教育への必殺宣言

・貨幣を子供の未来のために使うことは子供を将来の労働力として教育させることの義務を含んでいる。しかしその教育がどのように行われるのかといえば大人のいうことは正しいということを教えることにしかならない。たとえ大人が完全に正しいわけでも素晴らしいわけでもないのだと教えるとしてもである。

・教育者が妖怪やアニメのキャラクターであったほうが自由な選択ができるという意味で子供を市販のゲームで遊ばせた方がよく、さらにいうなら動画サイトやネット上の情報源に対して学校の教育がおもしろくないというのは明らかである。だがこの事とある程度の安全はどのように両立するのか。

・アニメやゲームは子供向けでなくてはならないという制約が残っているというべきなのか。学校の価値はどこにあるのか。子供の声を黙らせることにあるのではないか。プラトンの言うように若者が体制批判をするべきではないというのは知恵として存在する。だが体制批判自体が体制になっている場合は別だ。

・大人と子供の区別だては何によってなされているのか。明らかに大人に反抗したり憧れたりするところにある。つまり大人であることは大人であると自覚することであることを知っているかどうかにある。夢を見させて将来への期待を煽らせることが必要なのだ。そうでなかったらどうして労働力になるのか。

・過去を勉強することで新しい未来を創造することは未来の映像を見せて過去の記憶を探求することと補完関係にある。しかし近代の生活は現在が死に向かって永遠に回帰してくるというものである。だから日常から排除されたものは病気として症候の歴史をゲームとしてシミュレートする。人類絶滅の探求。

・そもそもなぜ子供を育てなくてはならないのか。実際子供を扱いやすい労働力や戦力として利用するというのは近代の一貫した主張ではなかっただろうか。子供が人類的な意味で守らなければならない対象になったのは人権が介入する便利な口実であるからである。

・フロイトの主張に応じて子供に性欲があると主張することは倒錯やフェティシズムを商品化する論理と真っ向から対立する。もし子供の人身売買が少女化のデータベースより効率がよかったらそちらが採用されていたはずだ。ここで重要なのはロリコンは性癖の主張ではなくて父の名の不在であるということだ。

・問題の核心は子供をロリコンと言われずに恋愛対象にするには教師でしか不可能だということにある。しかしこれは教師が学校を辞めるか生徒が卒業するかしなくてては成立せずかつそうなってしまえば恋愛を維持するための問題が解決するから恋愛対象にはならなくなる。だから学校は子供の声を封じる。

・子供が子供のままで自立するための唯一の手段は売春をすることだということを知らなくては天才になるための死に物狂いの努力も破壊的な犯罪を犯したいという欲望も何一つとして理解できなくなる。少年法の問題はいたちごっこになる。だから萌えに逃げてしまうことは妥当なことだというしかない。

・カップリングを私の正義にすることで子供であることを腐らせることや女装することでのみ男性であることをアピールするしかない状況では妄想を爆発させないために二重人格になるか主人になっていじめをする必要がある。スマートフォンは子供が自立するために社会の構図を演じるという意味で利用される。

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