夢への必殺宣言
・ウィトゲンシュタインの議論は口からでる声と内面の声の区別によってよく表現されるだろう。例えば「私はなぜ人間の声を聴くことができるのかわからない」。たぶんここで人格を記号として仮定し合う言語ゲーム以外に二つの選択肢があるのだ。つまり悲鳴とあえぎ声をあげさせることである。
・赤ん坊の声を聴くことと神の声を聴いて恍惚することは聴診器やテレビなどによって十分に普遍化されたわけだが、これによって声の存在論証明は性行為に依存してしまったように思える。要するに声が出る身体を欲望しなければならないわけだから。漫画は声が何を欲しているのかを可視化している。
・しかしこれだけではゆっくりに対する説明にはなっていない。家族の声というものはどのように構成されるのか。これを考えるには妹と妹系美少女の区別がどのようにつくのかを考えてみなければならない。この差異は欲望の消費の対象となるかどうかで決まる。ただし西尾維新の小説の妹には留保が必要だが。
・「母、姉、妹」「人妻(未亡人)、教師、幼馴染み」「娼婦、女子高生、人形」「女神、女王、天使」「女性労働者、アイドル、ロボット(二次元)」を美少女の基準で大量生産すること。だが恋愛結婚で父母子を大量生産することが欲望と倒錯の商品化として物語の形式になっているだけではないのか。
・精神分析家にとって百合は異性愛だということは、二次創作のカップリングは家族関係の定式化の機能を持っているということではないか。メディアにおいてはBLがロマンチックな恋愛の役割を持つことはそこから理解できる。百合は現実で特定の象徴を持つかもしれないがBLは単に口実にすぎない。
・電気の共有性。電源を入れて世界を誕生させ画面にタッチすることで窓を開きアプリケーションのクラウドで他者の声を可視化しそこから創造される人格のズレをノイズとして楽しむことで物語のトレースを行い分析された記憶構造の矛盾を事故のカードとして召喚することで歴史を壊変し人類を救う。
・眠らないことを誇る人は夢を語っている。これはまさしくフロイト版労働価値説ではないだろうか。ラカンは映画で眠るように推奨している。しかしニーチェは音楽ですら眠らないのであり定期的な発狂を電波変換する必要があった。眠りながら踊ることの必要性が理解されたのはMMDのおかげだといえる。
・さまよえる夢遊病者のように迫り来る敵を殺戮するには自分の未来と希望を信じて平和と人類愛を高らかに叫びつつ虫けらのように些細な疑問を絶滅するまで諦めず踏み潰していかなければならない。これは魂の絆を結んでいる友全員の義務であってあくまで敵を相互理解を拒絶する悪として無意味だと宣言する
・「攻撃してから考えろ」とはまず敵を皆殺しにしてから罪を反省するという西洋の伝統のことをいっているのだが、これを電撃戦の普遍化によっていついかなる場所でも人類の物語とネットを通じて大衆にクーデターをさせる状況が整ったのである。この自由化は最強の監視網として世界を飛び回っている。
・人類を楽しませて存在を忘却させるにはWebによる電気の無限の生成と人類の殺戮の担保である軍用兵器の濫用によって恐怖のイメージがゲームのための記号であるキャラクターとしてデータベースをカードのデッキとして構築しつつ声の消費を人気の可視化で実況する必要があった。
・原発事故はあらゆる人間を自分自身の声の実況者にした。いまや専門家も素人もなく誰でも現実についてスマートフォンというカードで実況できるようになったのだ。記事を書く、写真を取る、声の共有で拡散する。それを常にリアルタイムで同期させる。孤独が騒がれるのは知識人の自負にすぎない。
・犯罪を法の解釈で正常化し事故を科学の理論で安全化する人間の国家に対して自分の存在を忘却させても敵との戦争によって物語の観点で平和を求めようとする魔法少女と存在の忘却を幻想の次元で遂行することで解決されるべき異変というゲームを食糧と行う異種族の少女。ただしこれではまだ否定にすぎない
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