生産性への必殺宣言
・マルクスの問題提起は労働者が搾取されていることにあるのではなくて商品生産における労働の論理が普遍的になっているからこそ革命によって技術の束縛から解放されなくてはならないということにある。自己疎外が成立するのは一般化された大量生産における分業が自然でなく非人間的であるからである。
・しかし自己疎外に対応した要求が非人間的であるからといってそれを革命に結びつける必然性などない。民主主義による不満の発散とあらゆるメディア工学による大量破壊のファンタスムの大量生産が大衆文化の前提条件であり、これがあらゆる権威を破壊してきたのは周知の通りである。
・ところでこの事を直接現実と短絡させようとする試みこそ二十世紀がやろうとしてきたことではなかったのか。世界大戦から民族浄化、大量破壊兵器や生態系を変化させるためのあらゆる実験と事故。そして文化や文明による人間の変化。エコロジーは単に新しい口実を提供しているだけに過ぎない。
・こういったことが一通り実行されたのを見てみると、本来すべての議論は貨幣による人間の生産性というものにかかっていると言いたくなる。つまり人間は豊かになることを求めているというわけだ。しかし貨幣があらゆる意味で飽和した瞬間にこそ貨幣だけではいかなる欲望も維持されないことが分かった。
・すべての人間が労働力を所有しているということはすべての人間が生殖を行うことができるということでもある。これはキリスト教の無原罪の受胎という概念から派生したものなのだが、まさにそうであるからこそ生殖を性欲にすることで倒錯の道具を生産することができる。
・すべての人間が労働力を所有するということからはすべての人間を満足させるためにすべての人間が労働する必要があるということにはならない。しかしすべての人間を満足させることができるという不可能性を担保にすることで機械による生産を過剰にすることができる。
・ここから二つの問題が導きだされる。それは家族と子供である。家族はそれが子供を養育するという目的で結婚するということと個人の満足の昇華である恋愛に分裂し、子供はそれが将来の労働力として教育される対象であるとともに新しい価値観を創りだす主体でもある。だから近親相姦がゲームになるのだ。
・重要なのはどの近親相姦を神との関係で反復するのかである。生きた貨幣は唯一神との一体化という価値を持っていたがそれもコンピュータが発明されるまでの話だ。性と人格の分離をこれほど促進させたものはない。だがこれに電話の声がつかなかったらカードとしての機能は持たなかっただろう。
・一旦整理してみる。出発点はコンピュータによるネットワークによって人間が自身の人格を記号として扱い貨幣信仰が電波のキャラクターになることで日常生活に忘却の楽園であれ正義の物語であれゲームを自己疎外がカードとして召喚されるまで繰り返すことである。ネット空間など存在しないことの確認。
・人間はつながりを求めている限り人類の共有という幻想から逃れることはできない。ネットに人類の思い出を追憶として封じ込めておくという観点を理解するためには私の存在論証明を放棄していなければならない。スマートフォンが空洞なのは人間のディスクールを安全に保管しておくためでしかない。
・人間がコンピュータに夢中になることで効率性の名のもとに無駄な知識を増加させ日常生活における忘却をもたらすであろうということから労働の分業を飽和させ組織化を徒労に終わらせる。残るは近親結婚の不可能性を効率的な攻略法で神々とコミュニケーションをとるためにゆっくり実況をすればいい。
・しかしこの事がどのように経験されるのかまだよくわからない。大衆を楽しませるような正義のストーリーで負けを演出すればいいのだが、もちろんそれには神々が社会関係の実体として認識されるのでなくてはならない。カードゲームで美少女や美少年と出会うだけでいいのだろうか。
・コンピュータに取り込むことでキャラクターを欲望の対象として効率的に消費するための道具としてのカードと事故をシミュレートすることで追憶に閉じ込められた人類を脅かすような恐怖のイメージを具現化する手段としてのカードがあるように思われる。前者が貨幣で購入されるとTCGと呼ばれるわけだ。
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