享楽への必殺宣言

・ハネケの『ピアノ教師』。常に絶対的な規律で反抗そのものが好きなことの強要で丸めこられているがゆえに欲望を持つことができないまま欲求不満がたまるがポルノでは何の快楽も得られないにも関わらず堕落するための義務として血を流す習慣を行う。

・男性との経験は束縛の等価物だから恥辱と拒否反応にしかなりえない。自らの幻想を楽しむのは自尊心の屈辱を味わうことでしかない。しかし男性に犯されるのがどんなに痛々しくて滑稽でも日常の拷問を破壊するにはそれしかない。だからといって人を愛せるようになるわけでも趣味に逃げられるわけでもない

・ある完全な実体を仮定してそれに対応した技術の模倣によって創造的な生産を行うというのは、誕生していない声を繰り返し召喚して事故と異化効果をもたらすことと矛盾も対立もせず誤解の相互性だけがある。罠カードは忘却されることなしには発動しないという意味で楽園を想定している。欲望のルアー。

・サービスが貨幣で購入されるということは思いやりの価値が暗黙の強要から労働の交換価値に転倒したということである。人は貨幣の方が余計な気兼ねをしなくてすむからだ。これは家でゆっくりリラックスして過ごしたいという欲望を生み出す。

・これは一般的な作業についてはいえても個人の欲望にはあてはまらない。特に他人の気持ちを動かしたいという欲望にはそういえる。だからよく当たる占いとか小説家の人生論とかカウンセリングとかの悩みの相談が商売になる。ある意味では古典もこのような価値を持っているといえるだろう。

・貨幣で悩み事を解決するというのは欲望の不安に対応した負債を所有するということである。しかし資本主義においては借金を持つことは何も持たないよりよいことなのである。そうでなかったら自給自足と追い剥ぎが経済そっちのけで行われるだろう。監視社会の法権力は不正よりこちらを怖れる。

・悩みが生まれてきたことである場合、一体どのような投資を行えば満足があり得るのだろうか。幸福に生きたいならまず無際限の拷問を与えその後痴呆になる自由を販売すればいい。だが生まれてきたことは殺すわけにはいかないし生きたいと思わせるにはどれだけの宣伝をやればいいのかわからない。

・この問題が解決したのはひとえにコンピュータのおかげである。人は抽象的匿名性によって呻き声を発する場所を手に入れた。さらに痴呆化そのものをファンタジーとして消費するという方法論すら確立された。コンピュータに適当なことを飽かずに繰り返し書き込むだけで言論の生産が行われるのだから。

・下らないことを公共の場で書き込むことができるということこそ学問的知識に対するメディアの完全な勝利であった。ただそれがコンピュータに閉じこめられていた間は学者も呼吸ができた。スマートフォンは声をあらゆる場所と時間に解放した。公共の場で電話をすることがマナー違反であるという禁止命令。

・萌え声やポルノのあえぎ声を正常化する方法というものはあるのか。ボーカロイドの声はどのような一般化を果たしているのか。東方のvocalアレンジは決してそのキャラクターの声ではないことを担保とした挑戦なのか。ゲーム実況をゆっくりでやることは知識人の生放送より強力だということ。

・そもそも人間の声の区別はどうついているのか。たぶんまったくついていないのである。人まちがいをしないことに教育のあらゆる意義というものがつまっている。携帯電話が声の記憶というものを担ってからは内心の声が自我を担うことの特権性が薄れ始めたのではないのか。

・しかしそんなことをいうのは散々メディアを使っておきながら内面の特権性というより苦悩が少しも薄れないという現実があるから時代錯誤を繰り返しているのではないか。幻聴が人間の顔との対応関係がない声だとするなら携帯電話はどうして名前だけで声が担保できるのか。メールアドレスの存在だろうか?

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