精神が語りだすようなあらゆる記述は物語として電波変換されるから伝言ゲームをカードの宣言として召喚することで敵を必殺技で八つ裂きにしなければならない。

・人間であることを邪魔に思うからこそ殺す近代の犯罪は快楽殺人と無差別テロを生み出したが被害者の論理の普遍化によっていたるところに十字架が建てられると絶滅や敵の排除で人間の基準が不安定になったので人間であることを確定するために殺すことが必要になった。人狼ゲーム。

・私がラカンにおけるパロール「真理は私を語る」ではなくあくまでウィトゲンシュタインの言語ゲーム「真理が語るものは私である」を選ぶのは、ヘイトスピーチとその一連の規制法に引っ掛からないようにするためである。ヘイトスピーチにコミュニケーションをするべきではない。必殺技を使うべきなのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る