国民国家への必殺宣言

・対テロリズム戦争の根本的な弱点は経済総力戦において職業軍人や兵器に投資することは実態経済ではうまくいくように見えるが実際は維持費によって純粋な損失を増やしているだけだということにある。つまり安全のための投資は国債と同じ意味を持っているということだ。

・国家への信頼はテロリストの脅威や資金提供の遮断によって形成されるが、テロリストグループの規模はそれに比例して強力になるのだから経済面では明白に共犯関係にある。テロリストでも生活はしなくてはならない。これは民主主義への脅威となる独裁国家への対応でもまったく同じことが言える。

・国家の威信がかかっている場合、安全や兵器の技術水準を下げるなどということは考えられないし、サービス業者や軍人が自分達の職務をなくしてしまうようなことを求めるなど考えられない。たとえそれが儀礼上主張される決まり文句になっているとしてもである。

・仮に国家が軍隊や技術を制御できないと告白するとしたら、自身の統治の正当性を放棄すると宣言するに等しいことになる。したがってスローガンは叫び続けなくてはならないし現実を認めてもならない。残る問題は『制御されている』軍隊や技術をどうするのかだが、これは当然「平和利用」ということになる

・ゲームには二つの選択肢がある。人を自由に殺し続けられる仮想空間を導入するか、人を殺すことがつまらない作業のような単調さになるかである。リアリティを追及しているのは後者の方であって前者ではない。決闘を楽しくするために人気のあるゲームを開発することが利益になることがわかるだろう。

・理論的には人類の敵である核兵器を平和利用ではなく娯楽として濫用する方法があればいい。これによって人間は絶えず殺されている状態になるわけだから、核が世界征服をするポーズを取りさえすれば無限にそれに反対しようとする勇者がでることになる。

・ヴァーレントゥーガのシステムは帝王の系譜である紀伝体の歴史をヘーゲルのディスクールで人材獲得競争のゲームにしたものだが、このシステムの弱点はプレイヤーが唯一絶対の神でなくてはならないという点にある。神はあらゆることに干渉し列伝持ちの勇者を運用して世界を救済しなくてはならない。

・唯一神は休憩のため定期的に人類の大量虐殺や民族の絶滅を必要とする。そうでないと人間達がまじめな労働によって文明を維持していることの実感が持てないからである。悲劇的なものを呼び覚ますには終末のヴィジョンが必要不可欠なのだ。カードゲームは核兵器を召喚する度に人類の滅亡を反復する。

・沈黙は純粋に孤独は誇りを持って富の所有は優雅に知識を見せびらかさない思慮を残酷にならないだけの勇気で支え厳格にならない程度の楽しみを節度のある快楽として芸術に親しみ毎日の労苦に感謝しながら礼儀と威厳を兼ね備える。こういう儒者流の道徳では欲望の体系である資本主義に勝つことはできない

・神々と核兵器の結婚は原発事故による声の誕生をカードで召喚することによって成就する。各人が自分自身の核兵器を召喚できるようになるにはスマートフォンを身体の正当な使用者としてプレイヤー化する必要がある。しかしこれだけでは個人的身体のメルトダウンで伝言ゲームを拡散させることはできない。

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